act.35 「亡父の教え」
(揺れるな!! 揺れるな!! 揺れるな!! 揺れるな!! 揺れるな!! 揺れるな!! )
眉間にしわを寄せ、かざした掌の前でグラグラと揺れる術式の塔を、ハクトは一心不乱に見詰めていた。
長い苦闘の末、いましがたついにその頂上へ、最後の術式陣を重ね終えたのである。
――だが。
(お願いだからもう揺れないで!! 止まって……!! )
あとはいま重ねたそれが定着し、一つに合わさるのを待つばかりなのだが、なかなか揺れが止まってくれない。
ハクトは少しでも揺れがおさまるようにと、塔へ向かって必死に魔力を送り続けていた。
「くぅ……!! 」
思わず唸り声を漏らすハクト。その吐息が触れたからではないが、不意に塔の揺れが大きくなり、一方にグッと傾いていく。
(ダメッ!! このままじゃ……!! )
せっかくここまで積み重ねた術式が、文字通り「崩壊」してしまう。
思わず目を瞑ってしまうハクト。
――と、その時。
全くの不意に、ハクトの脳裏に亡き父から初めてこの術式を教わった日の記憶が蘇った。
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「いいかいハクト? それじゃ、やってごらん」
「うん。わかったわ。父様」
長く美しい亜麻色の髪。
透き通るような白い肌。
女性と見間違うばかりの整った顔立ち。
そして、聴く者の心を癒すような穏やかな声。
ハクトの亡き父・スズシロは、いまの父・シンザとは見た目も性格もまるで正反対の、武勇とはまるで無縁の人。学に秀で、術式をよくする眉目秀麗な優男であった。
ある麗らかな春の午後。
―― ハクトにとっては、たった数回しかなかった亡父と迎えた春 ――
父の書斎で、幼き日のハクトは、父に教わりながら、術式の垂直構造展開の練習をしていた。
この世界において、物心ついたときからこうやって親と共に遊びながら術式やその応用展開に慣れ親しむのはしごく一般的なことである。
日常生活のいたるところで、そうなるよう慣習に取り入れられ、そのことが術式使用の水準を高く維持させているのであった。
ハクトのかざした小さな掌の前に、これまた小さな術式陣がその形を成している。
幼い彼女はその術式陣を懸命に見詰めながら、そろりそろりと積み木を重ねるようにして、すでに三段重ねたものの上に、四段目を重ねようとした。
「いいぞ。そのままゆっくり」
「あっ……!!」
幼いハクトは思わずその手の術式陣を取り落し、せっかく重ねた三段もろともに術式を霧散させてしまった。
「あーあ……消えちゃった」
がっかりするハクト。
そんなハクトの頭を優しく撫でながら、父は微笑んで賞賛の言葉を口にする。
「すごい。初めてなのに、三段目まで積めたね」
「でもすぐに消えちゃったよ」
「父さんが子供の頃は、百回やっても三段なんてとても積めなかったものさ」
「そうなの? 」
―― 実は嘘。亡父スズシロはいわゆる天才肌であった。今のハクトと同じ三つの歳で、初めてこの垂直構造展開を試みた時、誰にも教わらずに十七段まで積み上げたという逸話があるほどである。
だが彼は、愛娘のやる気を掻き立てるため、あえてそう口にしたのだった。
「そうさ。だからハクトはすごい。いつかきっと、お母さんみたいになれる」
「お母さんみたいに!? 本当? 」
ハクトの顔がパッと輝く。
「本当さ」
「じゃ、もっと練習する!」
「良い子だね。じゃ、お父さんが上手くいくコツを教えてあげる」
「コツ? 」
小首をかしげるハクト。
父は優しく微笑みながら頷いた。
「そう。術式を上手にやろうとするなら、大切なのは風の精霊さんと『お話し』することなんだ」
「お話し? 」
「そう。」
「お話しできるの? 精霊さんと? 」
「ああ、できる。……精霊さんと上手にお話しできる人が、上手に術式を使えるようになるんだよ」
「ふーん」
「いつだって、精霊さんは対等なお友達として話し掛けてくるのを待ってるんだ。命令じゃなく、お友達として、優しく話し掛けてくれるのを…… 」
「めいれい? 」
「○○しなさい! って言うこと。ハクトも、お友達にそんな風に言われるのは嫌だろ? 」
幼いハクトは父の目を見ながらこっくりとうなずいた。
「だからね、忘れちゃいけない。風は、精霊は、ハクトのお友達。ハクトが困っていて、何かで風の力を借りたいと思うのなら、命令するんじゃなく、お願いするんだ。友達に『助けて』と、お願いするように」
そう言って父は再びハクトの頭を優しく撫でたのであった。
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幼き日の記憶から、ハクトの意識は急速に現在に戻る。
(風に……お願いする!!)
大きく傾き、崩壊寸前となった術式の塔に向かい、ハクトは必死に語り掛けた。
「お願い風さん! 私を助けて!!……大好きな兄さまを……ううん、母さま父さまも、皆を助けるために力を貸して……!! 」
言いながら、ハクトは自身の残りの魔力をありったけ術式の塔に送り込んだ。
不意に、優しげな風が、ハクトと術式の周りを包み込むように吹き始める。
「風……さん? 」
傾きかけた術式の塔が傾くのをやめる。ゆっくりと風に押し戻されるように々に、その傾きをまっすぐに戻してゆく。
と同時に、活力を取り戻したように術式の塔が明るく輝きだす。
「風さんっ!! 」
ハクトの必死の呼び掛けに風が応えてくれた。そのことを感じたハクトの顔がパッと輝きを取り戻す。
術式の塔の最頂部と、最後に重ねた十枚目の術式陣が触れあう面。その間に青く細い光が、幾筋もの小さな稲妻のように走っている。
それらはやがて互いに引き合うように反応し、一つ、また一つと手を取り合って結び付き、ついには完全に同調し、一つとなった。
そして、それと同時に塔の揺れはピタリと止まった。
「もしかして……!? 」
術式の塔がひときわ鮮やかな光を放つ。そして次の瞬間、急速にその高さを縮ませ平べったい形状へと変化してゆく。
完全に塔は圧縮され、あとには一枚の模様がより複雑となった新たな術式陣が出現していた。
「やった……できた……できたあっ!! 」
ハクトが思わず歓喜の声をもらす。ついに彼女は風に語り掛け、初めての「垂直構造展開の十段積み」を成功させたのであった。
「できた……できたよ。父さま……!! 」
記憶の中で、ここ一番の時に、一番大切なことを思い出させてくれた亡父に、ハクトは感謝を囁いた。
だが、感傷に浸っている間もなく事態は動く。
―― ハクトが術式を完成させたと同時に、兄と母のいる方角に突如として竜巻が巻き起こった。
(これは……ジュウベエ兄さま!! )
まさしくそれは、兄ジュウベエが復活した証であった。
立ち上がり、力強く刀を握るジュウベエの姿を見て、ハクトは心の底から安堵した。
(良かった。良かったよ、兄さま…… )
ジュウベエはすぐさま疾風のように駆け出し、ハクトの視界から消えていった。
その後を追うように、母リノも歩いている。
(母さま、兄さまをありがとう。……ほら、私もやれたよ!! 父さまのおかげで!! )
ハクトは母の方を見詰め、心の中で念を送る。
ほんの一瞬、母がこちらを見て微笑んだような気がした。
だが母は厳しい顔付のまま、こちらを顧みることなく歩いている。
その母の毅然とした態度から、ハクトは「その時がくるまで、けして敵に気取られないように」との母の言葉を思い出した。
(そうだったね、母さま)
改めていま作り上げた新たな術式陣に目をやる。ひときわ強く青い輝きを放つそれを見ながら、ハクトは「その時」がいつ来てもいいように、身構えるのであった。
もうほどなくして「その時」は訪れる。
ハクトはその強力な術式陣を抱えるようにして、岩陰からのぞき、動くべきタイミングを探り始めた。




