2-1.第二王子妃候補になったけれど
この部屋に入るのは約三年ぶり――。
緊張に膝が少し震えそうなのも、ドレスであれば隠せるけれど男装ではそうもいかない――。
部屋の奥の真ん中、深い青色に金糸で葉アザミの紋様を織り出したクロスがかけられた執務机の前に控え立ち、マーリカは胸の内で呟いた。
金の豪華な背もたれの頂点に国章でもある王冠を戴く双頭の鷲をあしらう椅子に掛けているのは、この国の王ゲオルク・アンナ・フォン・オトマルク。
そして執務机の後方、細い柱のような軸に無数の蝋燭を立てる金の燭台。
左右あるうちの右側に立つ人は、この国の宰相メクレンブルク公である。
白銀の髪を撫でつけ、紫色の瞳の細い目がじっとマーリカを見ている。
(喉から胃が出そうだったあの日から、もう三年が過ぎた思うと感慨深い……)
三年前、王宮への出仕を父親を通して願い出たマーリカは、謁見後にこの部屋へと通され、国王と宰相の二人がかりで口頭試問のような面談を受けた。
その時とまったく同じ構図で、彼女はいま二人の前に立っている。
オトマルク王国、王城の王の間。
その名の通り、王の執務室にして公の居室である。
(陛下が獅子、宰相閣下は鷲、このお二人が揃っていらっしゃるだけで威圧感ありすぎる)
面談の時もそうだった。
それにしても、王家に仕えし臣下となるには、皆、あのような圧迫面接といっていい面談を受けるのだろうか。
だとしたら、この先、マーリカのような官吏を志すご令嬢が現れてもなる前から心を折られかねない。
(せめて部屋だけでも変えられたら)
窓を模したアーチ型の金枠に鏡を嵌め込んだ壁。
白い壁に金を主体としたバローコ様式の装飾が施された華麗にして荘厳な趣の室内は、それだけでも訪れた者を萎縮させるには十分。
神話の神々の天界の宴を描き出す天井画から吊り下がる、真鍮の軸に煌びやかな水晶の飾りを王冠型に二段つなげたシャンデリア。
さらに王がいる真後ろの壁の上部には、神話に出てくる金色の軍神の像が部屋を訪れた者を睥睨するが如くであり、とにかく――国王陛下の公の居室だけに、彼女がよく知る第二王子や第三王子の執務室以上にこれでもかと王家の威信を見せつけるような部屋なのである。
(この程度で怖気付くようでは王宮でやっていけないということかもしれないけれど……全体的に圧が強いのはもう少しなんとかしていく方がよいのでは?)
久しぶりに二人の前に立った緊張も時間の経過とともに薄まり、将来的には自分と同じ貴族女性の官吏登用の推進したいと目論むマーリカはいずれ代案を持って進言しようと考えるのであった。
「ふむ、エスター=テッヘン伯爵令嬢」
「はい」
メクレンブルク公に呼びかけられ、マーリカは黒い瞳の眼差しを彼へ向けると落ち着いた声音で返事をした。
艶やかな黒髪をきっちりと結い上げ、上着の襟に刺繍飾りが施された文官装束でいながらまるで女性騎士のように真っ直ぐに背筋を伸ばし、微動だにせず続く言葉を待つ。
「いまや第二王子フリードリヒ殿下の婚約者である貴女が、何故殿下を通さず官吏として正規の手続きで陛下に謁見を?」
「第二王子付筆頭秘書官は解任されましたが、王家に仕えし臣下の上級官吏であることに変わりはございません。それに婚姻後ならともかく、まだ婚約者にすぎない立場です。手続きは守るべきかと。フリードリヒ殿下は文官組織の長なのですから」
「実に模範的な。流石は、フリードリヒ殿下を諌めて筆頭秘書官となり、殿下の信頼を得て望まれただけはある」
「過分なお言葉、恐縮です」
頬が引き攣りそうになるのを抑えてマーリカは応じる。
表面穏やかにしていても、基本的にこの宰相閣下は目が笑っていない。
口調も静かで居丈高なところもないのだが、とにかく圧が強い……筆頭公爵家の当主として多くの諸侯をまとめ上げている人でもあることを考えると、腹の底でなにをどう考えているのかといった怖さがある。
伯爵令嬢ではあるものの社交の場に出ておらず、貴族社会の世事に疎いマーリカにとっては特に。
(ただ事実を言われているだけなのか、皮肉なのかがまったくわからないっ!)
深謀遠慮を要求される文官組織を管轄する、オトマルク王国の第二王子。
フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。
マーリカは彼の婚約者につい二ヶ月前になったばかりである。
(殿下との出会いからして、一体どこの誰の話といった全然違う話が広まっているし)
二人が婚約に至るまでの経緯は表向きこのように語られている。
フリードリヒが、女性貴族初の上級官吏である若く麗しく優秀なマーリカに目をつけ、彼女を空席となった自身の筆頭秘書官に抜擢した。
その期待に応えるように献身的に公務を支えるマーリカの忠臣ぶりにフリードリヒはいつしか心惹かれ、マーリカを王子妃に望むようになったが、しかし王宮から疎遠な伯爵家の令嬢では候補となるのは難しいと思われた――が、周囲の重臣達もマーリカの働きを認め第二王子妃候補に推挙しめでたく話がまとまった、と。
なにやら美談めいた話になっている。
(王家の威信を考えると仕方ない。まさか連勤の疲労で理性が飛んで、身勝手な理由で七日後に迫った視察ルートを変更した第二王子を平手で張り倒して説教したのが出会いですなんて言えるわけがない)
抜擢といえば聞こえはいいけれど、実態は王族に説教しながら暴力を振るった罪を働きで贖えといった懲罰枠的人事である。
(おまけに、諸々融通がきいて激務に耐えられ、王子であっても容赦しないところが気に入ったから側にいて欲しいなんて、どう考えても殿下の頭か好みがおかしい)
「謙遜は無用。保身など微塵も考えずにフリードリヒ殿下の暴走を止める、“文官組織の女神”と評判ではないか」
「……とんでもないことです」
保身など微塵も考えず……言い得て妙である。
(やっぱり皮肉だ、絶対そう。だってメクレンブルク公のご令嬢って殿下の元婚約者候補だったはず。いまは辺境伯とご婚約されているはずだけど)
正直、深く考え出すと求婚を受けたのは気の迷いだったのではと思ってしまいそうになる。
第一、官吏になった頃は女如きがでしゃばるなと露骨な風当たりの強さで、婚約者になったら“文官組織の女神”などといった恥ずかしい二つ名なんて遠回しないじめとしか思えないマーリカであった。
(そう思うとやっぱり、秘書官だった頃はフリードリヒ殿下が押さえてくれていたんだろうな。そういった理不尽さはあまりなかったから)
結婚相手としては少々疑問符がつくものの、仕えるべき王族としてフリードリヒは有りだとマーリカは思っている。
性別や階級で区別せず公正に仕事ぶりを認め、裁く必要のある際は手心を加えず裁く点。
公務に著しくやる気がなく怠惰で考えがあるのかないのかわからないけれど、とにかく成果だけは素晴らしいものを出す点などは、そのために色々と腹が立つことは多いけれど仕方ないと思えるだけのものがある。
それに常識にとらわれない感性の持ち主であるためか、彼は最初からマーリカが貴族女性で初の上級官吏であることに頓着しなかった。
求婚時も普通、王族の婚約者候補となったら拒否権などないに等しいのに、受けるかどうかマーリカに選ばせてくれた。
(なんだかんだで、王族のくせにわたしの意思を尊重もしてくれる一番の理解者っていうのが……ずるい)
大体、彼は現場の文官達が揶揄するような無能でもないのである。
公務でなければむしろ驚嘆に値する才気を発揮したりするから悩ましい。
それに公務にやる気がないのはただ怠惰なだけではなく、彼なりに思うところがありそうなのも察せられて、なんとなくマーリカは彼を捨て置くことができない。
「エスター=テッヘン伯爵令嬢?」
不審を滲ませたメクレンブルク公の声音に、いけないつい殿下のことで考えに耽ってしまったとマーリカは慌てて小さく咳払いをして取り繕う。
結局のところフリードリヒに絆されている自覚はあるけれど、仕事は別だ。
出来るだけ慎重そうに聞こえるよう少し声を落とし、マーリカはメクレンブルク公に答えた。
「恐れながら、フリードリヒ殿下には内密にしたい用件だからでもあります」
「ほう、殿下に内密」
メクレンブルク公が低く呟き紫色の瞳を細めたことに、書類の束を抱える腕に力を込めそうになるのをマーリカは必死に抑える。
「王家に仕えし臣下として、王族の方を危機に晒すわけには参りません」
「それはまた穏やかではない」
「ええ。これ以上、第三王子アルブレヒト殿下の胃を痛めつけるわけには」
「は?」
「は、ではありません。アルブレヒト殿下は王宮医が出す最も効く胃薬の常用者ですよ。後がないのです」
第三王子のアルブレヒトは、第二王子付筆頭秘書官の成り手が見つかるまでの間の中継ぎでその職務を公務と兼任で引き受けてくれている。
マーリカの他にフリードリヒに意見できそうなのは、彼の弟である自分しかいないといった理由で。
そして大いに振り回されている。
フリードリヒの公務から一部分担した公務もあるというのに。
「文官組織の人手不足が、第三王子にまで影響するなんて気の毒すぎ……いえ由々しきことです」
「成程」
第二王子付筆頭秘書官は、“無能殿下”ことフリードリヒに振り回されるという意味で文官組織の中で最も激務と文官達の間で認識されている職務である。
王族付で数人の秘書官達の監督職でもあるために上級官吏でしかなれず、当面適した人材は動かせないと人事院は頑なだ。王族に対しその姿勢はどうかとマーリカは思うけれど、歴代の筆頭秘書官が一年保たずに王宮を去っているから無理もない。
元々フリードリヒの公務の手伝いを見習いの形でやっていたアルブレヒトが担ってくれるのなら、出来る限り引き延ばしたいのが本音だろう。
「大臣連中が実質側近なフリードリヒ殿下には、人員を割かない向きはたしかにある。問題になる滞りもないから余計に。アルブレヒト殿下も王宮の仕事や公務を覚える意味では都合が良い」
「このままでは、アルブレヒト殿下が倒れると同時に現場は破綻します。上は現場をわかってないなどといった愚かな考えが王宮内に蔓延る前に手を打たねばなりません」
きっぱり言い切ったマーリカに、相変わらず痛快なまでに豪胆な令嬢だとメクレンブルク公が内心苦笑しているなんて彼女が気がつくはずもない。
マーリカの頭はいま、いかに彼女が知る情報をフリードリヒに秘匿したままアルブレヒトに引き継ぐかなのだ。
口頭では限界があり、しかしただの書面で渡せばフリードリヒは絶対に中を見ようとする。
「して、其方はなにを持ってきた。余の側使いだけでなく宰相までも信用ならぬと渡すことをせぬ書類とは。直答を許す」
重く低い、威厳ある声。
思わずごくりと息を飲み込んで、マーリカはメクレンブルク公から真正面に掛けている国王ゲオルクへと視線を移した。
「信用していないなど決してそのようなことはございません。ただ、万全を考えてのことです。どうかお許しください」
厳しくも威厳ある顔立ちはあまり似ていないが、淡い金髪と美しい青い瞳は彼女がよく知る第二王子と同じ色である。
やはり親子なのだなと思いながら、マーリカは国王ゲオルクに彼の侍従にも宰相にも渡さずに腕に抱えていた書類を差し出した。
「うん?」
「ご覧いただければ、お分かりいただけるかと陛下」
「ふむ」
マーリカが執務机の上に恭しく捧げるように置いた書類へゲオルクは目を落とし、その手にとって二、三枚を検め、これは……と、目を見開く。
「わたしがこの一年かけて把握した殿下の行動、その対応と対策を記した、フリードリヒ殿下の取扱説明書です」
「なんと!」
驚きの声を発し、はっと口を閉ざしたメクレンブルク公に、マーリカはこれ以上となく真面目な面持ちでうんと無言で頷く。
この書類は絶対の極秘事項。必要とする者以外、触れる者は少なければ少ないほどいい。
情報流出などもってのほか。
なにより、フリードリヒにその内容を知られることだけは避けなければならないが、自身の仕事の書類はろくに見ようとしないくせに変なところで勘が鋭い。
彼が仕事から抜け出すのを防ぐ情報なんて絶対に知ろうとする。
重々しい沈黙に満たされた国王執務室内に、ぺらりぺらりと紙をめくる乾いた音がしばし続いた。
「あれは、王城外にも好き勝手でているのか……どうやって警備をかいくぐっておるのだ……?」
「そちらについては、近くでご説明しても?」
「よい、構わぬ」
「現状の体制ですと、この時間帯のこちら……またこの巡回のルートに切れ間が……それから、こちらの……」
ふむ、うむと。
いつしかメクレンブルク公と三人で執務机を囲む形になり、マーリカは王城の衛兵の巡回や近衛騎士達の交代や巡回などの行動を確認し重ね合わせた結果できるほんの束の間の空白について説明する。
「――と、いったことがすべてフリードリヒ殿下の頭の中に入っているらしく一瞬の隙をついてふらりと」
「ふらりと……」
「はい、ふらりとまるでちょっと隣室にとでもいった気楽さで。いつものお姿のまま」
マーリカの言葉に、国王ゲオルクは額に重ねた両手を当てて項垂れ呻くように唸る。
あれの頭の中は一体どうなっておるのだ……といったぼやきに、お察ししますとマーリカは答える。
「すべてが頭に入っているだと!? “無能”が聞いて呆れる」
(あ、やはり陛下の耳にも届いていたか)
文官組織に属する者として、なによりフリードリヒの側に付いている臣下として、その言葉にはマーリカも複雑なものを覚える。
「わたしの不徳の致すところでもあります。申し訳ございません」
「其方は悪くない」
「しかし、エスター=テッヘン伯爵令嬢。衛兵の編成も巡回も定期的に組み替えているはずだが?」
「はい、宰相閣下。ですがその編成をなさっている方は同じかと。やはり知らず癖というものはあるようで大抵似た形で空白が生じます。生まれた時から王城に暮らす殿下にとって、それを読み取るのは容易かと」
成程と、ゲオルクから書類を受けとってメクレンブルク公は彼自身の目でも書類の内容を確認しながら呟いた。
「防衛防犯上においても極めて有益な情報です、陛下」
「まったくだな。ヴィルヘルムへも伝えてやれ、ただしこの部分だけ。それがよいのだろう? マーリカ嬢」
「ご配慮に感謝いたします。フリードリヒ殿下は王城内の情報にも思いの外、耳聡い方です」
「それで? 其方は余になにを望む」
「この書類に第二王子閲覧禁止のお認めを」
「ぬ?」
至極真面目にきっぱりと国王ゲオルクに向かってそう言ったマーリカに、彼は無言になった。
ただそれだけなのかと、困惑とも呆れともつかない表情の消えた顔をゲオルクは宰相メクレンブルク公へと向けるが、王の右腕も同じ思いであるらしく同様の表情でいる。
この情報があれば、王城への不法侵入はもちろん、王城外でフリードリヒを暗殺することも容易くできる。
なにしろ王城外へ出たフリードリヒの立ち寄り先、下町の住人との交流具合まで詳細に記してあるのだから。
「しかし、“第二王子とそっくりな不敬芸人”とは、なんとも雑な設定よ」
「陛下の仰る通りです。わたしもそんなことが通用するはずがと思ったのですが……そうでもなく」
王族としてどうかと思うが、お忍びどころかまったく隠す気もなく下町の住人と親しむ王子というのも常識では考えられない。
おかげで雑な設定でも案外通用してしまっているのが、嘘みたいだが事実なのだから仕方ない。
「アルブレヒト殿下にこの情報を安全に引き継ぎたく。フリードリヒ殿下は明文化された規律や王命は尊重される方です」
「王命を無視しては、流石に余も捨て置けんぞ。わかった。ただし、一度書類の内容を精査した上でとしよう」
「ありがとうございます」
マーリカはほっと胸を撫で下ろす思いで、ゲオルグへの感謝を口にする。
この国を治めている二人である。忙しい彼らの時間は貴重だ。
用件を終えたらすぐさま下がらなければとマーリカは退室の挨拶をしかけたのだが、引き止めるように王子妃教育は順調かとゲオルクに尋ねられ、はいと答える。
丁度、社交に関する説明とダンスの講義以外は特に問題なさそうだと評価されたところである。
いくらなんでも始まって約一ヶ月で修了なんて早すぎるのではと思うけれど、複数の教師が定期的にお茶会に近い議論の場を設けると言っていたから、ただの座学から社交の演習も兼ねての勉強に移行したのかもしれない。
そんな話を、やがて王家に嫁する令嬢というよりは、完全に文官の報告調で伝えてマーリカは執務室を出た。
「よしっ! これで多少はアルブレヒト殿下の胃の負担も少しは減らせそう」
第二王子付筆頭秘書官を解任され、第二王子妃候補にはなったけれどまだまだフリードリヒを補佐する仕事から完全には離れられないマーリカであった。
いや、むしろこれからが本番といってよかったが――彼女はまだそのことを知らない。
*****
マーリカが肩の荷が少し下りた思いで、お茶の約束をしていた第一王女の部屋を目指して王宮を歩いていた頃。
彼女が下がった後の、王の執務室ではこんな会話が交わされていた。
「やはりあの娘は優秀だな……」
「我々の想定通りに王子妃教育も最低限のところとなったようで」
「もとより必要ないだろうことはわかっていたからな。諸侯の手前もあって手配したまでだ」
「しかし、一ヶ月で教師達の結論が出るとは」
三ヶ月はかかると思っていたと呟いたメクレンブルク公を、当然だとゲオルクは笑う。
「幼女の頃から一族のいる国を回って実地で宮廷作法に歴史にその他諸々叩き込まれている上に、調整官を経てフリードリヒ付の秘書官だぞ。いまさらなにを学ぶ必要がある。言葉も大陸五言語不自由ない」
「あの厄介な神童だったフリードリヒ殿下と、並ぶような貴族女性がいるとは」
彼らは主従である前に少年の頃からの友人である。
もう一人、二人の間に入る友人がいるのだが、彼は王宮とは疎遠だ。
カール・モーリッツという名の、エスター=テッヘン伯爵家当主である。
「あやつが王宮によこしてくるぐらいだ。近く生まれる予定の子のことがなければ、養子ではなく彼女を“指名”する気だったのかもしれん」
「“本家の跡取り”ならぬ“本家の姫”……よく婚約を許したものだ」
「フリードリヒに随分と挑発的だったらしい。そう報告で聞いている」
「あの男の場合、愛娘をやりたくないだけなのかどうかがわからなくて難儀だな」
「同族嫌悪に近いような気もするが。さて、王子妃教育が大半なくなるとなれば、やはり例の嘆願は無視できまい」
複数の大臣の連名による嘆願書。
フリードリヒを補佐する職務にマーリカを戻してほしい。
平たく言えばそんな内容である。
「何故か武官組織からも同様の要望が上がってきているらしい」
「エスター=テッヘン伯爵令嬢がいるのといないのとでは、護衛や警備任務のやりやすさが格段に違うでしょうから」
「だろうな、この書類だけでも察せられる」
マーリカに渡された書類を手に取って、すぐまた机にばさりとおろしてゲオルクはため息をついた。
「秘書官以外になにがある? フリードリヒの公務の補佐にはアルブレヒトが秘書官兼任でいる。婚姻前だ、第三王子を押し退けて、ただの婚約者な伯爵令嬢を第二王子の公務補佐にするわけにはいかない」
エスター=テッヘン家が大陸の大半の国にその家系を広げ、一族の結束で大陸の国家間に謎の影響力を持っていることを知るのはごくわずかな者に限られる。
マーリカは表向き、王国成立より古い由緒ある家ではあるが王宮と疎遠な地方の弱小伯爵家の令嬢である。
王太子妃や第三王子の婚約者にもない公務に近い役目を与えるのは、なにかと波紋を呼ぶ。
それは避けたい。
エスター=テッヘン家が注目されても困る、あちらはあちらで厄介な友人が臍を曲げて絶妙に微妙な嫌がらせの種を撒いてきそうである。
「いや、もうすでに絶妙に微妙な嫌がらせがきていたな……」
「例のメルメーレ公国との官吏交流制度のことか。あちら側からくる文官のまとめ役」
「クラウス・フォン・フェルデン。君主シュタウフェン家の前当主の弟の外戚、フェルデン侯爵家の次男で第二公子派閥の内務事務官。エスター=テッヘン嫡流の血縁関係者男子の一人でマーリカ嬢の再従兄だ」
「一行に便乗するように王立科学芸術協会の招聘に応じた高名な画家マティアス・フォン・クラッセンもエスター=テッヘン家の分家筋……だったか。偶然ではなさそうな」
時同じくして、エスター=テッヘン家の一族関係者が二人も王国にやってくるなどと。
椿事に近い。
「個人の事情では動かぬ家と聞いていたが……」
メクレンブルク公の言葉にゲオルクは「だからだ」とぼやいた。
あの家の一族は、貴族としては自由すぎるが、酔狂なことはしない。
もしくはエスター=テッヘン家ではなく、メルメーレ公国側の事情か。
あの国は次期当主の座をめぐり第一公子と第二公子が争っていた。第二公子が勝利し次期君主に確定したはずだが内部がまだ燻っているのかもしれない。
「半分はフリードリヒだろうが、まったくあれはエスター=テッヘン家でなにをしてきたっ」
「まあ、選択肢がそれしかなかったのだから仕方がない。そうなるとやはりフリードリヒ殿下の制御役が欲しいところとなる。エスター=テッヘン伯爵令嬢以上の適任者はないな。エスター=テッヘン家の一族関係者も“本家の姫”を目の前におかしなことはせぬだろうし」
あのような善良な若い令嬢を激務に再び突き落とすのは忍びないが仕方あるまい。
メクレンブルク公は胸の中でそう呟くと、国王ゲオルクの友人から宰相の顔に戻る。
「陛下。文官組織にも専任で王族を支える公務補佐官がいてもいいかと」
「ふむ。“文官組織にも”か。そういえば彼女も言っていたな、王家に仕えし臣下の上級官吏であることに変わりないと」
「フリードリヒ殿下の筆頭秘書官を解任になっただけです。第二王子妃になることが確定しているため検討されていない配属検討中といったところで」
「なら余が動かしても構わんな。人事権は人事院だけではない」
「勿論。我々は皆、この国を治める陛下のためにあるわけですから」
「決まりだ」
――王命。
マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘンを文官組織専任王族公務補佐官とする――。






