挿話1.王宮勤めはだめかしら
エスター=テッヘン伯領はオトマルク王国・王都リントンから北西寄りに馬車で馬を替えて急げば四日程。
遠い辺境の地ではないけれど、近いとも言えない場所にある。
領地の特徴は田舎であり、領主屋敷のある町とそこから半日ほどの場所にある温泉地の町、農村地帯と放牧が行われているヒースの花咲く平原くらいしかない。
近隣の他領と深く交流するでもなく、あまりに長閑すぎて時代を遡っても特に目立って争いなども起きていない。というより、人口も少なく、肥沃な地でもなくこれといった特産もないから争ってまで手に入れようとするような地でもないのだ。
そんな地を治める伯爵家の三女として、マーリカは育った。
若い頃は王都にいたらしいが、中央で名を上げようといった野心など欠片もないような大らかな父親と、美しくおっとりと淑やかな母、母に似た二人の姉に囲まれ末っ子として甘やかされて育った自覚はある。
姉二人が嫁ぐまでは、エスター=テッヘン家は伯爵家としてそれなりだったのでなに不自由なく暮らしていたし、それは今現在もそうではある。
屋敷にある美術品や調度のいくつかが一つ減り二つ減り、いつの間にか少々殺風景にはなってはいるけれど、ことさら贅沢しなければ特に困ることもない。
とはいえ、王都にいる華やかな伯爵家のご令嬢と比べたらかなり慎ましい家であるに違いない。
(一昨年に、上のお姉様は公爵家、下のお姉様は侯爵家と立て続けに嫁いだ時は支度が大変だったし……)
通りがかった大広間の壁をマーリカは見上げる。
花鳥を織り出したタペストリーが掛けてあるが、以前は古い巨匠の描いた大作の絵画が飾ってあった。
上位の家に嫁ぐというのはめでたいことではあるものの、相手の家に見合う衣服や道具を調えたり、肩身の狭い思いや困ることがないように支度金を工面したりとなかなか大変なのだ。
どちらの家も姉にべた惚れなので身一つで来いといった勢いで、流石にそれはないにしても少しくらい甘えてもいいのではとマーリカは思ったが、こと冠婚葬祭や領民への振る舞いについては、絶対に疎かにせず盛大に行うのが信条の父親である。
色々と屋敷の中がすっきりすると、それはそれで貴族社会で変な噂にならないかと心配になるほど、代々所有してきた美術品やら調度やらを大放出したのだった。
「余ったお金も治水事業に回してしまったみたいだし……あの欲のなさは美徳なのかもしれないけれど」
マーリカは現在十六歳。本当なら姉二人のように社交シーズンである今この時期は王都へ出て、王宮主催の夜会に出ておかしくないけれど、春先に風邪を引いたのを言い訳に見送った。
淑女教育は一通り。
礼儀作法は、元々王都で名の知れた侯爵家の娘であった母親が見て、どこへ出ても大丈夫と言われていた。
しかし、母や二人の姉のように常におっとり穏やかに微笑むことがマーリカは苦手だった。
それに容姿も。
大広間を通り抜けて、図書室に向かって廊下を歩きながら、窓ガラスに映る自分の姿をちらりと横目にマーリカは軽く息を吐く。
姉二人のように、淡い褐色に緑目で柔らかな雰囲気の美女である母親似ではない。
父譲りの黒髪黒目で令嬢にしては背も高く、珊瑚色の普段着ドレスを着ていても、我ながらなんだか愛想がなく冷たい感じに見える。
父親も田舎領主にしては整った顔立ちをしているものの、これが娘となると凛々しさが先に立ってしまう。
踵の高い靴を履けば一般的な背丈の男性とほぼ同じか越えることになってしまうし、家族や親類は綺麗と誉めてくれるけれど、それは身内贔屓というものだ。
一言でいえば、殿方受けしないとマーリカは自分をそう評価していた
(それにしても、絶対引く手数多だったと思うのに、お母様はどうしてこんな田舎の伯爵家に、それも十以上も歳の離れたお父様に嫁ぐ気になったのかしら)
子供の頃からの謎の一つであるのだけれど、マーリカが何度母親に尋ねても、ふふふと笑って、「そうねえ、どうしてかしら。でもそういうものなのよ」と誤魔化されてしまう。
(そういうものって……どういうもの?)
こんなことをつらつらとマーリカが考えてしまうのも、やはり彼女自身そろそろ社交界に出るなりお見合いをするなりして、結婚相手を見つける年頃になったからだ。
成人年齢は二十一とはいえ、婚約者はそれよりも早いうちに見つけるのが貴族令嬢としては一般的であるし、二十五を迎える前には結婚するのが大半だ。
あと十年近くあるとはいっても、婚約者を決めることを考えるとそれほど猶予はない。やはり遅くなれば売れ残りとされるし、それはあまりよろしいことではない。
(とはいえ、社交の場に出て、お姉様の嫁ぎ先の繋がりで伯爵家同等それ以上の家なんかと縁付いてしまったら。今度こそ我が家は破産寸前になってしまうのでは……それに)
うーん、と天井を仰ぐようにマーリカは目を閉じて顔を顰める。
後ろに付いている、伯爵家で一番年配の侍女コリンナと護衛のルーカスから「なに唸りながら歩いてるんですか、お嬢様」などと言われてしまった。
「お嬢様、なにかお悩みでも?」
図書室の書架から本を三冊選びとって、長椅子に落ち着いたマーリカへ小間使いが運んできたお茶をテーブルに用意しながら、コリンナに尋ねられ、マーリカは開いた本に顔を隠して上目に彼女を見た。
「悩みというほどのことでもないのだけど」
悩みというよりは我儘だ。正直、マーリカは社交の場へ出たくない。
それに礼儀作法や刺繍やダンスや器楽など令嬢として恥ずかしくない程度は出来るけれど、算術や歴史の勉強の方が好きで得意だ。
書類の清書など簡単なものではあるけれど、父親があまりに暢気でいて家令が大変そうなので無理を言って、時折手伝いをさせてもらっている領地運営の仕事の方がずっと興味がある。
母や二人の姉のように、望まれて、結婚して、子を産み育て、家を守り支えるのも生き方として素晴らしいけれど、自分自身の将来の姿かと考えるとなんだか違う気がするとマーリカは思うのだ。
「お体の調子を崩されて、王宮にお上りになるのを見送ったことでしたら。気に病むことはございませんよ。少しばかり出遅れた感はありますけれど、お嬢様はまだ十六ですもの」
出遅れた感……。
悪気も他意もなさそうであるし、実際そうなのだろうけれど、侍女の慰めの言葉にマーリカが曖昧な返事をしながら胸の奥でぽつりと呟くように思う。
社交じゃなくて、王宮勤めはだめかしら……?






