act.23 「難局を乗り越えるも」
―― 突如として破られる膠着状態。
ジュウベエにとっては全くの意外に。
しかし救う者からすれば全くの当然として。
最愛の娘と息子を窮地から救うべく、両親が全力で救いの手を差し伸べたのだった。
「幻惑術式! 」
ハクトを捕らえる巨大魔虫に向かってかざされたリノの両手。
その掌の前に、風の流線型を模したような図形の「術式陣」が現れ、青く光り輝く。
その直後、その術式陣から咽返るような甘い香りの風が吹き出した。
その甘い風はたちまち桃色の煙と化して、巨大魔虫を包み込む。粘るような甘さの煙。
それを顎の間からいたたかに吸い込まされ、魔虫はありとあらゆる感覚器官を強烈に痺れさせられていた。身体中の力という力が抜け、その巨体がだらしなく弛緩してゆくのが見て取れた。
「うおりゃぁああああっ!! 」
風に乗って高らかに跳んだシンザが、叫び声を上げながら魔中の背後から斬りかかる。
魔中の腹部、その最も膨らんだ箇所に強烈な斬撃を叩きつけた。切断された腹部の、その鋭利な切り口から、大量の紫色の体液があふれ出る。
体液で汚れるのにも構わず、シンザは続けざま、細い糸のように研ぎ澄まされた斬撃を放ち、ハクトを掴んでいた魔中の四本の腕を全てスパッスパッスパッスパッ! と切断してゆく。
甘やかに感覚器官を痺れさせられていた魔虫も、そのあまりの痛みに身悶えした。
「きゃぁああああああっ!! 」
地面へと落下する寸前、シンザが娘の身を抱きとめた。
と同時に、動けずにいた息子に向かって叫ぶ。
「オラ! バカ息子ぉ!! ボサッとしてねぇで、トドメささねぇかっ!! 」
「……!! 」
シンザの怒声で我に返ったジュウベエは、ありったけの力を振り絞ってトドメの一撃を繰り出した ― 。
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―― 十分ほど前。
大型の魔虫に捕らえられたハクトを救おうと、ジュウベエが駆け付けたとき、サキカゼの頭領・シンザとその妻リノも、そこから二百メートルほど先で一族の者を守るため、逃げ道を切り開こうと奮戦していた。
シンザらが皆を連れて逃げ込もうとしている森。
野営していた砂漠の入り口付近から、その森へと至るには、どうしてもこの左右を高い岩壁に挟まれた、谷底のような一本道を抜けてゆく必要があった。
百人弱の者達が隊列を組み、中央の女衆を守って進む。後方から追い掛けてくる魔虫共を抑えるため、殿にはサキカゼの歴戦の戦士らと若い男衆のほとんどがあたっていた。
その結果、シンザとリノは、精鋭ではあるが僅かな人数の護衛と共に隊列の先頭にあって、とにかく急いで安全を確保できる場所まで皆を導くため、全速力で隊列を先導していた。
始めはハクトも、シンザ・リノらと共にその隊列の先頭を進んでいたのだが、途中から戻りの遅いジュウベエを迎えに戻ると言ってきかず、ついには止めるリノの手を振り払い一人で後方へと駆け戻っていたのである。
大型魔虫に捕らわれたのは丁度その直後のことであった。
ハクトが捕らえられる少し前。
もうちょっとで岩場を抜けきるというところで、シンザらは前方から現れた新手の虫共に行く手を塞がれた。左右に逃げ場のない一本道のど真ん中、最悪の形で挟み撃ちを受けることとなったわけである。
「どけどけぇ! この化け物どもがぁっ!!」
シンザは、ジュウベエが使うのとはまた違った巧みさで風を操って敵を倒していった。一撃一撃を繰り出す動きが洗練されていて無駄がなく、まるで流れるような刀捌きだ。
シンザが刀を振るうたび、― ヒュンッ! ヒュンッ! と、高い音が鳴り、糸の細さにまで研ぎ澄まされた風の斬撃が走る。その一撃を受けた魔虫共は、まるでピンと張ったピアノ線で身体を輪切りにされたように切断され、身体をバラバラに崩されていった。
「虫ケラごときが、風が流れるのを止められるわけねぇだろ」
シンザは刀を構え直しながら、フンッと鼻を鳴らす。しかし、後から後からまるで無限に続くのかと思われるほどに魔虫は湧いて出てくる。
「風よ、その加護によりて願う。かの者にその助けを。加速術式!!」
青い光と共に一陣の風がシンザの身体を包み込む。シンザは身内に力が湧くのを感じた。
「!! ……助かるぜ、カミさん! 」
リノが補助術式を展開させ、シンザの移動力を向上させる効果を与えたのだった。
「あなた。油断しないで!! 」
「当然だ!! 」
シンザは短く応えて、新たに現れた魔虫の群れに一足飛びに近付く。さっきと同じように流れる動きで魔虫共をバラバラにしていった。
その少し後ろで、リノは傷付いた者たちを癒しながら、シンザが少しでも闘いやすいようにとまた別の補助術式の詠唱に入っていた。
リノは、いわゆる防御・回復効果に特化した補助術式を得意とする、後方支援のスペシャリストである。
かなり大きな傷でさえ快癒させ、ほとんどの状態異常を無効にする回復術式の効力は一族随一であった。
それに加えて、相手に直接的なダメージを負わせる術式こそ使えないものの、幻惑・混乱・認識阻害などの精神攻撃系術式。
足止め・防御力低下・術式封じなどの身体的に相手の力を削ぐ能力下降系術式。
更にはこちらの防御力向上・移動速度向上・各種耐性向上など、ありとあらゆる戦闘を有利に展開させる能力向上系術式を使いこなせるという万能ぶり。
これらは全て、「大切なものを守りたい」と願い、たゆまず努力し続けてきたリノの想いの強さの結果であった。
シンザとリノの見事なコンビネーションによって、瞬く間に行く手を阻んでいた粗方の魔虫は切り伏せられた。
これでどうにか、一族の者たちを森へと逃がすことが出来そうである。護衛についていた精鋭たちに、このまま進むようシンザは命じた。
その時であった。ハクトの絶叫が風に運ばれ、シンザとリノの耳に届いたのは。
咄嗟に顔を見合わせる二人。次の瞬間、シンザはリノを抱きかかえ、風による加速を伴って全速力で後方へと駆け出したのであった。
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「うおおおおおおおおっっ!! 」
怒りに任せ、ジュウベエは持てる全ての力を振り絞って刀を振りぬいた。
つい先頃、一族の若い男女が無残に千切り殺された時に放った、あの一撃よりもさらに強大な竜巻が巻き起こり、天を突く。
大型の魔虫は為すすべなく竜巻の中に吸い込まれ舞い上げられ、次いで無尽蔵の斬撃によって跡形もないほどにバラバラに刻まれていった。
シンザに抱きかかえられ、安全な場所へと運ばれたハクト。気を失っているようだが、すぐさま側に駆け寄ったリノが回復術式によって治療を施す。
「……ハクト。良かった…… 」
ハクトの無事を確認し、再び力の抜けたジュウベエは、その場にガックリと崩れ落ちた。
ジュウベエが放った竜巻は、その周囲にいた他の魔虫をも吸い上げバラバラにしていく。
劣勢だった状況が、徐々に盛り返している。頭領シンザとその妻リノ、そしてジュウベエの活躍によって、それを目の当たりにした一族の戦士たちも士気を取り戻した。
「んんっ…… 」
リノの回復呪式によって、ダメージから少しずつ回復してゆくハクトが、シンザの腕の中で苦し気に吐息を漏らした。
「ハクト!おいハクト、大丈夫か!? 」
シンザが心配そうに、腕の中の愛娘に声を掛ける。
「ん……」
「怖かったでしょう。でも、もう大丈夫よ。」
リノは術式をかけながら、優しくハクトの頭を撫でる。
すると、少し痛みがやわらいできたのか、ハクトはうっすらと目を開けた。
「母さま……。ジュウベエ……兄さまは……? 」
開口一番、兄のことを心配する妹。
思わず両親は顔を見合わせ、このいじらしい娘を愛おしく思った。
「心配しなくても大丈夫。ジュウベエもちゃんと無事よ」
「よか……った……」
ジュウベエの無事を聴き、ハクトは再び目を閉じる。だがその顔には安堵の微笑みが浮かび、徐々に顔色も良くなってきている。
「……どうにか、切り抜けられたらしいな 」
「ええ…… 」
シンザがそう口にし、リノも安堵した。
――だが。ことはそう単純にはいってくれないらしかった。
二人の背後からまったくの不意に、聴き慣れない女の声が聴こえてくる。
「あらあら。私の可愛い魔虫を虐めるなんて、アナタたちは酷い人だわ」
シンザとリノが声のした方に振り返ると、そこには、ボロボロのフード付きマントを頭から被り、魔虫の頭部と似た「仮面」を被った怪しげな女が立っていた。




