表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/212

笹原法介の華麗なる事件簿①

 白金・K・ハワード、四十一歳。

 彼はこれまで、実に順風満帆な人生を送ってきた。


 英国での名門一家に生を受け、権威ある大学を首席で卒業。

 そのあとすぐにとある女性と燃えるような恋に落ち、日本に移住し結婚。

 身ひとつで起こしたアンティーク家具輸入業が軌道に乗って、今ではそれなりに大きな会社に成長している。


 妻との結婚生活は順調そのものだったし、可愛い娘がふたりもできた。

 どちらも反抗期なのか最近は当たりが少々強いものの、それはそれで愛らしくてたまらないし、今でも妻とはラブラブだ。


 人はハワードのことを『絵に描いたように幸せな人生を送る男』と呼ぶ。

 当人にもその自覚はもちろんあった。

 

 だがしかし、それがまさか故郷の地で――人生最大のピンチを迎えるとは思いもしなかった。

 



「間違いないわ! この男よ!」

「は……?」

 

 それは商談のため、イギリスを訪れたときのことだった。

 商談相手が待ち合わせに指定したのは、都会の片隅にある小洒落たレストランだ。

 夜のいい時間ということもあって店内のテーブルはほとんど埋まっており、ジャズの生演奏がゆったりと流れていた。


 商談相手は遅れるとの連絡が入ったため、ハワードはテーブルでひとりメールのチェックを行っていた。

 なんだか店内がにわかに騒がしくなっていたが、自分には関係ないものだとしてタブレットの操作に集中した。


 仕事の連絡……ではない。大事な妻からのメールチェックである。

 今日も家族に何事もなく、娘のボーイフレンドも招いて夕飯を食べたらしい。添付されていた写真には、小雪と直哉が仲良く皿を並べるところが激写されていた。


 それにハワードは「うらやましいなあ……」としみじみこぼした。仕事が忙しいため、未来の息子と会えるチャンスは限られているからだ。

 娘の彼氏など、父親からすれば面白くもなんともないはずだが、ハワードは直哉のことを本当の息子のように気に入ってしまっていた。


 早く仕事を片付けて日本に帰ろう、と決意を固めた――ちょうどそのときだ。

 突然、先の大声が彼に突きつけられたのである。

 

「ちょ、ちょっとマダム、落ち着いて――」

「私は冷静よ! あなたが盗んだにちがいないわ! 私の指輪を返しなさいよ!」

 

 ヒステリックに喚き立て、ハワードに人差し指を向けるのは、身なりのいい老婦人だった。

 恰幅が非常によく、丸々とした指には大粒の宝石が飾られている。

 見るもわかりやすい富裕層の人間だ。


 それが鬼気迫る形相で、ハワードに突然泥棒の濡れ衣を着せてきた。周囲の客たちは眉をひそめて注視し、いつの間にかジャズも止まっている。

 店中の注目を集めてしまい、ハワードはうろたえそうになる。

 しかし紳士の矜恃でそれをぐっと堪え、なるべく穏便に言葉をつむいだ。

 

「はは……なにかの間違いでしょう、マダム。私はあなたのようなご婦人とは今初めてお会いしますよ」

「嘘おっしゃい! さっきトイレですれ違ったじゃない!」

「そ、そう言われてみれば……」

 

 たしかに先ほど手洗いに立った際、彼女とすれ違ったような気がする。香水の臭いが強烈で、それがやたらと印象に残っていた。

 店員たちもまた顔を見合わせて、ハワードに疑いの目を向ける。

 

「……ちょっとすみません、お客様」

「なっ、なにをするんだ!?」

 

 体格のいいウェイターが素早く動き、椅子に立てかけてあったハワードのカバンをかすめ取った。

 そうしてゴソゴソと中身をテーブルに広げていく。

 あまりに不躾なその態度に、さすがのハワードも声を荒げそうになるのだが……その抗議の声は、喉の奥へと消えていった。

 

「ありました! ダイヤの指輪です!」

「は!?」

 

 ウェイターが彼の鞄から、大粒のダイヤがついた指輪を取り出してみせたからだ。

 老婦人がそれを見て、鬼の首を取ったように声を上げる。

 

「それよ! 間違いなく私の指輪だわ!」

「ふむ……お客様、いったいこれはどういうことでしょうか?」

「そ、そんなバカな……! なにかの間違いだ!」

 

 ハワードは椅子を立ち、よろめくしかない。

 店中がどよめき、白い目を彼へと向ける。この場の誰もが老婦人の言葉を信じていることが肌でわかった。

 それもそうだろう。実際にハワードの鞄から決定的な証拠が出てしまったのだ。まったく身に覚えのない彼以外に、それを疑うものなど誰もいないはずだった。

 

(なぜ、そんなものが私の鞄に……!?)

 

 まるで状況が理解できなかった。ただ自分の顔から血の気が引いていくことだけが、ありありとわかる。

 さらにはウェイターがそんな彼の手首をつかみ、鋭い目を向けてくる。

 

「お客様、ここでは何ですので……店のお奥へどうぞ」

「ま、待ってくれ! 私はやっていない! 話をどうか聞いてくれ!」

「嘘おっしゃい! 警察よ! 誰か警察を呼んでちょうだい!」

「なっ……け、警察!?」

 

 老婦人がヒステリックに喚き立て、ハワードの頭はさらに真っ白になった。

 自分は無実だ。それだけは間違いない。だがしかし、まかり間違って逮捕などされてしまえば……大事な家族に迷惑がかかってしまう。

 

(そ、それだけはダメだ……!)

 

 だから彼はもう一度無実を叫ぼうと、口を開くのだが――。

 

「皆さま、少々お待ちいただけますか?」

「っ……!?」

 

 そこで、場にそぐわないほどの穏やかな声が響く。

 おもわず口をつぐんでハッと振り返った先、そこには見知らぬ男が立っていた。


 何の特徴もない東洋人だ。黒髪を撫でつけて、そこそこ上等なスーツを身に纏っている。おそらく中年と言っていい年齢なのだろうが、青年と呼んでも差し支えないほど若くも見えた。

 柔和な笑顔を浮かべる彼を見て、ハワードは首をひねるしかない。

 

(はて……どこかでお会いしたかな?)

 

 仕事柄、ハワードは様々な人に出会う。

 それゆえ人のプロフィールはなるべく一度で覚えるように心がけていた。顔と名前、所属くらいの情報はすぐに思い出すことができる。


 だがしかし、この東洋人に関しては一切の情報が浮かんでこなかった。

 だから間違いなく初対面……のはずなのだが、何故かよく知った相手のような気がしてならなかった。

 不思議な相手を前にして、ハワードは状況も忘れて目を瞬かせるしかない。

 

 老婦人も、彼をじろじろ見つめるばかりだ。

 

「なによあなた。この泥棒の仲間なの?」

「いえいえ、滅相もございません。こちらの男性とは初対面ですよ」


 東洋人の男は折り目正しく頭を下げ、老婦人へと笑みを向ける。

 所作も言葉も洗練されているものの、それが行きすぎていないおかげで、一切相手に警戒心を与えない。ビジネスマンとしては一流の物腰だ。

 彼はあごを撫でながら、温和な声で続ける。

 

「ただ、少し気になることがございまして。僭越ながら口を挟ませていただきました」

「気になること……?」

「はい」

 

 そこで、彼はすっと目を細めてみせた。

 たったそれだけで纏う空気が一変する。気品ある物腰は、今にも弓矢を放たんとする狩人のそれに。柔らかな笑みは、牙を剥く猛獣のそれに。

 おかげで老婦人とウェイターがどよめいた。見守る客たちもいっせいに口をつぐみ、ハワードでさえも言葉を失ってしまう。


 店内の空気は今の一瞬で、男によって完全に掌握された。

 そのまま、彼は妙に確信めいた調子で――こう続けるのだ。

 

「ご婦人、あなた……嘘をついていますね?」

第二部はじめました!

さめがちょっと多忙のため、しばらくは不定期更新になります。なるべく週一更新で頑張ります。

おじさんたちの番外編は次回で終わり、それ以降は直哉&小雪のイチャイチャです。なぜおじさんを挟んだ。


休載中もブクマや評価、まことにありがとうございました。

レビューも感謝感激です。北ノ夜空様、ありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] この2人の掛け合いがトップレベルに好きよ(*´ω`*)
[一言] ナニ小雪、マジ可愛いのだけれども‼️ この二人を、見守る会なら 世界を敵に回しても怖くない‼️
[良い点] これがおっさんずラブか、、
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ