「今日はうち、両親がいないの」
それはいつもの登校中――小雪がぽつりと言い出したことから始まった。
「今日……実はうち、両親がいないの」
「………………は?」
あまりに衝撃的な言葉だった。
おかげで直哉はぴしりと固まって、その場に立ち尽くしてしまう。数歩進んでそれに気付いたのか、小雪は慌てて振り返った。
「あっ、ち、違うからね!? パパとママはいないけど、朔夜とすなぎもはいるから!」
「そ、そうだよな。うん……そうだよな……」
「二回言ったわ、このひと……」
ちょっと残念なような、ホッとしたような。
そんな複雑な思いで、直哉はしみじみとうなずいた。
あまりに衝撃的すぎて、読心スキルが一瞬完全に死んだ。
先日、小雪のお宅にお邪魔して歓迎されたのは記憶に新しい。
ご両親――特にお義父さんには大いに気に入られ、いつでも遊びに来てくれとまで言ってもらえた。
顔見せにはまずまずの結果だったと言えるだろう。
ただし、だからこそラブコメ的なイベントは皆無だった。
小雪の部屋をちらっと見せてもらっただけで、特にイチャイチャできる機会もなかった。
(まあうん。まだ付き合ってないんだし、あれくらいでちょうどいいのかもしれないけど……)
小雪からの好意が、こうして並んで歩くだけでも伝わってくる。
だからこそたまに分からなくなるのだが、一ヶ月前の喫茶店で直哉が切り出した交際申し出に、まだ正式な返事はもらえていないままなのだ。
正直言って、この距離感は心地いい。
改めて切り出さなくても、小雪はずっと直哉のそばにいるだろう。
そんな確信を抱くからこそ――そこはしっかり答えをもらいたかった。
(付き合う、かあ……いつ、どこで、どうやって切り出すかだなあ)
そんなことをぼんやり考えながら、直哉は再び歩き出す。
小雪は気付きもしないのか、その隣に並んで話を続けた。
「今夜、パパとママは親戚のお通夜に行くんですって。で、私たちはお留守番。それで、その……ね?」
小雪は言葉を濁し、深々とため息をこぼしてみせた。
「今夜のお夕飯、笹原くんに作ってもらったら……って、ママとパパが……」
「もうすでに扱いが婿じゃん」
まだ付き合ってもいないのに。
真顔になる直哉に何を思ったのか、小雪はしゅんっと肩を落とす。
「そ、そうよね……やっぱり迷惑よね……」
「えっ? いやいや、そこは全然問題ないって」
直哉は慌てて否定する。
「今日はバイトもないし、明日は祝日だし。どうせ俺も家で飯を作らなきゃいけないからさ。よろこんで家政夫になりに行くよ」
「ほんと?」
そこでぱあっと小雪が顔を輝かせてみせた。
どうやら姉妹だけの夜が不安だったらしい。
鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で直哉の顔をのぞきこんでくる。
「それじゃ今日の帰りに買い物に行きましょ。実を言うと、もう予算は預かってるのよ」
「おっけー。それじゃせっかくだし、白金さんの好きなものでも作ろうか。リクエストがあるならなるべく応えるけど」
「そうねえ……好きな食べ物、か」
小雪は長い髪をふぁさっとかきあげて、クールな調子で行ってのける。
「以前、フランスで食べた鴨肉とフォアグラの包み焼きかしら。トリュフが添えられていて、とっても風味が豊かだったのよ」
「嘘つけ。カレーとかハンバーグとか、ミートボールの入ったスパゲッティとかだろ」
「さすがに嘘だってバレると思ったけど! なんでそこまで分かるの!? 特にカレーなんて一緒に食べたこともないわよね!?」
目を丸くして驚く小雪だった。
以前、『昨日の晩ご飯はカレーだったの!』とうれしそうに報告してくれたのを忘れているらしい。
しょんもりしながら、小雪は続ける。
「うう……だって恥ずかしいじゃない……子供みたいな好物で……」
「いや、そんなの気にしなくていいと思うけどな」
「ほ、ほんとに……?」
「うん。インスタ映えするおしゃれメニューを要求されるより、断然作りやすいから」
「そういう判定基準かー……」
やっぱりお母さんよね……と、小雪は複雑そうな顔をする。
そんな彼女に、直哉はくすりと笑う。
「でもそれなら今夜はカレーにしよっか。朔夜ちゃんもそれで大丈夫かな?」
「そ、そうね。あの子もカレーは大好物よ」
「じゃあ決まりだな」
「えっと、それじゃ……」
小雪はもじもじして、ほんのり顔を赤らめてこう言った。
「わ、私もちゃんとお手伝い……するから」
「うん。めちゃくちゃ頼りにさせてもらうよ」
直哉はそれに満面の笑みを返してみせた。






