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2-9.もしもと誤解とすれ違い

 王立学園での滞在予定は七日、早くも三日が過ぎている。

 マーリカにとって、官吏になってこれほど規則正しく時間が過ぎていく三日はなかった。

 起床は七時で朝食が部屋に運ばれるのが八時頃。

 朝食をとった後は執務室として借りている別室へ移動して、今回の視察での各役割の責任者またはその補佐と、前日の報告やその日の予定などの確認を半時間ばかり行う。

 その後は書類仕事をし、午後はクラウスと共に修繕箇所の検分に出て、修繕事業の資料とヨハンから提供された資料を元にヘルミーネの案内で各所を順番に回り、通りがかりの学生や教員から話を聞く。

 夕方、フリードリヒの客間で報告を行い、五時に鳴る、終業と閉門を知らせる鐘の音を聞く頃には業務終了。

 なんて素晴らしい定刻内勤務――であるはずなのに。


「なんだか、体が重い……」


 早めに休んでよく眠ったはずなのにとマーリカは王立学園の客間のベッドで目覚めて、上半身を起こすと首を横に振った。ナイトテーブルにおいた銀時計の時間を確認すれば朝食の時間までまだ三時間もある。


「まさか超過勤務に体が慣れ過ぎて、調子が狂っているとか……?」


 寝直そうかと一度考えたけれど、却ってよくなさそうに思えたので彼女は起きることにした。

 王宮のマーリカ付きの侍女が一人来てくれているが、さすがにもう少し後にならないとこない。衛兵は部屋の外で交代勤務のはずである。

 マーリカは部屋の洗面台に置いてある水差しに水が入っていることを確認すると、顔を洗って身支度をした。

 ドレスと違い、人の手を借りなくても着ることが出来るのが男装の利点である。

 もっとも貴族の男性も侍従の手を借りて着ているだろうけれど。


「そう考えると、殿下は一人で身の回りのことが出来る……」


 着替えやら入浴やら色々と世話をされるのが当然なフリードリヒではあるけれど、いなければいないで文句も言わずにシャツや上着のボタンも留めるし、紐も自分で結べる。

 そんなごく個人的なことを知っているのは、馬車の事故に巻き込まれたマーリカが離宮で療養していた間、フリードリヒも休暇といってろくに人も付けずそこにいたからである。


(着替えどころか、女性の髪も編めてコテまで巻けるようだし)


 なんでも彼の妹、第一王女のシャルロッテの髪を時折結ってあげていたらしく、兄妹の微笑ましい交流であるらしい。


(シャルロッテ王女殿下以外はないって、わたしの髪を編みながら言っていたけれど……ってなにを考えて……)


 マーリカは両頬を手で押さえて、首を振った。


「あれは、わたしが事故の後に臥せっていたからで……あれっ、く、櫛! 櫛はどこへ?」


 部屋の隅にあるドレッサーの上に見当たらず、引き出しを開けてしまった覚えのない場所にあった櫛と、鏡に映った自分の顔を見てマーリカはため息を吐く。


(この視察の仕事に入ってから、どうかしている)


 フリードリヒは彼の目的を満喫しているようで、修繕箇所の検分の途中、建物の窓や切れ間、通路を歩いている際に時折その姿を遠目に見掛ける。

 ロッテと気が合うようで、楽しそうになにか話しながら出店ばかりでもなく、学生が各教室を使って催し物や学問の成果を発表しているところも回っているようである。

 本来の目的の方は言うまでもなく、報告の際に日替わりで渡される菓子や加工品や、彼の部屋の書物机の上のメモが日に日に増えていることからも、それがうかがえる。

 仕事もそれくらい熱心にやってくれればと思うところであるが、遊んでいるようでそうでもないことになっているのが複雑だった。

 この三日でフリードリヒによって追加された案件が二つある。

 きっかけは、土地の名物料理で出店していた店主の話からだと聞いている。


『……その名物料理の店の店主の自慢話を延々聞かされてねえ。まあ聞いている間、これもぜひあれも美味しいからと付けてくれるから、またロッテ嬢が話を引き出して』


 昨夕の報告の場で会うなりそんな話をしてきたフリードリヒに、どちらの報告の場だと思いながらマーリカは最初聞き流そうとした。


『そしたらさあ、店主の子供の頃の方がもっと美味しかった、父親と比べて腕が落ちるどころか色々工夫もしているのにと嘆きだしてね。宥めるのに大変だった』

『はあ、大変でしたね。本日は本校舎内の礼拝堂を確認いたしました。天井画は報告通りに顔料も合わせており……』

『マーリカ、流れるように仕事の話に持っていくのは実に君らしいけれど、まだ話は終わっていない』

『失礼いたしました。礼拝堂は問題ありません。老朽化が激しかった柱も上手く途中で石材の色を装飾的に継いで外観上の違和感は極力抑えられておりました』

『うん……でね、腕は先代に引けを取らないと自負している。材料は同じで質が落ちたわけではない。同じ井戸の水を使い、配合や火力などは工夫を重ねている。それなのに昔の、先代が作っていた味には届かないなんて聞いたら気になるじゃない』

『はあ』

『そしたら、ロッテ嬢が――水では? って』 


 材料の質が落ちていないのなら水質ではないかと言い、丁度いい人がいるとフリードリヒの手を取り、本校舎の片隅にある小部屋まで引っ張っていったらしい。


『地質研究をしている学生がいてね、自領で地滑りが多いから防災目的で始めたはずが、いまではすっかりのめり込んでいるらしい。これがなかなか有益で、こちらの依頼と引き換えに研究成果を買い上げることにした』

『は?』

『王領だけでなく近隣諸侯の土地も含んで、目をつけた場所を調査する度に地形図を自作していたのだよ。実に精緻なものをね。本人は自分の興味と研究以外の考えはなく、これまで立ち入り許可を出した領主も、変わり者の学生が崖や岩を調べたいと言ってきたくらいにしかおそらくは思っていない』


(知らない内に、広域の地質調査と一帯の水質調査が動いている……)


 しかし、実際に水質がどうなっているかはともかく、現状に沿った近隣領地も含む、精度の高い地図は間違いなく有益である。もし資源になりそうなものでも見つかれば儲けものだ。

 王都から遠すぎることもあって、この王領は陸の孤島のような学園城塞都市以外は王家の保有地というだけで、あまり顧みられていないから、文官組織の記録保管庫にも年次報告くらいしかない。

 この視察がなければマーリカも関心を持つことはたぶんなかった。

 バーデン家や北の辺境伯領、北隣の大国ラティウム帝国との取り決めで割譲された土地も接しているから刺激したくないのもあるのかもしれない。


『ロッテ嬢、ヨハン殿下が人物と能力は保証すると人選した通りのようですね。希望通りに学園推薦枠に入れるといいのですが』

『学園推薦枠ねえ。貴族でなくても上級官吏であれば社交界に顔を出せる……ヘルミーネ嬢とも懇意のようだし……』


 なんの気になしにロッテについて思ったところを言っただけだったが、マーリカの言葉になにか思案するようにぶつぶつと呟きだしたフリードリヒをみて、またなんとなく胸の奥がざわつくのを彼女は覚える。


『殿下?』

『ん? “可愛らしい”からね。人見知りのヨハンの対人防御も突破しているようだし』

『人見知り?』


 そうは見えなかったとマーリカが言えば、フリードリヒは苦笑した。


『たしかにヨハンの言う通り、“いい子”だよね』


 にこにことした表情でマーリカにそう言ったフリードリヒに、薄っすらと漂う煙のような嫌な考えが彼女の思考に入り込む。

 たまたまマーリカが貴族女性で一人しかいない上級官吏であったから、他にも同じような人がいたら、また違っていたのではないか。

 フリードリヒは、令嬢としてのマーリカを望んで求婚したのではない。むしろそれに関しては薄い。求婚の際、彼はマーリカに彼を側で支える臣下として、第二王子妃の職を提示したのだから。

 フリードリヒへの報告の際でのことを思い返しながら、マーリカは髪が邪魔にならないように結い上げた。結い上げて、櫛と一緒にしまってあったリボンを結んで留める。

 フリードリヒから渡された、彼の持つ色に似た水色に金糸の刺繍がされたもの。


(執着が重いし、わたしに気持ちもあると……思ってはいるけれど……)


 婚約してから、彼がマーリカに甘やかに接しようとするのをつい回避してしまうのは、あの腹立つほどの顔の良さで迫られていることに堪えられないのが一つ。

 それともう一つ、フリードリヒがマーリカでなくてもよかったと思った時に取り返しがつかなくなってはと、どこかで考えている……。

 第二王子妃候補としての立場が固まっていくにつれ、その考えはマーリカの中で色濃くなりつつある。

 考えがあるようなないような、それでいてなにもかも彼の予測通りに物事が運ぶと知っているようにも見えるフリードリヒだから、確信が持てない。


(他に彼の条件に合う人がいても、わたしは選んでもらえていた……?)


 渡されたリボン一つとっても、マーリカのことを思ってくれているのが伝わるようなものであるのにと、考えを振り払うように彼女は頭を軽く振った。


「少し外の空気でも吸ってこよう」


 仕事をしている間はこんなことを考えなくて済むけれど、この学園に視察にきてから官吏になってかつてないほどの健全勤務になっている。

 衛兵には開門前で教員寮の周りだから大丈夫だと持ち場を離れぬように言って、マーリカは外に出た。

 教員寮と本校舎の間を学園の敷地のより奥へ向かって歩く。

 歩いているうちに、初日にフリードリヒが気に留めた落雷で崩れた倉庫が見えて、彼女はなんとなく近づいた。


「落雷なんて、使われていない建物でよかった」


 そうでなければ大変なことになっていると、建物の崩れた壁を見上げる。

 向かって左端に塔が付属した建物は、小屋というには大きく、別棟というには小さい中途半端な大きさだった。この城が砦の城だった頃も見張り台と武器か食料の保管するような場所だったのかもしれない。


「落雷……」


 マーリカは周囲を見回した。

 倉庫は、他の建物に囲まれたような場所に建っていて、たしかに塔は周囲の建物より少しだけ高い。けれど大きく崩れているのは塔ではなく倉庫の部分の低い位置の壁である。     

焦げたような跡はあるが、落雷にしては崩れ方がおかしい。

 もしくは雷を引き寄せる金属かなにか近くにあったのだろうか、崩れている場所をもっとよく見ようとマーリカが近づこうとした時、「そこでなにをしている」と咎める声に反射的に彼女は振り返り、そこに思いがけない人物がいた驚きに目を見開いた。


「……ヨハン殿下?」


 振り返った先には、不審そうに顔を顰めマーリカを睨めつける第四王子のヨハンの姿があった。


「ヨハン殿下。どうしたのですか? このような朝早くにこのような場所で」

「それはこちらの台詞だ」


 ――たしかに。

 この場合、このような朝早くにこのような場所で、どうしたのかはマーリカの側である。


「えっと、散歩です」

「散歩?」

「ヨハン殿下は?」

「……まあ、散歩だ」


 マーリカもだが、ヨハンもそれしかないだろなと思いながら、彼女はそうですかと相槌を打った。そして丁度いいから倉庫が崩れた時の話を聞こうと考える。


「ヨハン殿下、こちらの建物ですが、落雷ということでしたがどういった状況だったのでしょうか。雷がどう落ちたのか見ましたか?」


 尋ねたマーリカを何故かヨハンはじっと無言で見た。


「ヨハン殿下?」

「嵐の夜に外に出ている者がいるとでも? 窓も鎧戸を閉めていて見た者などいない。音は聞いたが。そのような話を兄上に話していた時、貴女はいなかったか?」

「おりました。ただ、こうして近くで建物と損傷箇所を見てあらためて確認したいと思いまして」

「なるほど。この早朝にたまたまここにきて、私と遭遇し、それで?」


 なにか気に障ったのだろうか、なんとなく険のある言い方である。

 初対面での好青年な彼の印象と、王子でいながらマーリカに目上に者に対する礼儀を欠かさない態度が記憶に残っているだけに、余計にそう思える。

 考えてみれば咎めるように呼び止められた時から、視察初日のような柔らかさはない。


(そういえば、ヨハン殿下は人見知りで対人防御がどうとかフリードリヒ殿下が言っていたような……これが本来のヨハン殿下?)


「そうだな、いまは兄上もいないことだし」

「あの、ヨハン殿下?」

「エスター=テッヘン家がなにを企もうと兄上には通用しない」

「は?」

「調べはついている。事故で兄上の気を引くなどと姑息なことを」

「あの、なんの話でしょうか?」


 本当になんの話をしているのかわからない。事故とはあの馬車の事故のことだろうか。

 なにかマーリカの自作自演のような物言いだが、あの事故では死にかけているのである。

 もしフリードリヒの気を引くためというのなら、そんな馬鹿なことはしない。


「はっ、護衛が付けられてすぐの時期に浅はかなことだ。助けられることは織り込んでいたのだろう?」

「ヨハン殿下。なにか大きな思い違いをされています」

「あくまで違うというのなら別にいい」

「あの、本当にわたしはなにも……」

「どちらにせよ、貴女を兄上の婚約者などと認めるつもりは元よりないのだからな」

「え?」


 フリードリヒと同じ。

 明るい青い瞳が、はっきりとした敵意の色を浮かべてマーリカを睨みつけている。


「ヨハン殿下……?」

「そうだろう? 社交もろくに出来ていない、これと基盤もない伯爵令嬢など。官吏として兄上を支えるなど他の者でもできる。実際、貴女と会うずっと前から兄上は第二王子として素晴らしい功績を上げてきているのだから」


 ――お気をつけくださいませ! ヨハン兄様が意地悪く当たってくるかもしれません。

 ――ヨハン兄様は、フリッツ兄様のことを本当に超人のような素晴らしい王族と思い込んでいますから、なにかおかしなことを語り出しても聞き流してくださいませ。


 視察前に、ヨハンの妹である第一王女のシャルロッテからの忠告の言葉がマーリカの脳裏を過っていったが、違うとマーリカは思う。

 意地悪でも、おかしなことを語っているのではない。

 ヨハンの言葉は、どれも事実だ。

 少なくともマーリカは彼に反論できない。反論できる材料がない。


「もしくはそれも大陸各地にその家系を広げ、各国の力関係に干渉するエスター=テッヘン家の影の影響力を隠すためなら、尚更認めるわけにはいかないが」


(それはヨハン殿下の誤解だから絶対にないけれど……)


 しかし、エスター=テッヘン家について、そのような穿った見方をする人もいるとしたら、外交を担うフリードリヒの足を引っ張りかねない。

 社交もろくに出来ていない、これと基盤もない伯爵令嬢。

 官吏として支えるなど他の者でもできる。

 ヨハンの言葉がマーリカの頭の中を駆け巡り、黙ったままでいるしかない彼女に心底失望したようにヨハンは再びため息を吐いた。


「まさかだんまりとは。話にならない。この三日兄上を楽しませ、同時に兄上のためになることもしているロッテ君や、貴女の補佐につけた公爵令嬢のヘルミーネの方がまだ役に立つのでは?」


 冷笑するヨハンにそうかもしれないと、胸の内でマーリカは彼に答える。


「どちらにせよ、聡明な兄上が貴女になど籠絡されることはない」


 籠絡などするつもりもした覚えもないが、ヨハンの言葉は一つの真実を示しているようにマーリカには思えた。

 ヨハンとどう分かれ、どう歩いて教員寮に戻ってきたのかあまり覚えていない。

 気がつけばマーリカはフリードリヒの部屋の前にいた。

 早朝に彼の部屋にやってきたマーリカになにか緊急の事が起きたと取ったのか、なにを尋ねることもなく衛兵がドアを静かに開き、少しばかり躊躇ったがこれで踵を返すのも不審極まりなく黙ったまま彼女は室内へと進む。

 フリードリヒは眠っていて、なんの憂いもないようなその様子にマーリカは詰めていた息を吐き出す。


(なにをしているのだろう……わたし)


 フリードリヒが目を覚ます前に部屋を出ようとしたマーリカだったが、不都合なことに彼が人の気配に目を覚ますのが早かった。

 仕方なく、彼女は彼が眠る寝台に向き直る。


「ん……なに、なにかあった?」


 うーっ、と呻いて、フリードリヒが寝具から右腕だけを出し、いい加減な動作で手招きする。彼はあまり朝が強くはない。まだ眠いらしい。

 放っておいたらそのうちまた眠ってしまいそうだが、きちんと目が覚めた後に問い詰められるのも困るため、マーリカは彼の寝台へと近づく。


(ああそうだ。倉庫の件がある。緊急といえることかは別だけど)


 ひとまず口実となるものを頭の中で用意して、彼の枕元に跪くように身を屈めようとしたら止められた。すぐまた眠ってしまいそうに思っていたが、フリードリヒは目を開けて起きていた。横になったまま眠そうではあるけれど。


「どうしたの?」


 使われていない倉庫の崩れ方が、落雷にしてはおかしいことに気がついた。

 伝えるべきことはそれだけである。だからどうしたといったことだが、万一を考え取り急ぎ報告に来た。不審な点は不審として対処するとだけ言って去ればいい。

 なのに、何故か言葉を紡げない。

 もっと他に言いたい、聞きたいことがあるといった思いが邪魔をする。

 けれどそれはマーリカの中の問題であって、こんな早朝に叩き起こしてぶつけるようなものでもなく、戸惑いと困惑の中で黙り込むマーリカを怪訝そうに見て、フリードリヒは軽くうねる淡い金髪を掴みながら上半身を起こした。

 (ひざまず)こうとしたのをフリードリヒに止められて、中途半端に身を屈めていたマーリカは、彼を見下ろしていたのが彼に見下ろされる形になる。


「……ひどい顔色をしているけれど、もしかして寝ていない?」

「いいえ、日が変わる前には休んでいます」

「なら、怖い夢でも見た?」


 尋ねてすぐそれで来るわけはないかとフリードリヒは言い、その声が聞こえたのとほぼ同時にマーリカは肩から彼に寝台の上へと引っぱられた。


「じゃあ、寝込みを襲いにきたとか?」

 

 胸の辺りから彼の寝台の上に乗り掛かったようになってマーリカは、寝具に左頬をぺたりとつけて小さく首を振る。


「だろうねえ」

「……んか、は」

「ん?」

「殿下は、なにを選んで、わたしを……?」


 衣擦れの音がして、結わずに残した髪が右頬に流れているマーリカのこめかみに吐息がかかる。右耳に、起きたばかりで少し低く籠ったような声が囁いた。


「選んでない」


 マーリカは首を起こし、彼女に伏せた頭を戻したフリードリヒを見上げる。

 微かな苦笑を浮かべ困ったような顔をしている彼に、マーリカは表情を歪めてしまう。


「マーリカに選んで欲しい。それだけ」


 それは、望んでおいて狡い――反射的にそんな憤りに似た思いが込み上げ、マーリカは立ち上がった。


「マーリカ?」

「そうですね……悪い夢でも見て、どうかしていました」


 たしかに選んだのはマーリカだ。第二王子妃という職を提示され、側にいてほしいと言葉にして言われる前に。婚約は成立しそれが破棄されない以上は周囲が認めても認めなくても成立している以上は、そうなるのである。


(殿下がわたしを不要と仰るまでは、勝手に職を辞して離れないって、自分で言っておいて……情けない)


 お休みのところ失礼しました、と言ってマーリカはフリードリヒの部屋を出た。


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