第百三十六話 宇津討伐その2
第百三十六話更新しました。
永禄二(1559)年四月二十五日
■丹波国桑田郡宇津村 三田康秀
あれから直ぐに連絡の為に使いが走り、半時後には主立った将が集まり軍議が始まった。
「皆様、お集まりいただき誠に忝い」
孫次郎殿が軍議の仕切りをするようだ。
「孫次郎殿、一大事と聞いたがいったい何が起きたのですかな?」
開口一番剣豪殿(北畠具教)が質問した。こういう時に率先して仕切ってくれて助かる、流石は年の功。
「若狭武田家が兵を挙げ北丹波の国衆を迎合しながら此方へ向かっています」
「まさか斯様な事態が発するとは」
「敵は若狭守護武田伊豆守が主将の模様」
弾正のおっさんが説明する。
「武田と言えば公方様の義弟、となると叡山に籠もるお歴々の仕業かと」
孫次郎殿がそう話す。
「確かに、宇津と武田では繋がりがほぼありません故に」
「だろうな、まだ丹後の一色が来たというなら納得できる」
孫次郎殿が頷くと、皆が頷いた。
それから、各にと地図を見ながら思案顔、暫くしてから、弾正のおっさんが、テーブル風に矢板を並べた上に広げた地図さして説明してくれる。
「まずは、当方、敵方の兵力ですが、敵は籠城勢が四千、進撃してくる武田勢が八千ほど、味方は朝廷軍が二千、当家(三好)が一万、北畠殿が五千、北條殿が三千、浅井殿が二千、佐竹殿が三百、都合二万二千三百にございます」
「数で言えば一万二千対二万二千か、まともに戦えば負けることはないが」
「現在敵は佐々江で軍を集めている模様でございます」
「なるほど、東に行けば宮ノ元を経て山国へ、南へ行けば百合ノ下を経て宇津へ西へ行けば縄手を越え宇津へか」
弾正のおっさんの説明を聞いた剣豪殿が笹の枝を切り出してきた棒で地図をなぞっていく。
そして俺を含めて皆が皆、地図を見ながら思案顔だ。
「やはり兵力を分けるしかないようじゃな」
剣豪殿が力強く地図を見ながら話した。
「城への抑えに最低限四千は残しませんと」
そこからが早かった孫次郎殿が弾正殿と相談しながら自家の兵の差配を始めた。
「縄手は獣道同然であるから一千も置けば十分かと」
「縄手は赤沢信濃守(宗伝)に任せる故一千を持て」
「はっ」
「宇津城は岩成主税助(友通)に三千、宇津嶽山城は伊丹大和守(親興)に一千で」
「「はっ」」
「百合ノ下へは、六千を持って私が自率することにします。それに浅井殿には我らとともに同陣をお願いいたします」
本隊が六千になるために、浅井勢を足して八千にする事にしたようだ。
「わかり申した」
浅井教政が力強く頷く。ん-絵通りの大柄だな。まあこの世界じゃお市は既に柴田権六勝家の奥方で嫡男も生まれているようだし、教政は弾正のおっさんの娘が嫁ぐそうだから茶々とかは生まれないなんだろうな。歴史にifは無いって言うけどこの世界はIFだらけだな、なんたって三好長慶の弟で死んだはずの野口冬長が生きているんだから。
「では、我が北畠が山国の入口に陣取りましょう」
剣豪殿の言が強い。
「中納言様が塞いでくれれば安心できます」
「お恥ずかしながら、検非違使でまともに戦える者は一千程度です」
明智十兵衛が申し訳なさそうに話す。
それは判る、実際に二千のうち一千近くの兵がろくな訓練も受けていないようにわか作りの軍隊だし、一部の連中はまるで世紀末のヒャッハーみたいだし。もろに恩賞目当て参加した青侍もいるし、まともに戦えるのは傭兵か陣借り者以外は明智光秀が僅か数ヶ月だが、必死に訓練を課した連中はある程度の及第点で一応は戦闘に使えるらしい。
「さすれば、検非違使は福徳寺に陣取ってもらいましょう。あそこならば弓削川の対岸ですから、守りに良いですから」
「忝い」
「では、我が北條が佐々江峠と船越峠の間の山中に陣取り、どちらから敵が来ても対処出来るようにしましょう」
北條家内の話し合いで決めた事を綱高殿が答える。
「山中の移動は辛いのでは?」
孫次郎殿が大丈夫なのかと疑問を言ってくるが、此方としては全然平気なんだよな。
「我らは毎日箱根山で訓練しておりますから、山は庭のようなものです」
「なるほど、山の戦いに慣れているならば、その旨、お願いいたします」
北條勢は正月名物箱根駅伝の5区と6区を毎日走っている訳だし、実戦的縦走訓練ではフル装備で箱根外輪山から丹沢山脈、天城山付近まで走り回っているので、丹波の鬼と言われた旧帝国陸軍歩兵第70連隊並の山岳戦闘のプロになりつつある。ハッキリ言って武田は武田でも若狭武田家の軍勢なら十分いけるだろう。現在の練度ならば甲斐や越後の強兵と互角以上に戦える自信がある。
なんてったって、この部隊の名称は俺がつけた名称は”山岳猟兵”(Gebirgsjäger、ゲビルク イェーガー)山岳を意味する“Gebirge”と、猟兵(軽歩兵)を意味する“Jäger”を合わせた合成名詞だぜ。やっぱここはドイツ語が名称的に一番格好が良い。猟兵、同じ名前の赤い某14Jgとか格好いいじゃん。
そこでこの部隊は服装が洋装風迷彩軍服でそれに鎧兜装備だから少々異質だ、更に鎧の上からカモフラージュポンチョを着ているので、森にいたら目立たないこと目立たないこと、ちなみに足は改良地下足袋だから動きもスムーズだぜ。そして袖口にはルーン文字でGJである「ᚵᛄ」のマークを入れている。
そんな事を考えているうちに、佐竹家の場所が決まったようだ。
「佐竹は北畠勢とともに戦います」
佐竹勢は三百しかいないので戦力的に微妙だったが、北條家が佐竹家の保護者のような立場だから、うちが面倒見ないと行けないんだけど、山岳訓練積んでいる訳でもないので、どうしようかと話し合っていたら、義重の剣術を褒めていた剣豪様が一緒に陣を組もうと誘ってくれたので、義重が二つ返事でOKだしていた。それに真壁久幹の棒術に惚れ込んで弟子入りした北畠具房殿の懇願もあった模様。
「結果的に佐々江方面は八千、船越方面は六千三百、遊撃に三千となります」
「うむ」
「二手に分けるのは良くはないが、今の状態ではそれが答えと言えるか」
こうして、部隊編成を決めて全軍が動き出したのだ。
永禄二年四月二十五日
■丹波国桑田郡佐々江村 逸見昌経
「守護様、峠を越えれば山国荘は直ぐですぞ」
「駿河守(逸見昌経)、やはり佐々江はいかんか?」
「はっ、佐々江峠は細道につき軍が動き辛く峠を押さえられたら、宇津へ行くことが難しく右近大夫殿の援軍にはなりますまい」
「なるほど」
「それよりも、兵の少ない山国荘を落とし小野の関を抜けば三好一党は慌てて撤兵しましょう」
「そこを右近大夫が突けば三好の小倅を討つことも可能か」
「そう言う事でございますぞ」
ふっ、阿呆が、お前が先代様(武田信豊)を追い出した件はまだまだ許されておらんわ、公方様からの御内書にとち狂っていたが反って好機と言えよう、阿呆が丹波への出兵を決めたと同時に近江に逃れておられる先代様に連絡を入れ、浅井に協力を依頼して留守の若狭へご帰還を支援してもらう様に談合したのだから。
後は残った越中守(粟屋勝長)がうまく動いてくれることを祈るだけだ。先代様が帰還なさったら甲斐へ三郎様(信由)をお迎えに行かなければならぬな。それにこの戦で阿呆が討ち取られるように動かねばならぬな。さてどのようになるか。
永禄二(1559)年四月二十六日
■丹波国桑田郡山国荘 常照皇寺 三田康秀
はぃ、別当様がまたやらかしました。
事は、武田勢を迎撃するために戦力の移動をした直後、誰かが敵の襲来をご注進し、地図まで持参したやつがいたので、いくら戦に疎い別当でも宮ノ前から山越えれば、皆々様が飲めや歌えの大宴会会場している常照皇寺が攻撃圏内に入るので、慌てたように呼び出しがありました。
その際に三好孫次郎殿と北條綱高殿にも召還命令が来たのですが、剣豪殿が握りつぶして自ら『愚物を退治しに行く』と言ったのと、北條勢の実質的な指揮官は自分なので一緒に参加しますよ。これから別当様を罵倒し放題かもな。
「さて別当様にはご機嫌麗しく」
「うむ、北畠黄門良く来られた、さて三好孫次郎はどこでおじゃるか?」
「別当様、今は宇津を攻めているさなか故に、総大将は易々と元場を離れることは出来ぬのですよ」
「うむ、しかし山国が襲われそうな事態、相当な事態故に早速に来るが朝廷への務めと思うのでおじゃるが?」
「山国への騒乱は確かに一大事にござるが、山国の入り口は我が北畠が塞いでおります。さらには山国には明智が兵を持って護っております。別当様には大船に乗った気でいていただきたく」
「しかしのう、万が一と言うこともあろう、佐(池朝氏)の身内たる北條が三千おるのであれば、それを山国に置けば安心でおじゃる」
はぁ、テメーは寺で宴会しているんだろうが、こちとらただでさえ戦力不足でうちの兵が遊撃軍団として動かにゃあかんのに、余計な事してねーで、布団でもかぶってビクビクしてやがれ、ざーけんな!
「別当様、北條勢はこの度の戦では重要な位置を占める勢にござる。ここで兵を動かせば益々若狭勢が蠢きますぞ」
「うむ」
「まあ、我が北畠は北畠大納言(親房)鎮守府大将軍(顕家)以来の朝臣にござる。また三田は曾祖父が朝家に忠誠を尽くし、ここにおる権右馬頭(康秀)も多大な献金をはじめとして忠節を尽くしております。別当様は安心しお待ち下さい」
「うむ」
剣豪殿は従三位権中納言、別当殿も従三位権中納言と言う同格であるが、先輩は剣豪殿なので少々やりにくそうな感じ?
「別当様では、我らは戦場へ向かいます故、然らば御免」
「別当様、失礼いたします」
「ふう、全く子供のような別当殿じゃな」
剣豪殿が苦笑いしている。俺も苦笑いだわ。
「まあ、えらい迷惑ですが子供のやることと納得しているので気にしませんよ」
「違いない、あの様な体たらくでは何も判っておらんな」
「ああ、北畠は朝家の忠臣とと言っても南朝の忠臣ですからね」
「はははは、その通りよ。三田も先祖は相馬小次郎であるしの」
「北朝にしてみれば中納言様は謀反人ですな」
「違いない、お主も朝敵の子孫であるしの」
「まあ、その辺は今回の件で無しにしてもらいたいですね」
「ははは違いない」
「で、結局はどのようにしますか?」
「そうよの、どうせ使えない明智配下の一千に軍監を付けで寺を十重二十重に守ればよかろうよ」
「そうすれば、別当様もうろうろしないでしょうし」
「はははは、確かにあの様な連中が周りにいれば怖くて出てこないであろうな」
そんなこんなで、山国荘防衛は光秀配下が一千、北畠が五千、佐竹が三百、締めて五千八百になるという結果になった。しかしこれでも剣豪殿のお陰で戦力不足にならなかったのだからまだましだよ。
別当サン大人しくしてくれ。




