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挿話5.文官組織の女神

 それは、王都大豊穣祭関連の仕事も一段落つきそうだと秘書官詰所で日々仕事に勤しむ者達の気も緩みかけた頃だった。

 第二王子付秘書官のカミル・バッヘムは始業時刻になって、彼の席がある秘書官の詰所に現れた上司の顔を見て、瞬時にこれはなにかあったなと思った。

 カミルの上司は、あまり表情豊かではない。

 しかし、彼らにとってあまりよろしくない状況である時ほど、努めて冷然とした態度でいようとする。一見わかりづらい、わかりやすさがある。

 まあしかし、この部署にとってなにか起きることは日常茶飯事だ。むしろなにも起きない日の方が珍しい。


(そーいや、昨晩は他国の使者と会食だったけ?)


 カミルは、自分やこの部屋で一緒に仕事をしている同僚達、およびすぐそばまで近づいてきた上司が仕えている人物のことを思い浮かべながら、立ち上がる。

 第二王子付といった肩書きが示す通り、カミルが仕える人物は深謀遠慮が要求される文官組織を長として管轄するこの国の第二王子。

 フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。


「おはようございます。エスター=テッヘン筆頭秘書官殿。始業と同時にこちらにお越しになるなんて、我らが殿下はまたなにか素晴らしい功績でもあげましたか?」


 カミルとしては軽い冗談のつもりだったのだが、形の良い眉の先をぴくりと一瞬引き攣らせ、その美しい黒い瞳を若干曇らせた上司に、しまったと瞬時に彼は悟った。きっと冗談が洒落にならないことが起きたに違いない。


(やらかしじゃなく、久々に本当にすごい功績の方か……)


 カミルが仕える第二王子は、自ら公言して憚らない公務へのやる気のなさと、気まぐれな言動と、見た目だけは立派な容姿と謎の強運体質でもって稀に奇跡のような功績を打ち立てる。

 王子としての働きがあってもなくても、現場の文官を大いに振り回すことで、“無能殿下”と陰で揶揄されている王子である。


「おはようございます。バッヘム主任秘書官。皆に任せている豊穣祭関連業務の進捗は?」

「筆頭秘書官殿もご承知の通り、滞りなく。近年稀にみる順調さでほぼこちらでやることはないですね。殿下次第ではありますが」


 答えれば、再び表情をごくわずかに曇らせた上司の様子に、カミルは自分の頬をつねりたくなった。

 彼を便利な手足や駒としてしか扱わなかった、歴代の筆頭秘書官殿に対して皮肉や嫌味を軽くまぶした受け答えをしてきたために、ついぽろっと余計なことを言ってしまう癖が抜けない。

 “彼女”はそうではないとわかっているはずなのに――いまだって、カミルの冗談や皮肉めいた言い回しを、完全に臣下として仕える王子を制御できないことを責められていると受け取っている。


「大変結構です。繁忙を抜けたところに立て続けではありますが、おそらく近く、その繁忙以上に励んでいただくことになります。国益としては喜ばしく、我々の働きは王国の繁栄に直結することでしょう」


 ものすごく言葉を選んでいる。

 真面目で、常識的で、目下の者にも律儀でお人好し。

 貴族の上級官吏としてはかなり珍しい。カミルとしては、よくそれで文官組織の中で生きていけると思うが、これがまた生きていけるくらい超有能な上司なのだ。とても彼より六歳も年下の、まだ若いご令嬢だなんて思えない。


(いや、本当、男装でなくても「抱かれたいっ」とすら思える仕事ぶりだからなこの人……)


 実際、平民登用の女性事務官はそう思っているらしい。

 なにしろ長身で黒髪黒目の中性的な美女。男装の麗人とは、カミルの上司のためにある言葉だ。

 ご令嬢なのに、これがまた実力で周囲を黙らせる強者でもある。高官達の覚えめでたく、あまり大きな声ではいえないが王族である主すら叱りつけることも出来る。

 王族相手にそんなことが出来る気丈さだから、平の秘書官相手に無理難題や難癖をつけにやってくる他の部局のお偉方を冷淡にあしらい、正論で追い返すくらいわけない。しかも後に尾を引かないよう、利害調整までしてくれる。 

 いわゆる愛想はなく、不器用なのか言動は冷淡ではあるけれど、表面へらへらするばかりでなにもしてくれない上司より千倍も万倍もいい。


(残業や早朝呼び出し、急な休日勤務は当たり前だったのを、ほぼ定刻勤務、安息日保証、体調不良や家庭事情がある時に無理して勤務されても困るから休めなんて、超健全な部署にあっという間に変えてしまったし)


 王族付は栄誉ある出世らしいが、歴代の筆頭秘書官は一体なんだったのだと呆れてしまう。もうなんというか気概からなにから全部違う。

 だからこそ、カミルはこの上司がここまで言葉を選んで話したのが恐ろしい。


「……予告いただけるのは有り難いのですが、一体、なにしたんです?」

「極めて高度な政治的交渉です。先方は持ち帰って主君に判断を仰ぐと言いましたから、近く正式な返答が届くでしょう。おそらくは我が国優位な内容で」


(あーあれだ、歴史書に載るやつだ。国にとっては喜ばしいけど、現場の末端人員にとってはまったく喜ばしくないやつ)


「たしかバッヘム主任秘書官は、フリードリヒ殿下がご公務につかれた年から、こちらに勤めていらっしゃいましたね」

「奇しくも殿下と同期です。王族と中級官吏では天と地ほど違いますから、そんなことを申しては不敬になるでしょうが」


 カミルはこの部署で最も古株の中級官吏だった。

 十九の時に中級官吏の登用試験に合格して登用されて以来、二十七歳の現在に至るまでの約八年間ずっとこの部署にいる。


「であればきっと、わたしよりずっと状況に慣れていますね」

「……おそらくは」


 フリードリヒは一歳年下で、カミルにとっては、歴代の筆頭秘書官達と合わせて階級社会の理不尽さをこれ以上なく理解させられた相手でもある。

 カミルは義務教育から中等教育へ進み、高等教育を受けるための資格も得ているが、職につかずこれ以上勉学に励むのは平民には難しかった。

 高等教育を受ければ上級職や上級官吏の登用試験への道も開けるのだが、そんなのは平民でも裕福な家の者や貴族に限られる。

 金持ちは金持ちでいられる手立てを得られるが、そうでない者には難しい仕組みにこの世はなっている。


「バッヘム主任秘書官がいらしたのは幸運です」

「あまり買い被らない方がよろしいですよ。平民にとってはこれ以上とない職ですから、辞めていないだけです」

 

 皮肉でも嫌味でも、謙遜でもなく、事実としてカミルは彼の上司にそう言った。

 中級官吏となって、王宮に文官として勤めるようになっても同じだった。登用されて即王族付になり、幸運に恵まれたと思ったのは最初だけだ。

 なんのことはない。

 貴族の上級官吏でなければなれない筆頭秘書官殿の手足となって黙って働き、厄介ごとを押し付けられる程度には学のある、平の秘書官が欲しかっただけである。

 だからどれほど仕事に励もうが昇進はない。

 昇進したら、他の部局に異動する可能性が生じるからだ。

 こんな馬鹿馬鹿しいことはない。

 しかし一応手当は付くし、王族付だけに給金の面では中級職の中で見聞きする中でも悪くない。

 それに筆頭秘書官は長続きしないから、五年目を超える頃には長く勤めているカミルの方が業務上優位になった。


(幸運なんていうなら、主任秘書官なんかに引き上げちゃ駄目だろって)


 上司のご機嫌を適当に取りつつ表面破綻しなければ文句は言われない。なんといっても王族付きだ、意向であると押し切ればどこも最終的には渋々引き下がる。楽なものである。

 引き下がらなかったのは、目の前にいるこの若く麗しき文官令嬢の上司だけ。

 カミルが出した要請書に異議申し立てに来て、筆頭秘書官が空席だからといった彼の逃げ口上に、これ以上の問答しても無駄と判断するや当の第二王子に直接物申しに向かったのだから。


「なににしてもフリードリヒ殿下が大きな功績をあげた際のことを知っている人がいるのは心強いばかりです」


(っとに、まじ女神か)


 いくら王族に謁見や進言できる権限を持つ、王家に仕えし臣下の高位貴族だからって、大臣や側近でもないのに本当に諌めにいくなんて人、初めて見た。

 しかも噂では引っ叩いた上に説教したらしい。

 断罪されることもなく筆頭秘書官になっているから、流石にそれは怪しいとカミルは思っているが、しかし護衛の近衛騎士に取り押さえられてはいるから、相応のことはしたということだ。

 執務室でなにが起きたのかは噂ばかりで、現場の文官仲間は自分達が愉快に思う話を採用して一種の英雄扱いではある。

 彼女が筆頭秘書官についてから、明らかに他の部署の負担も減っているらしく、いまや“文官組織の女神”とまで言う者もいる。

 

「豊穣祭関連は以降わたしが処理します。バッヘム主任秘書官は事務官の方達と最優先でメルメーレ公国への対応に備えてください。追って指示します」


 メルメーレ公国とは、まさに昨晩、フリードリヒが会食した使者の国である。

 オトマルク王国が主導となって通す鉄道が通過する国だ。線路を敷くにあたって土地の賃借と鉄道事業に関する利権を巡って、近頃、頻繁にやりとりが生じている小国である。


「先方は持ち帰るって言っただけなんでしょう。いまの段階で備えるもなにもないと思いますが?」

「いいえ。あのどこの性格破綻者の暴君かといった殿下に睨まれて、動かない使者など使者ではありません」

「本当、なにしたんですか……あの無能(ひと)……」


 真顔で聞きたいですか、と問われてカミルは丁重にお断りした。

 知らない方がいい、聞かなければ深く巻き込まれずに済む。

 午前中のうちにカミル達が任されていた豊穣祭関連の書類や報告をまとめ、午後に持ってくるようにと言われて、カミルは承知する。

 上司の席は、第二王子の執務室内にあるため、あの王族の威信を見せつけるような部屋を訪ねるのはやや億劫ではあるが、かといって上司に取りに来いともいえない。


「エスター=テッヘン筆頭秘書官殿」

「はい」

「あまり殿下を甘やかさない方がいいですよ」

「まさか」


 眉を顰めてありえないと言いたげな表情を見せた上司に、自覚無しかとカミルは内心嘆息した。王族である第二王子を叱りつける一方、彼女ほど献身的に尽くす筆頭秘書官もいない。第二王子が彼女に負けず劣らぬ美貌の持ち主であるだけに、最初は惚れてるのかと思ったほどだ。

 時折隣室から漏れ聞こえてくる辛辣が過ぎる言葉に、いまはそれはないと思っている。むしろ怪しいのは第二王子の方である。


(億劫なのはそれもあるんだよなあ。あの殿下にこにこしてても妙に威圧感あるから。特に筆頭秘書官殿が他の男と話してるような時なんて、まあわからんでもないけど)


 あまり刺激して、彼女が囲い込まれても困る。

 自ら公言して憚らない公務へのやる気のなさと、気まぐれな言動と、見た目だけは立派な容姿と謎の強運体質でもって稀に奇跡のような功績を打ち立てる。

 王子としての働きがあってもなくても、現場の文官を大いに振り回す、“無能殿下”を諌め、その被害を最小限に食い止めることができるのは、カミルの上司である彼女だけ。

 文官組織の女神こと、第二王子付筆頭秘書官マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・フォン・エスター=テッヘン嬢だけなのである。

※このお話はカミルさん視点なので、マーリカの名前は1話で出てきた省略名となっております。


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