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2-8.戸惑いと王立学園(3)

 貴賓室の中央で細長いローテーブルを囲うように、向き合う長椅子のソファと一人掛けのソファ、それぞれ一人ずつ掛けてマーリカ達はお茶を飲んでいた。

 フリードリヒとクラウスが長椅子に向き合い、マーリカが一人掛けに腰掛けている。

 マティアスは学園の建物が見える位置がいいと、一人離れて窓辺の席にいる。

 マーリカ達の視線を集める、丁度彼女の向かいにあたる場所にヨハンと二人の女子学生が立っていた。

 生徒会役員だとヨハンが紹介した、一人は優雅な、もう一人は可憐な少女。

 優雅な少女は視察の案内役で、名をヘルミーネ・フォン・メクレンブルク。

 明るい茶色の髪が美しく薄い紫色の瞳が高貴な印象を与える、宰相メクレンブルク公の次女である公爵令嬢である。


「学園にご滞在中、マーリカ様にご不便がないようにと姉のクリスティーネからも申しつかっております。なにかご要望がありましたらなんなりと仰ってくださいませ」


 夜会の場で挨拶したクリスティーネもそうであったが、指の先まで神経の行き届いた優雅な所作にはマーリカもしばし見惚れてしまう。


「フリードリヒ殿下もお久しぶりでございます。前にお会いしたのはわたくしのデビューの夜会でしたから。あの時は緊張しきって……通りがかった殿下に泣きついてしまって」

「女の子は変わるよねえ。いつでも華麗なるクリスティーネ嬢の後を引き継げそうになって。辺境伯家に移っても夏にはまた戻ってくると言っていたけど」

「わたくしが王都の社交に戻るのは来年ですから」


 フリードリヒとヘルミーネのやり取りを側で眺め、やはりメクレンブルク公爵家のご令嬢方とは親しいのだなとマーリカは思った。


(わたしがいなかったら、お二人は兄妹になっていたかもしれない)


 ヘルミーネの姉、クリスティーネは辺境伯家の跡取りと婚約しているけれど、フリードリヒの婚約者候補と見做されていた。幼馴染であり、家柄、資質、容姿のどれをとっても第二王子妃に相応しく、懇意にしている令嬢であったから。

 決まりそうで決まらず、曖昧に保留になっていたのは不思議だけれど、メクレンブルク家が宰相家であることを考えると色々とあったのかもしれない。

 マーリカがフリードリヒの婚約者になるにあたっては、メクレンブルク公や当のクリスティーネも支持しているが、なんとなく釈然としない思いもある。

 先日も南の辺境伯領へ移る前の挨拶でフリードリヒへの面会依頼が届いて、王家の庭でお茶の席を設けて会っていた。筆頭秘書官を引き受けているアルブレヒトが公務で不在だったから、マーリカがその時間を工面し手配した。


 (友人で、理想の隠居生活を最も遠ざける相手って殿下は言うけれど……)


 フリードリヒと交流する令嬢は多いが、ほぼ手紙のやり取りに限られていて定期的に会うのはクリスティーネくらいだ。フリードリヒでなければ駄目な公務が立て込んでいる時でも、彼女の面会依頼には彼は時間を割く。

 筆頭秘書官だった頃はマーリカもしばらく恋仲だと思っていた。

 彼女の誕生日の頃になにか手配するか尋ねたら、ものすごく不快そうに顔を顰めて濡れ衣だと言われて驚いたくらいである。


「そうだマーリカ、ここではどちらの立場をとるのだい?」


 突然の、柔らかな疑問の声にマーリカは我に返って、窓辺へと首を回した。


「そちらのお嬢さんは公爵家のご令嬢らしいが、お前の世話をする口ぶりでいるようだし」


 マーリカ達とは同じテーブルには付かず、外が眺められる席で彼女達に斜めに背を向ける形で大人しくお茶を飲んでいたマティアスの言葉に、えっと彼女は首を傾げた。


「いくら私でも、王国の第二王子妃になられる令嬢に礼を失するわけには……でしょう? ヨハン殿下にフリードリヒ殿下」


 そういえばそうだねえと呟いたフリードリヒに、そもそも視察の補佐で来ているのだから公務補佐官でしょうとマーリカは答える。

 唐突になにを言うのだろう、この従兄(いとこ)は。


「そう。ではこの師も変わりなくいるとしよう」


(マティアス兄様は少し自重してください)


 言葉にはせずにマティアスにマーリカが内心でそう言ってカップを口に運ぶ。

そんな彼女を眺めていた、フリードリヒは僅かに首を傾げた。


「でも君、講演もするよね」

「官吏としての話が主です。この学園は将来要職を担う優秀な人材を養成する場所でもあるのですから。ですので、ヘルミーネ嬢もそうお気遣いなさらず」


 マーリカが軽く微笑めば、「はああっ、わああ、やっぱり」と、明るく澄んだ声が貴賓室に響いて、その場にいる者達の視線が一斉に小柄な少女へと集まった。


「やっぱり、わたしマーリカ様のっ……」

「ロッテさん」


 こほん、と。ヘルミーネが小さく咳払いする。

声を上げた少女が首をすくめ、ピンクブロンドの珍しい髪色をした頭が揺れた。

 もう一人の可憐な少女、ロッテ・グレルマンという名の彼女は、ヨハンの話でよれば平民特待生らしいが、とてもそうは見えない。

 深緑の生地に金ボタンを縦二列に並べ、金のラインが目立つ踝丈のワンピースドレスは学園支給の制服がよく似合っている、華奢で、色白の榛色の目をした美少女である。


「でもわたしが第二王子殿下を担当するのはどうかと……ヨハン殿下より成績がいいだけの平民ですから」

「……君、その情報をそこに織り込む必要はあるのか」

「文官組織の親玉ってお聞きしましたし、一応売り込んではおこうかと」

「親玉ではなく、文官組織の長だ……」 

「ふむ……私が親玉ねえ」


 ぽつりと繰り返すフリードリヒに、彼と向かい合う長椅子のソファに座って目を伏せて黙っていたクラウスが言い得て妙だなと呟く。


「売り込みということは、文官志望?」

「はい。上級官吏なら人生安泰一発逆転ですから」

「なるほどねえ」

「兄上に売りこむ気ならもっと言い様があるだろう……」

「ヨハン殿下は平民人生舐め過ぎです」

「人生安泰は大事だよ。私もそれは常々考えている」


 腕を組みしてうんうんと頷くフリードリヒに、いますぐにでも楽隠居したいなどと言い出さないかマーリカはひやひやする。将来有望な学生に第二王子は公務へのやる気がないなどと思われては王家の威信に関わる。


「ほらあ」

「民や国全体のことを考えている兄上と君を一緒にするな」


(ヨハン殿下、残念ながらその人は楽をすることしか考えていません)


 どうやらヨハンがフリードリヒのことを完璧な王族と尊敬しているのは、シャルロッテの話の通りであるらしい。


「貴族の常識と若干食い違うところはありますが、人物と優秀さは保証します。政策論の授業でも彼女の着眼点には私も学ぶところがある」


(ロッテ嬢の方が民や国のことを考えているかも……)


 そうでなければ、政策論での着眼点に学ぶところがあるなどと、ヨハンが思うことはないだろう。


「なんですかその“残念美少女ですが、根はいい奴です”みたいな言い方」

「誰もそんなことは言っていない。兄上は寛大な方であるし、ヘルミーネのようにとまでは言わないが学園の生徒たる淑女に相応しい礼儀は守りたまえ」

「お二人ともそこまでです。フリードリヒ殿下だけでなく、公国の方もいらっしゃる前で」


 ヘルミーネが額に手を当ててまったくと零すのを目にしながら、マーリカもいささか二人のやりとりに驚いていた。

 王立学園は、将来有望な様々な立場の若者が交流し、視野を広げ、切磋琢磨することを標榜する選抜制の特別教育機関であるが故に、学生の立場は家門や階級の区別なく対等とされてはいるものの、王子と平民の少女のやりとりとしては忌憚がなさすぎる。


(なんとなく……親近感というか、似たやり取りを知っているというか)

「ふっ、くくく……」


 その容貌同様、無駄に耳馴染みのいい美声をしている人の笑う声に、マーリカは学生達から彼女の左斜めの位置で長椅子を一人陣取っているフリードリヒへ視線を移した。


「兄上?」

「いや、ヨハン。ここまで来た甲斐があったね。王城にいては見ることができないものが見られた。ロッテ嬢だっけ? 私も案内役は君がいい」

「はあ」

「なにしろ私には、保身の欠片もない容赦なさで仕えてくれている人がいるからね。まったく問題ない」


 もしかしなくてもマーリカのことを言っているのは、彼女をちらりと見てにっこり笑んだフリードリヒの顔を見ればわかる。心外である。


(殿下がきちんとすべきことをしてくれれば、わたしだって不敬なことを言ったりやったりしないで済むのですけど?)


 マーリカとしては承知しかねるフリードリヒの言葉ではあったが、それとは別に彼が言った、“来た甲斐”については彼女もなんとなくわかるような気もする。


(私達を迎え入れてから、ロッテ嬢を紹介するまで、本当に隙のない王子ぶりだった。ご兄弟の間でもそうだったのかもしれない)


 それに、とマーリカはフリードリヒがこの学園に来た真の目的を思い、ヨハン、ヘルミーネ、ロッテの順に彼らを見て喟然として嘆息する。


(人材が揃い過ぎている。これはもう完全に仕事する気はなく、学園祭を満喫することだけに殿下は振り切るに違いない)


 ヨハンの視察に対するそつない用意に、見るからに応対慣れしたヘルミーネの案内があればマーリカとしては大助かりだ。宰相であるメクレンブルク公のご令嬢であれば、技能修習で受け入れている文官や技官を統括する公国の特使の立場で、王立学園の修繕事業の成果を見に来ているクラウスの案内役としも申し分ない。

 わざわざフリードリヒを間に立てる必要もない。

 さらに第四王子のヨハンに気後れせずに接するロッテは貴族令嬢ではないから煩いことも言わないだろうし、フリードリヒにとってこれ以上ないほど都合がいい案内役である。


(学年首席の特待生な生徒会役員なら、ヨハン殿下の人選でなくても平民なのに何故殿下の案内をなんて難癖もつけにくい)


 明日からまったくの別行動となりそうだ。そうなることももちろん想定はしていたけれど、夕食の後は各役割をし切る者達を集めて、警護について確認しておかなければとマーリカは黙考する。

 王族や高位貴族の子女が多数在学する王立学園だけあって、学園祭といえども警備体制はしっかりしているが、万全を期さねばならない。


(別行動か……)


 なんとなくマーリカはロッテを見た。

 可憐で人から愛される朗らかさはマーリカにはないものだ。

 それにヨハンが言うほど立ち居振る舞いも悪くない。彼がロッテを紹介した際に見せた淑女の礼も、姿勢の良さも、何気ない仕草も貴族女性に引けを取らない。


(そもそも王立学園に入る前に教わる機会はあまりなかったと思うのに、成績といい大変な努力なしには……)


「私はこの学園で学んでいないから、君がいいと思うところを案内してくれたらいい」


 はい、よろこんでとフリードリヒに答えたロッテに、そこは承知しましたとか畏まりましたと返事をするところだとヨハンが注意する様子が微笑ましい。

 なのに、どうしてだろう。

 またざわりと、胸の奥が疼くような感じを覚えてマーリカは僅かに目を伏せた。


(考えてみたら、社交以外で殿下が他の文官……違った、ロッテ嬢は学生だった。他の人を指名するなんてなかった気がする)


 煩わしいと思う時もあるのに、それも単純な役割分担でそんなことを考えるなんてどうかしているとマーリカは瞬きして伏し目になっていた視線を持ち上げる。


「マーリカ、どうかした?」


 ふと、フリードリヒと目が合ってしまって、彼が尋ねてきたのになんでもと彼女は短く答える。


「疲れているのではないか? 移動中、早朝から深夜まで休む間もなしで」

「いえ、そんなことは」


 一通りの挨拶や軽い雑談も一区切りついてしまって、少々時間を持て余す雰囲気になりかける。貴賓室内の沈黙をどうしようかとマーリカが思案した時、丁度よくヨハンから客室の案内を指示された学生がやってきて、部屋が整ったことを知らせた。案内もしてくれるらしい。

 安堵の息を吐いてマーリカは立ち上がり、ヨハンに近づくと礼を述べる。


「学園行事があるところ、ご協力とお気遣いありがとうございます」

「兄上に協力するのは当然のこと。エスター=テッヘン公務補佐官が気を遣うようなことをした覚えはありません。では我々もこれで」


 ごく普通の言葉であり、むしろマーリカを尊重していて口調も柔らかなものである。

 それなのに、何故か、ぴしゃりと目の前で扉を閉められたような、そんな拒絶の意思を感じてしまって、マーリカは呆然と二人の少女を連れて貴賓室を出ていくヨハンを見送る。


(なに……?)


 マーリカ――と、不意に肩を軽く叩かれてはっと彼女は我に返り、長椅子の席にいるのではなく、すぐ側で彼女を見下していたフリードリヒに驚いた。


「え、殿下っ」

「……やっぱり疲れている?」


 珍しく気遣うような表情でいるフリードリヒに、マーリカは彼が肩に触れる前に声をかけていたらしいことに気がついて慌てて首を小さく横に振った。


「そう?」

「はい」


 彼のすぐ後ろでクラウスも渋い表情を浮かべてマーリカを見ている。マティアスはまだ窓辺の席に寛いでいた。


「教授殿は適当に過ごすということだから、護衛と侍従を一人ずつ残すよう指示した」

「まったく、どこにいても気儘だから困る」

「アンハルトの部下を付けているから心配ないよ」


 一体どれくらいぼんやりしていたのか、そんなやりとりがあったことなど一つも聞こえていなかった自分に呆れると、マーリカは右頬を軽く打つように手を当てる。


「申し訳ありません。少しぼんやりしておりました」

「それを疲れたというのだと思うよ」

「そうですね。ええ、そうかもしれません……」


 学園長との夕食まで休むといいと命じられ、明日以降も構わなくてもいいと言われて、マーリカはフリードリヒの顔を見る。


「さすがにこんなところまで視察に来て、ずっと側につけとは言わない」

「ですが」

「今晩の夕食以外に私でなければならない仕事はここではない。明日以降は夕方に報告だけをしてくれたらいいよ。でないと私が好きにできない」

「……殿下」


 結局それかと、マーリカはフリードリヒを軽く睨んで肩を落とした。

 学生に案内を頼んで貴賓室を出る。

 ここまで来て彼が満足しなかったら、出店リストを手に入れて回ろうなどと言い出しかねない。

 かといって、手放しで遊ばせるわけにもいかない。

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