第四十九話「外骨格をずたずたに削り取られ、終わりのない渇きの責め苦に苛まれて、さらに代謝系をほぼ阻害されて――それでも女王は己の矜持にかけて、死の間際でも生にしがみついている」
「ひゃあああ、け、蹴散らして! 『熊の子ジョアン・ド・ウルス』!」
アイリーンの焦った声に呼応して、新たな英雄が召喚される。下半身が毛むくじゃらの大男が、斧を振り回して触手を切り落とす。それを油断なくユースティティアが焼く。切り落としただけではまだ触手に活力が残っているからだ。
ぎしり、とまた結界が軋む音。篠宮さんが歯を食いしばりつつ、額に汗を浮かべていた。
「Oṃ visphurād rakṣa vajra-pañjara hūṃ phaṭ……Oṃ sāra-sāra vajra-prakāra bandha bandha hūṃ phaṭ……杭持ち杭もつ金剛の金剛なる大地よ、縛り、縛りたまえ。急急如律令! 呪符・金剛縛り!」
真言詠唱。呪力を伴う祝詞。不吉な魔力の渦が、青白く光る守護結界の内側から荒れ狂う。
金剛結界の多重強化。触手から放たれる不規則で多方面な打撃と、キラーアントの女王の驚異的な物理攻撃にさらされながら、それでもまだ結界は機能している。
迷宮の守護者の二方面攻撃を受け止めるなんて無茶にもほどがあるが――『大楯のエル・デ・テレウス』の援助を受けながらも、それを篠宮さんは辛うじて維持していた。
状況は極めてまずい。今のままでは戦況は悪くなるばかりだ。
動揺のせいか詠唱がぼろぼろになっているターニャの補助魔術を受けつつ、俺は知恵を絞り出そうとしていた。
「だああッ、クソッ! さっさとくたばりやがれ、こん畜生が!」
どこからともなく戦鎚を取り出したナーシュカが、大振りでキラーアントの女王の側頭部をぶち抜いた。めきりと外骨格が割れる音。鉄の戦鎚がめり込んで、飛沫が飛び散る。
並の昆虫の魔物ならば絶命している一撃。
それでも、キラーアントの女王はまだ息絶えない。女王は強靭な顎で結界をかじって、ばきばきと破壊を続けている。
腕を引っ掻いてナーシュカが吠えた。
「投影――**:eṭ(刃先)!」
血が紋様に変換され、無数の刃物がキラーアントの女王に突き刺さった。刻印魔術。生まれつき全身が入れ墨だらけだったナーシュカの、固有魔術である。
入れ墨を物体に、物体を入れ墨に変換する人ならざる掟。
キラーアントの女王の顔面を串刺しにしたナーシュカは、しかし、盛大な舌打ちと同時に後ろに飛び跳ねた。ほぼ同時に女王が頭を振り回す。ターニャの召喚した精霊たちが後を追うように、キラーアントの女王の顔へと五月雨に初級魔術を叩きつけた。
刹那、後ろから、ぎぃぎぃと喉の奥を鳴らす声。
(――背後!?)
そんな馬鹿な、まだ高周波振動ワイヤーの罠が半分は残っているはず――と俺は飛び上がった。咄嗟にパルスを放って音響を確かめる。応答は、無数の亡骸。何本か食い破られているが、まだ突破されてはいない――。
「壁ぬけじゃ! きゃつら、新しい穴を掘っておる!」
ユースティティアが吠えた。空気に緊張が走る。
同時に魔女が呪詛を放った。世界樹トネリコの杖と、空中に踊るルーン文字。背後に展開されるタロットカードがケルト十字の形に並び、アルカナが連結される。
新しい穴が出現すると同時に、キラーアントが飛び出して――ユースティティアの影の腕がそれを殴り返していた。
「嘘でしょ!? 触手が結界を溶かしている!?」
「お兄様! アリの幼虫が結界をよじ登ってきます!」
ほぼ同時に上がった悲鳴を聞いて、俺は焦燥感を強くした。今の俺の右目には――オルフィレウスの輪がようやく一つ。
◇◇
人が理解するやり方とは違う形だが――魔物にも知性はある。
迷宮の守護者同士が協力し合うのは、普通はありえない。縄張りが近いと、獲物の取り分が少なくなるためだ。
それでも共生を選ぶのは、互いに利があるためである。
たとえばアリの排出物は、窒素やリン酸を含むため、植物にとって重要な肥料分となる。人の肌を舐めるだけの『果てしなく再生する触手』は、『キラーアントの女王』の重要な護衛として、この上なく機能していた。
『キラーアントの女王』の最大の誤算は、珪藻土とホウ酸による奇襲を受けたこと。
ほぼ完璧だと思われていた巣の中核部の防衛は、いともたやすく、そして致命的に破綻した。それでも、巣の深くにあった新女王たちの居室は、辛うじて被害を半分に免れた。
外骨格をずたずたに削り取られ、終わりのない渇きの責め苦に苛まれて、さらに代謝系をほぼ阻害されて――それでも女王は己の矜持にかけて、死の間際でも生にしがみついている。
全ては、新たなる女王に核を譲り渡すため。
特殊文字「U+12009」は小説家になろうでは取り扱っていないUnicode文字のため、**で置換しております。




