泣き虫の迷子
白金小雪という少女は、どうしようもなく不器用だ。
天邪鬼だし、人付き合いも苦手。
自分を守る鎧としてクールキャラを気取ってみるものの、すこしのことでボロが出る。
アクシデントにめっぽう弱いし、意地を張って自滅することもしばしば。自分の態度をあとで猛烈に反省することも多い。
いじっぱりで寂しがり屋の弱虫――それが、皆が言うところの『猛毒の白雪姫』の正体だ。
だから小雪は、自分のことがあまり好きではなかった。好きになれるとも思っていなかった。
その意識がここ最近、ほんの少しだけ変わりつつあった。
きっかけは些細なもの。それでも小雪の人生は一変した。こんなに自分を変えたいと思ったのも、人を好きになったのも初めてだった。
だから、今日は自分なりに頑張るつもりだった。
一世一代の勝負をしかけるつもりだった。
それなのに――。
「どうしてこうなっちゃったんだろ……」
小雪はひとりベンチに腰掛けて、膝のぬいぐるみをぎゅ……っと抱いていた。
日はとうに沈んでしまい、空は一面の漆黒だ。
しかしその暗闇には色とりどりの火花が踊り、地上もまたまばゆいばかりにライトアップされている。遊園地の夜は最高潮の盛り上がりを見せていた。
だがしかしその明るさが、今の小雪には辛かった。
理由は明白だ。そばに直哉がいないから。
ほんの三十分ほど前。
人並みが押し寄せてきたあのとき、小雪は直哉とはぐれてしまった。気付いた時には隣のブロックにいて、そこで急いで元の場所に戻ればよかった。
それができなかったのは――。
『ふえっ……わ、わたしのおかーさん、どこ……?』
『えっ、えええ……私が聞きたいわよ……』
小さな女の子がべそをかきながら、小雪のスカートを掴んできたからだ。
慌てて迷子センターを探して駆け込んだものの、女の子が小雪を離さなかったので、ずっと懸命にあやし続けることになった。
そのあと、わりとすぐに女の子の両親がやってきたものの――気付いたときには直哉とはぐれてから三十分以上が経過していた。
荷物は直哉に預けたままだったし、その中に携帯も財布も入っている。
迷子センターで電話を借りて自分の携帯にかけてはみたが、まさかの電池切れ。
直哉の番号なんて覚えているわけもなく……迷子センターに呼び出しを頼んでみたものの、今日は迷子が大量にいるらしく、まだ放送はかからない。
つまり、けっこうな『詰み』状態だった。
そんな小雪の心細さに拍車をかけたのは、空に上がった花火だ。
それはパレードが始まった合図に他ならず……入場ゲートの方角からは、楽しそうな歓声が風に乗ってここまで聞こえてくる。
今小雪がいるのは、入場ゲートのちょうど対角線に位置する場所だ。
今からでは走っても間に合うかどうか怪しいし、そんな気力はわずかにも残っていなかった。
本来なら自分も直哉と一緒に、あそこにいるはずだった。
それなのに、どういうわけかたったひとり、夜風に打たれながらぬいぐるみを抱えている。
物悲しさで胸が張り裂けそうだが……それよりもっと、小雪を苛む思いがあった。
(怒ってるかな……それとも呆れてるかな……せっかくのデートなのに、私のせいで台無しにしちゃったものね……)
直哉に迷惑をかけていること。
それが今一番、堪えていた。
(今日は頑張るつもりだったのに……なんでこうなっちゃったんだろ……)
今日こそは直哉に思いを告げるつもりでいた。
それなのにこの土壇場で迷子である。
考えうる限り最悪の展開で、小雪は落ち込む一方だった。周囲は明るく楽しげで、小雪はますます暗い考えに沈んでいく。
(直哉くんに嫌われちゃったら、どうしよう……)
ついにはそんな考えまでもが、脳裏をよぎってしまって。
小雪はぐすっと鼻を鳴らす。
そうなればもうダメだった。我慢していた涙がじわじわと溢れ出して頰を濡らす。ぬいぐるみに顔を押し付け、小雪は嗚咽を噛み殺した。
楽しげな喧騒が遠ざかり、耳鳴りのような音が頭いっぱいに鳴り響く。
まぶたも閉ざしたせいで、世界にたったひとり残されてしまったような錯覚に陥ったところで――。
「小雪!」
「っ……!?」
声が響き、小雪はハッと顔を上げた。
闇に沈む遊園地。
その片隅にあるベンチに、街頭のか細い明かりに照らし出される小雪を見つけ、ようやく直哉は胸を撫で下ろした。
そのまま慌てて駆け寄れば、小雪は涙を拭うことも忘れたまま、呆然と口を開く。
「な、なんで、ここに……まだ呼び出し放送もかかってないのに……」
「まあ、たしかにちょっと難易度は高かったけどさ」
ハンカチで顔をぬぐってやりながら、直哉は苦笑する。
小雪とはぐれて、まずパレード広場まで向かった。
しかしそこで彼女の姿が見えなかったので……なにかアクシデントがあったと察したのだ。
「スタッフさんに聞いたけど、それっぽい急病人はいなくてさ。だから小雪のことだし、迷子を見つけて面倒見てるんじゃないかと思って。で、今ごろは迷子センターの周りで凹んでるだろなーって予想したってわけ」
「……やっぱり全部お見通しなのね」
小雪はしょんぼりと肩を落とし……またさらに嗚咽を上げる。
「うっ、う、ごめんねえ……私のせいで、デート、台無しにしちゃって……」
「いやいや、何を言ってんだよ」
震えた声で謝罪を繰り返す小雪に、直哉は笑う。
心細い思いをして、自分を責めているだろうということは、簡単に予想ができていた。
だから直哉は腰をかがめ、小雪の顔をのぞきこむ。
「台無しになんかなるわけないだろ。この程度のアクシデントで悪い思い出に変わるほど、今日のデートは平凡なものだったか?」
「……ちがう」
「だろ? だから大丈夫。気にするほどのことじゃないって」
「うう…………」
そう告げると、ますます小雪は顔をゆがめて――。
「私のこと、き、きらいに、なってない……?」
「なるわけないだろ」
「うん……うん……!」
絞り出した悲しい問いかけに、直哉は即答する。
すると小雪はますます堰を切ったように泣き出した。
悲しみではなく安堵の涙だとわかっていたから、直哉は好きなだけ泣かせてあげることにした。隣に座って手を握ると、ぎゅうっと握り返してきた。
「よしよし。もう大丈夫。寂しい思いさせてごめんな」
「うっう……うん、ありがとう……」
そのまましばしふたりはベンチで時を過ごした。
正面ゲートでパレードが行われているせいか、この区画は人通りも少なくて静かなものだ。はるか遠くの方で鳴り響く花火の音を、ふたりでぼんやりと眺めていた。
やがて空にひときわ大きな閃光が上がると、にぎやかな音楽はぴたりと聞こえなくなってしまった。
それを見つめて、小雪はぽつりと言う。
「パレード、終わっちゃったね……」
「ま、次来たときでいいだろ。遊園地なんていつでも来れるんだしさ」
直哉があっさり告げると、小雪は不安そうな上目遣いで見つめてきて――。
「また、いっしょに来てくれる……?」
「もちろんだって。次ははぐれないように、ずーっと手を握ってような」
「……うん」
小雪はこくりとうなずいた。
かなり疲れたようで、表情は乏しいものの……どうやら少し落ち着いてきたらしい。
(初デートの最後が嫌な思い出になるのは避けられたかな……?)
直哉もほっと胸を撫で下ろす。
そのついでに時間を見ると、いい頃合いだった。
「それじゃそろそろ帰るか。ここからだとゲートまで遠いし、ゆっくり歩こう」
「うん……」
立ち上がる直哉に従って、小雪もよろよろと腰を上げる。
そのままゆっくり歩き出そうとするのだが――ぐいっと手を引かれて振り返る。
「うん? どうした、小雪」
「……あれ」
小雪が泣きはらした目で、ぼんやりと見上げるもの。
それは大輪の花のように夜空に咲き乱れる――。
「最後にあれ、乗りたいな……って」
「あれ、って……」
遊園地の定番アトラクション、観覧車だった。






