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2-10.なんだか間が悪い

 フリードリヒにも言われたが、そんなに自分はいまひどい顔をしているのだろうか。

 マーリカは教員寮の廊下で合流した彼女を見るなり、痛ましげに顔を(しか)めた再従兄(はとこ)クラウスのじっと物言いた気な視線を窓を見ることで逃れた。


 「マーリカ」

 「クラウス兄様のおかげで予定よりずっと順調に進んで、今日明日には終わりそうですね。な七日目の昼に発つ前日はゆっくりできそうです」


 クラウスの一歩前をマーリカ歩く、廊下の要所にいる衛兵に時折労いの声をかけながら、歩幅の大きい彼と並ばないよう彼女は廊下を早足に進んだ。


「マーリカ」

「そういえばマティアス兄様はどうしているのでしょうか。さっぱり姿を見ませんけれど」


 廊下と螺旋階段の踊り場の境に立つ衛兵に目礼して、階段を数段降りたところでマーリカは、彼女の斜め後から突き出すように伸ばされた腕に足を止めた。

 コツンと足音を小さく鳴らし、マーリカより二段低い場所に立ったクラウスを彼女は見る。高低差で目線の位置はそれほど変わらない。


「……顔色が悪い」


 両頬を手で挟むようにされては逃げられない。

 クラウスと目が合いそうになるのを避けてマーリカは目を軽く伏せ、階下を見下ろす。

 衛兵は階段の上下にいて、丁度死角になる位置だから、ここでマーリカを止めたのは故意である。


「寝不足で……」

「嘘をつけ、素晴らしき定刻内勤務なんて言っていただろう」


 小さな頃から付き合いのあるクラウスは誤魔化せない。マーリカは観念した。


「少し、考え事をしていて。クラウス兄様が心配するようなことでは」

「本当に、あの第二王子がいいのか?」

「え?」

「夜会の時から、ずっとお前を見ているが……あの第二王子でいいと思い込まされているのではないか? そうではないと言うのなら私が口を挟むことではないが」


 マーリカとしてはまったく予期してもいない方向から、クラウスにフリードリヒとのことを心配されて呆然と彼を見つめる。


「……それは、きっと逆です」


 フリードリヒの側こそ、マーリカがいいと思い込んでしまっているのかもしれない。

 社交界の中で進められる縁談の候補に上がってくるような令嬢と異なり、彼の公務を直接補佐できる女性であるという点で……と、胸の内でマーリカは答える。


「マーリカ?」

「本当に、クラウス兄様が心配するようなことでは。今日確認する場所は大時計塔です。教員寮から少し離れていますから、あまりゆっくりしているとヘルミーネ様を待たせてしまいます」


 頬に触れているクラウスの手を剥がすと、マーリカは微かな笑みを彼に向けて階段を降り、艶やかな銀髪のすぐ側を通り過ぎる。


「マーリカ、婚約を白紙にしたくなったら我慢する必要はない」


 すれ違い様に聞こえた低くひそめた声の言葉に、さすがにそれは行き過ぎるとマーリカは呆れて振り返った。


「そんなことはないですけど、たとえそうでも王家との婚約を白紙になんて。滅多な事は仰らないでください」

「新興の王家など、かつては古き国々の王すら指名できたエスター=テッヘン家にとってはなんでもない。ましてお前は“本家の姫”だ」


 呆れるしかないことを口にするクラウスにマーリカは信じられない思いで瞬きをして、彼の顔を見た。ひどく真面目な表情をしているが、本気で人に話せば笑い者になるような話である。


「いつの時代の話ですか……古代の頃に星の数ほど冠を集めた貴族が滅んで、唯一女系で細く血を繋いでいたのがいまのエスター=テッヘン家の祖って、本当かどうかも怪しい話」


 そこまで遡ることなく、はっきり事実が確認出来るエスター=テッヘン家自体の話で言えば、昔々の大昔にはそれなりの貴族ではあったらしい。しかし、まだ貴族の数自体が少なかった頃である。

 その後、いくつもの世の騒乱や争いの波の中でどんどん力を失い、いまや見る影もなくただただ古くから続いているだけの家だ。


(様々な国が大きくなったり小さくなったり、出来たり滅んだりする中でしぶとく生き延びてきたのはすごいのかもしれないけれど。王子妃教育でもそう言われたし)


「まさかクラウス兄様がその話を持ち出すなんて……」


 昔から過保護だと思っていたけれど、とマーリカは階段を降りていく。

 クラウスもさすがに突拍子もないことを言ったと思ったのか、それ以上なにも言ってはこなかった。


 *****


「マーリカ、これから検分?」


(どうして、今日に限ってこんなところにいるのか……)


 教員寮を出たところで護衛騎士がつくことになっていた。

 真っ先に目に映ったのが臙脂(えんじ)色の近衛騎士の制服に合わせたような、赤髪の美丈夫のアンハルトの後ろ姿で、クラウスがいるとはいえフリードリヒ付きの彼がと思ったらやはり違った。

 さらにその前方に、淡い金髪が目立つ人がいた。

 金(ボタン)をあしらう濃紺のコートを羽織って、その下に朱色にやはり金の刺繍が入った服をまとったフリードリヒである。


「はい、本日は大時計塔に」

「ああ、あそこはなかなか面白いよ。私も昨日見てきたのだけど時計裏や一階下の金属歯車の時計機械なんて、あれはなかなか分解し甲斐がありそうだ」

「……直したばかりの場所を壊してどうするのですか。そもそも、遊びではなく仕事で確認いただきたいのですが?」

「顔合わせるなり機嫌が悪いね。少し顔色も悪いけど働き過ぎでは?」

「殿下がそれを仰いますか……」


 今朝、彼の部屋でのことなどまるでなかったような普段と変わらないフリードリヒの様子に、人の気も知らないでとマーリカは拳を握りしめたくなる。


「今日はどちらへ?」

「前庭の遊歩道。五日間、日替わり出店する場所があってねえ……聞きしに勝る美食の遊歩道(プロムナード)! 実に素晴らしい。二巡したい店もあるしロッテ嬢がいてよかったよ。さすがに私ひとりでは限界がある」

「楽しそうでなによりです……」


(本当にっ、人の気も知らないでっ――!) 


 にこにこと上機嫌なその笑顔を殴りたい。そもそも検分箇所の資料は渡しているのだから、行くなら誰かに言付けて連携してくれたらとマーリカは胸の内で文句を言って、周囲にいるべき人物がいないことに気がついた。


「ロッテ嬢は? 姿が見えませんが」

「ああ、私が早くいるのだよ。君の方が早く教員寮を出ていくから」

「えっ」

「聞きたいことがある」


 至極真剣な顔と言葉の調子に、マーリカは今朝に関係することかと少しばかり構えながら、なんでしょうかと返事をする。


「出来立てが美味しいものがあるのだが、温かいのと冷たいの、どちらがいい?」

「――は?」


 マーリカは怪訝に顔を(しか)め、思い切り首を傾げた。

 まるで外交の場で二国から迫られ、どちらと手を組むべきかとでも相談するような深刻な声音だが、まったくもってどうでもいいような質問である。

 

「ヘルミーネ嬢も連日こちらに付き合わせているから、差し入れでもと思ってねえ」


 うーんと唸って、あれこれ思い浮かべているらしく、天を仰いで目を閉じたフリードリヒに、本当にそういうことだけには気が回りますねと、マーリカは冷淡に返した。

 実際、彼は家族への差し入れや、大臣達への誕生祝い、交流ある令嬢達へ季節のカードを送るなど、そういったことには実にまめである。

 家族に対しては直接会う時間は少ないことがあるし、それ以外に対しては王族として周囲の者を気遣うことの一つであることは理解しているが、ご自分の仕事にも同じくらい気を回してほしいものである。


「特権でマーリカの好きそうなものを選んできてあげよう」


 言いながら人好きのする笑みで近づいてきたフリードリヒに、まったくとなにを得意げにとマーリカは小声で呟く。


「特権って……何の特権です」

「特権は特権だ。これでも私は結構偉いのだよ……、っ」


 フリードリヒの腰のあたりでカチャリと金属の音がして、彼は僅かに顔を(しか)めると、面倒そうにため息を吐いた。


「本当、邪魔なのだけどこれ。第一、私、持たせる方が危ないと言われているの知っているくせに」


 じとっと睨むような目をフリードリはアンハルトに向けたが、彼は特に反応せず受け流した。やれやれとフリードリヒは足に当たったらしい鞘に収まった剣に触れる。

 珍しく帯刀しているのは万一の用心ためだ。警備体制は万全とはいえ、人が多く、護衛も慣れていない古城の中であるからで、フリードリヒは要らないと言ったが、彼付きの護衛騎士班長であるアンハルトが許さなかった。

 それにしても、剣技は得意ではないとフリードリヒから聞いてはいたが、持たせる方が危ないなどと言われている程とは少しばかり意外だとマーリカは思った。

 怠惰であるが、フリードリヒは何事もそこそこそつなくこなす。


「用心というけれどさ、私がこれを使うような状況に陥る時点で、全員なにかしら処分になるってわかっている?」

「もちろんです。そのようなことにならないように皆努めています」

「だったら要らないと思うのだけど……」

「殿下!」

「はいはい、わかった! 今回かなり好きにさせてもらっているから言うことはきく」


 反抗期の子供かといった言い方で、フリードリヒがマーリカを遮った時、薄紅色の髪を揺らして深緑色の学園の制服姿の少女が彼女達の元に駆け寄ってきた。


「ええっ、皆様どうしてお揃いで?」

「ちょっとね。時間通りだよ、ロッテ嬢」


 全然そんな気がしない……と呟くロッテにマーリカはそうだろうなと思う。

 王族をお迎えに上がったら、待ち構えられていたようなものである。

 ロッテの側で考えたら、少しばかり気の毒だ。


「では殿下、わたし達は失礼いたします」

「ヘルミーネによろしく。階段が急だから気をつけて」


(殿下が昨日いらして確認箇所も見てくださっていたなら、今日、ヘルミーネ嬢に案内いただく箇所も仕事もいくらか減っていたのですが?)


 ロッテがいる手前、マーリカはフリードリヒへの非難を込めてじっと見詰めるに留めたが、彼は正確に彼女の考えを読み取ってくれたらしい。


「つ、次は知らせる……王子を睨まない」

「ロッテ嬢、よろしくお願いします」


 はい、と元気よく返事をしたロッテにフリードリヒを預け、マーリカはクラウスと大時計塔へと向かった。


「本家で会った時から思っていたが、人心を惑わす王子だな……」


 向かう途中で呟いたクラウスの言葉に、マーリカは聞こえなかったふりをした。

 マーリカが事故にあって療養していた際、フリードリヒは王子ではなく上官として彼女の実家へと赴いて、たまたままだ屋敷に滞在していたクラウスとマティアスを仲介に、鉄道事業の条約締結直後に彼の秘書官が狙われた件を穏便に処理すべく公国と非公式の会談を行ったことは聞いているが、そこでどんな話をしたかについては聞いていない。

 

(ちゃっかり求婚についての話も父様としたみたいだけれど……変なところで要領がいいのだから)


 大時計塔の前に到着してマーリカは塔を見上げた。

 ここの検分を終えればあとは簡単に見回れば済むものばかりだと、彼女は仕事へと頭を切り替えた。

 

 *****


 たしかに大時計塔は、フリードリヒの言う通りに特に時計裏やその一階下の時計機械が見応えのある場所であった。

 各階、時計や鐘楼を鳴らすための振り子や重りなどがあり、大きなからくり玩具と思えなくもない。

 フリードリヒはおそらくそのように思ったのだろう。

 屋根の傷みや雨漏りなどで内部の時計機械の傷みも酷く、改修工事に費用も時間もかかった場所である。いまはほぼ正確に時を刻んでおり、始業と終業の時を知らせる鐘もこの塔の鐘であった。

 工事記録と修繕箇所を照らし合わせていたら時間はあっという間に過ぎる、塔を出ればもう夕方に差し掛かっていた。

 差し入れがどうのと言っていたフリードリヒは。結局姿を見せなかった。


「生徒会室かもしれませんわね。ヨハン殿下が今日は一日そちらにいると仰ってましたし、わたくしもマーリカ様の案内を終えたら立ち寄る予定でしたから」


 ロッテから聞いてそちらへ行ったのではないかと言ったヘルミーネに、なるほどとマーリカは思った。差し入れはおそらく菓子だろうから、たしかに時計塔よりそちらへ向かうかもしれない。


「そうなのですね。本当に毎日午後付き合わせてしまって。おかげで明日には終えられそうです」

「お役に立てたのならなによりです。学園祭といっても昨年も午後は生徒会の仕事をしていましたもの。最終日は演奏会がありますから、午前中は器楽の練習ですし」

「フェルミーネ嬢はなにを嗜まれて?」

「弦です。フェルデン卿。ですので、その……初日にクラッセン教授とお会いした時はわたくしもうとても緊張してしまって……」


 一度だけ、知人の侯爵夫人のサロンでお聞きしたことがあると、白い陶器のような頬を少しばかり紅潮させて話したフェルミーネにそれは先に聞いておけば、マティアスとお茶の席でも設けられたのにとマーリカは残念に思った。

 フリードリヒとはまた種類の異なる自由気儘さのマティアスは、日中どこにいるのか全く姿を見かけない。


「そうと知っていれば、奴を捕まえおくのだったな」


 マーリカと同じことを考えたらしい、クラウスがそう呟けばとんでもないことだとフェルミーネは淑やかな彼女らしからぬ声を上げた。


「大丈夫です。お気遣いは無用ですわ。王立科学芸術協会(アカデミー)の教授にこれ以上は望みません」

 

 これは相当、弦楽の名手としてのマティアスが好きらしい。


「そういえばマーリカも言っていたが、あいつはどこにいる?」

「さあ」

「ああ、それは……あっ」

「ん? フェルミーネ嬢はマティアスを見かけたのか?」

「あ、ええ、いいえ……どちらかの廊下を歩いていたのを見たような、見なかったような?」


 片頬に手を当てて、マーリカ達を案内中は明確な受け答えをしていた彼女にしては随分と要領を得ない返事をするフェルミーネに、マーリカは首を傾げる。


「どちらかの廊下、ですか」

「その、はっきりと思い出せなくて……」

「本当にあいつはどこをふらふらと」

「無関係な部屋などに、勝手に入っていないといいのですが……」

「あの、よろしければお二人もご一緒に生徒会室へいらっしゃいませんか。ヨハン殿下が色々とお茶を揃えていますの」


 フリードリヒもいるかもしれないからと、フェルミーネに誘われる。

 早朝ヨハンがフリードリヒとの婚約を快く思っていないことや、エスター=テッヘン家に対しなにか誤解があることを知ったマーリカではあったが、まさかそれを理由に断るわけにもいかず、クラウスと共に彼女は頷いた。

 連れ立って本校舎へと入り、しばらく廊下を歩いていたマーリカだったが、ふと窓ガラスに映る自分の姿が目に留まって足を止める。

 窓ガラスを鏡にして首を動かし、髪を結い上げている頭に触れる。


「マーリカ様? どうかされました?」

「あ、いえ……リボンが……」

「あら」


 髪に結んでいたリボンがない。

 大時計塔を検分の際はあったはずだ、歯車の部屋でクラウスに引っ掛けそうで怖いと注意されたから。


「どちらで解けたのかしら。申し訳ありません。気がつきませんでした」

「たぶん大時計塔の中かと」

「では誰か行かせましょう」

「心当たりを見てきます」

「一人でか?」

「大した距離ではないですから」


 護衛はクラウスのためにつけている、離すわけにはいかない。


「なら私も行こう」

「いいえ。フェルデン卿を煩わせるわけにはいきません。生徒会室の場所はわかりますから、お二人は先に行ってください」


 身内だけの時ならともかく、へルミーネもいるところではクラウスは公国の特使である。落とし物探しに付き合わせるわけにはいかない。


「少し見てくるだけです。見当たらなければすぐ戻りますから」


 なんだか今日は間が悪い。

ヨハンともフリードリヒともなんだか気まずいことがあったその日だというのに、これから向かうのはその二人が揃っているだろう場であるし、おまけにリボンまで失くすとは。


(たかがリボンとするには重い一品すぎて、どこかで落として自然紛失したらなんてちらっと考えたこともあるけれど……いまでなくてもいいのに)


 その意味、凝り方、扱いとそのどれにも執着を感じる、失くしてもまた次がすぐやってくると想像できる呪物のような一品ではあるが、やはり本当に失くしたとなれば気が引ける。

 今朝のこともあるから尚更だ。

 出かけに顔を合わせたフリードリヒは、まったく何事もなかったかのようだったけれど。

 それに贈り物を失くすとはと、ヨハンの心象をこれ以上悪くしたくもない。

 そんなことをつらつらと考えながら、マーリカは本校舎から外へでた。

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