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2-8.戸惑いと王立学園(2)

 第四王子のヨハンはまだ公の場には出ていない。

 式典なども最小限であるとマーリカは聞いていたが、あらかじめ連絡を受けていた門のところで出迎えに待機していたヨハンは、メルメーレ公国からの国賓扱いである彼女の親類に対し完璧な公国式の儀礼で迎えた。

 そして実に嬉しそうにフリードリヒに挨拶をし、マーリカへも目上に対する挨拶の口上を述べた。


「兄上、王都からようこそお越しくださいました。エスター=テッヘン公務補佐官もさぞ道中気を張ってお疲れのことでしょう。公国のお二人の好みに合うと良いのですが、まずはお茶でも。部屋に荷を運ばせますから整い次第旅装を解いてお寛ぎを」


 軽く波打つフリードリヒの金髪と違って、真っ直に伸びたそれを顎先の長さで切り揃え、兄弟共通の青い瞳を持ち、目鼻立ちは凛々しく揃っている。

 フリードリヒのような大仰な美貌でもなく、王太子のような強面の美丈夫でもなく、アルブレヒトのようなどこか愛嬌がある感じでもない。

 正統派といった言葉が浮かぶ好青年で、王子達の中で一番王子らしい王子に見える。

 それがヨハンに対するマーリカの第一印象であった。


(シャルロッテ王女殿下は、ヨハン殿下はフリードリヒ殿下のことがとても好きでわたしに意地悪く当たりそうだと心配していたけれど……ええとなんだっけ、たしか……)



『同担拒否! マーリカお姉様! あの解釈違いのヨハン兄様ときたら本当に、フリッツ兄様が好き過ぎて……いえ、わたくしだってフリッツ兄様推しですけれど』


 まだ婚約者であるのにお義姉様(・・・・)は早すぎるとマーリカは思うけれど、シャルロッテ本人から潤んだ眼差しで見つめられ、一番慕っている兄の婚約者だからそう呼んでもいいかなどと尋ねられては断れない。

 それから一ヶ月も経たないうちに、シャルロッテがマーリカをそう呼ぶことはすっかり定着してしまっていた。

 それは、月に一度の頻度で招かれる、シャルロッテの私室のお茶会の席であった。

 最初は王立学園の試験勉強でわからないところを尋ねられ、彼女の教師の課題の問題を見せてもらって解法を説明していたが、学園の話題から第四王子の話となった。


『同担……推し……?』

『マーリカ様、ヨハン殿下は他のフリードリヒ殿下をお好きな方と特にお近づきにはなりたくないほどフリードリヒ殿下を強くお慕いしていて、シャルロッテ王女殿下は、フリードリヒ殿下が大好きということですわ』

『ロイエンタール侯爵令嬢、なるほど。社交界の隠語ですか』

『え、ええまあ……そのようなものと。あっ、一部のご令嬢の仲間内だけ。流行り言葉のようなものですから、目上の方にはお使いになりませんように』


 ふんわり緩やかに波打つ褐色の髪に茶色の目をした、見ているだけでほんわかと癒されるような柔和で穏やかな令嬢は十九歳。シャルロッテの二つ年上で、アルブレヒトの婚約者である。 

 シャルロッテがマーリカにとって耳慣れない用語を使い、話の内容を捉え損ねると鈴を鳴らしたような可憐な声でいまのようにやんわりと解説してもくれる、マーリカにとってありがたい存在でもある。

 アルブレヒトが婚約者と過ごす時が一番の癒しと話すのはよくわかる。


『とにかく。王立学園へフリッツ兄様と視察に行かれるのでしたら、お気をつけくださいませ! ヨハン兄様が意地悪く当たってくるかもしれません』

『まさか』

『いいえ。それにヨハン兄様は、フリッツ兄様のことを本当に超人のような素晴らしい王族と思い込んでいますから、なにかおかしなことを語り出しても聞き流してくださいませ』

『はあ……』



 シャルロッテから忠告を受けたけれど、実際に顔を合わせたヨハンは実にまともでもある。

 王族であるのに、マーリカに対して礼儀を失することもない。


「ヨハン、元気そうでなによりだ。学園祭の準備で君も忙しいだろう。視察で来ているのだしそう構わなくていいよ。学生に荷を運ばせるのはね」

「この学園は自治を重んじているのです。学園の客人は我々の客人です。護衛騎士や皆様のお世話をする王家の使用人の手を煩わせるまでもなく、皆で運べばすぐです」


(いや、むしろすごくまともでは?) 


 マーリカは、国王ゲオルクの息子である王子達を上から思い浮かべる。

 婚約後に接点を持つようになった王太子のヴィルヘルムは常識的過ぎるところがあるが、ヨハンはその点柔軟そうである。フリードリヒより遥かにきちんとしているのは短時間で察せられたし、アルブレヒトのように胃が悪そうでもない。


「部屋が整うまで、メルメーレ公国の皆様と兄上とエスター=テッヘン公務補佐官は貴賓室へ。側使えの者達へは荷運びの学生がついて教員寮の各部屋へご案内し、荷解きや雑用を手伝います」


 てきぱきと的確に学生に仕事を割り振って指示を出し、では案内しましょうと颯爽と歩き出したヨハンにマーリカはいたく感心した。


「兄君よりしっかりしているのではないか?」

「とんでもないことです。私など。それよりも正門でお迎えできずに裏門からお入りいただくことになり、本当に申し訳なくもお恥ずかしい」

「いやいや、学園祭で立て込んでいては仕方ない。それに噂に違わず、どの方位から眺めても素晴らしく美しい城だ」


(おにいさま達もヨハン殿下に同じ印象を持ったようだ)


 案内までも、遠回りするわけでもなく、中庭や見どころのある建物へさりげなく注意を向けて簡単に伝えながらと心遣いが行き届いている。


「改修後の不便は特になさそうかな、ヨハン」

「大きくは特に。細かなところや使い勝手の面での要望はありますが。資料はまとめてありますから後でお持ちします。学内の案内には生徒会役員をおつけします」

「手回しのいい……特使殿とマーリカが見て回るから」

「兄上は?」

「私はヨハンの仕事を見せてもらおうと思ってね」

「フリードリヒ殿下」


 またこの人は、適当なことを言って仕事を人に丸投げするつもりだと、すかさずマーリカは牽制したが無駄であった。


(だから、技官の監督役になるほど知識のあるクラウス兄様を!)

 

 まさか他国の官吏まで使う気でいたとは、非常識が過ぎる。


「特使殿とマーリカがいて、私は邪魔になるだけだからね。それなら普通に学園の視察も加えたっていいだろう? 折角来たのだし」


 それはそうかも知れないけれど、いいだろうではない。


「生徒会で誰か手の空いている者を私にもつけてくれないかな。あ、でもヨハンは駄目。君は全体を動かしているだろうから。手が空いていなくては意味がない」


 ぴきっと、マーリカは自分のこめかみが引き攣ったのがわかった。

 このまともで優秀なヨハンがいては好きに学園祭を満喫できない。

 それを回避するためのフリードリヒの言葉であるのに、もっともらしくもその通りと納得できる理由である。


(こういった口実だけは上手いのだからっ!)


「殿下、急に無理を言ってはヨハン殿下が気の毒です」

「そう?」

「いえ、心当たりが一人います」

「だって、マーリカ」

「……くっ、わかりました。ご報告のためのお時間を別途相談させてください」

「マーリカ、目が血走っているよ……それは少し休んでからにしよう」


 おそらく教員寮だろう。本校舎らしき建物を抜けた裏にある建物の中へと案内され、見事な螺旋階段を登っていく。

 王家の使用人達や荷運びの学生達とはいつの間にか分かれていた、おそらく別の入口から入って案内されているのに違いない。


「ヨハン、あれは?」


 廊下を歩いている途中で、不意にフリードリヒが足を止めて窓の外を指差した。

 マーリカも窓の外を見て、いつの間にか最初に入った裏門から随分と離れた場所にいることに気がついた。見覚えのある門がかなり小さく遠く見える。

 フリードリヒが指差しているのはその反対方向。

 本校舎らしき建物の端よりもさらに奥、古びた建物であった。

 元は砦でもある城のためか、見張り台らしき塔が付随している。

 その塔と主となる建物の壁の一部が崩れているようで、数人の人夫が群がるように働いていた。砂袋かなにか運んでいるのか、二つ袋を担いでいた人がよろけ、側にいたもう一人に叱責されている。


「ああ、先日、雷がひどい夜にどうも落ちたようで、夜中にひどい音がして朝になってみたらあのように。なんとなく壁が黒っぽくなっているでしょう? 使っていなかった倉庫で修繕も後回しにされていた建物だったのが幸いです。とはいえ、崩れたままは危ないので直してもらっています」

「そう」

「復活祭の時期に、よく職人をあれだけの数手配できましたね」


 マーリカは驚いてつい口に出して言ってしまった。

 復活祭の時期の職人達は行事のための設営で各地に駆り出されているか、祝祭時で休暇かどちらかでありどちらにしても飛び込み仕事は受けられない。


「顔見知りの近隣領地の方の伝手で。兄上、先程の学園祭の案内の心当たりですが、平民特待生でも構いませんか」

「気にしなくていいよ。幼い頃から教育を受けている貴族でも試験に通らないと聞くし。かなり優秀な学生なのだろうね」


 フリードリヒの言葉に優秀なんてものじゃないと、マーリカは胸の内で呟く。

 シャルロッテから見せてもらった課題は高等教育の水準だった。


(中級官吏の中でも優秀なバッヘム主任秘書官だって、中等教育を学問で修めるのが平民ではお金も時間も限界だったらしいのに)


 優秀さは保証しますと、フリードリヒにヨハンは答えた。


「なにしろ学年首席で、私も一度も彼女を上回ることはできていません」


(首席? それも彼女……ということは女性?)


「それはまた。なるほど、色々と楽しいところのようだ」


 ふっと愉快そうに笑ったフリードリヒになんとなくざわりと胸の奥が疼いて、なんだろうとマーリカは胸元に軽く手を当てる。

 それはほんの小さな疼き。

 マーリカ達が貴賓室に落ち着いた後、一度貴賓室を出て戻ってきたヨハンに、彼が連れてきた少女達を紹介されることがなければ、仕事かなにか他のことに紛れてかき消されていたに違いない。


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