第二十三話 ユズと、七巡目
今年中に2章完結させる!!!!!(決意)
今年中に2章完結させる!!!!!(奮起)
今年中に2章完結させる!!!!!(情熱)
え、あと6話は確実に必要じゃね?(困惑)
今年中に2章完結させる!!!!!(自棄)
アラクネ、という魔物の話をしよう。
上半身は人間、下半身は蜘蛛――――と言えば聞こえはいいが、実際は蜘蛛の胴体に人間の体が突き刺さっているような姿の異形である。
主に森の奥や洞窟などの暗い場所に生息し、蜘蛛よろしく罠を張り、獲物を捕えて腹を満たす。
その習性を可能にしているのが、アラクネの基本技能である、『糸の生成』と『毒の生成』である。
蜘蛛部分の下半身ではなく、人間部分の手の指先から生成される、粘着性と伸縮性の高い糸。その糸作られた罠で捕えられた獲物は、そう易々と逃れることはできない。
そしてダメ押し、同様にアラクネの体内で生成された神経毒を流し込み、罠を破らんと暴れる獲物を弱らせてから殺すのが、アラクネの狩りの基本スタイル。それこそ、現実世界の蜘蛛も行う常套手段である。
しかし、アンリと名付けられた一個体にとっては、そうではなかった。
先天的に、毒の生成が出来ない身体に生まれてしまったからである。
恐らくアラクネとしての臓器不全。アンリの体内では、毒物を生成することはできない。アラクネの基本技能として備わる、『決定打』を欠いた状態で生まれたのが、アンリという魔物である。
糸の生成には不自由しなかったものの、それでも種族としての強さを構成する柱を一つ失った代償は大きく、同時期に生まれた姉妹たちとの実力も離れていった。
実際のところ、糸の罠にかけた時点で、獲物の捕獲ほぼ完全に成功していると言っていい。毒の生成不全による障害は、糸の生成不全と比べたら、遥かに軽かったのだ。
実力が離れていると言っても、群れの癌になるほどではなかったし、姉妹たちは落ちこぼれのアンリを助け、補ってくれる気でいた。
しかし、普通は出来ることが出来ないという事実には、心理的な変動を余儀なくされる。
周囲より、何より自分自身が、変わってしまった。
しばらくして、アンリは群れを去った。
周囲が自分を認めないより前に、自分が自分を認められなくなったから。
しかし、アンリは群れを去ったが、それでも生きるのを諦めたわけではなかった。
毒に関する全てを諦めて折り合いをつけ、基本技能のもう一柱、糸に関する技能を育てることを決意する。
アラクネの糸は、現実の蜘蛛と同じくおおよそ二種類に分けられる。自らの足場として用いる通常の糸と、獲物を捕える粘着性の高い糸だ。
しかし、アンリは研鑽の末、三種類目の糸を織ることに成功する。
粘着性は愚か伸縮性にも欠けるものの、高い強度と硬度を誇る鋼のような糸を生み出したのである。半端な強度の物質なら、容赦なく切断できる鋼の糸。
他の媒体であれば『糸使い』と呼ばれる技術の第一段階を、アンリは独学で身につけたのである。
他にはない武器を得て、達成感に打ち震えるアンリだったが、現実はそう上手くいかない。
使い勝手が、罠用の糸と、それほど変わりなかったためである。
そもそも、戦場で敵と相対しながら、糸を操って敵に切断攻撃を仕掛けるのは技術的にも物理的にも無理がある。『糸使い』のように自在に糸を操って、敵を切り刻む戦法は、到底不可能だった。
故に、基本は罠として用いる形となる。
獲物を捕えるか、即座に斬るかの選択ができるのは大きい変化と言えるが、やはりどうにも受け身な戦法にならざるを得ない。
確かに成長はしたが、劇的な変化を及ぼしたとは言えなかった。
しかし、アンリはまだ折れなかった。如何に使い勝手が悪かろうと、自分の力を自分が愛さない訳にはいかない。
迅速な罠の設置、糸の切り替えスピードの洗練、努力して伸ばせるものは何でも伸ばした。
『いいじゃねえか、とてもいい』
そして、それを偶然目にしたのが、後に主となる魔王ヴィランである。
『自分の目は、自分の努力に嘘をつけねえ。その点お前の目は最高だ。他のどのアラクネよりもずっと、お前の力が欲しい』
それは、久方ぶりの対話。それは、初めての肯定。
その言葉に絆され、結果的にアンリはヴィランに拾われ、魔王軍に加入することとなる。
肯定されることのなかった日々、初めて自分を求めてくれた相手のため、アンリは更に研鑽を続ける。忠義と、何故かついでに嗜虐心も生まれたのは主君にとっても計算外だったが、ともあれアンリはヴィランの部下として、活動していくこととなる。
特に今回のような、敵対組織の捕縛を求められる時には重宝される。例え出来るはずのことが出来なくとも、例え先天的に攻撃に向かなくとも、役立ちようはあるのだと示していった。
それが、数日前までの、アンリである。
今の彼女は、ただのアラクネではない。今までよりずっと、やれることが多い。
今の彼女は、【傀儡姫アンリ】。
女神の寵愛を受けた、魔王軍幹部なのだから。
「『惑蝶』」
アンリが振るう右手から伸びる5本の糸が、空気を両断し、樹木を両断する。その糸は相対する鋼の武器と衝突し、硬質な音を響かせて止まった。
刀を振るった安藤枢のファインプレーである。
――――だが、まだ終わらない。
糸の先は未だ動いており、刀との激突部分を中心に回転。再び安藤を輪切りにしようと迫る。
安藤はそれをしゃがんて回避。同時に、糸に刀を引くように擦り、力任せに切り裂く。
その途端、まるで電池が切れたかのように、自在に動いていた糸が停止し、ゆっくりと地面に落ちる。
――――だが、まだ終わらない。
「『惑蝶』」
再びの固有スキルの宣告。その瞬間、再び千切れた糸の先が動き出す。糸の先が、小さく旋回して自らに巻きつき、結び目を作る。
それは、いわゆる蝶々結びと呼ばれるもの。
生まれた五匹の糸の蝶が羽ばたき、軌跡を描くように鋼の糸が追随する。
鋼の如き蝶が安藤の傍らを追い越し、蝶とアンリの指の間に張り詰めた糸が、安藤を斬り裂かんと唸る。
「『メラル・トレジア』!」
寸前、根岸綾の詠唱が響く。
杖から顕現した魔法陣から顕現した炎が、文字通りアンリの糸を焼き切る。再びコントロールを失った鋼の糸が安藤に当たるが、勢いが足らず身体を傷つけるには至らなかった。
「ふうん……」
消失する糸を眺めながら、アンリは不満そうに呟く。
アンリの固有スキル、『惑蝶』は、アンリが生成した全ての糸の先端を、自在に操ることができる。
今までのアンリは、罠として糸を設置するという待ちの戦法でのみ戦闘が可能だった。しかし固有スキルの獲得により、一転して攻勢に出られるようになる。
自在に対象を捕え、自在に敵を切り刻む。それが、アンリが新たに手にした力である。
だが、弱点はある――――否、固有スキルそのものに、弱点は存在しない。もっと根本的な、糸そのものの弱点。
たとえ糸の強度が上がっていようと、限度というとのがある。
いくら『鋼の糸』などと形容されていようと、剣と押し合えば千切れるし、炎を放たれれば焼失する。
剣士や魔法使い本人を狙えばやり様はあるのだが、それでも不利であることに変わりはない。
つまるところ、刀を携える安藤と、火属性魔法に適性を持つ根岸は。
「どうしようねえ、これえ……」
相性最悪。
それが、アンリの見立てだった。
仮に、敵が刀使いだけなら、まだ対処のしようはあった。粘着性の高い糸を使って、刀を無理矢理奪ってしまえばいい。
だが、魔法使いがそれを許さない。刀に糸が、激突ではなく付着したと見るや否や、魔法で逐一糸を焼き払っている。
詰みである。自分が持つ一切が、この二人に通用しない。
「あらあら、困ったわねえ」
自らが積み上げてきた全てが、この二人には通用しない。それに対する悲観は、確かにある。
しかし、絶望はしていなかった。
再び固有スキルを展開、両手から伸びる糸が唸る。
安藤と根岸が警戒を強めるが、斬撃は二人を襲うことはなく、周囲の木々を容赦なく微塵切りにする。
ここで、アンリの人生にあった、最も大きな変化とは何かについて語ろう。
それは、糸の研鑽であり、戦闘能力の向上であり、固有スキルの獲得であり、多岐に渡る。
しかし、『魔王ヴィランに拾われたこと』により発生した変化に限定するのなら、答えは一つ。
自らの能力を理由に、群れを去ったあの頃とは違う。
倒壊する木々が落下し、土煙を巻き上げて視界を遮る。
今までとは違うアプローチによる隙の作り方に、安藤は警戒を解かず、刀を構える。しかし、それは杞憂。
「やっぱり無理ねえ」
何故なら、アンリは既に戦線の離脱を開始している。
アンリ最大の変化は、他でもない。自分自身を、勘定に入れることを覚えたのだ。
自らの力を、体を、命を大事にすることを覚えたのだ。自分を大切にすることこそが、主を慈しむことに直結すると理解したのだ。
だからこそ彼女は、憂いなく逃げの一択を選べる。
「そもそも、少しは目的達成してるしねえ」
何より主の願いである、勇者ラゼの部下であるメイド服以外の戦力の捕獲、それを達成していることが大きい。
今、アンリの左方には、糸でぐるぐる巻きにされた新垣新が宙を漂っている。
固有スキル『惑蝶』は、糸の先を自在に動かすことができる。即ち、糸を縛りつけることで、対象を自在に動かすことができるということだ。糸の強度が重量に負けない限り、宙に浮かすことさえ可能にする。
そして、糸の組織に関しては、アンリの右に出るアラクネはいない。
あとは、取得して一日程度しか経っていない固有スキルを、どこまで使いこなせるかにかかっている。
両手の指が忙しなく動き、糸を操作する。
一度地面ギリギリまで、糸に絡まりつつ浮遊する新垣の体を降ろし、飛び乗る。アラクネの節足でがっちりとホールドし、さらにもう片方の指の糸で新垣の体とアンリの体を固定した。
アンリと新垣の総重量、そして、それを引っ張ることによる更なる負荷。それに糸が耐えることさえできれば。
「――――なっ!?」
簀巻きの新垣に跨ったアンリが自在に空中を飛行するさまに、根岸が驚愕の声を上げるが、それをも着々と遠ざけ、木々の間を縫って逃走する。
開戦前夜、魔王シュカとの模擬戦で編み出した、固有スキルの応用。耐久性の問題さえクリアすれば、圧倒的な空中機動力を手に入れることができる。
そして、糸の強度向上は、アンリの十八番。
「ぐ、ぅ……」
「あら、忘れてたわあ」
足の下で苦悶の声を上げる新垣に、安藤から奪い取ったポーションを僅かに落とす。
糸で拘束している関係上、この飛行で最も負担がかかっているのは新垣だ。接敵直後に安藤を凶刃から庇い、かなりの重傷を負っているが故に、回復させずに飛行し続ければ命を落とす可能性すらある。
魔王ヴィランは、彼ら彼女らの命を奪うことを目的としていない。だからこそアンリに白羽の矢が立ったのだから。
そもそもこの場において新垣には人質として、効力を発揮し続けてもらう必要がある。
「く、ぬ」
「ふふふ。頑張るわねえ」
最悪の状況からわずかに回復し、すぐに命を落とす危険性は軽減される。身を捩る新垣だが、重傷の身で破れるほど、糸の拘束は優しくない。
拘束をされながらも剣を握っている新垣だが、腕と体が固定されている状況では、振るうことも叶わない。
そうこうしている間に、安藤と根岸の姿が徐々に小さくなっていくのを見届る。
――――瞬間。
「うお、え!? なになに何!?」
首から紅い軌跡を残し、両手をもって宙を這い回る謎の新手が現れる。
アラクネが空を飛ぶことに驚愕している様子だが、アンリから見た新手もまた異質だ。
だが、止まるわけにはいかない。新垣との固定に使っていた糸を指から切り離し、新たに糸を生成する。
同時に、新手も同じ判断を下したのか、己の武器たる拳を固める。
「通さねえよ!」
「通してもらうわあ」
血に濡れた腕と、鋼の糸が、激突した。
●
相性最悪。
それが、俺の見立てだった。
「なるほど、ね」
拳に生じた切り傷から吹き出す血の雫を見て、俺は不敵に笑う。
……えっ、割とマジでどうしよう。薄々察していたとはいえ、本当に勝てるビジョンが浮かばないんだけど。心は全然不敵に笑えないんだけど。
木とか普通にぶった斬れる糸を自在に操るアンリ。それを相手に徒手空拳で挑むのは命知らずにもほどがあることは事前に分かっていた。だが、最悪防具があればどうにかなると思っていたのだ。
だが、現実はどうだ。アマハは別行動、剛枷拳ティザプターは粘土エクステラに奪われ、迷宮の脚甲は時間切れで装備できない。こうして列挙してみると確実に弱体化していっているな、俺。
しかもなんか飛んでる。
俺の固有スキルの数少ない利点、空中の機動力に関して、アラクネ相手に完全に上を行かれている。終わりだ。
何をどうしたらぐるぐる巻きの新垣に乗って飛べるんだよ…………新垣!?
「というかそもそも何だよこの状況!?」
根岸の殺意は分かりやすいから、それを道標にすれば場所は分かりやすかった。味方が数人と敵が一人。誰が誰かまでは分からなかったが、残りのメンツを鑑みて、アラクネか妹悪魔の可能性が高い、というところまでは当たりをつけていた。
だがいざ来てみれば、アンリがズタボロの新垣を捕まえて大脱出を試みているではないか。ねえ、マジでどういう経緯でこうなったわけ?
……いや、そこはどうでもいい。問題は新垣が拉致られかけていることだ。
そうでなくとも、新垣に纏う糸がかなり赤く染まっている。このまま束縛され続ければ、命の危険もあり得る。
縛られながらも剣を握り続けているのは流石だが、糸を振り解けもしないのに、剣を振れるわけもない。
やはり俺がなんとかするしかなさそうだ。離脱を目論むアンリ相手に、俺一人でどれだけ時間稼ぎ出来るか。
根岸と、誰だか知らんがあと一人。距離的にまだ振り切られてはいないはず。
到着まで、推定数十秒くらいか。その時間さえ稼げれば、勝ちの目が見えてくる。
「しゃーねえ、粘ってやるぜ」
死の際は何度か立ってんだ、命一滴まで抗い尽くしてやるよ!
――――十秒後。
「誰か助けてぇー!!!」
思うがまま、俺は叫んでいた。
これはあかんわ。思ったより相性悪いわ。
十秒やり合って分かったが、相手が空中にいるというのが想像以上に効いている。
まず、相手の猛攻を防御で耐え忍ぶのは論外だ。俺の耐久では死にかねないし、そうでなくとも俺が拘束される可能性がある。事前に訓練で対策を打ってくれた師匠には悪いが、防御は却下だ。
従来の通り回避主体の戦法になるのだが、機動力が足らない。
俺もこの手になって一ヶ月以上。空中を這い回ことに対してはほぼ慣れたと言って過言ではない。だが、流石に十数年間付き合ってきた足の機動力には勝てない。
というより、アンリの固有スキルの空間的自由度が高すぎる。糸をほぼ無制限で操作できるとかイカれてんのか。
ティザプター戦とまでは言わずとも、さっきのエクステラ戦くらいテンションを上げなければ空中で捌き切れない。
ならば地上に降りればいいではないか――――ともならない。単純に、アンリに逃げられる。それを防ごうっていうのに、逃げ道を譲っては元も子もない。
つまり俺は、確実に負ける相手に、確実に負ける空中戦で粘らなければならない。いっそ清々しいまでに無茶だ。
つまり。
「あと数秒が限界だぞ……!」
致命傷は避けているから命の危機とまでは言わない。だが、この十秒の激突で、俺の体は切り傷だらけだ。
どうにも今の俺には丈夫な糸しか使っていないようだ。斬撃で体力を削って、粘着質の糸で拘束する算段だろう。アンリが俺の消耗を悟れば、次の瞬間には拘束を選ぶ可能性がある。
ぶっちゃけ、拘束を決断されたらおしまいだ。だからこその、残り数秒。
「ここで決める!」
弾くように空中を駆け、糸と糸の間を潜り抜ける。進路はアンリへと一直線。まさしく突撃だ。
アンリまで数メートル、距離を詰めんとする俺の身体を、突如抵抗が襲う。文字通り、足を引っ張られる感覚に苛まれる。
違和感を覚えた左足を見ると、そこには白い何かが絡みついていた。
「危ないじゃなあい」
「ヤバい普通に勘づかれた!」
俺の左足には、一切の新たな負傷がない。鋼の糸では起こり得ない感触である。つまり、粘着性の糸に切り替えたのである。
冷静に考えて、自分に対して真っ直ぐに突進してきたら、そりゃ一旦捕縛を優先するよね。
さて、どうする。このままじゃ、全身を拘束されるのも時間の問題だ。この状況を打破しうる、クールで知的な解決策を導かなければならない。
まず、無理に外そうと手で糸に触れるのは論外だ。それは、接触面積を広げて被害を拡大することに他ならない。火属性魔法の高温や、剣による切断ができない今、俺にできる対処は、接触を物理的に断つこと。粘土エクステラに腕を捕らわれた俺は、剛枷拳ティザプターを装備することで接触を断ち、拘束を突破した。それと同じことをしてやればいいのだ。しかし、足の装備に関しては、迷宮の脚甲は現状装備限界を迎えてあばばばばばばばばばばばばば
「うるせえゴリ押しじゃァ――――ッ!」
脳に酸素が足りていない俺は、合理的力技で突破を図る。考えなしのようだが、あながち悪手というわけでもない。
粘着性の糸は、伸縮性も兼ね備えている。つまり、糸が伸びる範囲であれば、まだ暴れられる。そしてそれは、空中で踏ん張りのきく俺だからこそできること。
そして、
「既にテメエは射程圏内なんだよ!」
その範囲に、既にアンリは収まっている。
腕を伸ばす。俺の想定外の挙動に目を見開いたアンリは、僅かに後退する。基本罠を張って獲物を待つ生態だからか、アンリの反応速度は並程度だ。完全にリーチを外れちゃいない。
何故なら、アンリは俺の攻撃を急所から外すために後退したつもりらしいが、俺の目的は攻撃じゃない。
アンリが傍に備えている、フラスコを掠め取る。『野園印の超回復ポーション』だ。だから何でアンリが持ってんだよ。
糸が絡まっているが、これも粘着側だ。使える。
「とっとと働けテメエ!」
アンリの跨る白いサムシングに、握ったフラスコを叩きつける。何捕まってんだという苛立ちを乗せた一撃、その内容物が、新垣新の傷を癒す。
瞬間。
「『割裁』」
「なあ……っ!?」
スキルの宣誓。瞬間、アンリと新垣は重力の糸に絡め取られる――――何やら上手いことを言ってしまったが、淡白に言えば落下している。
それは、アンリの糸が浮遊能力を失ったからであり、それは、新垣が糸の拘束から解放されたからであり、それは、回復した新垣が固有スキルを発動したからである。
アンリの驚愕にも納得だ。確かに新垣は剣を持ったままだったが、両腕も拘束された状態では、まともに振るうこともできない。多少手首を動かして刃を当てることくらいは可能だが、そんな状態の斬撃で壊れるほど、アンリの糸は弱くない。
だが、新垣の固有スキルが、それを可能にした。それは、宣誓と、光の粒子となって消えゆく新垣の剣が証明している。
新垣という土台を失い、アンリも落下する。固有スキルを再び使えばリカバリーも可能だろう。だが、それはノータイムでできるようなことじゃない。
――――そして、そんな隙を、決して見逃さない。
「おわああああああぁ!?」
あ、俺がじゃないよ?
粘着糸を強引に伸ばしたせいで、今の俺は発射した直後のスリングショットみたいな挙動で空中を暴れ回ってるからね。吐きそう。
「『魔体化――――砲閃火』」
目を焼くような光熱がアンリへと迫り、斬撃を残して通過する。
炎熱を発しながら空中で残心するそれは、まるで炎のような人だった――――否、まるで人のような炎だった。
「ぐ、あ……!?」
苦悶の声を上げるアンリは、きっと自らの身に何が起こっているか理解できなかっただろう。
人のような炎が握る、刀のような炎に、アンリは斬られたのだ。
「……っ『惑蝶』」
しかし、炎に撥ね飛ばされ、宙を舞いながらもアンリは意識を失っていなかった。
固有スキルの宣誓と同時、落下軌道に入っていたアンリの身体が、重力に逆らって浮上する。
撥ね飛ばされた慣性を保ったまま、アンリの身体は飛行を開始。人質を取り戻すことはせず、そのまま逃走を再開した。
…………もしかして今、しれっとすごいテクニックの進化を遂げて帰って行ってなかった? まあ今はいいや。
「……なんとか間に合いましたか」
刀を鞘に収めた人型の炎がかき消えていき、中から生身の人間が現れる。
お馴染み皆の委員長、安藤枢のご登場である。
委員長の固有スキル、『魔体化』。許可を得た相手の魔法に、自らの身体を同化させるスキルである。
火属性魔法に同化すれば、空中を高機動で移動できる。そして、炎と斬撃で攻撃も可能。空中で動けない相手にエグい一撃入れやがるもんだ。
件の委員長は、着地こそ無事だったがふらついている新垣に駆け寄っている。ポーションで傷は塞がったが、流した血が戻ったわけじゃない。これは暫く安静にしなきゃいけないパターンだ。俺も牢獄迷宮で何回かなったことあるから分かる。
そして、委員長に火属性魔法を与えたであろう魔法使いが、遅れて駆け寄る。
「ハァ、ハァ……委員長、無事?」
身体的なステータスは高い方ではない根岸綾が、肩で息をする。だが、その表情には、無事を確認したことによる安堵が浮かんでいた。
ちょうどよかった。俺は、そんな根岸さんに声をかける。
「ねー根岸さん、ちょっとこの糸どうにかしてくんね?」
俺は、上下逆さまになりながら、自分の左足を指差す。
スリングショット挙動は落ち着いたが、その拍子に糸が木に貼り付き、樹上から吊り下げられた格好になっている。もう少し力入る姿勢だったらともかく、今は力技で取れそうにねえ。アンリあいつ、剣士とか以外の近接相手ならほぼ無敵なんじゃねーの?
「…………」
話しかけられた瞬間、根岸はとても不快そうな顔をして俺を見る。
そして大きなため息をつき、歩いて俺との距離を少し詰めて、
「『メラル・トレジア』」
「熱っつぁッ!?」
俺の足に向けて火属性魔法を放った。
高熱にあてられた糸が、焼け焦げて千切れる。足の熱さに気を取られていた俺は、受け身も取れずに頭から地面に落下する。
根岸さん。確かに今の俺は、多少足を焼かれた程度じゃ大怪我にならないけどさあ。ゴブリンメイジと戦いまくった間に、四肢を焼かれたのなんて慣れっこになったとはいえさあ!
…………まあいいや。根岸さんが、俺みたいな嫌いな奴のお願いを聞いてくれただけで十分すぎる。状況が状況だからかな。
と思っていたら、根岸がインベントリから『野園印の回復ポーション』を取り出し、こちらへ転がしてくれた。えっ、明日にでも空から槍が降り注ぐんです?
ともかく、人質になっていた新垣を取り戻し、委員長と根岸さんも無事だ。俺の新たな負傷も、今貰ったポーションで多少どうにかなる。
そして、アンリの撤退。委員長が、致命傷にならない程度の深手を一撃で与えてくれたのが大きい。意外と戦闘スタイルが攻撃特化なんだよな、委員長。
まあ名前弄りされた去年の委員長の暴れっぷりときたら凄まじいものがあったし、納得はできる。
いやー、今となっては懐かしいなー、あれ。あれからだよな、本格的に委員長っていうあだ名が浸透していったの…………。
「…………とか言ってる場合じゃねえ!」
一年前というそこそこ近い思い出に対して感傷に浸っていた俺だが、重大な事実を思い出して飛び上がる。
ぱんぱん、と俺は両手を叩き、三人の注目を集める。
「皆、聞いてくれ! ソフィの奴が大量のアンデッドを放っちまった! 被害が拡大する前に、なんとか食い止めないといけねえ!」
本来は合流し次第、アンデッドの対応に向かわせたいと思っていたのだが、思いの外時間をかけてしまった。
これはマズいぞ。今もなお、被害が拡大している恐れがある。俺がまだ確認していない戦場は、多分あと三つか? そこに衝突していないと信じたい。
「委員長は新垣を連れて撤退してくれ。んで、根岸さん。広範囲を魔法で攻撃できる根岸さんに、アンデッドの迎撃をお願いしたいんだ」
「……………………ん」
物凄く間が空いたが、嫌ってるはずの俺の発言に相槌を打ってくれた。えっ、明日にでも空から隕石が降り注ぐんです?
「えっとね、方向はあっち。足止めしてる――――人がいるから、そいつと合流してほしくて」
「?」
俺は言葉を濁した。歯切れの悪い俺の発言に、根岸も、後ろで聞いていた委員長も怪訝そうな顔をする。
だが、俺も誤魔化し切るしかない。伏せた内容――――足止め組が江口精一ということを、根岸さんに伝えるわけにはいかないのだ。無駄に気まずい空気が流れる。
しかし、その沈黙は破られる。
「がるるるるるぁ!」
「見つけた!」
獣の咆哮が、俺たちの空気に割り込んだからである。そして、少し遅れて、聞き覚えのある男の声。
がさがさと葉を踏む音が聞こえ、その正体を現す。それは、一匹の魔物と一人の人間。
「コミっち!?」
「ユズ! それに根岸さんたちも!」
かもめ専属の効かないブレーキ、コミっちこと駒形小路。そしてその使い魔であるデカいワンコ、刃狼将ロガルと再会する。海歌姫セレンとの戦いで別れて以来だ。
そして、ロガルは根岸さんに向かって吠える。
何事かと思ったが、どうやら一人と一匹がここにやってきた目的は、俺の目的と同じだったからのようだ。
「大変なんだよ! 急に向こうからゾンビみたいなのが大量に襲ってきてる! 今はかもめちゃんと江ぐ――――」
「お前らマジでナイス過ぎる!」
焦るコミっちの言葉を遮り、俺は歓喜の雄叫びを上げる。ここへきて歯車が上手い具合に噛み合った快感に、俺は高揚した。
恐らく既に一度、かもめとコミっちは江口と合流している。江口と一緒にかもめが魔法でアンデッドを止めている間に、コミっちはロガルの嗅覚を頼りに、魔法が使える面子を探していたってところだろう。
実に理想的な状況だ。俺が数秒前まで必死に頭を悩ませていた問題が、全て解決する可能性がある。
「今ちょうどその話をしてたんだ。なあロガル、かもめのところへ根岸さんを連れて行ってくれるか?」
「ぐるる」
しゃがみ込んで目線を合わせ、ロガルに話しかける。了承は、優しく唸ることで交わされた。どうやら特に疑問に感じる様子もないようだ。
「えっ、ええ……?」
「……よし!」
何やら置いてけぼりにされたコミっちが首を傾げるが、それを華麗にスルー。
まだ予断を許さない状況ではあるが、アンデッド単体の強さは大したことない。魔法の天才たるかもめ、アンデッドの弱点である火属性魔法を扱う根岸さんの二枚編成であれば、大軍を相手にしても十分に対応できるだろう。
つまり、あとは俺の頑張り次第。残りの戦場も可及的速やかに処理してしまえば、あとは心置きなく撤退できる。
なんせ神殿がブチ壊れている時点で、今後は拠点を移すことがほぼ確定している。正直アンデッドがこれ以上この周辺の森をいくら荒らそうが、事態は相対的に見てあまり悪化しないっていうね。
この戦いも、そろそろ終盤戦。アンデッドが戦場をかき乱す前に、俺が戦場をかき乱し尽くす。
⭐︎根岸綾
Q. なんでユズ君のこと嫌いなの?
A. 安心してください、ちゃんと他の男子のことも平等に嫌いです。
ユズたちと合流した瞬間、重症だったはずの新垣ではなく委員長を心配しているあたり筋金入り。




