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挿話3.第二王子付筆頭秘書官の着任日

 気まずい――。

 こんな気まずい新任挨拶の場があるだろうか……。


 見覚えのある近衛騎士が側に控えている、これから上官となる相手の前に立ちマーリカは胸の内で呟いた。

 半月ぶりに訪れた部屋の様子について彼女はあまり記憶していなかったが、これまでいた部署の小部屋とはなにもかもが異なる。

 廊下側から入る扉、横長の長方形の部屋の左右に繋がる小部屋の扉、窓側の右隅に五角形に木の柵と細い柱で区切られた設られた小さな四阿のような休憩場所、すべて重厚な木彫り装飾がされた樫の木で作られたものであるし。

 窓と窓の間の壁を背にするように配置された、まるで琥珀のような飴色と美しい波状の杢を見せる執務机。

 なにやら書類がその上に乱雑に積まれているのは気になるが、慎ましやかな美しい木肌はシカモア材の逸品だと気まずさから逃避するようにマーリカは考える。

 彼女自身あまり自覚はないのだが、人でも物でもマーリカは結構、いやかなり、目が肥えている類の令嬢である。

 むしろ目が肥えすぎて、一周回って、良い物とその他くらいの区別以外はなにも思わない。


(昔、お祖父様が使っていた机もあんな感じでつやつやして綺麗だったな。お父様が伯父様のつてでどこかへ放出しちゃったけれど)


 エスター=テッヘン家は王宮と疎遠な田舎貴族に間違いはないものの、オトマルク王国の建国以前から続く由緒正しい伯爵家。

 屋敷の中は、骨董価値の高いものがそこらにある。

 例えば普段使いの調度をいくらか売りに出せば、公爵家や侯爵家に嫁ぐ用意や彼等が花嫁を蔑ろには出来ない結婚支度金を工面し、余ったお金で領地の治水事業の補填ができるくらいには。

 道具部屋に眠っているのは、傍目には煤けたもっと古い時代のものか、比較的最近に親類縁者から贈られたものか。

 いまではもうどこぞの王宮や宮殿でもなければ、仰々しくて使えないものなどもある。

 しかし、生まれた時からそれが当たり前でありすぎたマーリカの実家の調度に対する認識は、古いものを使い続け、それも売って親族がくれる物でなんとか体裁を保っているといったものだった。

 人間、刷り込みや先入観から逃れることは難しい。

 だから彼女の祖父の机が王宮にあるものと同等なのはおかしいとマーリカは気が付かない。


(それにしても。先日詰め寄った時も思ったけれど、本当に、腹立つまでに顔がいい)


 艶々の執務机の上で両手を組み、不敵にも見える微笑みを浮かべる人物に対し、マーリカは男装の文官としている時の常で王宮儀礼に則った美しい“男性”の礼を取ると、今度は胸の内でぼやく。

 エスター=テッヘンの一族は、古くから王侯貴族の家系と縁付いてきた、“美形”の家系である。

 一族の普通は、一般貴族における器量良しであった。

 故に、ただの美男美女なら見慣れているマーリカがそのような感想を抱く時点で、おそらく世間的には“絶世の”といった言葉がつくであろう容姿なのは間違いない。

 事実、マーリカが相対している人物は、その身内から“神に愛された姿”などと言われていたが、そのことを彼女が知るのはもう少々後のことである。


「そんなに畏まらなくてもいいよ。よく来てくれたね。マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘン嬢」


 容姿に釣り合う美声で、淀みなく自身も長すぎると思っている名前を正確に言われたことに少しばかりマーリカは驚いて、思わずじっと向かい合う相手を不躾に見つめてしまった。

 古いだけで大した権力もない弱小伯爵家の令嬢のマーリカからすれば、相手ははるか高みにいる相手。

 なんといっても王族、それも継承権も持つ第二王子である。

 無礼と咎められてもおかしくないのに、そんなマーリカの様子を見てにっこりと彼は微笑んだ。


「あっ、もしかして驚いた? 文官の間で人の名前覚えないって有名らしいけど、そりゃ皆教えてくれる相手はわざわざ覚える必要ないけどさ、流石に直属の筆頭秘書官の名前くらいは言えるよ私だって」

「はあ……」


 いや、有名らしいとかわかってるなら開き直っていないで覚える努力をしろだとか、周囲が教えてくれるから覚える必要ないとは臣民を慮って然るべき王族としてどうなのだとか、臣民でなく他国の者でもそれはそれで外交問題になりかねないのではとかいったことがマーリカの頭の中を駆け巡ったが、口に出すのはひとまず自重した。


(そもそも外交に関する公務も多々ある方ではなかったか?)


「うーん、でもやっぱり日常呼ぶには長い名前だよねえ。敬意と親しみを込めてマーリカって呼んでもいい?」


 問われて、正直、頭を抱えそうになる。

 なにをどうしたら敬意と親しみをこめて、いきなり秘書官をまるで親密な相手の如く名前呼び、それも呼び捨てになるのだろうか。敬意はなさすぎで親しみは込めすぎだと思う。

 一瞬、女性であるから侮られているのかもとマーリカは考えたが、それにしては邪気がない様子であるし理解に苦しむ。


「だめ? ああっ、もしや破廉恥案件(セクハラ)になる……?」


 はい、仰る通りですと頷きかけたマーリカだったが、やはり王子に邪気はない。

 むしろおそるそるといった眼差しと口調で問いかけてくるあたり、至極真面目にマーリカにお伺いを立てているらしい。実際、同僚の文官や高官職の者からそういった扱いを受けた時のような不快もない。


(王子であるのに……)


 呆れ半分、不可解半分な気持ちでマーリカは静かに息を吐くと、あらためて目の前にいる王子を見た。

 美しい淡い金髪に聡明そうな空色の眼差し、どこからどう見ても黙ってじっとしていれば完璧にして只者ではない雰囲気を纏って見える。

 この王国で、深謀遠慮を要求される文官組織を長として束ねている第二王子。

 そう、黙ってじっとしていれば。

 

「ご随意に、フリードリヒ殿下」

「やった! 歓迎するよマーリカ」

「あのような非礼を殿下に働いたわたしめに、勿体無いお言葉です」

「非礼……非礼ねえ。まあいきなりこの部屋に入ってきたのはあれだけど、あれは教育的指導ってやつでしょう。“人間、怒られなくなったら終わり”って言うし」

「はあ」


(それはまた……随分とご立派なお考えで……)


「まっ、普通、一介の文官が王子に説教はしないけどねえ。それも肉体言語で!」


 第二王子ことフリードリヒのこの執務室にマーリカが押し入り、彼に詰め寄って壁際に追い詰め、平手で頬を往復で叩いた事件の半年後、何故かマーリカに下った“第二王子付筆頭秘書官”の辞令。

 本日はその着任の挨拶である。

 そして、ものすごくにこやかにマーリカが起こした事件について嫌味を言われている……にしては、朗らかすぎた。

 

「ああ、本当にこんなことがあるなんて。我が人生に新たな風が吹き込んだ、そうまさにこれは――」

「殿下」


 朗らかを通り越し、張りのある美声で称えるような口調は流石に頭がおかしい……と、マーリカは彼に呼びかけることでその言葉を遮った。

 相手は王族である。

 親しい間柄でもないのに許可なく呼びかけることも、ましてやその言葉を遮るなど非礼極まりない振る舞いではあるがマーリカはそうせずにはいられなかった。


「ん? なに、マーリカ」

「これは殿下に非礼を働いたわたしへの、斬新な嫌がらせでしょうか?」

「なんで?」


 普通はそう思う……と、ぼそりと呟く声が聞こえてマーリカは、フリードリヒではないその声の主へと視線を移した。フリードリヒの側に控える護衛の近衛騎士。

 赤髪の美丈夫。見覚えのあるその人はごほんと咳払いをする。

 第二王子への暴行を働いた現行犯としてマーリカを取り押さえ、取り調べを行った人だ。

 

「えー、そうなの。アンハルト」

「恐れながら殿下。正面切って己の所業を朗々と称えるかのように言われては、エスター=テッヘン殿も居た堪れないかと」

「実際、称えてるのだけど。私にいきすぎたところや間違いがあれば諌めるのは家臣の務めでしょう。その点、マーリカは実に忠実なる家臣と言えるのでは?」

「言葉はご立派ですが、表現方法がいまひとつ」


(どうやら……嫌がらせではないらしい……?)


「あの、殿下……他意がないのでしたら、失礼いたしました」

「うん。まあ堅苦しい挨拶はこの辺にして、お茶でも飲む?」

「え、いえ……あの」


(挨拶らしい挨拶などまだしていませんが? お茶とは? 職務の説明だとかせめてそちらの近衛騎士の紹介くらいはあっていいのでは?)


「ん?」

「何故、お茶?」

「疲れたし。あ、そこ休憩するところでね。執務室内とはいえ、四阿のように区切ってソファ置いてるから結構寛げるのだよ。窓からの眺めも良いし」


(無能か、やはり噂通りに無能なのかこの方は。いやいやでも気まぐれで文官を振り回すとはいえ、絶対無理なことはわたしが記憶する限り一度も……かなり最低な気まぐれではあるけれど、一応、ぎりぎりの線は……)


 連絡調整官、それがマーリカの前の部署で仕事であった。

 その名の通り、武官組織と文官組織の間の連絡係。

 王族や高官職の方々の公務にあたり日程や時間、行動予定はもちろん、同行者や参加者の人数。

 移動予定やそのルートなどなど、関係各所から上がってくる諸々の細かな段取りをとりまとめて、それらをまた関係各所へ連絡してすり合わせを行う。

 だからこそ、マーリカは知っている。

 公務へのやる気のなさと勝手気儘な言動で文官達を翻弄し、無能殿下と揶揄されている文官組織の長。

 第二王子のフリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルクの気まぐれは、迷惑極まりないものではあるけれど、愚かで無茶な我儘というには、一定の配慮が感じられるものであることに。

 例えば、急に視察先やルートを変更したい要望。

 その理由はくだらない我儘とはいえ、指定された場所や経路は警備上問題ない場所や安全確認など事前準備にそれほど手間がかからない場所だった。

 前任の秘書官はフリードリヒの言葉を右から左へ、関係部署へ丸投げするのみ。

 筆頭秘書官がその調子だから、その補佐をしている平の秘書官達も同様である。

 だからその要望やその指示は、フリードリヒが出したものであることは間違いない。


(調整の時間の概念がないのは最悪ではあるけれど、内容のたちの悪さでいえば、無理難題を吹っかけてくる高官職の人たちのほうがずっとひどいものが多かった)


「……フリードリヒ殿下。恐れながらお茶は結構です」

「そう」

「わたしは殿下が無能とは思っておりません。ですので先ほどから気になっている、その山のように積まれた書類。まさか手付かずなどと仰いませんよね?」

「えーと……手には、持ったかな?」


 成程、“人間怒られなくなったら終わり”、と、マーリカは胸の内でフリードリヒの言葉を繰り返す。


「先ほどの殿下のお言葉」

「ん?」

「どうやら斬新な嫌がらせではなさそうだと理解しました。すでにこうして着任してはおりますが、あらためて第二王子付筆頭秘書官の任、謹んで拝命いたします」

「マーリカ……?」

「というわけで、早速ですがその書類の山について検めさせていただきましょう」

「いや、でも」

「よろしいですね?」

「あの、初日からそんな……はい」 


 執務机に積まれた書類をマーリカが確認してみれば、日数が過ぎた書類の多さに軽く目眩を覚えた。

 おかげで顔合わせが気まずいなどと思っていたことは、マーリカの中から綺麗さっぱり吹っ飛んだ。

 放置されていた執務への対処とフリードリヒへのお小言で着任初日は過ぎ、本来ならその日の内に行うはずであったフリードリヒの護衛騎士や部下の秘書官達への挨拶はその翌日となった。

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