4話
ちょこっとシリアス。
昨日から降り続く雨はお昼を過ぎてもやむ気配がない。今日こそ、と意気込んでいただけにショックは大きかったけれど、時間はまだあるわ、と自分のなすべき家事に集中した。
忌々しい雨。昨日、これさえなければ私は旦那様の本来のお姿(29歳男性)を拝見することができたのに。
そう思う一方で、私の脳裏を半分を占めるのはまた別の考えでもあった。
昨日、旦那様のお部屋で過ごした一日。旦那様とのたわいない会話。ゆっくりと流れる時間。旦那様の笑顔と、相槌と、穏やかな口調。
これまで3か月間毎日触れてきたものだったはずなのに、それらすべてが、私の中でどうしようもなく、本当にどうしようもなく愛おしくてたまらない。
情熱的な愛情もなければ冷めきった仲でもない、心地よい関係。私は私たちの関係をそう評価した。それは今でも嘘じゃない。燃え上がるような感情は私の中に芽生えてはいない。
それでもこの胸のどきどきは、まぎれもなく幸せを感じられるものだ。
今までの3か月間、旦那様と一緒に過ごすのは夕食の時ぐらいだった。今思うと、どうしてそれで満足できていたのだろう。どうしてそれで、私は旦那様を知った気になれていたのだろう。どうして、私は妻だと、あんなに胸を張って言えたのだろう。
もっと旦那様と一緒にいたい。もっと話したい。もっと笑顔になってほしくて、もっと話を聞きたくて、そして、私に、触れてほしい。
この感情は、何?
***
旦那様のお部屋をノックしてから、私はその失態に気づいた。
家事をしながら旦那様のことや昨日のことを考えていたら、無性に旦那様に会いたくなってしまったのだ。けれど、まだ旦那様はお仕事中なのに、私ったらいったい何をしているのだ。本当に情けない。
かくなる上は旦那様が出てくる前に逃亡を―
「なんだい、チェルシー?わたしに用?」
トントンダッシュ(よくよく考えればどう考えてもこちらの方が迷惑だわ)に失敗した私は、扉を開けてくれた少年の困惑顔に、それでももはや引っ込みがつかず、「あの!」と叫んだ。
「旦那様!」
「な、なにかあったのか」
旦那様は私の思いつめたような表情に驚いたらしく、今日は大事な用があったかな、それとも昨日のことでショックを受けて!?すまなかったチェルシー!……とかなんとかよくわからないことを言っては焦ったような表情を浮かべていたのだけれど、おろかにも私は自分のことで精いっぱいだった。
そして精いっぱいの私は精いっぱいの旦那様に向かって言った。
「今日、これから、い、一緒に過ごしてもよろしいでしょうか!」
「……え?」
たっぷり数秒考え込んだらしい旦那様が発したせりふは、小さなその一言だった。
***
「仕事は一段落したから。さあ、座りなさい」
すみません、と謝りながらソファに座る私に、旦那様は優しく微笑んだ。
「何を謝る?あなたはわたしの妻だろう?好きな時に訪ねてきてよい権利がある。それにあなたと話せるのはわたしにとっても嬉しいのだよ」
ああ、本当に私はバカだわ、と思った。
こんなにも素敵な人と結婚していたことに、今更気づくだなんて。
「ところで、チェルシー。本当に、なぜいきなり尋ねてきたんだ?今日もまだ雨が降り続いているから、おそらく今日は黄昏時は来ないと思うが……」
旦那様は首をかしげた。そうよね。私が旦那様と昨日一日を一緒に過ごしたのは、黄昏時の本来のお姿を見るためだったんだもの。旦那様もそれが目的だと思っているわよね。
いや、それが本来の目的だったはずだった。でも今の私は違う。たとえ今日が雨で、黄昏時が来なくって、旦那様のお姿が発光して少年からいきなり老人になったって、旦那様と……ロガード・プレーデシルト伯爵と、一緒にいたい。
「ただ、おそばに」
「……え」
「ただ、ロガード様のおそばに、いたいと思って」
「チェル、シー」
かすかれたような声で旦那様がつぶやいた。
私たちは政略結婚だ。だから、ふたりの間に恋情はない。たぶんそれは間違いない。
それでも、私はこの人と一緒にいたい。できれば、本当に、旦那様が老人になるまで。私も同じような見た目になるまで。
たとえ旦那様にそんな気がなくて、ただ利益が一致したがために、そして邪魔にはならないと判断したから一緒に暮らしているだけの、そんな存在の妻だったとしても。
「チェルシー……わたしは」
「いえ、いいんですわ。旦那様。これは私が思ってるだけですから。今まで通り、仲良くやっていきましょう」
旦那様に気をつかわせるわけにはいかない。そうおもってにっこり笑って告げると、旦那様は眉をしかめて首を振った。
「違う、チェルシー。聞いて、わたしは」
その時だった。
薄闇にまぎれて柔らかな黄金色が差し込んでくる。私と旦那様は会話を中断し、窓を見た。
雨がいつの間にか止んでいた。
「「あ」」
二人の声が合わさる。旦那様の体が、また同じように白く光る。
光が止んだ時、そこにいたのは、私が見たこともない人の姿だった。
黄昏よりももっともっとまぶしいくらいの金髪に、海よりももっと深い、切れ長の青色の瞳。陶器のように白く、皺ひとつないなめらかな肌。
まるで絵画に出てくる天使のような、美しい青年が、そこにいたのだ。




