16.長く適任が見つからずにいた仕事はある
マーリカ、と。
誰かに名前を呼ばれた気がした。
とても大切な言葉であるように。
愛おしげな響きで柔らかくそっと囁くように。
「ん……って、はぉぁっ――ッッんん!」
目が覚めたら、明かりはついているのに自分の顔周りだけ陰っていて、こめかみあたりに何者かが頭を伏せていたのである。
反射的に叫び声を上げかければ、明らかに男だとわかる手袋をした手で口を塞がれ、首を振ってマーリカは抵抗した。
「こっちもびっくりしちゃったけれど、護衛が来ちゃうから落ち着いて……っ」
「んーんーっ!」
「マーリカっ」
「んー……だ、れっ……で、殿下?」
前屈みにマーリカを真上から見る空色の瞳と金髪が目に映って、マーリカはぴたりと動きを止めた。
「おはよう、マーリカ。驚くにしても令嬢らしからぬ声と反応だ」
「ひ、人が寝ている隙に、な、なにを」
「なにかいい匂いするなあと思って、つい。オレンジの白い花の香油?」
すんっ、とマーリカのこめかみ付近で鼻をひくつかせたフリードリヒに、マーリカはその腹部を掛布越しに右足で蹴り上げる。
――令嬢を嗅ぐな!!
掛布が邪魔をして、大した威力にはならないが威嚇にはなったようである。
マーリカから離れて、寝台側の椅子に腰掛けたフリードリヒに彼女は、まったく休暇中でもそれは立派な破廉恥事案だとひとしきりお説教したのだった。
「わかりましたか?」
「わかった。反省しました。謝るからっ……王子をゴミを見るような目で見ない!」
まったくもうとフリードリヒは頬を膨らませたが、そうしたいのはこちらのほうだと横になったままマーリカは思いながら、彼の衣服に目に留めた。
金の飾り紐をしゃらしゃらと垂らした斜め掛けの白絹のマントに、やはり白地に金糸で細かく刺繍をされた上着に鮮やかなブルーのサッシュを斜め掛けにしている。
「王宮に?」
「うん、夜会でね」
「ああそういえば年越しですね……ん? だとするとお戻りには早すぎるかと」
「むしろ遅すぎるくらいだよ。もっと早く抜けたかったのだから」
「殿下……この一年の労いですよ」
「父上と母上、兄夫婦と、今年はアルブレヒトまでいるのだよ。私が抜けたところで問題ない。一通り挨拶もして義務は果たした。一仕事もしたし」
このフリードリヒの言葉は鵜呑みにしていいものだろうかと、マーリカは迷う。社交の場に出ていないからよくわからない。
王族の社交については、秘書官として予定は知っていてもその中身は範疇外だ。
「問題あっても、もうここにいる時点でマーリカが悩んでも無駄なことだよ」
「殿下」
「本当に、最初に一通り挨拶だけしたらあとは騒ぎたいだけの会だから……さっぱりした? お湯に浸した布では十分ではなかっただろうしね」
マーリカの頭に手を伸ばし、まるで従兄や再従兄のように撫でてきたフリードリヒに言った側からとマーリカは顔を顰めたけれど、年の近い妹がいたらこうするのだろうなといった彼の様子に、彼女は嘆息した。
「……まだその酔狂は継続中ですか」
「ん?」
「わたしを“甘やかしたい欲”とやらの」
「まあね。マーリカ、執務以外は私に甘いよねえ。ぶつくさ文句言いながらもこうして付き合ってくれるし、案外すんなり順応してしまっているし」
「抵抗しても、体力消耗するだけですので」
「ふうん」
ひとしきり撫でて満足したらしい。マーリカから手を膝下に戻すとフリードリヒは嵌めていた手袋を外してサイドテーブルへ放りなげた。
それだけのことなのに、顔の良さで妙に艶っぽい仕草に見えてしまって、少しばかりマーリカはどきりとする。
フリードリヒの酔狂のおかげで、近頃なんだか親密な距離感になっている気もするし、それに夕食後に湯殿での侍女達との会話もある。
他人目線でどう見えるか、一度意識してしまうとマーリカだって年頃の女性だ。療養で、面白半分で世話を焼かれているとわかっていても少しは気になる。
「あまりこのような誤解が生じそうなことは……」
「このような誤解って?」
「……殿下が」
「私が?」
(わたしを離宮に囲っているようなとは、流石に言えない!)
「いいです……なんでもありません」
「そんな顔には見えないけどね」
そうでしょうねと、マーリカは心の中で毒づく。
いまの自分はさぞかし不服そうな、不機嫌な表情をしていることだろう。
いつも微笑みを絶やさない、令嬢にはあるまじき表情であるのは確かだ。
「殿下に、伯爵令嬢として大人しく療養するよう命令されましたが、殿下がいらっしゃる以上そういうわけにはとてもいきません」
「そう? 仕事から遠ざかっているからか、近頃、そうでもないよ」
するりと、洗ったばかりの髪の一筋を人差し指に掬うようにしてフリードリヒに軽く持ち上げられ、彼の指先で弄ばれる。
だから言った側からとマーリカは彼を睨みつけるけれど、同時になんだか胸の奥がざわざわするようで落ち着かない。寝具の中に潜り込みたいのを抑えるように頬を右手で撫でる。
「抵抗しても、体力消耗するだけなんて言うなら、大人しく付き合ってよ」
「いつまで」
「当分、続くだろうね。結い上げてた時は硬質そうに見えたけど、思ったより細くて柔らかい毛だ」
「毛って……人を馬かなにかのように」
「絡まないように編んであげよう」
「は?」
「王子の私が、編んであげようと言っているのだよ」
「ぐっ……」
なにを勝ち誇ったような顔でとマーリカは思ったものの、フリードリヒ自身がそういうように彼は王子だ。
(だから破廉恥事案……ていうか、執務に戻ったらシメる!)
「またそういう、物騒な目で私を睨んで……これでも、シャルロッテに好評なんだよ。コテなんかもなかなか上手く巻けるのだから」
「王子がなに王女の侍女の仕事を奪ってるんですか。ご自分の仕事をしてください」
「兄と妹の微笑ましい交流と言って欲しいね。案外会う時間がないのだから」
「それはまあ」
王族付秘書官だけに、一般的な貴族の家族と比べてもずっと親兄弟と過ごす時間が少ないことはマーリカも知っている。
観念して、マーリカは起き上がるとフリードリヒに斜めに背を向けた。
そっと後頭部から腰まで届く髪を梳くように撫でるフリードリヒの指先を感じてマーリカは小さく身震いしてしまう。
これは……どう言い訳をつけても、結構親密な行為なのではないだろうか。
(髪を結い上げずまだ下ろしている年頃なら、おにい様達にもこういうのされたものだけれど。シャルロッテ様の話もあったし、その延長気分なのだろうけど……でもっ)
気にするなと胸の内で唱えても、顔は熱くなってくる。
それがまたなんだかフリードリヒを意識しているようで、ますますどうしようもない。
マーリカはそんななのに、フリードリヒの方はといえば、まったくの手仕事でせっせと指を動かし、いく筋かの束に分けたマーリカの髪を編んでいる。
それに気がついて彼女は少しばかり妙な緊張が溶けた。
(ご自分で仰るだけあって……上手い)
「……お上手ですね」
「でしょう」
「やはりこういったことは、ご令嬢相手にし慣れているのですか?」
なんの気なしについそう言ってしまってから、ん? と、マーリカは自分が口にした質問に違和感を覚えて、フリードリヒが右肩に髪を寄せるのに合わせて首を傾げた。
斜め後ろでフリードリヒが妙に乾いた苦笑を漏らすのが聞こえ、ますますその思いは強くなる。
(あれ、わたし。なにか……あまりよろしくないことを言ってしまったような気がする)
「あのねえ、マーリカ」
「はい」
「私は王子だよ。そんな迂闊なこと出来ると思う?」
こうして編んだり結ったりするということは、服から髪型から完璧に装っている令嬢のそれを解いているということで、マーリカ自身が感冒でフリードリヒを遠ざけたように、病人を見舞うこともないと噛んで含めるように教えられて、マーリカは固まった。
それはそうだ。そんな王家の血筋をばら撒くようなことするはずがない。
「なんていうか、本当にそのあたり上手く隠して甘やかされていたのだねえ。あの従兄だか再従兄だかに」
「あの……」
「動かない! ああ、留めるものを考えてなかったな……まあこれで」
マーリカの背後でごそごそとなにかしている音が聞こえて、彼女の髪を編んだ先に金糸を組んだ細い飾り紐が結び付けられた。
マーリカの艶のある黒髪に金色はよく映えていたが、なにぶん療養中の夜着に近い簡素なワンピースだから、その豪奢の色はかなりちぐはぐである。
「次は、リボンでも持ってこよう」
次があるのか……と若干虚空を見つめそうになって、「こっちを向いて」とフリードリヒに命じるように囁かれてマーリカはつい従ってしまう。
うんと満足気にフリードリヒは頷いた。なにを考えているのかマーリカにはさっぱりわからないけれど……ご機嫌麗しそうだ。
「なにから話そうか、マーリカの髪を編みながら考えていたのだけどね」
掴みどころのない調子と表情でそう言って、うーんとフリードリヒは唸った。
なんとなくその言葉には不穏な響きがあると、マーリカは彼の目を見る。
「なにか?」
「まあ、はっきり決まったことから話すのがいいのだろうね。来月末でマーリカは第二王子付秘書官は解任になる」
唐突に来たと、マーリカは目を見開いた。
ただそれは、半ばそうなるだろうと考えていたことではあったので、突然告げられた衝撃が去った後は、本当にこの方は……といった呆れしか残らない。
「そう、ですか」
「意外と間があるといった表情だ」
「面倒はもっと早くに避けようとするものかと……弱小でも貴族の令嬢ですから」
「そういえば、次のアテがあるのだっけ?」
休暇前に交わした会話のことだなと思いながら、マーリカは首を軽く振った。
フリードリヒに秘書官を解任されても、他からの引き合いがあるといった話をした。だがそれは休暇前の話だ。
フリードリヒの秘書官だけに、これだけ休んで仕事に穴を開けているのは隠しようもない。いくら休暇扱いでも、以前の話はなかったことになっているだろう。
「もう無いと思います」
丁度、そのことをフリードリヒに相談しようかとマーリカも考えていたところだった。
厚かましいと思われるだろうけれど、フリードリヒはなんとなく話は聞いてくれそうに思う。
「あの殿か――」
「一つ質問なのだけれど」
マーリカの言葉を遮ったフリードリヒに、彼女は少々驚いて瞬きした。
「マーリカは文官でいたい? 私の臣下でいたい?」
「は?」
(質問の意味がわからない)
そんなのどちらも同じ事だ。フリードリヒは文官組織の長なのだから文官でいる以上、フリードリヒの臣下である。
「“どちらも同じ事では?”って心の声が聞こえるようだ、マーリカ」
「ええ。仰る通りですから」
「あー、じゃあ。兄上と私なら?」
「わたしは武官ではありません」
「武官組織だって事務官いるでしょう」
「おりますが、最低限の武官の訓練と知識は必要です。でなければ武具の管理もできません。ご存じでしょう」
「あ、そうなの」
(どこまで不勉強なのか……知らないというより忘れているのだろうけど)
「殿下……」
「あっ、いや知ってる、いま思い出した! そんな気がする! あーじゃあっ、私とアルブレヒト!」
もう答える気もしない。第三王子のアルブレヒトはフリードリヒの補佐である。彼に仕えるのなら必然的にフリードリヒに仕えることになる。
最初の質問と変わらない。マーリカは嘆息した。
こういった突飛なよくわからないことを言い出して、彼が言葉を重ねる時は、考えなしでのことではない。
「まずご質問の意図を。元の質問はなにか区別があるのですか?」
「君は、本当に律儀に私の考えを確認してくるよねえ」
「でなければ殿下にお応えできません」
「大半切り捨ててると思うのだけどね……」
「そうですか?」
清々しいまでにばっさりととフリードリヒは呟いて、しばらく黙考するように目を閉じた。そうしていると大変に深淵なことを考えている賢しい王子のように見えるけれど、考えはあっても単純明快なことであることが多いのもマーリカは知っている。
「んー、私の側を離れてもいいかって話」
「は?」
「ほら、王族付きや私の側近や余程偉い立場でないかぎり、私と接点なんてないからさ。そういった仕事でもいいのか、どうか」
「構いませんが?」
即答も即答。一片の迷いも曇りもなく即答すれば、右肩に手を置いてフリードリヒが寄りかかるように項垂れてきた。
一応、左手と左足を痛めているのですがとマーリカが言えばわかってると返事をしただけで変化はない。わかっていない。
「そこまできっぱり言うかな。この一年何ヶ月か一緒にいてなにかない?」
「ですから、殿下の管轄組織なのです。側にいようといまいと同じことでしょう。あまり文官を振り回すようなことをされたら……また進言しに行くでしょうし」
「マーリカ、あれは進言じゃないよね? いきなり執務室に押し入って説教しながら平手で叩くのは進言とは言わないと思うのだよ。私の近衛に取り押さえられたの覚えてる?」
「ええ、ですが近衛班長殿とはもう知らない間柄でもないですし、殿下も事情くらい聞いてくださるでしょう」
(いやもうむしろ絶対聞かせる)
マーリカは、項垂れていた頭は上げたが、相変わらず人に寄りかかっているフリードリヒを胡乱そうに見据える。
そんなマーリカに、“その一回ヤッたら二回目三回目も同じみたいな目をするのは止めよう。それは危険思想だ”とフリードリヒは訴えたが、知ったことかと彼女は思う。
(この人は、何度でも言わないと懲りないし。気をつけていないとすぐなにかやらかすし……後任の人にしっかり引き継いでおかなくては)
「……マーリカ。まあでもそうか、たしかに」
「殿下?」
「そもそもマーリカは私がどうの以前に、勝手に私のところに来たのだった」
「は?」
「で、どこにいようと物申したければ来ると?」
「なにか微妙に引っかかる物言いではあり、そうならないようにしていただきたいものですが、そうですね」
「だったら私の側に仕えていた方が早くて効率的では?」
「え、ええ……まあ、それは」
けれど秘書官は解任なのではと、マーリカは首を傾げる。
「こちらの都合で解任するわけだから、新しい仕事は用意すべきと思ってね」
フリードリヒの言葉に、そんなことを考えての質問だったのかとようやくマーリカはぐるぐると巡るような問答の不可解から抜け出せた。
それならそう言ってくれればと、まだ彼女の右肩から手を離さないフリードリヒの淡い色が綺麗な金髪とつやつやした白絹のマントを見る。
「長く適任が見つからずにいた仕事があって……私が推せばマーリカは間違いなくその地位に就くと思う」
正直、王宮勤めを辞めずに済むのならなんでもいいけれど、なにか勿体ぶるような言い方が気になる。しかも長く適任が見つからずにいたとは。
いまより酷い仕事はそうはないとマーリカは思うものの、相手がフリードリヒだけに受けるにしても一応心構えとして確認はしておこうと彼女は尋ねた。
「それは一体どのような?」
「私の側で公務を支え、私がよろしくないようなら諌め、場合により執務を代行する権限があり、また独自の裁量も多少ある。こういってはなんだけど結構重責ではあると思うよ」
「はあ、殿下の公務を支え、殿下を諌め、執務を代行し、独自の裁量も多少ある……結構重責……」
フリードリヒの言葉を繰り返し、マーリカはその仕事に考え巡らせて思った。
(いまとさして変わりないのでは?)
「秘書官、ではないのですよね?」
「違うね。代行権限がある。あと式典参加とか王家の催しなんかにも関わる」
「なるほど」
(式典や催し……たしかにそちらはそれほどではあるけれど、裏方は大体わかっている。代行権限がなかなか重いけれど……いまの“秘書が勝手にやりました”な状態を思ったら、まだ責任所在もはっきりしているだけ気が楽というかマシかも)
「それは私でもよろしいのでしょうか?」
「よろしいもなにも、秘書官としての実績もあるし、私に仕事させる点でマーリカの優秀さは既に皆が認めるところだろうね」
「それは過分なお言葉ですが。そのような立場をいただけるなら……」
マーリカが受ける返事をしかけたところで、ああっもう一つとフリードリヒは声を上げた。マーリカは訝しみながらもなんでしょうと彼を促す。
「これでも一応、第二王子なのだよ私は」
「そうですね」
「受けるのはいいけど、第二王子を動かしておいて後で無しは聞かないよ?」
「それは勿論」
「この仕事は、一度就いたら一生退くことはまずできない」
一生……それは確かに重責というだけはある。
それから、そんな重大事項は先に言えとマーリカはフリードリヒを軽く睨んだ。
少し慎重に考えた方がいいのかもしれない……と、口元に手をあてて考えたマーリカは右肩の後ろから不意にかかった力に押されて、鼻先をすべすべしたものにぶつける。
急になんだと反射的に閉じた目を開ければ、しゃらしゃらとぶら下がっている細い飾り紐が目の前で揺れていた。
「え……」
「マーリカ」
低く掠れた、なんだか震えがくるような声音で囁かれて、フリードリヒに右肩から抱き寄せられている状態なのにマーリカは気がつく。
「それからね。受けるのはいいけれど、そしたらもう私の目の届く範囲から出してあげない」
(うん、慎重に考えよう。これはただの仕事ではない)
フリードリヒの甘い囁きから、精神を防御するようにマーリカは脳裏でそう呟いて、彼の言葉を整理するように反芻する。
一度就いたら一生退くことはまずできなくて、さらにはフリードリヒの目の届く範囲から出してはもらえない。
フリードリヒの公務を支え、彼を諌め、その執務を代行し、独自の裁量も多少あって……結構重責。彼の臣下でもある。
(ん? それって……)
ゆっくりとマーリカはフリードリヒを仰ぎ見る。
マーリカがそうするのを待っていたみたいに、目が合った。
冗談や酔狂ではなさそうな、少しマーリカを探るような眼差しになんとも形容し難い気分になる。
接している箇所から伝わってくる、彼の温かみが不快ではないことも、そのもやもやとした気分に拍車をかける。
そう望まれていると知れば、なんとなく色々と思い当たることもないこともない……マーリカが鈍いのか、フリードリヒが分かりにくいのか、おそらく両方なのだろうと彼女は思った。
自分が推せば間違いなくその地位にマーリカは就くとフリードリヒは言った。ということは止めているのは彼であり、周囲はおそらく固まっている。
(そういうところが本当にずるいというか、悪い気がしないというか、憎めないというか。絶対ちょっと特殊性癖で性格的にもアレなのは、この離宮にいる間で十分わかっているのに……)
慎重に考えても結局同じ結論を選んでしまうだろう自分が、最もマーリカとしては腹立たしい。
なによりフリードリヒが伝えてきた条件が、いまと大して変わらなさすぎる。
「殿下……あと一つと言いながら三つほど言っているのは見逃すとして、わたしも一つお聞きしますが」
「なに?」
「この仕事は一生退くことはできない。それと殿下の目の届く範囲から出してはもらえない。殿下は一生わたしに叱られる人生でよいと?」
「え……あー、うん」
「慎重にお考えになるのがいいと思いますよ。なにしろ重責ということです、いまより容赦なくでしょうから」
そうだろうねえといった呟きと共に、空色の瞳が降りてくる。
なにが可笑しいのか、くすりと笑んだ吐息がマーリカの頬をくすぐった。
「それが第二王子妃の主な仕事になるだろうから、まあ甘んじて受け入れるよ」
だから受けてよと、言葉を続けた唇は。
意外と硬くて冷たい唇なのだなと、マーリカは思った。






