第二十九話 side Enmyo Hurui?『覚悟をもってして(2)』
黒く染まった大地によって周囲の植物は腐敗し、虫や空を舞う鳥すらも命を奪われ落下して行く。近くにいた飛風の陰陽師を間一髪でセンが引っ張って救出し、血を吐きながらもその場からの離脱を図る。
「っ…ご主人…!」
黒いチカラに身体を覆われ、完全に姿が変容してしまった篩に、凪勿は冷や汗を流す。
「…レン、気を引き締めてください。気を抜けば、一瞬で屠られますよ」
「承知しております。私はサポートに回らせていただきます」
「任せます」
「ァ…ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛!!!!」
篩は血走った目で凪勿を睨みつけ、獣のような形相で突っ込む。
「《陣艇・聖海大王》!」
「宇迦之御魂神よ…どうか私めに力をお貸しくださいませ。《信仰・霊知ノ稲荷信仰》!」
凪勿の術によって足元の黒い大地が破壊され、それはエメラルドグリーンの海へと変換される。さらに、レンの術で黒い大地との外縁部を固定し、半径50mほどの空間を確保することに成功した。得体の知れない場所に立てば、何があるかわかったことではない。凪勿としては、超級妖2体を投入し、極限までリスクを抑えたというのにここで篩を始末できないというのは正直苦しい。なんとかして始末したいものだが…凪勿も知らない力、知らない姿を見てその考えを改める。今は、『生き残る』という最優先事項を達成すればいい。
凪勿の想像上、これほどの力を誇るのであれば何かしらの"縛り"が存在するのだと思った。最初に考えたのは、自らが黒く染め上げた大地しか歩けないのではないか、だ。
しかし、それは違った。足元が黒い大地となることはなかったが、平然と作り出された安全地帯に足を踏み入れる。否、黒く染まってはいないものの、篩が触れている箇所だけは黒く変色している。凪勿とレンの2人がかりで発動させた浄化の術を一部超えるほどのものが"漏れ出している"のだ。
「やはり規格外…超級最上位クラスと言ってもいいでしょうね」
「申し訳ございません…予想以上に侵食が…強いです。吸血鬼の瞳を合わせてなお演算が苦しい、です」
「無理に動く必要はありません。私が、本気で殺しに行きます」
「………」
先ほどまで発していた苦悶のような叫び声はもう出しておらず、代わりに純粋な殺意のみが宿った瞳が凪勿を捉える。
「こんなところですまない…無茶をさせる。《奥義妖術・絆憑依》」
凪勿は妖術師として里に暮らしていた時と同じ柔らかな顔を見せると、妖術の極地とも言える奥義を使用する。
【ん、がんばる】
「ありがとう、コノメ」
《絆憑依》。亡くなった相棒と再び繋がることのできる唯一の手段。妖の力を自らに宿し、その絆が深ければ深いほどその効力は増し、その絆の深さが最高潮に達すれば自らに憑依した相棒と会話することができるようになる。基本的に、妖術師が相棒とした妖は術師本人と魂レベルで結びついている。例え妖が死んだとしても、その魂は成仏することなく術師の守護霊として、術師が死ぬその時まで生き続けるのだ。縁妖凪勿の場合であれば相棒は18年前に自らを凪勿の盾として死んでしまった雪童のコノメである。
「《尺陽・雪天悲哀化生》」
黒く染まった大地を塗り替えるかのように、凪勿を中心として白い波紋が現れる。それは黒とぶつかり合い、お互いがお互いの領域を広げようと侵食し合い、対消滅していく。しかし、そんなことはお構いなしに篩は凪勿へと突撃し、拳を地面に叩きつける。その一撃でエメラルドグリーンの海が一部消し飛び、一瞬空いたその空間をすかさず黒が染めて行く。白い波動が対抗するが、とてもその黒に勝てそうにはなかった。
【う…ぐぅ…】
「くっ…中々、やるようになりましたね。技術がなくても脅威としては十分過ぎますよ。迷惑を、かけますね、コノメ!」
先ほどの冷や汗とは違って凪勿は脂汗を流す。そもそも絆憑依自体が身体に負荷をかけるものであるというのに、魂の波動の結晶とも言える白い波動が黒に塗りつぶされるのは相当な苦痛となっていた。相棒であるコノメから苦悶の声が聞こえてくるのは嫌な気分だ。『撤退』の文字が脳裏に浮かぶ。最も妥当な選択肢ではあるだろう。だが、ここまでお膳立てして戦力を消費したのに、撤退すれば大損害どころの話ではないだろう。無意味に戦力を消費するようなことは、凪勿が割と嫌っていることだ。
「やはり浪費を心配してる場合ではありませんね。コノメ…ここで終わらせ」
『終わるのは君達だよ。何のための契約だと思ってる』
凪勿がコノメとの繋がりをさらに強めようとした時、聞き覚えのある凛とした声が聞こえた。凪勿としても、レンとしても苦い思い出のある声。銀色の毛並みをした美しい狼が1人の猫耳少女と老人乗せて現れた。ルーナは風莉と羽蜜を降ろすと、人の姿へと変わり、すっかり変貌してしまった篩を見やる。
「羽蜜の爺さん、どうしたいー?」
「篩坊を、頼む」
「ふーん、まあいいけど」
ルーナは音もなく姿を消し、篩を頬を撫でる。そして、強い口調で語りかける。
「誰の許可を得てこの世に存在しておる。氷の帝王たる《氷帝》が命じよう。疾くその者の中から失せよ」
その瞬間、逃げるようにして篩から黒い魔力が高速で抜け出して行く。数秒もすれば篩は元の姿へと戻っており、気絶しているものの無事と言っていい状態だった。
「今は、ゆっくり休みなよ」
ルーナをそう言いながら篩を地面に寝かせると、凪勿を視界に映す。凪勿はそれに警戒を強め、レンとコノメも気を引き締める。
「次は私達の番、ですかねぇ」
「うーん?私が直接戦闘するわけないでしょ、めんどくさい。適当に支援してあげるからそこ2人で頑張って」
「…儂ら?」
「うん」
「だけぇ?」
「そうだよ」
「とんでもない無茶振りがあったものじゃの」
羽蜜はすでに老いている。彼の実力では王級をタイマンで倒せるか怪しい範囲だ。
ただ、
「やるだけやってやる、ってやつじゃな」
いつぶりだろうか。強者との戦いでここまで心が躍るのは。いつぶりだろうか。ここまで、
「妙に、儂は戦いたい気分らしい」
自らの意思を曝け出したくなったのは。
「死ぬ腹づもりで行くぞ、やんちゃが過ぎた妖術師よ。風莉、儂に合わせよ!」
「っ!わかりました、お祖父様!」
羽蜜が凪勿に肉薄し、風莉が術を構築しようと構えようとした瞬間、凍りつくような一言が凪勿から飛び出した。
「王級ですか。無条件隷属の範囲内ですね」
その瞬間、風莉はとてつもない不快感を感じ、全身の毛が粟立つのを感じた。自分の中が何かに塗り替えられる…そんな不快感。しかし、青白い光が見えた瞬間、その不快感は一瞬で消え去ることになった。
「…ごめんなさい」
あまりの不快感に頭を抱えていたせいで表情は見えなかったが、申し訳なさそうな、その一言が、ルーナという強者の言葉が、風莉の胸に深く深く突き刺さり、強く印象に残った。
ーーー直後、飛風風莉という少女は、この世界からその姿を消した。




