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15.年越しの夜会で

 オトマルク王国、王都リントン。

 その日、街を見下ろす高台に立つ王城は、夕暮れ時であるにもかかわらずきらきら輝いていた。

 年越しといえば夜会である。

 社交シーズンではないものの、王都住まいの貴族達は王宮に集まり、仕事を納めた仕える者達も彼らの集まりの場で一年を労い楽しむのだった。

 休暇中とあっても、そこは王族。

 フリードリヒも仕方なく夜会に顔を出していた。

 家臣を労い、年越しの挨拶を交わすのは務めでなくて義務である。

 

「フリードリヒ殿下」


 ほんの少しばかり威厳を忍ばせる、淑やかでゆったりした抑揚の声音にフリードリヒは振り向く。

 彼が振り向いた先で、薄い紫色の瞳の目をにこやかに細めた令嬢がお手本のような淑女の礼を彼に見せた。


「今宵もご機嫌麗し……そうではありませんわね」

「まあね。ああそうだ、婚約おめでとう」


 オトマルク王国の五大公爵家が一つ、メクレンブルク家の令嬢。

 クリスティーネ・フォン・メクレンブルク嬢。

 家柄、資質、容貌、その立ち居振る舞いにおいて第二王子妃候補として申し分ないとされる令嬢だった。

 だったというのは、様々な方面を操るようにして候補から外れたからで、つい最近、とある辺境伯の跡取りとの婚約が公示されたばかりである。


「さしずめ今夜の主役だろうね。君が本気なのは知っていたけれど」

「宰相家として、隣国との縁が深い辺境伯領を押さえておこうと判断したのは王国の為です。わたくしも貴族の娘として父の意を汲んだまでですわ。殿下とのご縁が遠ざかるのは寂しいことではありますけれど」

「よく言うよ。王家を振り切っても皆納得だ。感嘆に値する」

「あら、殿下がそんな嫌味を仰るなんて、わたくし少しは自惚れてもよろしいのかしら」

「必要ならどうぞ。君の意志は大いに尊重したかったし、祝福する」


 一介の護衛騎士だった恋人を、よくぞ辺境伯家の跡取りにまで押し上げたものである。その執念は少々怖い。はっきり言って令嬢の手腕ではない。


(自分の恋が成就しないなら王妃にでもならないと割に合わない、なんて考えそうだから、上手くいってよかったよねえ……本当)


 正直、良き友人以上のお付き合いはしたくない。

 兄弟で争うのも、ましてや王位につくのもフリードリヒは絶対ご免である。


「人の事より……」


 ばさっと白蝶貝の扇を広げて、クリスティーネはフリードリヒに囁いた。


「殿下、離宮にエスター=テッヘン嬢を囲って引きこもっていらっしゃるとか。もっと攻めるべきとは申しましたが、余りに性急では? 王家ならなんとでもなるとはいえ、流石に合意は取っておきませんと……」

「君さあ……公爵令嬢として実に正しく、心が真っ黒というか。それに危ういところに踏み込んでもいる」


 マーリカの件では、兄である王太子直属の諜報部隊が情報操作に動いている。

 事故の件が噂になって、条約締結国との間に妙な空気が生じても困るため、全て王家の内々で処理しているのだ。

 宰相の父親は知っていても、娘に漏らすとは考えにくい。

 こちらから打ち明けない以上、それは知り得ない情報で噂である。

 良き友人ではある令嬢に、フリードリヒは一応忠告はしておくことにした。

 

「折角、幸せを掴み取ったのだから満喫したほうがいいよ」

「……まるで、“腹黒王子”そのものですこと」

「どうしてそんなこと言われちゃうのかさっぱりなんだよねえ。マーリカは休暇中。いまは伯爵令嬢としてゆっくりしてる。休暇いいなあと思って」


 フリードリヒがしみじみとそう言えば、扇で顔半分を隠したクリスティーネはほんのわずかに眉根を寄せた。


「アルブレヒトも補佐についたことだし。私も隠居先第一候補の離宮でのんびりしてもいいかあって。まあ三日に一度は仕事する約束なんだけどね」


 フリードリヒを見るクリスティーネの眼差しが一瞬探るようなものになったのには気がついたけれど、彼にとってはそれが真実その通りなので、平然と受け流す。ますます、夜会の場を出て離宮に帰りたくなった。

 眠っているマーリカを眺めたり、頬をそっと突いてみたりしている方がずっといい。そんなフリードリヒの、心底からのやる気のなさが伝わったのだろう。


「そうですか。では離宮でごゆるりと良いお年をお迎えくださいませ」


 にっこりと美しい微笑みでクリスティーネは、夜会に来ている人々の群れの中心へと去っていった。これ以上、フリードリヒとの会話に利はないと判断したのだろう。やれやれと彼は息を吐く。


(まあ、彼女がああなら貴族の間で噂が回ることはないかな……たぶん)


 クリスティーネは、その突き抜けた腹黒さゆえに信頼のおける令嬢ではある。

 また上位貴族令嬢達の親玉のような立ち位置なので、彼女が白といえば、どんなに黒い噂も白にもなる。 


(彼女にも挨拶したし、もういいかなあ……いいよね。あとは兄上やアルブレヒトが上手いことしてくれるだろうし)


 そっと夜会を抜け出そうとして、フリードリヒは、「殿下」と年老いた固い声に今度は捕まった。うんざりとした表情を隠さずに声の方向を見れば法務大臣だった。


「お話が……」


 そう深刻そうに言われると、彼に従うしかない。子供の頃から孫のように可愛がられているし、なにかと融通も利くし便宜も図ってくれる。

 フリードリヒは愚かではないので、やる気がないことを回避したり、興味関心を持っていることにはそこそこ有能である。

 執着しているものについてなら尚更。

 たぶんマーリカに関わることだろうなあと、法務大臣の顔をみてフリードリヒは読み取った。上にも下にも兄弟がいる彼は相手の思うところを読むのはそこそこ得意である。ただ、それが役立ったことはない。役立てる気もない。


「かように遅く、このような日に申し訳ございませんが」

「いいよ。でも一応休暇だから。手短に」

「承知しております」


 案内された一室には大臣達が集まっていた。こんな年の瀬ぎりぎりまで仕事熱心だなと思いつつ、フリードリヒは案内された席を見下ろす。

 そこにペンやインクと共に用意されていた書類に、夜会向けの手袋を嵌めた手で触れる。


「マーリカ・エリーザベト・ヘンリエッテ・ルドヴィカ・レオポルディーネ・フォン・エスター=テッヘン」


 書類に記された名前をよく通る声でフリードリヒは読み上げる。

 彼の署名を待つばかりな秘書官解任の書類であった。


「やっぱりそうなる?」

「……流石に、かような危険な目に合わせては。今回内々で済ませられているのも、無事であったからで……」

「だよねえ」


 緊張感のない返答に困惑を浮かべる大臣達とは対照的に、議長席に座ったフリードリヒは澄んだ空色の瞳の目を微笑むように細めた。

 その様子だけを見れば、高貴で穏やかな、懐の深い威厳すら感じさせる美貌の王子である。


 フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。


 言わずと知れたこの国の第二王子。

 深謀遠慮を要求される王国の文官組織を管轄する、なにかと現場を振り回す考えなしな発言と執務へのやる気のなさが評判の“無能殿下”。

 そしてこんな年越しの夜にまで、彼等はフリードリヒに振り回されている。


「恐れながら殿下。エスター=テッヘン家は、我がオトマルク王国前身の小国から続く伯爵家です」

「資産もあまりなければ、王宮とも疎遠な弱小伯爵家だよね?」

「はい。しかしながら、その血縁関係を辿っていけば、遠く細いとはいえ周辺諸国の様々な王侯貴族の家と繋がります。その歴史と血縁関係は蔑ろにできるものではありません」

「すごいよね、由緒正しいよね」


 ほぼ同じやりとりを、もう随分と前にした気がする。

 去年の秋口だったかなとフリードリヒは思った。


「殿下、優秀ではありますが、あのうら若き令嬢がまさか“オトマルクの黒い宝石”などと名を響かせる……それほどまでとは、我々も考えてはいなかったのです……」

「いくら優秀でも秘書官としてはこれ以上……次なにか起きる前に」

「殿下とて、かの令嬢を危険に晒すのは不本意かと存じますが?」

「別に不本意ではないよ」

「え?」


 フリードリヒを承知させようとする法務大臣の言葉に対し、どうしてそう思うのと不思議そうな表情でのフリードリヒの返しに、法務大臣の口から素の声が漏れた。


「彼女は王家に仕えし者だよ。その務めで危険な目にあったらってなに?」

「殿下……?」

「まあ辞めたいって言われたんだけどね。それが、死にかけたからじゃなくて務めが果たせないからなんだって……いじらしいよね」

「はあ」

「そんなこと言われたら、仮にヒビじゃなく足が潰れてても利き腕失くしてても、“大丈夫、必要だ”って側に置き続けたくなってしまうよ。マーリカの性格を考えたら壊れてしまうかもだけど。それでもきっといるのだろうなあって思うとさぁ……ふふっ」

「なんということを、殿下っ!」


 法務大臣だけでなく、その場にいた二、三人から咎めるような戦慄するような声が上がって、フリードリヒは目を(しばた)かせた。

 別にマーリカに辛い思いをさせたいわけではない。ただそうだろうなあと想像したら、少しばかりうっとりした愉悦も覚えて微笑んでしまっただけなのに、なにかよろしくなかったようだ。


(あー、最近なかったけれど、これはやってしまったかな?)


 幼い頃はこういったことがよくあった。

 自分のなにが、周囲のそんな反応を引き出してしまうのか、フリードリヒにはわからない。でもたぶん、王族としてあまりよろしくないことなのだろうなあくらいの自覚はある。

 公務にやる気が出ないのも、うっかりやらかしたら大変そうだし、幸い王宮に人は沢山いる。

 絶対にフリードリヒでなければいけないことは、それほど多くない。できたらそれも任せられたら楽だけれど。


「まあいいや。君たちときたら、こんなどさくさに紛れるように……老害って言われちゃうよ?」

「い……いえ、それは……殿下が……」

「なに?」

「その、殿下がお望みなのでは……秘書官ではなく、王子妃であれば身辺もお護りできます」


 あのねえ、と。フリードリヒはテーブルの上に置いた手を滑らせて、秘書官の解任書類のその下に重ねてあった複数の書類を、カードを机に広げるように並べた。

 

「メクレンブルグ公爵家の推挙状。アルブレヒトの推薦書類。クリスティアン侯爵って、これ兄上でしょ? 強要事案(パワハラ)すれすれじゃない? あ、君たちも連名書類作ったんだねえ」

「付け加えるならば、元候補令嬢の方々も一様に」

「まあ、こっちの書類はいいけどね」


 フリードリヒはペンを取ると、秘書官解任の書類にさらさらと署名した。

 今後似たような恨みを買ったり、フリードリヒが邪魔に思う存在が出てきた時に手っ取り早く最初に狙われるのはマーリカなのは間違いない。

 それは困る。アルブレヒトに言われるまでもなく、フリードリヒはいまや彼女がいないと色々とだめなのだ。それはマーリカ本人にもそう言っている。


「でも、こっちはねえ……まあ、こちらの都合で解任する以上、新しい職は用意してあげないといけないけどさ」


 暢気そうに頬杖をついたフリードリヒを、その場にいる全員が注視し、また困惑もしていた。

 誰がどう見ても、誰の話をどう聞いても、マーリカに執着し、側に一生置きたいと考えているのは彼ではないのか。

 そんな思いが喉の半分まで出かかっていて、誰もが言えずに沈黙していた。


「一旦、保留で」

「は……あの、殿下……?」

「こんな年の瀬まで皆ご苦労様。良いお年を」


 すっと立ち上がって、誰もが唖然とする中、フリードリヒは部屋を出る。

 そのまま王宮を出て、離宮へと帰る。

 

「忖度っていうの? あれこれと手を回して応援してくれるのはいいけどさ、マーリカ本人をそっちのけにするのはねえ」


 まだ彼女の上官としては認められないよねと、乗り込んだ馬車の中でフリードリヒは肩をすくめた。

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