デートを賭けた一騎打ち
(今回ボードゲームのルール説明等がありますが、読み飛ばしていただいても問題ありません)
ごきぶりポーカーとは、カードゲームの一種だ。
カードは八種類の嫌われ者――ゴキブリやねずみ、カメムシなどで構成される。八枚ずつあるそれらの札を、押し付け合うのだ。
「押し付け合う、って?」
「たとえばこのカードね」
首をかしげる小雪の前に、桐彦は一枚のカードを伏せて置く。
「さあ、小雪ちゃん。『これはゴキブリ』よ。本当か嘘か、どっちだと思う?」
「へ? えーっと、じゃあ……ゴキブリ、じゃない?」
「ぶっぶー。残念」
カードを表にすると、現れるのはゴキブリの絵札だ。
それを、桐彦は小雪の前に並べてみせた。
出題者がカードを一枚伏せたまま、相手に差し出す。
そして、それがなんのカードかを宣言する。
回答者はその宣言が本当かどうかを当てる。
それが一連のゲームの流れとなる。
「で、間違ったらカードが回ってくる……ってこと?」
「そういうこと。逆に、質問をちゃんと当てることができれば、相手の前にカードが置かれるのよ」
桐彦は今度は別のカード――蜘蛛を自分の前に並べてみせる。
「同じカードが四枚そろうか、八種類がすべてそろう、もしくは自分の手番が来たときに手札がなければ敗北よ」
「つまり、嘘を見抜く……直哉くんが大得意なジャンルってわけね?」
「まあ、これで負けたことはないかな」
ちなみに出題の権利はカードを置かれた側になる。
つまり回答者が連続正解すると、出題側にカードがたまり続ける……というわけだ。ワンサイドゲームになって、あっという間に終わることもありうる。
「今回は二チーム戦だし、パスはなしってことで。それじゃ巽くん、いつものようにシャッフル頼むわよ」
「はいよー」
デッキを受け取って、巽がカードを混ぜていく。マジシャンめいた手つきでカードを踊らせ、最後にその上から十枚抜いた。
「この十枚はゲームでは使わないの。だから、何の種類が何枚入っているか分からなくなるのよね」
「えーっと、本当ならゴキブリは八枚あるけど、この除外された中に何枚か入っちゃってる可能性もある……ってことと?」
「そういうこと。相手と自分の前に置かれたカードと、自分の手札。ここから残りを推理していくわけ」
「むう……たしかにシンプルなゲームね」
小雪は難しい顔をしてあごを撫でる。
学業成績トップクラスだし、これまでのゲームも飲み込みが早かった。熟考して、勝ちのパターンをいろいろと考えているのだろう。
その研ぎ澄まされた目は、完全に本気だった。
「それじゃ、あたしが最後にもう一回シャッフルして……カードを配るわよー」
かくして準備は整った。
直哉と小雪、そして巽と結衣の二組がそれぞれ向き合って、熱闘の火蓋が落とされた。
目の前の結衣に、小雪は不敵な笑みを向けてみせる。
「ふふふ、夏目さんには悪いけど……手加減はなしよ!! 全力で叩き潰してあげちゃうんだから!」
「ありゃー、こりゃまいったねえ、巽」
「だなあ。気合入れてかからないとな、結衣」
「うーーん……」
その勝利宣言に、結衣と巽は軽い調子で笑う。
おかげで直哉はちょっと頭が痛かった。ただもうシンプルに、この先の展開が読めたからだ。
十分後。
ゲームはついにクライマックスを迎えていた。
畳の上に並ぶカードを前にして、小雪は頭を抱えてしまう。
「なんで……なんで、こうなるのよぉ……!」
「やっぱりこうなったかあ……」
直哉はため息をこぼすしかない。
自分たちの前には、すでに七種類のカードが並んでいた。おまけにそのうち三種類は三枚ある。
つまり八種類と四枚の敗北リーチが、五つそろった状態だ。首の皮一枚でなんとか生き残っているが、場は嫌われ者まみれである。
一方、結衣チームのカードは少ない。カードが七種類出ていて、三枚そろったカードが一種。敗北リーチはふたつだ。
つまり、直哉チームはかなりの苦戦を強いられてしまっていた。
しょげる小雪の頭を、直哉はぽんぽん叩く。
「まあ仕方ない。ここから挽回しようじゃないか」
「うっうう……ごめんねえ……」
小雪はどちらかといえば頭がいい方だ。
しかし、この手のゲームが致命的に下手だった。すぐ顔に出るし、直情的に突っ走って攻撃に出る。
最初に決めた通り、五回に一回直哉がバトンタッチしたものの……かなりの惨敗っぷりだった。
(しかも次は巽が出題者で、小雪が回答者だ……)
高確率で、次で勝負が決するだろう。
ギャラリーの桐彦は「あらー接戦ねえ」なんてスマホで写真を撮りつつ、気楽に観戦しているが、直哉は気が気でなかった。
別に遊園地くらい、自費で小雪を連れて行くことができる。家政夫のバイト代はそれなりに出るし、貯金だってあるからだ。
だがせっかくなら――ふたりの力で、手に入れたかった。
「小雪……」
「……大丈夫よ」
直哉の不安を見透かしたように、小雪は不敵に笑ってみせる。
追い詰められた獣が、牙を剥くような笑みだった。こてんぱんにやられてはいるが、まだ完全には折れていない証明だった。
そんなものを見せられては……直哉も口をつぐむしかない。静かに見守ることを決め、膝立ちでそっと後ろへ下がった。
「ふーん。そんじゃ巽、任せたよ」
「はいよ」
結衣も巽にデッキを渡し、後ろに下がる。
かくして、おそらく最後の一騎討ちが始まった。
「さあ、河野くん! 勝負といきましょう!」
「威勢がいいねえ。なら……こっちも一発しかけるか」
巽はにたりと笑い、手札の一枚を伏せて置く。
「『これはゴキブリ』だ。さあどうする、白金さん!」
「ご、ごきぶり……!?」
小雪の顔がさっと強張った。
そのまま場に出たカードと自分の手札をじっくりと見比べる。
直哉には彼女の考えることが手に取るようにわかった。
こちらにはカエル三枚、相手に二枚。ただしこちらの手札に三枚あるので、相手がカエルを出してくることはない。
ネズミが来るか、ゴキブリがくるか、蜘蛛が来たら負ける。
そして、巽たちの場に出たカードは七種で、残るはゴキブリのみ。ゴキブリが一枚でも来たら敗北だ。
よって、この場合で相手がゴキブリを出すメリットはかなり小さい。返ってきたら負けるからだ。ゆえに宣言は嘘……と見せかけたブラフである可能性も十分にある。
ほぼ一瞬――しかし小雪の中では永劫にも似た逡巡。
その果てに、彼女は心を決めたらしい。巽にびしっと人差し指を突きつけて、宣言する。
「決めた! 答えは『正しい』よ! そのカードはゴキブリね!」
「…………はっ」
巽は口の端に薄い笑みをうかべてみせる。
かくしてゆっくりと運命のカードが開かれていった。
現れる絵柄は――ゴキブリだった。
「……正解だ」
「っっっ〜〜、やったーーー!」
「うおわっ!?」
小雪は歓声を上げ、直哉にがばりと抱き付いた。
勝利に感極まってしまったらしい。首に腕が回されて、頰と頰がくっついた。おまけに色々と柔らかい。五感の全てで彼女を感じて、おもわず息が止まってしまう。
しかしそれも一瞬のことだった。
小雪はすぐに身を離し、得意げに胸を張る。
「ふふん、華麗な逆転だったでしょ! 毎日あなたを見ているんだから、これくらい読めちゃうんだからね!」
「そ、そうだな……」
直哉はそれにぎこちなく返すことしかできなかった。
抱擁の衝撃はもちろんのこと……ほかにも気になることがあったからだ。
「あーあ、すまん。ワンチャンいけるかと思ったんだけどなあ」
「ま、仕方ないよ。勝負かけたくなる局面だったもんねえ」
頭をかいてぼやく巽のことを、結衣は鷹揚に励ましてみせる。
これでゴキブリは巽チームに行くこととなり、八種類のカードがそろった。つまり……直哉たちの勝利だ。
見守っていた桐彦が、白封筒をにこやかに差し出す。
「それじゃ約束の品よ。はい、どーぞ」
「あ、ありがとうございます!」
それを受け取って、小雪はぱあっと顔を明るくした。
勝利の果てに手にした報酬だ。よほど嬉しいのか、その瞳にはうっすら涙の膜が張っている。
「……よかったな」
「うん!」
直哉が笑いかければ、小雪は力強くうなずいた。
そんなやりとりを見ていた結衣も、にこやかにスマホを操作して話しかけてくる。
「楽しんできてよね、白金さん。ご飯もおいしくて、夜のライトアップも最高らしいよー。ほらほら、こんな感じ」
「わあ……! このチュロスなんかおいしそう!」
「青春って感じね〜。そうだわ、どうせなら今からデートのルートを考えましょ!」
そうして桐彦を含めた女性三人(?)できゃっきゃとはしゃぐ。
もうすっかりゲームはお開きのようだった。
それを見て、直哉はそっと腰を上げる。
「そんじゃ、俺はあっちで仕事してるかね。巽は暇だろ、手伝え」
「えー……仕方ねえな、あとでなんか奢れよ」
面倒臭そうにしつつも巽は直哉に従った。
和室を後にして、ふたりして隣の台所に入ったところで――。
「バカ野郎」
「うわっ、と!?」
直哉は巽の背中を軽く叩いてやった。
その瞬間、彼の袖口から数枚のカードがこぼれ落ちる。
ごきぶりポーカーのカードだ。床に散らばるそれらに目を落とし、巽はゆっくり直哉を振り返って、わざとらしく舌を出す。
「……やっぱバレた?」
「当たり前だろ」
幼馴染みへと、直哉はジト目を向ける。
直哉はこの手の読み合い心理ゲームが大の得意だ。相手の顔を見るだけで、伏せられたカードを読むことができる。
あのとき巽が差し出したカードは、まったく別のものだった。
それが開かれる瞬間にゴキブリへと変わったのだ。すり替えられたのだとすぐにわかった。
巽は手先が器用で、けん玉だけでなく、手品もお手の物なのだ。
「なにをイカサマしてんだよ。自分が負けるイカサマとか意味不明すぎるだろ」
「はっ、本当に意味不明か? おまえなら理由くらい簡単にわかるだろ」
「…………まあな」
直哉と小雪にチケットを譲るため、巽はわざと負けてくれたのだ。それもこれも――ふたりの関係が進むことを期待して。
直哉の肩をぽんっと叩き、巽はにやりと笑う。
「ま、これで一発勝負かけてこいよ。遊園地なんて告白にはうってつけのシチュエーションだろ」
「……悪いな。結衣だって楽しみにしてたのに」
「気にすんなって。あいつも俺がこうするって予想してただろうしな」
巽は軽い調子で笑う。
その言葉からは、結衣との強い絆を感じさせた。
だからこそ直哉は呆れるしかないのである。
「おまえらもつくづく変なカップルだよなあ……さっきやってたガイスターも、コマをこっそり入れ替えてわざと負けてただろ。しかも結衣はそれを知ってる。なんなんだよ、あのプレイは」
「いいじゃねーか。普通にやったら俺の全勝だもん。好きな女が喜ぶ顔は見たいじゃん?」
「それはまあ同感なんだけどなあ……」
「だろ?」
直哉も小雪をゲームでいじめてみたものの、どちらかといえば笑った顔の方が好きだった。
だが、巽たちはずいぶん周りくどいイチャつきようである。
あれならまだ自分たちの方が健全では……と思ったところで、巽がすっと真顔になる。
「あと、おまえにだけは変なカップルとか言われたくねえからな」
「うるせえ。これで告白成功させて、まともなカップルになってやるっつーの」
「おうおう、頑張れよ。この手のことなら俺のが先輩だからな。わからないことはなんでも聞いてくれたまえよ」
「心の底からうざったい……」
そんなわけで、直哉と小雪は遊園地デートへの切符を手に入れたのだった。






