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閑話:婚約者との夕食(1巻発売記念SS)

 ここは大国、オトマルク王国の王都リントン。

 街を見下ろす高台にたつ王城でも奥まった場所の一室。

 高位貴族すらもそうそう立ち入ることはない、王族の私的生活の区画であり、第二王子の私室。

 私室といっても一室といったわけではなく、私生活を送る場所。

 寝室、書斎、支度部屋、応接間、浴室やらなんやらその他の細かい部屋が繋がって、まるっと私室である。 

 マーリカはそんな第二王子の私室、夕食の支度が二人分調えられた応接間のテーブルに着いていた。

 

「浮かない顔だねえ、マーリカ」


 まだ料理は出てきていない。

 手元の小さなグラスへ、給仕の者が食前酒を注いでくれるのを眺めていたマーリカは話しかけてきた食事相手へと視線を移した。

 夢見る乙女が憧れの貴公子を思い描いたなら、おそらくこうなるだろうといった容貌。

 天井のシャンデリアの灯りに照らされ、柔らかな光を放つ波打つ金髪。

 マーリカを見る澄んだ空色の瞳は、誠実さと凛々しさを感じさせる眼差しである。 

 育ちの良さを思わせるしみひとつなく滑らかな象牙色の肌。

 品よく収まり高貴さを表す、通った鼻筋や引き締まった口元。

 ごく薄く薔薇色が差す頬に長いまつ毛が物憂げな影を落とし、深遠な考えを持つ侮れない者である印象を彼を深く知らない者に与える。

 本当に、腹立つほどに顔が良いオトマルク王国の第二王子。


 フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。


 深謀遠慮を要求される文官組織の長にして、公務に対するやる気のなさと気まぐれで人を振り回すことから、現場の官吏に“無能殿下”と揶揄(やゆ)されてもいる、マーリカの婚約者である。

 なにがどうしてそうなったのかと、彼女自身が何度も繰り返し考えてしまうのだけれど――。


「……婚前の節度は守るべきかと」

「食事くらいいいじゃない」

「食事をご一緒すること自体は構いません。わたしは私室ではなく執務室側の応接間だと思っていたのですが?」

「応接間ならって言ったのはマーリカだし、それ以外になにか指定してた?」

「ええ、まったく迂闊でした」


 食事会というには親密が過ぎる。

 使用人はもちろんいるけれど、寝室にも繋がる私室で二人きりの食事である。

  

(たしかに仕事はしてくれたけれど……)


 夕食を一緒にといった条件で、マーリカが王子妃教育で離れていた間の仕事について彼女の確認に応じ、書類仕事もしてくれたものの、条件付きでないと仕事をしてくれないのだろうかと釈然としない。

 

「第一、今更じゃない? これまで散々、私の寝室で寝泊まりしておいて」

「誤解を招く言い方は止してください! 殿下が夜中までぐずぐずと書類仕事を渋るから仕方なくお部屋にまで付いて監督していただけで、官舎の門限に間に合わずソファを寝床にお借りしていただけですっ!!」

「なんのやましさもなく、マーリカの言葉そのままその通りだけどさ。こうして婚約した間柄では対外的に通用しないと思うよ。実際、アルブレヒトやシャルロッテに問い詰められたこともある」

破廉恥事案(セクハラ)相談窓口に駆け込みたい……っ」


 高位な貴族もそう簡単に立ち入ることはない、王族の私的生活の区画で夜遅くと早朝の出入りだったこともあって、公にどころか人の噂にもなっていないらしいのは幸い。

 しかし、王家の使用人達にはフリードリヒの愛人と思われていたとしてもおかしくない。

 両手で顔を覆って項垂れて嘆いたマーリカに、「いま、窓口担当者は君でしょう」と冷静なつっこみがフリードリヒから入り、そうですねと彼女は答える。

 文官組織に女性の上級官吏はマーリカしかいない。

 平民登用された下級事務官の女性や、女官職の下級貴族女性からの苦情申し立ての対処を面倒がっていた元の担当者に、やはり女性ならではの気遣いがどうのと押し付けられた。


「――よくご存知でしたね」

「君は私をなんだと思ってるの……一応、その手の窓口の責任者は私だし、私が君の情報(・・)を把握していないとでも?」

「お言葉が、“私が君の情報を把握していないとでも”の前まででしたら感心するところだったのですが、その言葉で台無しです。仮縫いの段階で寸法ほぼぴったりな衣装を贈られた薄気味悪さといったらっ」

「それについては調べたのじゃなく、君の周囲にあるものの寸法との比較と見る角度で計算しただけって説明した!」

「どう考えても気持ち悪い以外ない上に、これほど才覚の無駄遣いもありません」


 仕事をさぼりながら頭の中でそんな計算をしていたとはと、苦々しい思いでマーリカは食前酒のグラスに口をつける。

 かなり緻密に割り出しているらしく……仮縫いにやってきた有名工房「マダム・ソワ」の店主にものすごくにこにことした笑みをマーリカは向けられた。絶対なにかあらぬ誤解をしている。

 そもそもそんな計算能力があるのなら、文官組織の財務書類の確認などいくらでも役立てられるのに、仕事にはまったく生かされないし生かす気もないのだから呆れる。


「本当にマーリカは、王子で婚約者の私に容赦がないねえ……ま、でも。こうして着て見せてくれるから私に甘くもある」

「……ご所望でしたので」


 ぶすりとマーリカはフリードリヒに答える。

 マーリカが男装ではない姿を彼に見せるのは、馬車の事故で療養していた時以来だ。

 第二王子妃候補になってマーリカは官舎から王宮に用意された部屋に移り、王宮勤めの侍女が数人付いて、王子妃教育や女性王族とのお茶会では普通の貴族女性のような格好もしているけれど、フリードリヒとは会ってはいない。

 贈られた深紅の絹ベルベッドのドレスは着心地が良い。

 手首まである袖は男装の上着の袖のようであまり広がらず、けれど刺繍で装飾され、袖口周りは縁飾りのラインのようにレースとドレスと同色のリボンで飾られてもいて、邪魔にはならないが華やかさはある。

 肩や肘周りもほっそりしているようで余裕があって動きやすく、これなら机の上で書類仕事もできそうだとつい考えてしまった。食事もきっとしやすいだろう。

 

(こういうの、ちゃんとわかってるところが本当に狡い……)


 スープが運ばれてきた。

 薄緑のクリームスープは冬の葉野菜の風味で、ほのかな甘みが美味しい……王子妃教育が落ち着いて、文官仕事にまた復帰したばかりの疲労もあって一際美味しく感じられる。

 王侯貴族らしい食事だけでなく、下町美味探求が趣味だというフリードリヒは食の守備範囲が広い。

 “美食王子”なんてふざけた名前で、市井の食事処の名物料理や評判のお菓子などを紹介するコラムを王都流行誌(ジャーナル)に連載する人気案内人(レビュワー)だけあって、なかなかの美食家である。

 彼の食事の席というだけで、美味しいことは保証付きだ。

 認めるのはくやしいけれど幸せの味である。

 

「美味しいものはいいよねえ。大抵の人は機嫌がよくなる。会食とかさあ仕事と混ぜるのよくない」

「そうは言っても殿下はそれがお仕事なところも」

「だからさ、たまにはこうして麗しき婚約者の、うれしそうな顔をただ眺めながら食べたいじゃない」

「……っ!」

  

 美の女神に愛されたといっても過言ではない、その顔で、さらりと口から出たフリードリヒの言葉にマーリカは行儀悪くもむせかけた。

 食器の音を立てなかった己を褒めたいと思いながら、んんっと小さく咳をする。

 そんなマーリカの様子に、運ばれてきた次の皿の上へと目を落としながらフリードリはにこにこしている。


「その……殿下」 

「なに?」

「わたしは、できれば心穏やかに食事を楽しみたいのですが……」

「穏やかじゃないんだ」


 黄色いソースが鮮やかな鮭の身をフォークに刺して、フリードリヒは苦笑する。

 求婚される少し前から、彼はマーリカに甘い言葉や表情を見せ、また振る舞う。

 彼曰く、“最も身近な令嬢のマーリカを甘やかしたい欲”らしく、そろそろ三ヶ月も続けば流石にただの酔狂とも言い難い。

 マーリカだってそこまで鈍いわけではないけれど、フリードリヒと違ってそう簡単に彼に仕える臣下な自分と、恋愛感情もある婚約者な自分とを切り替えられない。

 勝手が狂うというか面映いというか落ち着かない。

 一言で言えば、動揺してしまう。


「……穏やかじゃないです」

「折角、人が口説いているのに」

「別にいいじゃないですか、口説かなくたって」

「どうして?」

「一応……政略というわけでもなく婚約しているのですから」


 次の料理が運ばれてくる。

 仔牛のレバーに赤ワインをかけてソテーし、バターで焼いたリンゴを添えたものだ。

 これも美味しそうである。ワインも進みそうだ。

 だからきっと顔が熱いのはそのせいだ。

 先回りして酔いが回ったのだと、マーリカは自分に言い訳をする。


「ふむ、ならまあ食事は楽しく。なんでもない話をしようか」


 フリードリヒはマーリカの言葉を聞いて、ひとまず彼女の申し出を受け入れることにしてくれたらしい。

 その後は、とりとめない雑談でただ楽しいだけの夕食になった。


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