第百三十四話 再び都へ
本来なら第百三十四話 亀裂 を書いておりましたが、煮詰まらずに、先に百三十五話 再び都へ が完成しまった為、皆様からの公開してほしいとの御言葉をいただき百三十四話と百三十五話を入れ替えて投稿いたします。
永禄二(1559)年四月一日
■山城国愛宕郡京 池亭 三田康秀
『チャーチャラチャー、朝廷軍は武士の台頭と鎌倉幕府の開府、承久の乱、建武の新政の影響で現存する纏まった戦力は御所を護る北面の武士と、近年再編され都の治安を護る検非違使だけになっていた。
その為、山国荘、小野荘を横領する宇津右近大夫を討伐する事も出来なかった。
その為、公家に仕え武に覚えのある青侍を招集、更に新たに銭で雇われた兵や志願者を中心にして、その数だけで二千人に達した。その指揮官として幕府を辞し朝廷へ仕え検非違使少尉に任じられた明智十兵衛光秀が任じられ戦力の錬成が進んでいた』
なんて、脳内で屋○有作氏のナレーションで某スペースオペラのラン○マリオ星域会戦の様な事を思い出しながら、なんでこうなったと思うわ、日にちが日にちだから、エープリルフールだと思えればどれだけよかったか・・・・・・
事のはじめは、都の朝氏(池朝氏、旧名、北條氏重)殿から『明智十兵衛が朝廷に仕えたい』と一族郎党引き連れて来たとの連絡が来た事から始まった。
まあ、北條に仕えたいとかでは無い事だが、其れは良いのだよ、明智光秀=本能寺とくれば懐へ入れるのは非常に怖いし、あの御仁、懐古主義ぽいし、腹黒、詐術が得意とか、比叡山焼くのを信長に勧めたとかなんとか、色々あるがまあ、曹操じゃあるまいし、そこまでの人材コレクターじゃ無いからね。
それに、文化人たる光秀じゃ田舎の板東になんぞ来ないだろうし。
まあ、それは良い。問題は朝廷内の問題だ。
事の始まりは朝議でのたわいも無い雑談だったらしい。
『志摩の海賊退治は北畠黄門(中納言具教)が見事に退治したでおじゃるの』
『麻呂もその話を聞いて興奮したでおじゃる』
『ほんに、まるで北畠亜相(大納言親房)の再来のようでおじゃるの』
『子の亜将(左近衛中将具房)も弁慶の様な活躍と聞いておじゃる』
『惜しむらくは、亜将は大男でおじゃる』
『亜将が大理卿(北畠顕家)の様に花も実もある姿であれば、話も更に栄えるのでおじゃるが』
『まあ。それは仕方がなき事でおじゃる』
『しかし北畠が朝敵を討伐したという事を聞くのは感無量におじゃる』
『これこそ、院(後水尾上皇)と当今さんの徳でおじゃる』
『まことまこと、吉野(南朝)に忠誠を尽くした北畠がでおじゃる』
『今は吉野は既に無き世でありますから』
『役に立たぬ公方(足利義輝)なんぞより忠を尽くしておじゃる』
『いっそのこと山国の賊(宇津右近大夫)の討伐を命じたら良いでおじゃる』
とか何とかいう話があったとさ。
当事者達にしてみれば雑談だったんだろうが、その話に感化された馬鹿が出たらしい。
誰だ、そんな事を考えた武闘派破天荒な公家は?
居ましたよ、居ましたよ、武闘派破天荒と言えば関白近衞前嗣かと思ったら違いました。
その人物は検非違使別当今出川晴季二十一歳!
血気盛んというか、思慮がたらんと言うか、ていうかこの人、後世の歴史家に菊亭晴季っても言われてて、秀吉に関白職になるようにアドバイスした奴じゃん!
つまりは豊臣が続く限り関白職が永遠に五摂家に帰ってこないと言う大々ちょんぼをした男だ!
まあ、結果的に秀吉が秀次殺すという自殺ゴールでもくろみは消え去ったんだが、しかし思慮足らずなのは間違いないな。
あるいは思いもよらぬ検非違使別当への補任とかで権力の魔力に毒されたか?
最近はかなり勇ましいことを言い始めたらしく、更に北畠家が朝敵退治を行った事も相まって『朝廷には力があるんだ。帝の威光を示すはいまぞ』とかと朝議で言ったらしい・・・・・・
それに、聞いたところ、何でも北畠顕家は検非違使別当に就いていたらしいから、検非違使別当に成ったことで、麻呂は北畠顕家の再来だと自己暗示したっぽい?
うぎゃー、危険な野郎じゃん。
それから積極的に関係各所に働きかけて居たらしい。
それに感化された若手の公卿や地下人まで騒ぎ出したと・・・・・・
一人の妄想病から感染するって中二病かよ?
まあ、現況は朝敵である海賊九鬼一族討伐が成功したので朝廷も多少の自信がついたこと、公方が何時までたっても比叡山で山キャンプしていることで『このままだと朝廷が自立出来ちゃうぞ』との脅しと共に山国荘、小野荘を横領している宇津右近大夫を討伐かなんかして、山国荘、小野荘を取り返そうと考えたらしい。
そんな事し出したら、其れこそ承久の乱か、建武の新政の二の舞、三の舞になりかねない。このままだとやばいと感じた、太閤九條稙通卿とかが左大臣西園寺公朝卿に相談されて、まあこれは娘婿に池朝氏殿が、旧名北條氏重だからだが、そこで、大慌てで最高機密戦略暗号で連絡してきたという訳だ。
しかーし、暗号文作成に丸一日かかった結果、連絡が小田原に着いたのが足の速い忍のリレー方式で二日掛かった結果、事態はエレー事に!
なんと、御年八歳の東宮誠仁親王殿下が言葉巧みに誘導されて懲罰の綸旨を出しやがった!
まあ、出てしまった為に、偉い騒ぎに、誠仁親王は帝から怒られたらしいが、母親の新大典侍(万里小路房子)が庇ってなあなあに。
結果、帝の恥をさらす事はまずいということで、正式命令になってしまいましたとさ。
チクショウメ!
こんな話で、小田原じゃ、恭仁親王殿下があきれ果てたと噂に聞いた。
そんなこんなで、色々付き合いがあって親しい公卿さんらから話を聞くと、今出川晴季の妻が新大典侍の姪に当たるそうで、その父親の万里小路惟房は帝の従兄弟・・・・・・
まあ。つまりそういうことだ。どうやら新大典侍は相当な雌狐らしいわ。
その為、今出川晴季&万里小路&雌狐の思慮足らずの考えた宇津右近大夫討伐令というショーも無い事に付き合わされた大名は次の方々です!
まあ幕府の顔を潰すなら喜んで絶対来るぞ!三好長慶、慶興親子。
朝敵退治はお手の物!北畠具教、具房親子。
意外や意外の浅井教政!
そして我が北條家!
んーうちだけ長ロングランなんですけどね、まあ、相談されたし、裏で九鬼討伐のマッチポンプやって現況作ったと思えば仕方が無いよと。
態々来てやったのは、一応代表は平三(氏照)お目付役に北條綱高殿、実際の指揮は俺、武将として孫九郎(大道寺政繁)孫太郎(松田康郷)など。そのほかというか、女陣も居まして戦闘力無しの妙ちゃんや戦闘力はあるけど直虎さんは子育てが有るので今回は欠席。しかし、千代女や美鈴、鎌倉の浄土真宗の寺とかの報告と里帰りもかねて舜ちゃん、その他忍衆とかとか。
なんで、俺が指揮官かと言うと、今回連れてきた兵が新編成した近代型軍仕様だからだ。
人員は、鉄砲衆は雑賀衆がメインだが、そのほかは家の譜代と志願兵を中核として旧帝国陸軍の歩兵大隊を参照して編成していた部隊だ。
兵力は騎馬百、槍三百、鉄砲三百、弓二百、小荷駄五百、その他旗持ちなど百の諸兵科大隊一千五百名の部隊二個を纏めた、混成聯隊の合計三千名という感じ。
今までなら、前回の上洛の時に苦労した様に、三千名もの人員を都へ送るのは苦労するんだが、九鬼が消えてくれたお陰で、今川に許可受けて箱根越の陸路で沼津まで出てそこから北條水軍だけじゃ無く、今川水軍&伊勢水軍、大湊や安濃津の商人、そして長嶋願証寺の船とかが協力してくれてた。
その結果、沼津から海路で伊勢の大湊まで行き、そこから伊賀を通って大和へそっからは都という感じで、楽に移動できたわ、ついでに伊勢では北畠の御大(具教)に嫡男(具房)殿が九鬼退治で活躍したことを聞かされたんだ。
二人に会ったら、御大と具房殿に感謝されて面食らったよ。具房殿は以前会った時でも太マッチョで筋肉あったけど動きが鈍くて太刀の扱いとか絶望的だったんだが、俺が手紙で真壁久幹が長さ一間ほどの金砕棒を振り回して戦場を駆け抜け、その秀でた武勇から「鬼真壁」と渾名され、恐れられたという話を伝えたら『自分もやってみよう』と考えて、金砕棒を作らせてみたら凄く自分に合うと感じたらしい。
それから、金砕棒で鍛錬して、自信を持って御大に九鬼討伐への参陣を志願したそうだ。
最初、御大も『バカな』と思ったらしいが、息子の真剣さに『取りあえず見てみるか』と鍛錬と模擬戦を見て驚いたそうだ。
で、九鬼退治で率先して突撃して金砕棒でジャンジャン敵兵を圧し潰して行ったそうだ。
金砕棒の一降りで敵兵がドーンと吹っ飛んだり、兜ごと頭が千切れたり、頭がめり込んだり、まるでホラー映画のような状態だったらしい・・・・・・
えーと、具房さん、一人だけリアル戦国時代じゃなくて戦○無双してませんか?
『俺はとんでもない化け物を誕生させたのかもしれない』と思ったり。
伊賀では百地丹波守殿、望月出雲守殿達と会談、その際、千代女に手を出した事も怒られること無く、いや違う千代女と美鈴にはめられたんだ!
まあ、やった事は後悔していない、妙も納得済みだったからな。
出雲守殿からは『孫を期待しておりますぞ』と言われるし、丹波守殿からは『家も宜しく』とか言われるし、タジタジだった。
その様な事もあったが、無事京へ到着、宿泊場所は前回の本能寺ではなく妙覚寺です。やはり何度も来られると迷惑なのかと思ったら、浅井家が先に押さえていただけでした。
妙覚寺さん今回はお世話になります。
但し我ら幹部は会議とか御所へ行かなきゃならないので池亭で泊まりです。
そしてなぜか居るんだあの男・・・・・・
「義兄上、ここが京の都なのですな」
「ああ」
「思ったより荒廃してはおりませんな」
まあ、北條家が金出して色々直したからな。
「うむ、諸行無常の響きありとも言うな」
「なるほど、まあ、そのようなことより、朝敵退治は楽しみですな」
そう、そう、居るんだ、坂東太郎こと義弟佐竹義重十三歳がさ。
都から連絡が来たとき何の因果か恭仁親王への挨拶に丁度来ていて、話を聞いたら直ぐ太田へ連絡して参戦を決めやがった。
こっちは、十三歳小学生ぐらいだから危険だと言ったんだが、息子の成長を喜んだ親父さん(義昭)が精鋭を送ってきた。急だったから佐竹家は三百ぐらいしか兵を引き連れていないがな。
結果、参戦してきた訳だ。まあお目付役に佐竹南家の義里殿が来たがね。
坂東太郎くんは若いから興味津々で船乗ってたし、北畠の御大や嫡男殿との模擬戦なんかでハッスル。御大も筋が良いと好々爺顔だったし。
まあ、そんなこんなで、都へ到着したら早速、池亭で身支度整えてたら、太閤九條稙通卿と左大臣西園寺公朝卿になぜか権大納言山科言継卿が訪ねてきた。
『あのー疲れているんで明日に出来ませんか?』っては言えませんよ。
永禄二(1559)年四月一日
■山城国愛宕郡京 池亭 三田康秀
「太閤殿下、左大臣様にはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じます」
「ほっほっほ、典厩も元気なようでおじゃるな」
順番に挨拶して俺の番だ。太閤殿下も空元気なのか解らないが元気に見える。
で、順番に挨拶し終わったら、いきなり今回の事件の話はしないで、宴を始めた。
「いや、流石は北條でおじゃるな、澄酒も旨いの」
「特にこの果実酒は円やかでおじゃる」
んー山科の爺さん酒目当てで来やがったな。
なんだかんだで、完全な宴会じゃい。
今日は人員の関係で忍衆の女連中も給仕を手伝っているんだけど暫くしたら千代女と美鈴が先頭に新しい料理を持ってきた。
そのとき、歴史が動いた?
美鈴から料理を受け取った九條様が箸を落としたんだ。
美鈴の顔をジーッと見ている、おいおい爺さん美鈴に見ほれたのかな?
でも嫁の一人なのであげません。
「鈴、如何した、夫殿(十河一存)と一緒に三好邸にいるのではないか、まさか愛想を尽かして家出をしてきたのか?」
九條様の言葉に美鈴もだが、俺も千代女もポカーン。
「えっ、鈴?」
「鈴であろう・・・・・・」
どうやら一九條様は美鈴を十河一存殿に嫁いだ鈴殿と勘違いしたらしい、それなら誤解を解かないと駄目だな。
「太閤様、この者は我が側(側室)の美鈴と申します。決して十河殿の奥方ではありません」
俺に言われて、美鈴の顔をジーと見る九條様、更に山科様が美鈴を見た。
「典厩、麻呂も鈴殿は知ってるが、美鈴は瓜二つぞ」
「もしや、藤、藤ではないか?」
んーそう言えば美鈴は捨て子と聞いたし、もしや?
次回、池亭で交差する父と娘、宇津討伐は成功するのか?
百三十○話 再会父よ 君は生き延びる事ができるか?




