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挿話4.高官専用食堂の小騒動

「法務大臣〜。ちょっと相談なのだけどねー」 


 昼食時の高官専用食堂に突然響き渡った、のんびりした調子の美声に食堂中がざわっとどよめいた。

 どよめく食堂の中、中央付近のテーブルでスープを飲んでいた、豊かな白い巻毛を深臙脂のローブの肩に落とした初老の老人は食事の手を止めて顔を上げて、声が聞こえた方向へと目を向ける。


「殿下……?」


 食堂入口の両開き扉の前に、金髪碧眼の完璧なる美貌の青年が、白絹地に金モール刺繍も華やかな衣服に目が覚めるような鮮やかに濃いブルーのマントを身につけて、中央付近のテーブルに向かってにこにこと穏やかな微笑みで片手を振っていた。

 そうして、先程よりもさらに張り上げた声で法務大臣に尋ねたのだった。


「あのさあ、マーリカの四十七連勤? あれ注意も休暇付与もなにもないのは、流石にまずいのじゃないかなーって思って。私、強制事案(パワハラ)で訴えられたくないし……君、王宮のその辺のこともたしか管轄していたよねえ」

「ぶふぉっ!?」


 能天気な調子の不穏な言葉に、スープ皿に顔ごと突き入れそうになっていた法務大臣の様子を、少し離れた奥のテーブル席で魚料理を切り分けながら見ていた内務大臣は思った。

 あれでは公開処刑も同然だ。あれはよくない、と。


「やあ、大臣。って、大臣多いね。初めて訪れたけれど流石は高官専用食堂だ」


 王族が、食事中という逃げられない状態にいる臣下の者を捕まえるのは反則ではあるまいかと、食堂角の気に入りの席を陣取っている内務大臣はひとりごちる。

 いまいる席からは食堂全体が見渡せる。

 食事くらいは一人落ち着いて食べたいといった気分の時があり、彼はたびたび隅っこの席を利用することがある。

 今日はその席を選んでいて本当によかったと、中央付近のテーブルの席をにこにこと陣取って楽しげなお喋りに興じているらしい人物を眺める。


「でさあ、なんだか最近、私の執務室に色々な書類が置いてあってねえ……」


 その人物とは、フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。

 文官組織を管轄するいわずと知れたこの国の第二王子。

 つまり、内務大臣や法務大臣、その他、文官組織の各所を担当する高官職にとっては国王陛下や王太子殿下の次に尊重し支えるべき人物である。

 場合によっては王太子殿下より優先させることにもなりえる。

 そんな人物が、突然、高官専用食堂にやってきて利用している者たちにとってあまり大ぴらに触れてほしくない話を無邪気に話しているのである。

 話を聞かされる相手として生贄となっているのは法務大臣だ。

 しかし、フリードリヒが話の中で使う言葉は“大臣”というだけで、特に誰と特定の者は指してはいない。なので、誰も何も言えない。

 言えば、自ら名乗り出るようなものだ。


(現場の文官から、いや我々の中においてさえ、日頃から“無能殿下”と揶揄(やゆ)されている方であるのに、たまにこういった考えがあるのかないのかよくわからない、扱いが面倒なことをされるから困る)


 はあーっ、と。

 ため息を吐きながら、付け合わせの蒸し野菜をつついて内務大臣は内心ひとりごちる。

 ただでさえ見た目は大変に素晴らしく、黙って微笑んでいれば王族としての高貴さと、なにか底知れない深淵な考えを持った懐深さも感じさせて、なんとなく平伏したくなるような気にさせる王子である。

 飄として掴みどころのない言動もあって、諸外国からは“オトマルクの腹黒王子”、“晩餐会に招かれればワインではなく条件を飲ませられる”と、油断ならない知略に長けたやり手の若き王族扱いである。

 公務に対してまったくやる気がなく、すべての功績はそのはったりのきく容姿と強運と妙な引きの強さによる。そんな第二王子の実情を知る、日頃身近に接している者からすれば悪い冗談かと思えるのだが、これが事実そうなのだから恐ろしい。


(しかし、揶揄されている通りに無能ではあっても、愚かではないのもまた事実)


 法務大臣や自分も含め、フリードリヒが幼少の頃からすでに高官として王族と接点を持っていた者は、幼い頃の彼が王族の中でも神童と称されるほどであったことを知っている。

 普段が普段なので、つい忘却の彼方へとその記憶を追いやってしまうが、恐るべき知能の子供だった。

 同時におよそ義務や日課とされるものにはいまよりも怠惰であった。

 そしてなによりその性格。善悪の区別や常識といった感覚において常人には理解できない感性の持ち主でもあり、時折周囲をして心胆寒からしめる邪気のない怪物のような子供でもあったのである。


(それゆえ、邪気のない様子で人を糾弾あるいは罠に嵌めるような言動に見えることをなさっていても、意図を持った意識的なものなのか、他意も邪気もない無意識なのかがまったくわからん……)


「えーと、ほらこれこれの案件とか、あの案件とか、あんな案件とか……あ、そこっ、そこにいる外務大臣! 君のところのあの書類も届いているのだけれどね」


(あ、生贄が増えたな……)


「いやあ、自分でいうのもだけれど、私ほど公務にやる気のない王族もいないからねえ。王子であるからには、絶対に私でなければいけないことは致し方ないから王族の務めとしてやるけれど、そうでなければ皆に任せている。なにしろ私が管轄する文官組織の皆は、私よりずっと優秀かつ勤勉であるし……」


 腕組みをして、うんうんと勝手なことを喋っているが、事実フリードリヒの言う通りである。

 普段の暢気で怠惰な様子もあって、そうと認識している者は少ないのだが、改めてよく考えるとフリードリヒの責任範囲とされている執務は意外と多い。

 それを任せられるべき人材に任せ、運用している点だけを見れば辣腕といってもいいくらいである。

 問題は、任せるとなったらすべて丸投げ、任せきりにしてフリードリヒ本人がそのことをきれいさっぱり忘れるほど自身から切り離してしまっていることだ。

 考えようによっては臣下としては名誉なことかもしれないが、優秀で信頼がおける者ほど、下についている部下も含めてその被害にあう。

 こうなると生じそうな不正の監視も、これまた然るべき者に任せていて、これはこれで上手く機能しているのがまた、この王子の強運というか引きの強さで呆れる。


「だから君たちが、この手のものを私の執務室に回してくることはなかったと思うのだけれど、これは私に入ってほしいってことなのかな?」


 フリードリヒなわけがない。高官達が入って欲しいのは彼の秘書官。

 第二王子付筆頭秘書官のマーリカ嬢、エスター=テッヘン伯爵令嬢である。

 これまで誰も長続きしない、文官組織で最も過酷な職務とも噂されていたフリードリヒの秘書官の任について、実に一年以上継続しこれまでの秘書官になかった成果を上げ続ける、黒髪黒目の男装姿も麗しい文官令嬢である。

 なんといっても、職務に忠実かつ王家に仕えし臣下として献身的で有能。

 あのフリードリヒに、日々仕事をきちんとさせているのが素晴らしい! 

 現場の文官達の疲弊具合の軽減に、いまや最も貢献している文官組織の女神といっても過言ではない人物なのだ。

 近頃では諸外国の高官達の間でも、オトマルクの腹黒王子が唯一信頼する“オトマルクの黒い宝石”などと名を上げつつもある。

 事実、諸外国の高官達にそのように思われるだけあって、フリードリヒはいたく彼女を気に入っている。

 彼の側だけでいえば単に臣下としてだけではない執着心すらうかがえるほどで、その一つがフリードリヒの強い要望によって彼の執務室に、彼女の執務の席があることだ。

 普通、秘書官は彼の側に控えるか、隣室の詰所で部下である平の秘書達と仕事をするものであるというのに。執務机ごと、王族の執務室に仕事場を用意されている。

 だから、フリードリヒが話している、これまで彼のところに回してくることはなかった書類というのは、マーリカ嬢のところへ回ってきている書類で間違いない。


(しかし、たしかに場所はフリードリヒ殿下の執務室ではあるからな……)


 今回に限っては、明確な意思を持ってのフリードリヒのいまの振る舞いだろう。要は、「私の秘書官を、勝手に使うな」と言ってきているのである。

 ただし、これが王族として執務を考えてのことなのか、ごく個人的な執着心や独占欲からくるものなのかは、彼の場合判別し難いところだ。


「私、これでも結構偉いから指揮することになるじゃない……無能って言われてるのにさあ。おすすめしないよ? なるべく止した方が、君達や君たちの部下のためだと思うのだけれどねえ」

 

 気まぐれに単に面白くないと思っただけも大いにあり得る。


(とはいえ、先に法務大臣がぶつけられた四十七連勤への対応、補償処置も含めて、彼女に仕事を回した者達はそれを引かざるをえないだろうな)


 普通なら大いに反感や反発を買いそうな強引かつ物騒なこんなやり方、日頃から“無能殿下”と揶揄され呆れられているフリードリヒにしかできない。

 高官達をつかまえ、王子の身勝手のようにごねているのは彼である。

 マーリカ嬢へ非難や反感の目がいく恐れもたぶんない。多少は苦々しく思う者もいるかもしれないが、彼女への同情も含んだものとなるだろう。


(そこまで見込んでやっているのか、単なる気まぐれなのか……わからん御方だ)


 そもそも、王子が高官専用食堂にぶらっと乗り込んできているのが異常だ。ひとしきり言いたいことだけ言って、いまは法務大臣におすすめの料理など尋ねて、給仕の者に運ばせ、それを食してご満悦の様子でいる。


「本当に、わからん」


 わかっているのは、こんな公開処刑みたいなのは我々の心臓にとってよくないといった、ただそれだけである。

 そして、数日後、実家の伯爵家の事情あってとマーリカ嬢本人から申請された休暇はその日数の上乗せの提案付で、これ以上となく迅速に処理された。

 さらに彼女の休暇取得に支障をきたさぬよう、高官達は皆一斉に彼女に回そうとしていた仕事を取り下げたのであった。


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