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紳士の決断

「ところできみの方こそ予定は大丈夫なのかね。無理を言って連れてきた私が言うのもなんだが……」

「あ、ああ。大丈夫です。まだ時間があるので」

 

 直哉は苦笑を浮かべてみせる。

 時間があるのは本当だ。あと一時間後くらいに、小雪が駅まで迎えに来てくれることになっている。

 筑前煮などを詰めたバッグには保冷剤をたくさん詰め込んでいるし、傷む心配もない。


(あれ、待てよ……この会話の流れはチャンスなんじゃね?)


 そこで、ふと直哉の頭に名案が浮かぶ。

 ずばり――それとなく正体を打ち明ける作戦である。

 

「実はその……俺もこれから、好きな女の子の家にお呼ばれしてるんですよね」

「ほう」


 紳士は片眉を上げて、チーズケーキにフォークを突き立てる。

 

「それはなんとも奇遇な話だな」

「……はい」

 

 ケーキを口へと運ぶその上品な所作には、一切の乱れがない。

 どうやら気付いてくれないらしい。

 紳士はすこし伏し目がちに、ぽつりとこぼす。

 

「やはりその……緊張するかね?」

「そりゃもう。めちゃくちゃビビってます」

 

 直哉は正直に打ち明けた。

 だから、紳士の気持ちがとてもよく分かる。

 

「でも……逃げてちゃなにも始まりませんから。後ろ暗いことはないんだし、ちゃんとその子のご両親に会うつもりなんです」

「だが、その子のご両親……特に父親の方はいい顔をしないかもしれないぞ」

「そのときはそのときですよ。何度も会って、じっくり分かってもらうだけです」

「なんとまあ……きみは肝が座っているなあ」

 

 紳士は苦笑し、コーヒーを飲み干す。

 空になったカップに目を落とし……彼はため息混じりにこぼす。

 

「やはりきみの言う通りだな。私も腹を括るとするよ」

「じゃあ……」

「ああ。娘のボーイフレンドとやらに……会ってみようと思う」

 

 紳士は真面目な顔で重々しくうなずいてみせた。

 どこか緊張がにじむ表情ではあるものの――すこし吹っ切れたようだった。

 イタズラっぽいウィンクもずいぶん様になっている。

 

「なにしろきみは私の恩人だからな。その恩人が一大勝負に出るというのだから、私も逃げてばかりはいられないさ」

「はは、そんな大袈裟な」

 

 直哉は苦笑し、居住まいを正す。

 真実を話すなら、今しかないと思ったからだ。

 

「それじゃ、あの……おじさんに、改めて申し上げたいことがあるんですけど」

「む、なんだね。ケーキのおかわりか?」

「いえ。もっと深刻な問題というか……」

 

 直哉は大きく息を吸い、ついに真実を打ち明ける。

 しかしそれより早く――。


「実は俺……! おじさんの――」 

「やっぱりここにいた!」

「む、ぎゅっ!?」

 

 喫茶店の静かな空気を、突如として怒声が切り裂いた。

 おかげで直哉は舌を噛んでしまう。

 痛みにもだえ苦しんでいる間に、入口から現れた人影がツカツカと近付いてきた。


 私服姿の小雪である。

 白いブラウスに、青い膝丈スカート。シンプルな出で立ちだが、ぴんと背筋を伸ばした彼女によく似合っていた。髪にもリボンが巻かれているし、耳には小さなイヤリングが光る。

 いつも以上におめかししているのひと目でわかった。 

 

(えっ、めちゃくちゃかわいい)

 

 しかも、私服を拝むのは初めてだ。

 痛みと尊さで、直哉はすっかり言葉を失ってしまう。

 一方で、紳士は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

「ぐっ……小雪!? なぜここに!」

「ママに頼まれたのよ、怖気付いたパパを回収してくるようにって」

「み、美空さんか……いやしかし、少しばかり待ってくれないか」

 

 気まずそうに顔をしかめ、紳士は直哉を示す。

 

「今、この少年と大事な話をしているところなんだ」

「……はあ?」

「説明は省くが、困っているところを助けてもらってな。なかなか人間のできた少年だぞ。おまえのボーイフレンドとやらに爪の垢を飲ませてやりたいくらいだ」

「パパってば、なにを言ってるわけ……?」

 

 にこやかな紳士に、小雪は首をかしげてみせる。


「そのボーイフレンドが、そこの笹原くんなんだけど?」

「は……?」

「……どうも」

 

 目を丸くする紳士に、直哉は頭を下げてみせた。

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