act.31 「走る虫酸」
女の影から這い出てきた魔虫は五体。いずれも小ぶりなサイズのものだが、どやらその分機動力に長けているらしい。カサカサと虫特有の厭らしい動きで、女の周囲を忙しなく動き回っている。
「くっ……やめろ。テメェの相手は俺だろうが。よそ見してんじゃねぇぞ……」
かすれそうな声を絞るようにして、女に突っかかるシンザ。なんとしても、この虫共をリノたちのところへ行かせないようにしなくては、と焦る。
しかし女はにべもない調子で答えた。
「黙って見てなさいな。一流の女なら、これくらい、なんてこともないのでしょう?ふふ…… 」
そう言ってせせら笑う女の声に「お前がそうさせたのだろう?」という、さきのシンザの言葉をなじる意思が、ハッキリと含まれていた。
「……クソがっ……!! 」
怒りと悔恨に打ち震えながら、もはやシンザには悪態をつくのが精一杯だった。
そんなシンザの顔を満足げに見下ろして、女はふいとリノたちの居る方へと顔を向けた。そしてその視線の先にいるリノを憎々し気に見据え、手をかざし魔虫らに命じた。
「 おいき、お前たち!! 」
魔虫たちがその顎から「ミキミキミキ」と不快な音を立て、女の言葉に応じる。同時に、五体ともが一斉に走り出した。まるで互いに競い合うようにして、リノとジュウベエのもとへと駆けてゆく魔虫たち。
(リノ……! )
地面に転がったまま、首だけをリノたちの方へと向け、歯噛みするシンザ。
横を向いた拍子に、口の端から血が流れ出る。魔虫に脇腹を砕かれてからこっち、口の中は血の味しかしていなかった。
それでもシンザは己のことよりもリノを心配し、そしてジュウベエに念を送った。
(……ジュウベエ、なにしてやがる……さっさと、起きやがれ……! )
かすみだすシンザの視界。もはや目を開けているのも辛くなり始めたらしい。抗うも、如何ともしがたく、ゆっくり下りてくる瞼。しかし、完全に閉じられてしまう直前、シンザは、おぼろげに立ち上がる人影を見た気がした。
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六本の足を忙しなく動かし、魔虫たちがリノらの元へとどんどん距離を詰める。
岩場の影で、どうにか九枚目の術式陣をハクトが重ね終えたその時、魔虫らがそのすぐ側を通過していくのが視線の端に入った。
ハクトは思わずジュウベエらの方へ振り向いた。
「!? 今のは!? 兄さま! 母さま……!! 」
途端に重ねた術式陣のバランスが崩れかける。
「あっ…いけない!! 」
慌てて術式のタワー手をかざし、再び集中するハクト。
どうにか術式陣の垂直構造は崩壊せずにその状態を保ってくれた。
だが、もはや一つも気を抜くことは許されない。一瞬の気の緩みで、ここまでやってきたことの全てが無に帰してしまうのだ。そうなってしまえば……
(兄さまを助けることができない……! 早く、早く完成さえなきゃ……!! )
不安と心配で乱れ狂いそうになる気持ちを無理矢理に押さえつけ、ハクトは最後の術式陣を組み上げることに意識の全てを集中させ、詠唱を始める。
(父さまが、兄さまが全力で闘えるように支える。これが、私と母さまの闘いだもの)
ハクトの眼前で、術式陣が青く輝きながら形を成し始めた。
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ジュウベエは自分をその胸に抱きかかえ、優し気に微笑むこの「二人目の母親」の顔をマジマジと見詰めていた。
今のような時に変な話だと思うが、ジュウベエはこうしてリノの顔をゆっくりと見詰められることが嬉しかった。
(こんな風に、こんなに近くで、見たことなかったもんな……)
自分を回復させるため、相当に無理をしたのだろう。その顔は蒼白で、まるで血の気が感じられない。にもかかわらず、辛いだとか苦しいだとか、そういった全てを俺に感じさせまいとする、この笑顔。
(この人は、本当に強い……。でも、だからこそこれ以上無理させられねぇ……! )
意を決したジュウベエは、もう一度リノの肩を掴む掌に優しく力を込めた。リノがすぐさまその手に自分の手を重ね、同じように優しく力をこめる。
互いの熱が、優しさが、想いが、重ねた手を通じて伝わり合った。
少し気恥ずかしいが、だがどうしようもなく心地良い。出来ることなら、あともう少しだけこうしていたいと思った。
――だが、どうにもそれは叶わぬ願いらしい。なぜなら、向こうの方から駆け寄ってくる、空気の読めない「お邪魔虫ども」の気配を感じたからだ。
「さて。そろそろ起きるとしますか」
「ええ、もう身体は大丈夫? 」
「母さんのお陰で」
「良かった。辛くなったら、母さんがいつだってアナタを癒してあげるからね」
そう言ってリノは、ジュウベエの頭を撫でた。
撫でられながら、ジュウベエは口元から笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
(この人は……本当に、最高の母さんだな……!! )
もう一度だけ目をつむり、その最高の母親の温もりを身体全部で受け取った。そして――
「よしっ!」
と、短く気合を入れて目を開けた。と同時に跳ね起きるようにして立ち上がる。
「じゃぁいっちょ、やりますか!! 」
リノが傍らに転がっていた刀を拾い、手渡してくれた。
「お願いね、ジュウベエ。あの人を助けてあげて」
刀を受け取りながらジュウベエがニヤッと笑って答える。
「任された!! 」
ところへ、五体の魔虫がやってきて二人を取り囲む。魔虫どもはけして止まることなく、素早く足を動かしながら二人の周囲をグルグルと回っている。どうやら襲い掛かるタイミングを見計らっているらしい。
そんな魔虫どもを見やりながら、ジュウベエは握る刀に力を込めた。
―― 風が。力強い風がジュウベエとリノを守るように巻き起こり始める。
「……ったくよぉ。親子水入らずを邪魔するなんざ……」
一斉に魔虫が飛び掛かる。狙いはジュウベエではなく、リノ。五体すべてがジュウベエを無視してリノへ、その魔手を伸ばそうとした。
「させるかぁっ!! 」
気合一閃。ジュウベエの横薙ぎに斬り払った一撃が、斬撃の竜巻を吹き上げる。一瞬で魔虫共はその竜巻に呑まれ、ズタズタに切り裂かれながら吹き飛ばされてゆく。
「下らねぇこと、してんじゃねえ!!……いい加減、テメェらのやり方には虫酸が走るってんだよ!!……走り回る虫だけに! 」
刀を払いながら、ジュウベエはキメ台詞的にそう言い放った。
その後ろで、リノが手をたたいて「わぁー……おもしろーい」と、力ない声で応じたので、ジュウベエはちょっとだけ死にたくなったのであった。




