彼女に体を拭いてもらう
それから数分も経たないうちに、小雪が洗面器にお湯を溜めて戻ってくる。
ベッドのそばに立って――ごほんと咳払い。
「えっと、それじゃあ……ぬ、脱ぎなさい!」
「なんだそのテンション」
ツッコミを入れつつも、照れ隠しなのは明らかだった。
言われたとおりに寝間着の上を脱ぐと、小雪は「ぴゃっ」と悲鳴を上げて顔を覆う。
その反応に、直哉は苦笑するしかない。
「脱げって言ったのは小雪なのになあ。あと、上半身くらい昨日のプールで見たはずだろ」
「そ、それとこれとは別だし……! いいからほら! 後ろ向いて!」
「はーい」
それ以上からかうと逃げてしまうのは分かっていたので、大人しくベッドの上で背中を向けた。
小雪はドギマギしながらも、タオルをお湯に浸してぎゅーっと絞る。
もちろん様子は見えないが、水音だったり息づかいだったりが間近に感じられるため、かえってその真っ赤な顔がまざまざと脳裏に浮かんでしまった。
(見えない方が、なんかこう……心臓に悪いもんだな)
直哉も直哉で、顔の赤みは一向に引く気配がなかった。
「そ、それじゃ、拭いていくから」
「お、おう」
お互いの声はかなりこわばっていて、緊張しているのが丸わかりだった。
小雪はおずおずと直哉の背中を拭いていく。タオルはちょうど人肌くらいに温められていて、じっとり湿った体によく沁みた。温泉に入ったときのような声が、直哉の喉からこぼれ落ちる。
「あー……気持ちいい……」
「ふふ、それはよかったわね」
緊張が緩んだのか、小雪も相好を崩してみせる。
「光栄に思いなさいよ。私がここまでお世話してあげるなんて、家族くらいのものなんだから。治ったらたっぷりお礼してもらわないとね」
「ああうん、何がいいかなあ。食べ物でいいか?」
「はあ? そんなお子様メニューで誤魔化されないわよ。それに私、今ダイエット中なんだから」
「それは知ってるよ。でも最近、和食以外にちょっと凝った料理も開拓中でさ」
「……凝った料理って?」
「そうだなあ。ローストビーフとか、パエリアとか……あとケーキとか」
「ケーキ!?」
小雪の手が一瞬だけぴたりと止まった。
それには気付かないフリをして、直哉は続ける。背中を向けているのでニヤニヤ笑いが気付かれないのは救いだった。
「うん。スポンジ焼いて、デコレーションとかもしてみようかと。よかったら今度試食してくれないかな」
「ふ、ふーん? 直哉くんがそこまで言うのなら、食べてあげなくもないわよ」
セリフは高飛車そのものだが、小雪の声はわかりやすく弾んでいた。
やはり甘い物の魅力には敵わないらしい。
そんな話をしている間にも、小雪は手際よく直哉の背中を拭いてくれた。
おかげで背面は完全にすっきりした。タオルをもう一度絞りつつ、小雪はどこか覚悟するような声で告げる。
「それじゃ……今度はこっち、向いてちょうだい」
「前はさすがに自分でやるって……」
これまでは背中を向けていたから、くだらない会話もできたのだ。
いざ対面してしまえば、絶対に気まずい。
小雪もまた緊張し始めているのが明らかだった。それでも譲るつもりはないらしい。ふてくされたように唇を尖らせる様子が、背中越しでもよく分かった。
「私がやるって決めたのよ。一度手を出したからには、最後まで責任持ってお世話するんだから」
「俺は猫か何かか……?」
責任感が強いのはいいことだが、その長所は別の機会で発揮してほしかった。
直哉はもちろん渋るしかない。
しかしそこで、小雪は思いついたとばかりに手を打って明るい声を上げる。
「あっ、じゃあこうしましょ。私が――」
「却下。そんなことをさせるくらいなら、俺がそっちを向く」
「まだ何も言ってないのに……まあ、それならいいんだけど」
釈然としなさそうな小雪だった。
後ろから腕を回して前を拭く……なんてことを実行されたら、気まずいどころの話では済まない。それならまだ対面の方がマシだった。たぶん。どちらも即死には変わりないと思いはした。
続きは明日更新します。書籍版、絶賛ご予約受付中です!






