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2-4.第二王子と壁画と公国貴族(2)

 謁見の間は、その名前通りにこの国の王と公に対面し言葉を交わす場所である。

 広間のような部屋の奥、少し高さを出した場所に玉座があり、出入口の扉からその玉座の前へと向かう通路のように敷かれた細長い濃紺色の絨毯。

 その周囲を、王の側近、秘書官、事務官、側仕え等々が、それぞれの序列で並び、護衛騎士の数も執務室の比ではない。

 玉座の側には宰相メクレンブルク公他、必要に応じて呼ばれた高官達も控えている。

 実に物々しい。

 マーリカもこの場に立つのは、王宮に出仕して二度目だった。

 一度目は出仕を願い出た後、正式に王家に仕えし上級官吏として任命された時である。

 領地持ちの領主であるならともかく、第二王子の婚約者といっても現時点では現場の一官吏でしかない伯爵家の三女が国の王に公に目通りを願うことなどない。

 先日、国王執務室に入ったのだって二度目のことだ。

 あちらも通されるためには面会依頼の手続きをし、それが認められる必要はあるものの、内々の案件を相談する場であるから謁見の間に出るのとはまた違う。

 とにかくそういった、単に王だけでなく王宮勢力を左右するような人々の前に立つ、厳かにして気の張る場所なのである――が。


「んーとりあえず、お断りします」


 厳かさなどないものとし、気も張ることもない者もいる。

 王宮儀礼に則った挨拶もそこそこに悪びれもせずそう言い放ち、にっこりと邪気のない微笑みを見せるフリードリヒに、ぐうっと国王ゲオルクが唸って顔を顰めた。


「……まだなにも話しとらん」

「じゃあそのまま話はなしってことで。大体、皆がいるから空気読んで断らないだろうって、私にそんな期待をするだけ無駄なことは父上もよくわかっているでしょう」


 親子の会話と言ってしまえばそれまでだけれど、場所が場所である。

 フリードリヒの半歩後ろに控えるように、彼の側に立つマーリカとしてはたまったものではない。

 謁見の間で額を押さえることも項垂れることも、ましてやフリードリヒを怒鳴りつけることも出来ないマーリカは、ただただフリードリヒに対して若干眉を顰める表情でいることしか出来ない。


(周囲の視線が痛い……側に付いてるお前がどうにかしろっていう圧を感じるのですが?)


 本当に、後で締めるっ! 泣かす! 

 そう、内心叫ぶマーリカであったが、その間も親子の会話は続いていた。

 しかも雰囲気がやや怪しくなってきている。

 

「なにが気に入らん」

「それは父上が一番よくわかっているはずでは?」


(殿下……?)


「そもそも、メルメーレ公国の人事交流は宰相案件でしょう? 私は絶対に私でなければならないこと以外は、可能な限り然るべき者に任せる方針なのは皆も知るところです。だよねえ」


(王宮勢力や議会を左右する有力諸侯の方々を前にして、それを公言するなんて……でもって皆様に同意を求めない!)


 まったくどう思われるやらと、マーリカが周囲を盗み見るもののそれほど反発した様子はない。

 むしろ何人か頷いている者の姿もある。

 

(そういえば。文官組織と直に関わらない貴族の間で、殿下の評価は悪くなかった)


 マーリカからすればそれは誤解だと大いに主張したいところではあるが、文官組織を管轄する第二王子は人を使うのが上手いだとか、能力才能を見出すのに長けているだとか、うつけのように見えて抜け目がないだとか……そう本気で思っている者も一定数いるのである。

 立場が変われば見方も変わる。

 たしかに、人を動かし多岐に渡る公務を捌いているとも言えるし、それは王族としてあるべき姿と捉える人もいるだろう。動かされる側、仕事を任される側としては冗談もいい加減にしろといった話だけれど。

 それにこういった場で、飄々とした余裕ある様子で受け答えするフリードリヒの姿は、その美の女神に愛されし容貌のおかげもあってとても、そうとても、賢しく無駄に人が仕えたくなる畏怖と優雅さを併せ持つ王子に見えるのである。


「私の意見を支持してくれる者もいるようだ……文官組織に受け入れるのと、相手をするのは別のことです」


(ただただ仕事を逃れるために言っているだけなのにっ。考えあっての振る舞いに見えるどころか、文官組織の長として協力はするが宰相閣下が責任をまっとうすべしと暗に伝えているようにも見える。本当にこの無駄な顔の良さと姿は……質の悪い……っ)


「じゃあ帰ろうか、マーリカ」

「待て待て待てぃっ、というより勝手に帰るなーっ……まったく其方という息子は、儂は王ぞ」

「ですね、父上が王でなければ私は王子じゃない」


 玉座から腰を浮かせた国王の声が謁見の間に響き渡り、フリードリヒではないがマーリカも別の意味で帰りたいと思う。人を名指しで巻き込まないでほしい。

 フリードリヒは王族だからそうそう非難はされることはないだろうが、マーリカは現場の一官吏で弱小伯爵家の三女でしかないのである。これで第二王子妃候補としての資質がどうのといった話になったら理不尽過ぎる。


「たしかに先方からの打診に関しては国家間のことであるから宰相(こやつ)が仕切っておったが、実際問題受け入れとなれば、公国の者達の相手はエスター=テッヘン伯爵令嬢と其方が共に適任と儂は判断した。婚約を披露するのもメルメーレ公国の者達を歓待する場だ。ほら、あれだ、初めての共同作業ならぬ公務ということで……」


 だから親子揃って人を名指しで、それも息子である第二王子よりも先に挙げて巻き込まないでほしい。

 それに、初めての共同作業ならぬ公務というのも意味不明である。

 虚空を見つめるような気分になりながら、マーリカはこの国王と第二王子のやりとりを眺める。

 せめて場所が国王執務室であれば、発言許可を求めて突っ込むこともできるのに、複数の諸侯の目もある謁見の間で不用意な発言はできない。記録もされるし、後々どんな揚げ足とりに使われるかもわからない。

 マーリカは貴族の社交の場にこそ出てはいないものの、王宮の文官組織の中であらゆる部署や目上目下の立場の者の間で板挟みになるのは日常茶飯事である。

 そのため、このような場における危機意識は自然に……というよりは、やむを得ず、仕方なく、必要に迫られて身についていた。


(要は、メルメーレ公国から受け入れる文官や技官の一団の管理なり歓待なりを任せたい。受け入れるのは文官組織。陛下の命がフリードリヒ殿下に下りるのも当然といえば当然か)


 こういった時は仕事について考えるに限る。

 マーリカは親子のやり取りや諸侯の目がどうのといったことは一旦脇に置いて、実際にこの後に任されるだろうことや国王ゲオルクが国王執務室ではなく謁見の間に二人を呼び出したその背景について考える。

 そちらの方が百億倍くらい生産的だし、精神衛生上にもいい。

 

(とはいえフリードリヒ殿下に任せたいといっても、殿下の性格と文官組織で“無能殿下”なことは陛下も承知していること。国家間の取り決めもある案件だから、諸侯の前で殿下の言質を取りたい。ああ……うん、わかる。それは大いにわかりますっ……陛下!)


 おそらく未来の舅となる人の気苦労に大いに共感しつつ、マーリカは次にメルメーレ公国から受け入れる一団について考えを巡らせる。

 先方から打診されたこの人事交流制度は、鉄道事業に関する協力体制を築くための技能修習に近い。

 大陸で最も工業が発展していると評されているオトマルク王国から見て、メルメーレ公国の技術レベルは若干低い。科学文化振興と協調路線を掲げ次期君主に内定している第二公子を支持し、今後の公国発展に向けての支援で恩を売り、同盟関係強化を見込んでいるのがなんとなく察せられる。

 なにしろ北方はオトマルク王国にとって面倒な地域。

 大陸中央部南から北東にかけては、かつてオトマルクもその内にあった最も古い大国ラティウム帝国が。

 北東には、凍土を含む国と呼ぶには広大すぎる領土を持つルーシ大公国が。

 オトマルクと三角形を描く位置で存在している。


(幸い二つの大国とは、大陸中央に位置し西側諸国に強い影響力を持つフランカ共和国の脅威を警戒し、現在三国同盟な関係にあるけれど……)


 そんな三つの大国の三角形の間に小さな国がいくつかあり、メルメーレ公国もそんな国の一つだ。 

 二つ同盟国を終点とする鉄道網の分岐点にも近いため、メルメーレ公国を押さえておけば、万一の時にはここで鉄道網を分断し砦とすることもできるかもしれない。

 大陸全体で見れば勢力の均衡と平穏は成り立っているものの、各国とはそれぞれ個別の条約も結んでいる。 

 マーリカは文官だから軍事に疎いけれど、小国とはいえ国防面ではオトマルク王国にとって結構要所なのかもしれない。


(こうして考えると、最初に鉄道敷設の借地交渉が難航しそうだったのも無理もない。フリードリヒ殿下が先方にとっては非道というより外道に近しい脅しをかけなかったらいまも膠着状態だったかも。本人まったくそのつもりもなくただ食べ物の話をしただけだけど……)


 マーリカの記憶では、整備局に技官を五名、財務に関して国庫を管理する財務局受け入れは流石に難しいと通商関連部門に文官二名、他に外交権限付きの一団の監督責任者となる高位貴族に属する文官を一名を内務大臣に任せる予定で受け入れることになっていたはずである。

 そこまで考えて、はたとマーリカは気がついた。

 受け入れは一週間後に迫っているというのに、人数だけで受け入れる人物の名簿や詳細をまだ彼女は見ていない。

  

(受け入れ各所はもちろん、当然文官組織の長であるフリードリヒ殿下のところには誰よりも先に届いているはず!)


 ぎっ、とマーリカは、メルメーレ公国の歓待の宴へと移った話にのらりくらりと応じているフリードリヒを睨みつけた。 

  

(受け入れに関する細かな配慮や労働衛生環境の懸念を取り上げて、やる気が出ないだのなんだのと仰るのにすっかり誤魔化されていたのはわたしの落ち度ではあるけれどっ! 他の者に尋ねればすぐわかることを尋ねないよう、くだらない雑務や例の執務室と秘書官の席の交換なんかで注意を殿下に引きつけられていた!)


「ん、マーリカ……なに?」

「随分とお話が本題から離れているように見受けられます」

「あー……まあ、そうだねえ……この場でその目は気がついた?」

「はい、恐れながら」

「むしろ私がいま恐れてる(・・・・)けどね……だから来る気がしなかったのだよ……」

「陛下の御前です」


 恐れながら陛下、と。

 マーリカは発言の許可を求めた。なにしろ国王と第二王子に挟まれての状態である。

 儀礼は通しておくに越したことはない。


「フリードリヒ殿下も文官組織の長としての責務は、一官吏が申し上げるまでもなく承知しております。すでに殿下はメルメーレ公国から受け入れにあたり、実に細かなことまで(・・・・・・・・・・)ご配慮され、補佐官の立場でご相談も受けております」

「ふむ」

「あー、マーリカ……そこでそういう言い方は……」

「では問題ないな」

「フリードリヒ殿下は、陛下のお考えを心得ております」

「……であれば、どうしてこううつけた真似をする」

「恐らくは宰相閣下にご遠慮なさったのかと愚考いたします。幼少の頃から親しくされている間柄とお聞きしておりますので」


(ご令嬢のクリスティーネ様は幼馴染で元婚約者候補であったわけだし)


「では、あらためて。フリードリヒにはエスター=テッヘン伯爵令嬢と共にメルメーレ公国の者達を任せる。新しい試みでもあるゆえ心せよ」


 こうして謁見を終え、マーリカはフリードリヒと共に国王ゲオルクの前を辞して廊下に出る。

 主棟から来た道を逆順に、女神の廊下(ギャラリー)まで来るとマーリカは地を這うが如き低めた声音でフリードリヒに呼びかる。


「……殿下」

「えーと、マーリカ……マーリカさん、マーリカ嬢……エスター=テッヘン公務補佐官?」

「まったく。なにをわたしから遠ざけようと?」


(受け入れる人数や部署は隠さず、人物の詳細だけを伏せていた。メルメーレ公国の高位貴族に属する文官を一名。なんとなく……察しはつく)

 

「視察まで逃げ切れると思ったんだけどねえ……」

「文官組織で受け入れるからには、結局のところ殿下の責任で管理することになります。それとも報告すべて本来のあるべき形で殿下が見てくださると?」

「そこは、今年はアルブレヒトがいる」


 へらりと、三女神の壁画を背に笑んだフリードリヒにマーリカは今度こそ額を押さえる。

 たぶん、間違いない。

 でなければ、フリードリヒがここまで誤魔化そうとする理由がない。


「殿下っ……わたしの身内のためにアルブレヒト殿下にご迷惑はかけられません。それにわたしは気にしませんが?」

「そう言うと思ったから、ますます嫌だったのだよねえ……」


 名簿を確認するまでもない。

 ただ、大国相手に外交権限付きになるほど責任ある立場だとは思っていなかった。

 なにしろマーリカは、当の本人から文官といっても“気楽な内務に関わる事務官”としか聞いていない。

 

「外交権限付きの監督責任者。メルメーレ公国の高位貴族に属する文官一名……内務大臣に任せるなどと仰っていましたがお付になる部署は? それもよく考えたらうやむやにされています」

「文官組織の官房付き。つまるところ私の下……一応、公国御一行の監督責任者で国賓扱いだからね」


 そんな記述は復帰してから見たどの書類にも覚えがない。

 フリードリヒは書類ごとマーリカに隠しごとをしていたということである。

 声を荒げてあらゆる文句を叫びそうになったのを抑えて、マーリカはほとんど壁画に背をつけているフリードリヒの顔の横に怒りに任せに手をついた。

 ダン、ともバンともつかない音が静かな廊下に響き渡る。


「マーリカ……?」

「その方の名前をお教えくださいますか? それともわたしが言い当てましょうか?」

「マーリカ、ちょっと落ち着こう」

「私は落ち着いています。クラウス・フォン・フェルデン。君主シュタウフェン家の前王弟の外戚であるフェルデン侯爵家の次男でわたしの再従兄(はとこ)

「うん……正解。めちゃくちゃ怒っているね……マーリカ」

「殿下は色々と隠しごとはしますが、少なくとも一官吏の私的な事情でそれをするとは思いませんでしたので」

「この件に関しては、一官吏でもないんだけどねえ……」

「は?」


 壁についた手の腕をフリードリヒに、まあ怒られるのは仕方ないとしてなどと言いながら取られ、「この件に関しては、一官吏でもない」と彼が呟いた言葉の意味をとらえかねてマーリカは彼の顔を見る。

 

「なに? あと君さ……流石に国宝級の壁画に八つ当たりはよくない」

「八つ当たりでは……」

「まあ、怒りどころはともかく……本当、マーリカは王子の私に容赦がないよねえ。ついでに言えば、従兄(いとこ)だっけ? 高名な画家マティアス・フォン・クラッセンを王立科学芸術協会(アカデミー)が招聘している。手、痛めてない?」


 人を怒らせて、何故にこにこしているのか……。

 マーリカにはフリードリヒがなにを考えているのかさっぱりわからない。

 それに、壁から外したマーリカの手を親指を掴むようにして、そっと掌を撫でるように指を滑らせて労るなどと。


「……破廉恥事案(セクハラ)


 ぼそりと、マーリカが恨めしげにフリードリヒを睨みながら呟けば、ええっと彼は非難めいた声を上げた。


「これそうなる!? 違うでしょこれは!」

「こういった誤魔化し方はよくありません。ちょっと腹立つ顔の良さだからって悪用甚だしい……」

「それ褒めてるの? 貶してるの?」

「褒めても貶してもいません。遺憾の意を表明しております……殿下、お部屋に戻りましたら」

「説明する。あーこれ、ただの婚約者同士のちょっとしたけんかってことでアンハルトへの報告はなしで」


 フリードリヒの言葉で、そういえばとマーリカは我に返った。

 怒りですっかり忘れていたけれど、フリードリヒの目線を辿って少し離れた廊下の隅。

 彼とのやり通りを見守るように控えていた二人の護衛騎士の姿を見つけたマーリカは、居た堪れ無さに二日ばかり休暇を取りたくなった。


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