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2-5.思惑は踊るされど関せず(2)

 なにも話していないのか、と。

 昼食をとり、仕方なくマーリカの言いつけ通りに書類仕事をしていたのが一区切りついたのを見計い、アンハルトが話しかけてきたのにフリードリヒは彼に顔を向けた。

 この赤髪の美丈夫の近衛騎士とは長い付き合いである。

 フリードリは剣術の稽古で年長の彼と一度手合わせし、稽古を早く終わらせたいといった理由で危うく彼を再起不能にしかけたことがある。

 たしか六歳かそこらの時に。以来、度々、顔を合わせるようになった。

 おそらくは兄ヴィルヘルムが介在してと、フリードリヒは少しばかり回想に耽って、現在へと意識を向ける。


「珍しいねえ。君が私のことで口を挟むなんて。兄上の意向?」


 王太子の兄ヴィルヘルムの友人。

 侯爵家嫡男のアンハルト・フォン・クリスティアン。

 武官の名門家系で父親は王国騎士団総長である。アンハルトもただの第二王付近衛騎士班長ではない。

 秘匿されているヴィルヘルムの側近、彼の本当の肩書きは諜報部隊第八局長。

 武官組織の中でも優秀な者が集まる諜報部隊の中でも精鋭を束ねる、公安と対諜報を担当する部局の長である。

 第八局の局長は表向きアンハルトの副官が務めていることになっている。このことを知るのは、直系の王族男子で公務につく者のみだ。


「個人としての質問だ」

「王子じゃなく、友人の弟へ向けた口調だ」


 アンハルトは、執務室に押し入ってフリードリヒに掴み掛かったマーリカを取り押さえ、取り調べもした男だ。

 その後、同じ第二王子付の同僚として連帯の絆を結んでいるといってもいい。

 彼が心配しているのは、友人の弟ではなくマーリカだろう。

 彼が尋ねた「話」とは、フリードリヒの幼少の話だろうか、それともエスター=テッヘン家のことだろうか、おそらくは両方だろうなと彼は結論づけた。


「話す必要があるなら話すって言えば満足かい?」


 ペンをインク壺へ投げ込んで、フリードリヒは肩を揺らして喉を鳴らすように笑う。

 マーリカの言い付けが守れなかったら、それはこのお節介な赤髪の騎士のせいである。


「顔が怖いよ。君は兄上と違って私を警戒する人だけど。未来を潰されかけては当然だ」

「貴方に悪気がないのはわかっている」

「悪気はあったし、説明もしたと思うけど?」

「悪気のある考えに類すると判断している。貴方はそういった区別しかない。年々その精度を上げるよう努め、成長しているが」

「マーリカを心配してなら、逆だよ。知ったら私から離れない」

「は?」


 アンハルトはマーリカの味方だなと、フリードリヒは怪訝そうな顔で見下ろしているアンハルトににっこりと微笑み机に両手をついて立ち上がると、四阿(あずまや)のようになっている休憩場所へ移動し、備え付けの寝椅子(カウチ)に転がった。


「私はね、マーリカがただ私を選んでくれたらそれでいい。そうでなくてはだめだし、それしか望まない。そんな心配よりさあ、私の依頼はちゃんとやってくれているの?」

「やっているが、不審な点はない」

「本当に? 依頼主が兄上じゃないからって手を抜いてない?」

「抜くかっ! ヴィルヘルムからも指示があった。王立科学芸術協会(アカデミー)の招聘に工作の陰はない。本当に教授連中から上がった話のようだ。誘導された様子もない」

「兄上の密命って、私に話していいのかなー」

「ぐっ……調査が迅速と感心された。事故に合ったエスター=テッヘン殿が回復する前から、公国の“第二公子派と中立勢”の動向注視などと依頼があったおかげで」

「離宮でアルブレヒトが私に報告してくれた公国からの密書の内容だけど、いくらなんでも順調過ぎる。私が公国と非公式に接触して一ヶ月も経っていない」


 言いながらフリードリヒは、ふあぁ……と、王子の寝椅子(カウチ)の上でひとしきり腕や背筋を伸ばして、だらりと弛緩する。恵まれた容姿も台無しなその姿だけであれば、現場の文官達が揶揄する“無能”そのままである。


オトマルク王国(こちら)に従順そうだけど、あちらやそちらの大国やら他所からの脅威やらに晒されてやってきている“小国”だしねえ」


 マーリカの件があって第一公子派が一掃され、公国の後継者争いが完全決着した話になっているが、そういうことにされたようにフリードリヒは感じた。

 穏健派だという第二公子は、少なくとも内政に関しては穏健ではなさそうに思える。


「もし第一公子派が先に一掃されていたとしたら、条約の件で利権の当てが外れたと、マーリカを逆恨みし嫌がらせ半分に事故に遭わせるなんて遊んでいる暇はない」

「いつもそのような殿下なら、エスター=テッヘン殿も誉め称えると思うが?」

「嫌だよー面倒だし。私は、私の安楽な隠居に絶対必要でなければ働きたくないのだよ」

「本当に、昔からそこは徹底しているな……」

「引き続きよろしく頼むよ。周辺もね」

「周辺とは?」

「すべてだよ。周辺すべて……我々などよりずっと彼等(・・)は強かだよ。生き延びてきた歴史が違う」


 現実の世は、いつまでも終わらない確執や問題や義務のしがらみが多過ぎる。

 加えて様々な者の隠された思惑も乱舞している。実に面倒くさい。


「思惑が色々と踊っていようと私は関わる気はないし、マーリカを巻き込んだ者を許す気もないよ」


 そろそろ書類仕事に戻らなければならない。

 ものすごく面倒くさいが、夜会の後でマーリカに強制労働させられるのは流石に嫌だ。

 語らうならもっと楽しいことがいい。

 フリードリヒは寝椅子から身を起こした。

 窓の外はまだ冬らしい庭園の景色だが、ところどころうっすら緑がかっている箇所もあり、昼の日差しも空の色も明るさが増している。

 春は近い。木々や草は芽吹き、地中や森に眠る虫や獣も起きて這い出てくる。

 冬の間動けずにいたものが、動き出す――。


「……まさに“腹黒王子”そのままだな」

「どうしてそう言われるのかさっぱりだけどね。私は思うままやっているだけなのに」


 日が暮れて、夜会は問題なく過ぎていった。

 王家が選んだ侍女達に磨き上げられたマーリカはフリードリヒも一瞬目を見張った美しさで、『文官組織の女神』の意味が変わりそうであった。

 父ゲオルクによってあらためて告げられた婚約は既定路線で祝福された。

 当然である。宰相と王国騎士団総長と大臣といった、政務と武官組織と文官組織を担う者達が推挙状を書き、複数の高位令嬢達がクリスティーネを代表にしてマーリカを第二王子妃に相応しいと認めている。

 異議を唱えれば貴族社会から爪弾きにされかねない。

 続く公国との官吏交流制度の発表と受け入れる一団の紹介では、国王ゲオルクに挨拶した一団の外交権限付きの責任者が、フリードリヒの予想通りに人々の注目を集めた。

 腰の長さまであるプラチナブロンドをなびかせ国王ゲオルクの前へと進み出た、クラウス・フォン・フェルデンという名の公国貴族。

 白い絹の上着に紫色のウエストコートを身につけた長身の、切長の目の灰色の瞳も艶めかしい、フリードリヒと同じ年頃のマーリカの再従兄(はとこ)

 あとは特別、これといったこともなかった。

 バーデン公も、拍子抜けするほどの通り一遍の祝いを述べにきただけで、まだ王都の屋敷が整っていないと慌ただしく途中で帰っていった。

 何事もない夜だったといえる。そう、何事もなかった王都では。


 同じ頃――。

 賑やかな王都の夜とは対照的な、山の頂にある城塞学園都市の暗い夜の中。

 厚いカーテンも閉め切った部屋に一本だけ灯された蝋燭の火が、橙色の中に黒い煤の色を混ぜて揺れる。まるでそれを合図にしたように、暗い室内にぼそぼそと低く響いていた話し声がぴたりと止んだ。

 王立ツヴァイスハイト学園、生徒会室。

 書類の積まれた執務机に置いた、燭台の蝋燭の火が再び揺れ、低めた美声が訪れた静けさを破る。


「――つまり」


 夜遅い訪問者は非常識極まりないが、そもそも、ヨハンがこの部屋に引きこもりがちの生徒会長ではなかったら訪問自体が空振りに終わっただろう。

 学園に寄付金を納めにきた使者は、日暮れ頃に来て、学園長と食事もしながらつい色々と話し込んでしまったらしい。ただの使者ならそのような歓待あり得ないが、五代公爵家の一つの家であれば話はまた別である。


「先日、私の元に届いた王宮の定期文書へ添えられていた文書の送り主は」

「はい、バーデン家の当主。ダミアン様によるものです。第四王子殿下――」


 思惑がまた一つ、踊り出そうとしていた。

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