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14.今度こそわたしの文官人生終わりなのでは

 終わった――。

 今度こそわたしの文官人生終わりなのでは……?


 介護の侍女にハーブ入りの石鹸水で髪を洗ってもらい、香油で頭皮をマッサージされながらマーリカは胸の内で呟いた。

 救助されたマーリカがこの離宮に運ばれて、早くも十四日が過ぎた。

 驚いたことに、今日で今年も最後の一日だそうで。

 熱もすっかり下がり、どろどろの雑穀粥は卵やスープへ、通常の食事へと戻りつつある。

 食事量に比例して起き上がって苦にならない時間も長くなり、湯を使っても大丈夫だろうと医官の許可が下りて、マーリカは湯殿に介護の侍女二人に車椅子に乗せられ連れてこられたのだった。

 寝ている間も湯に浸した布で清拭されたり、髪や地肌も拭われて薄く香油を塗った櫛で丹念に梳いてもらったりしていたけれど、やはり湯や石鹸を使ってさっぱりするのとは雲泥の差だ。

 離宮とはいえ、流石王家の持ち物。湯殿は広く作りも凝っている。おそらく古代のテルマエを模したのだろう。温水と冷水の浴槽があり湯殿全体は蒸気風呂のようになっていて体は冷えず湯あたりしないように作られている。

 石棺のような大理石を貼った台の上にマーリカは袖なしの麻の薄い湯浴み用のワンピース一枚で寝そべっているけれど、床下に蒸気か湯沸かしの熱気を通しているのか、石造りの台そのものもじんわりと温かくて心地良い。

 

(温泉保養地の施設にこれあったらいいかも。後でだれかに構造を聞いてお父様に書き送ろうかしら……って、そんな暢気なこと考えてる場合ではなくて!)


 順調に回復する中、マーリカは突然はたと気がついたのだ。

 いくら王太子殿下のお気遣いで、王家所有の離宮に、高熱が下がって医官の見立てた約一ヶ月の療養期間を休暇扱いとされ、こうして優雅に養生するのを許されているとしても。

 文官組織に属する上級文官としての評価は別であるということに。

 そういった事へ頭が働くだけ回復してきたのは喜ばしいけれど、正直気がつきたくはなかった。


(それに弱小とはいえ、伯爵令嬢といった身分の貴族女性であることを考えたら……。殿下が保留と言っても、こんな事故に巻き込まれたこと自体よろしくないと王宮の大臣達は考えるのでは?)


 そもそもがフリードリヒに不敬を働いた懲罰枠といった、よくわからない処置による第二王子付筆頭秘書官への抜擢である。

 これ以上、面倒事は避けたいのが大臣達の本音ではあるまいか。

 だとしたらマーリカが務めがどうのと考えるまでもなく、すでに解任が議論されているのではないだろうか。


(休暇前なら、解任されても他に受け入れてくれそうな部署はあったけれど、丸一ヶ月半も仕事に穴を開ける文官なんて。もはや行く当てなどないに決まってる!)

 

「……どうしよう」

「なにかお悩みですか? マーリカ様」

「いえ、その……。あの、こんな年の瀬まで、こんなことさせているの申し訳なくて」


 仕事から離れている時間が長過ぎて、なんとなく医官や侍女の人達には令嬢言葉になってしまっているマーリカはそう言った。

 

「まあ、とんでもないことですわ。私達は王立療養院勤めですもの世間の休暇とは無縁です」


 意外な返答にマーリカは目をぱちぱちと(しばた)かせた。

 仰向けに香油を薄く髪に伸ばし、念入りに布で水分を拭ってくれている茶色の髪を小さく結い上げている侍女を眺める。


「それにこう言ってはですが、こんなに優雅でのんびりした仕事はなかなかないですもの」

「そうですわ。こんなにお美しいお嬢様のお世話が出来るなんて、療養院の同僚に自慢したいわねーって話してるくらいなんです! ねっ、エルマさん」

「こら、マリー。失礼よ!」


 ちなみに頭だけでなく、手足も薄く香油を伸ばして解されている。

 骨にヒビが入っている左脚は避けているが、ほぼ寝たままでいたのでかなり気持ち良い。

 マリーと呼ばれて注意を受けた少し年の若い侍女がその担当だ。

 四六時中、交代でマーリカの世話をしてくれている、このエルマとマリーの二人は結構打ち解けて話をする相手になりつつある。

 

「本当、マーリカ様ってお顔だけでなくお体も。すらっと長い手足に腰なんか両手で掴めそうなほど細くて、同じ女として羨ましい!」


 右手の指先まで解しながら、マリーが言った言葉に、えっとマーリカは戸惑う。


(そんな女性として羨ましいなんていうものではないと思うのだけれど)


 社交の場には出てないものの、エスター=テッヘンの美人姉妹の残りなんて言われているくらいは知っている。

 柔らかな雰囲気で淑やかな母親似の姉二人と自分は違う。

 顔形は整っている方だとは思うものの、令嬢としての愛らしさは皆無と言っていいし、美女と評価されるには愛想や艶っぽさに欠ける。

 仕事で男装するには都合がよいけれど、殿方が求めるようなふかふかした肉感にも欠ける。

 フリードリヒの背が高いから並んで支障がないだけで、背丈も令嬢としては高すぎる。ヒールを履くドレス姿では、夜会に出てもまずダンスにも誘われはしないだろう。


「あら、どうされました?」

「いえ。伯爵令嬢といっても、社交の場にも出ていないような身には過分な褒め言葉だったものですから……」

「あれほど第二王子殿下に大切にされていますのに!?」

「は?」


 比較的、礼儀を重んじてマーリカに接しているエルマが張り上げた声に驚いて、いやそれは違うと思う前に、更にマリーがそうですわっと湯殿にやや高めの声を響かせる。


「毎日のようにマーリカ様をお慰めにお部屋にいらして! あんなのご夫婦だってそうは見ませんよ!」

「いえ、あの無……で、殿下はなんて言いますか物珍しいものがお好き……いや違う」

「マーリカ様?」


 なにか大いなる誤解をしていそうな二人に説明しようとして、言葉に迷ってマーリカは少しばかりしどろもどろになってしまった。

 王宮から手配されている侍女にしては、病人を世話し慣れていると思っていたら王立療養院で働く看護人なら納得だ。

 とすれば、平民で一般人である。

 

(一般の方に、第二王子が独特のアレな感性の持ち主で、少しばかり特殊性癖の気もありそうだなんて知られて広まったら、王家の名誉に関わる!)


「ええと……日頃、家臣として振る舞うわたしとは様子が違うのを楽し……心配してくださっているだけで。情はある方ですのでっ!」

「……そう、なのですか?」

「えーそれはちょっと……」

「そうなのです!! 色々と誤解もされておりますが、あの方は王族と思えないほど天真爛漫で人の良い方なので!」


 これは嘘ではない。寧ろ天真爛漫なお人好し過ぎて時々訳がわからないために、他国からは底の読めない腹黒王子などと評されている。

 しかし、マーリカがそう言い切ったことで、なんだといった空気が二人の間に漂ったのを見て取るとマーリカはほっとため息を吐いた。

 貴族である以上は国や王家に忠節を捧げる身。そこは休暇でいまは文官ではないなどと言われていても関係ない。

 フリードリヒが休暇で王子の責務から解放されても、王族であることに変わりはないことと同じだ。


「わたしはそういった社交や結婚向けな令嬢とは違いますから。殿下もそれはご承知です」


 一般人なら、十中八九事情を知らされず、ただ世話だけを命じられているだけなはずだ。

 フリードリヒが部屋に来る時、彼女達を下がらせているのは事故や仕事に絡む話が出来ないからだろう。

 なにも事情を知らず、公務に著しくやる気のない王族であるフリードリヒの事を知らない人から見れば、たしかにフリードリヒがマーリカを離宮に囲っているように見えなくもないのかもしれない。

 念には念を入れておこうと、マーリカは更に言い添えた。


「わたしも一応年頃の令嬢ではありますから、秘書官として働いていて殿下に結婚を心配されたこともありますけれど」

「まあ」

「出来れば自活の道を模索したいのですと、考えをお話ししたら苦笑されたくらいですから」


 自分まで結婚したら、その支度の費用で家が破産しかねないのもあるけれど、およそ社交や結婚向けの令嬢ではないことも込みでマーリカは、一般的な貴族令嬢では有り得ない自活を模索している。


「貴族令嬢が働いて身を立てるというのは、そんなに悪いことかしら……」

「私達にとっては当たり前ですから、そうは思いませんけれど」

「お嬢様というのもそれはそれでご苦労があるのですね」


 終わりましたと最後にまたお湯に浸した布で全身拭われて、乾いた下着に着替えさせてもらい、湯殿の入口の小部屋で新しい寝巻きとストールを身につけてマーリカは部屋に戻る。

 寝台(ベッド)も離宮の使用人の手でシーツなど取り替えられて、すっかり綺麗に整えられていた。

 さっぱりした状態で新年を迎えられるのはありがたい。


「でも貴族のお嬢様は、結婚しなければいけないものではないのですか?」

「ええ、まあ……普通は」


 礼儀作法やなんとなくマーリカへの接し方から見て、エルマは比較的身分が高めかお金持ちな患者担当なのかもしれない。

 だとすればそんな疑問も持つだろうと、マーリカは答える。


「でしたら! どうしても結婚しなければいけないとしたら、マーリカ様はどんなお相手をお考えに?」


 身分に関わらず女子は恋の話が好きである。

 それはマーリカも文官組織にいる、平民登用の同僚女性達の会話を耳にして知っている。


「どうしても結婚しなければいけないなら……たぶん従兄弟か再従兄弟が候補になるかしら。年も近いし、幼い頃からよく知っていて親しいし、なにより親族達が勧めるでしょうから」

「マーリカ様のご親戚なら、きっと美男子でしょうね」

「ええ、おにい様方は美形で優秀。だから引く手も数多でしょうし……」


 それに彼等は自由を尊ぶ気質だ。

 小さな頃から可愛がって貰ってるだけに、売れ残りな自分を引き取って貰うのは気の毒だとマーリカは思う。


「それを親族だからと退けさせるのも気が引けますから。そうねぇ、貴族と縁付いて箔をつけたい商家の跡取りだとか、資力はあっても歴史的な重みはなく、軽んじられがちな新興貴族の子爵か男爵あたりかも?」


 それなら箔付けを餌に、結婚支度は相手持ちで交渉の余地もあると、これまた役人的な考えでマーリカは思う。


「そんなあ。マーリカ様のような方が勿体無いですっ」

「マリー! それくらいにっ」

「でも、エルマさんだってそう思いません?」


 それは……と困惑の表情を見せたエルマに、やはりこちらはある程度貴族がどういうものか知っているようだと、マーリカは気になさらずと微笑む。


「資力も権力もあまりない、古いだけの伯爵家三女ですから。嫁入り先としてはそのあたりが妥当です」

「でもマーリカ様と結婚すれば、その家に箔が付いて扱いが変わるほど、由緒ある伯爵家ということですよね。第二王子殿下のお側に付けるほどですもの」

「そう言えなくもないですけれど、上位の家からしたらなんでもないことですから」


(あらためて話すと、本当にエスター=テッヘン家(うち)って弱小伯爵家以外の何者でもない……伯爵家の者として王宮勤めに残りたいと主張してもちょっと無理かも。嫡男ならともかく女だし)


 どう考えても、年明け三週経った後、自分の文官としての先は絶望的だ。

 再従兄弟の伝手を頼るにしても、自分から解任してもらってなのと、王宮を追い出されて困ってではまるで違う。


(とりあえず、どんな末端仕事でもいいから文官として残ってまた成果を上げてからでなければ)


 あてに出来たものではないけれど、フリードリヒに相談してみようか……一応、上官なわけだしとマーリカは清潔な寝具に潜り込みながら考える。

 さっぱりしたけれど、久しぶりの入浴は少し疲れた。

 全身香油を使って解されたこともあってすぐに眠くなってくる。


(それに懲罰枠とはいえ大臣達に調整させて、わたしを秘書官にした人でもあるわけだし……)


 この一年と何ヶ月かで、面倒ながらもそれなりに構われるくらいにはフリードリヒに気に入られ、信頼も得ているとは思う。

 いつだったか、ずっと側にいて欲しいようなことを言われたことも。


(そういえば重宝な秘書官だからかとわたしが呆れたら、そうだけど違うって……聞かなかったけど違うってなにがだろう)


 マーリカの思考はそこまでだった。

 だから彼女が眠りに付いたすぐ後、彼女の部屋を訪れ、控えていた侍女達を下がらせた人物が洗ったばかりのさらさらとした髪に触れたことなど知らずにいた。


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