act.18 「逃げるためには」
――魔獣。
曰く、異形にて闇に棲む者。
曰く、欲によりて造られし者。
曰く、命ある全てを害す者。
すなわち、この世界において最も恐れられ、忌避される存在。「呪いの力」が、「悪意」により具体的な姿形を与えられ具象化した姿。いわゆる異形の化け物。
+++++
闇の向こう。姿は見えなくても四方八方から、その蠢きが感じられる。ある意味で均一である。まだ綻びがない。つまり、奴らはこちらを取り囲んでいるが、まだ様子見の段階で、すぐに攻撃を仕掛けてくるわけではないらしい。
こういった時、「場」が動くのは、往々にしてちょっとした「崩し」が発生した箇所からである。
ジュウベエは、そういった何事かが発生していないかを、素早く探っていた。まだ無いのであれば、その方が良い。場が慌ただしく転がりだす前に、備えることが出来るからだ。
それに関しては、眼下で親父が一族の皆に檄を飛ばし、抜かりなく進めているのが見える。
しかし、もしすでに「崩し」が発生しているのなら……事態はそこから急展開する。数で圧倒的に不利であると予測される以上、なんとしても、下手な先手を取られるわけにはいかない。
ジュウベエは、何事も見つからぬことを願いながら、必死に目を凝らした。
「…………あれは!? 」
真正面よりも、やや左手。広場の中央から、距離150メートルといったところ。篝火の明かりが照らす範囲から、ギリギリ外れるか否かといった場所に、人間らしきものが二つ、地に伏せているのが目に入った。
グッ、とそちらに注意を向けるジュウベエ。手の平を使って目の周りを覆い、余計なものを見ぬよう視界を狭めて、目的の場所を凝視する。
(……やっぱり一族の人間! 男と女。あれは……生き……ているのか!? )
地に伏した二人はピクリとも動いていない。なおかつ、女の死体の周囲には黒い染みが広がっている。おそらくは血なのだろう。しかも相当量である。
あれが女の身体から流れ出たものなのなら、確実に生きていられない量だと一目で分かる。ジュウベエは戦慄すると同時に、激しい怒りを覚えた。
「クソッ!! せめてもう一人は……!? 」
身を乗り出し、さらに詳しいことを確認しようとした矢先、男女の死体が、倒れていた位置から突然に地を這うようにして移動した。
「!? 」
いや違う。動いたんじゃない。何者かに引き摺られた!?
女は片腕を、男は両足を掴まれ、地面に跡を残しながらズリズリ、ズリズリと引き摺られている。わずかに届いていた篝火の明かりが途切れる闇の中へ、ゆっくりと吸い込まれるようにして二人の亡骸は消えていこうとした。
反射的にジュウベエは叫んでいた。
「親父!! ウチの奴がやられた!! 」
「どっちだ!? 」
「正面の大岩、その左側!!」
ジュウベエがの指で差し示しながら怒鳴った。言われた方を注意深く見詰めるシンザ。しかしながら、この低い位置からでは、まるで何も見えない。
一族の者が襲撃を受けたのならば、すぐにでも助けてやりたいが、敵の位置も姿も判然としないのでは、迂闊に動くわけにもいかない。手練れ数人を斥候に立てて詳しい状況を確認する必要があるな……。
と、ここまで考えを巡らせてから、シンザはハッとしてジュウベエに怒鳴り返した。
「待て、ジュウベエ!! 考えなしに飛び込むんじゃねぇ!! 」
「考えてる場合かよっ! 俺は行くぜ!!……風よ!」
「バカ野郎!よせっ!! 」
シンザが叫ぶのと、ジュウベエがその身に纏った風の力で、岩場の天辺から跳躍するは、ほぼ同時だった。風に乗りながら、空中で抜刀したジュウベエは、一足飛びに男女が引き摺られている場所へ至っていた。
「ったく! 大将筋の人間が、ホイホイ前線に飛び込んでどうする! 」激情に身を任せ、衝動で動いたジュウベエを見て、シンザは苦々し気に吐き捨てた。
そして、いつの間にか気絶状態から回復したものの、周囲の者たちに比べて、2テンポくらい遅れて状況を飲み込めていないキィザとスケクローにシンザは命じた。
「おい! お前ら二人であのバカ止めてこい。構うこたぁねぇ、ゴチャゴチャ言うようなら殴ってでも連れ戻せ!! 」
「いや、頭領。そりゃムチャですよ」
「そだね。殴り返されるのがオチだよね」
「ごたくはいいから、さっさと行けってんだ!!!! 」
シンザは、渋る二人の尻を思いっ切り蹴飛ばすことで送り出した。キィザ&スケクローは、蹴り飛ばされた勢いで転がりそうになりながら、ジュウベエの飛んだ方へと走り出した。
リノとハクトが、シンザの元に駆け寄ってくる。二人とも恐怖と不安とで顔色を蒼くしている。シンザは、二人の肩に手を置き、安心するように言った。
「あなた……」
「リノ。女衆をまとめて、落ち着かせてやってくれ。できるな? 」
「はい」
「ハクト。お前も母さんを手伝え」
「父さま。兄さまは? 」
「あのバカのことなら心配するな 」
「でも」
「心配するだけムダだ。こっちが何を言おうと、いつだって好き勝手やりやがる。いっぺん、手酷く痛い目みてみるのもいい薬だ。……大丈夫だよ。奴には、いつだって風がついてる」
泣きそうになっているハクトの頭をクシャクシャと撫でて、シンザはそう言った。
リノが安心させようとハクトの肩を抱いた。そしてシンザを見つめ、強い心をもった顔で小さく頷いて見せた。妻の頼もしい顔に、思わず口元をほころばせながら、シンザも頷き返した。
「いつでも動けるように、皆をまとめておいてくれ。命が最優先だ。それ以外のものは全部、置いて行ってもいい」
「分かりました。皆にそう伝えます。……さ、ハクト。行くわよ。……しっかりなさい! あなたの兄さまが余計な心配をしないで戦えるようにする。それが私たちの役目。女の戦いなのよ」
「……はい。わかったわ。母さま! 」
不安気な表情から一転。「ジュウベエのために」その一事でハクトは、自身にやる気が出てくるのを感じた。二人は、女たちの集まる場所へ駆けてゆき、落ち着いて避難の準備を始めるように説明し始めた。
シンザはそんな二人を見送って、さて、この戦いをどうやって切り抜けるかと思案を始めた。
「……まぁ、圧倒的な数の差で、こっちが気付かないうちに囲まれてたって時点で、負け戦は確定だ。だから、こっちの勝ちは、相手を倒すことじゃねぇ。生きてここから逃げ出すってことだ。……もっとも、それも相当に厳しいだろうがな」
そう呟いて、ジュウベエの向かった方に視線をむけるシンザ。腕を組み、一度深く呼吸を整えた。
そして踵を返して、より一層険しさを増した顔でもって、一族の者たちに指示を与えるべく歩きだした。




