第百二十話 休めると思ったが甘かった
おまたせしました。
やっぱり康秀は休めませんでした。
永禄元(1558)年九月十九日
■相模国西郡 芦ノ湖畔 桃源台港
「うぎゃー!!!!」
ドカーン!
悲鳴と爆音とともに芦ノ湖に水柱が上がる。
湖岸では数人の白衣を着た者が話し合い、水柱へは小早が近づいていく。
「また失敗か」
「やはり、左右の噴進弾の調整が難しいかと」
「それは最初から分かっていたはずだ。その調整をするのが第一だろうが」
「そうは言っても、手作業で作っている以上は燃焼斑がでるのは普通ですし、まさか燃焼させて見るわけにも行かないでしょう」
「それはそうだが、あの速度では舵で方向転換させることも難しい」
「ならばどうする」
「やはりここは三田様にお願いするしかないだろう」
「しかし、大風呂敷を広げておいて頼み込むとは」
「それに、三田様はお忙しいだろう」
そこに、救助された男がずぶ濡れで帰ってきた。
「おまえら! 噴進弾の推力線が全然合ってないぞ!」
その言葉に言い争いをしていた白衣の男達が反論する。
「何を言うか、お前の操縦が下手なだけだ!」
「なんだと! 何度俺が芦ノ湖で水泳したと思ってやがるんだ!」
「そりゃ、腕が悪いだけだ」
二人目の白衣がさらに火に油を注ぐ。
「それならお前が乗ってみろ!」
「俺らは、頭脳労働者なんでな」
「そうそう、お前さんとはおつむの作りが違うのさ」
「あんだと! やるかてめー!」
「ああこれだから、現場組は野蛮なんだよ」
その言葉に切れた操縦者が白衣を殴ったことで、喧嘩が始まった。
永禄元(1558)年九月十九日
■相模国西郡 芦ノ湖畔 桃源台港 三田康秀
二ヶ月ほど来なかったが、殴り合いの喧嘩をするとは、研究所の雰囲気がひどくなっているな。案内してきた小太郎からもの凄い冷気が感じられるぞ。ここは、冗談でも言って場を和ますか? けれど下手すれば、益々空気が重く成って酷くなりそうだから、ここは普通に挨拶だ。
「皆ご苦労様」
俺の突然の挨拶に喧嘩していた連中が驚くこと驚くこと、完全に鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。それに小太郎の怒気が見えるからさらに冷や汗たらたらだな。
「三田様」
「三田様、いつお着きに・・・・・・」
「先ほどだ、まあ、科学に犠牲はつきものと言うから、意見をぶつけ合うのは大いに結構だ」
「はっはー」
「はっ」
うむー、優秀な連中だし、萎縮されたら困るから、この程度にしておくか。
で、なんで殴り合いかと聞いたら、ロケット艇が早すぎて通常の舵じゃコントロール出来ないので、ロケット推進器の同調が出来ないか、操縦が下手なだけで喧嘩になったと。うむー、確かに今使っているのは家内制手工業方式で製造しているロケットだから燃焼にバラツキがあるか、工業的量産化出来れば多少は良い品になるとは思うんだが、この辺は舵式じゃなく、ホーバークラフトのように垂直方向舵にして風を利用する方法しか無いか。
「水中の舵が動き辛いので有れば、噴進弾の推力線上に鉄板などで舵を作って凧のように風の力で操縦する様にすれば良いのではないか?」
「三田様、ありがとうございます。これで何とかなりそうです」
「早速、制作しなければならん」
「今夜は徹夜だ」
そんな感じでヒントを与えれば、優秀な連中だから直ぐに動き出すわけだ。
ロケット推進式小舟自体は文化四~六(1807~09)年頃に阿波藩の重臣に世話になっていた佐藤信淵成る人物がロケット推進艇を開発している。それは松材をくりぬいた筒に竹の箍をはめて筒を強化し十貫匁玉の火薬を詰めた流星火薬なる物を装備した廃船に柴草などの可燃物を詰めてその頃頻繁に現れ始めた諸外国の艦船に特攻させる物だ。つまりは無人特攻艇、言ってみればミサイルみたいなものだ。
つまりは前例があるので、十分出来ると考えて研究させている訳だ。このクラスが完成すれば、艦首に多連装式の焼夷ロケット弾ランチャーを設置し敵艦船にロケット推進で突撃して一撃離脱する戦法が可能になるはずだ。さらに開発中の簡易魚雷が出来れば魚雷艇としても活用できる。尤もまだまだ超える坂は高いんだが、二十年後に物になれば、万が一猿(秀吉)の小田原攻撃があっても制海権はとれるはずだ。
転ばぬ先の杖か杞憂かとも言うが、万全を期しておいて損は無いから。それに諸外国の艦船攻撃にもそのまま利用できるからな。
ロケット艇の試作部が去って今度は水雷部のお出ましだ。
「三田様の設計図通りに開発した噴進魚型水雷ですが、真っ直ぐ進む事に成功しました」
「それは重畳」
この噴進魚形水雷ってぶっちゃけて言えばロケット推進魚雷なんだよな。まあソ連のシクヴァルと違って、スーパーキャビテーションを使うわけじゃ無い。実際のところ、第二次世界大戦時に日本陸軍が開発した簡易魚雷、五式雷撃艇搭載の火薬ロケット推進をして水面上を滑走する超小型の無人自爆舟艇を原型に開発させているものだ。
これの場合は、ロケット推進艇まあ、『震洋』か『マルレ』と名付けようとしたが、ヤバい名前なので止めて鱒艇と名付けた、ぶっちゃけイタリアのMASから取ったわけだが、やはりイタリアと言えば戦艦よりMASが有名なのでこれでOKと。
簡易魚雷も『回天』とかしようとしたが、これもヤバいので、簡単に皇紀二千二百十八年から試製十八式にした。一応完成したら鯨七型とかにしたい。これはドイツのG7魚雷から名前を借りた。Gでゲーだから鯨と言うことだ。
ここでの視察を終えたら今度は直ぐ西隣の早川出水路である沼尻付近の湖岸へ移動。ここでは上陸舟艇に乗った海兵隊が上陸訓練を行っている。海兵隊は現在少数だが海の男達から志願制で集めて訓練している。
上陸舟艇はまだ数が少ないんだが日本陸軍の大形発動艇(大発)を元にしたものだ。現在ではディーゼルエンジンとかは流石に作れないからオールで漕ぐ形だが、船首部に道板が有って船が波打ち際に着くとすぐに開いて兵が上陸できる。この舟艇もいずれは火薬ロケットによる推進器を取り付け高速で揚陸できるようにする予定だ。因みに大発の名前はやっぱりこれしか無いと言うことで『大発』だ。
大発は出来ても問題は本物と違って外洋航行能力が無いことで、どうしても大形の母船が必要になる。そこで、我が領地である酒勾村にある近代型造船所の第一船台では揚陸母船『五郎丸』が建造中、そして材料収集が終わり二番船『よりひめ丸』が起工準備中だ。こいつは排水量七百石(105トン)クラスの揚陸母船で竜骨を備えた近代型帆船だ。
この実験船で色々な訓練や試験を行って、何れは蒸気機関搭載の大形揚陸母船『あきつ丸』級を建造するのが夢だ。蒸気機関はヘロンの蒸気機関を元にした反動式蒸気タービンなら試作品が有るんだが、まだまだ見世物の類い程度の出力しかないので、模型船を動かすだけだ。
模型船の試験は佐竹から帰ってきて一段落したときにしたが、見学していた氏康殿、幻庵爺さん、氏堯殿、新九郎(氏政)、平三郎(氏照)、新太郎(氏邦)、妙、直虎さん、千代女、美鈴、小太郎(風魔小太郎)、孫太郎(松田康郷)、孫九郎(大道寺政繁)ら、皆がスイスイと堀を自走する姿に驚いていた。
まあ、こんな模型でもパーソンズが作ったタービニアに先行すること三三六年だ。尤も夢は大きく戦艦だから、初めの一歩といえるか。
皆には、おもちゃだと話しておいたので梅姫のお付きの一行は興味が無かった模様だがね。梅姫は興味津々だったので、かわいそうだが嘘を教えておいた。同じような船の模型の後ろに大きな樟脳を装備して走らせる姿を見せてあげた。
樟脳舟は昭和の頃にはよく縁日で売っていたからな、実際にトリッキーな動きもするし、良い感じで騙せたよ。そのカモフラージュとして樟脳を製造するために伊豆で楠を栽培をする予定が出来たのは、よいことだが、楠って西日本が育ちやすいんだよな。けど、河津の川津来宮神社には平成時代でも樹齢千年を超す大楠があるから大丈夫だよな。
樟脳はさておき。すでに竜骨船は以前から、試作艇として公園の手こぎボートを原型にした船から始まって、ヨットタイプに帆船タイプと進んでいったが、俺が京都へ行っている間に試作船として二檣スクーナー船『韮山丸』全長六間(10.8m)幅一間三尺(2.7m)深さ六尺(1.8m)排水量百八十石(27トン)が建造された。この船は既に運行も行われ粗探しも済んでいた。さらに一船に付き三百貫で建造できるので同型船の量産が開始されていた。
さらに現在新造船として『戸田丸』全長十二間三尺(22.7m)幅三間二尺(6.1m)深さ八尺五寸(2.6m)排水量六百石(90トン)が設計されて、一番船は竣工済みで、二番船『君沢丸』が起工済み。この船は名前からして分かるように完全に幕末に作られたヘダ号とその量産型の君沢型二檣スクーナーが原型だ。
両船とも設計自体は俺が基本を行い、残りは船大工がした。これは前世で帆船の木製市販模型を組み立てた事と、模型工作木材を使って一から帆船の模型を作ったことも有るので、ある程度の構造はわかっていたからこそなんだが、結構苦労はしたよ。なんと言っても即在の和船しか作ったことの無い船大工で洋式船はなれていないからだ。そこで、自分で作った帆船模型を渡して研究してもらった。
しかしぶっちゃけ、韮山丸が無事に出来たことには驚いている。さすがは日本の職人だマジパネー!
建造した造船所の施設は酒匂川で堤防を築いたときに河川改修して左岸の旧河道を利用して通船堀を作ってその奥に港を作ってそこへ造船所施設を作った。形としてはIHI砂町工場みたいな感じだ。造船船台と造修船渠を築いた材料は大日本帝国海軍の横須賀海軍工廠船渠と同じ真鶴から熱海にかけて産する、安山岩質の本小松石を用い、それに火山灰コンクリートで裏込めと水防をした。
今のところ船渠は一基だけで、長さ一町、幅十間、深さ五間(109m×18m×9m)の大きさで、二号船渠も掘削中だ。船台は、長さ一丁半、幅十五間(163.5m×27m)の大船台が二基、長さ二十間、幅五間(36m×9m)の小型船台を三基構築済み。さらにトラス構造の木製クレーンを設置している。尤も動力は人力と牛力なんだが、そこはそれ、クレーンが有るだけでも凄いことなのだ。
現在は小田原で築港とともに造船所の工事も進んでいるがまだ始まったばかりで、恐らく完成は十年以上かかる。従ってしばらくは造船船台と造修船渠は酒勾村造船所だけなんだよな。
本来なら、小田原造船所に関しては、もう少し早く作りたいのだが、如何せん築港とともに行っている為に掘削などの土木工事量が半端ではなく、工兵隊がフル操業しても人手が足りない。船台だけなら一年程度で作れるが、太平洋の荒波に直接進水させるなんてしたら、破壊されるのがオチだから、そう簡単にはいかないんだよな。
それに、今現在、小田原周辺は道路工事や架橋、ほかの土地では鉱山開発や運河に用水路の建設と言った土木工事が目白押しで、工兵隊を含む土木関係は仕事が多く全くもって人手も採石もコンクリートも足りない、その為に現在人材に関しては工兵隊専門の訓練施設と土木作業要員の増員を目指して術科学校を作って新人教育中だ。
材料に関しても石材は穴太衆に頑張ってもらい、本小松石を含め伊豆近辺で採掘開始、火山灰は伊豆大島、三宅島、八丈島などの火山島で大々的に採掘中だ。あれらの島は米が殆ど取れないので年貢は塩で納めさせていたんだが、今現在は火山灰で納めさせるという方法に変えた。
尤も島民の年貢や島民が農業、漁業、塩業などの余暇や、女子供老人なども小遣い稼ぎに火山灰採掘をして賃金労働しているが採掘収集に全然人手が足りないので、本土から囚人を送って作業させている。
そういや、あの詐欺師の天十郎は親王殿下が開府した征東大将軍府、初の裁判で偽綸旨を使った件、偽綸旨を作成した件、それらを使って民から金をだまし取った件で、死罪判決が出たが、開府の恩赦で特別に伊豆大島に流され死ぬまで火山灰採掘をさせられる事になった。同じような罪人は全て伊豆大島での火山灰採掘だが、これも人手が足らないので人材の有効活用だな。
それでも人手が足りないので博多や堺に頼んで西国から送られてくる戦争捕虜や拉致され外国へ奴隷として売られる予定だったのを、商人が買い取った人たち、他国から流れて来た難民もジャンジャン集めて、開墾、埋め立て、採掘などなど単純労働者として仕事を与えている。それにより無駄飯を食わせることも無く万々歳だ。
尤も、選別試験を行って優秀な人材にはそれ相応の技術や知識を教え込んでテクノクラートとして使う事もしているが、江戸時代と違って全国に寺小屋が有るわけじゃ無いので、文盲率が各地でバラバラで苦労している。
その他に、長島とかから移住してきた一向門徒などは、あの輪中地帯に住んでいたので土木技術力が高く、少々の教育ですぐに工事用具を使いこなして、土木関係の即戦力として働いてもらっている。
中には中級武士の三男以下もいて、武力だけじゃ無く、官僚系に振れているのもいるから、少しずつだが土木管理事務所のような組織を作れつつある。
移住してきた連中を見てみて分かるが、一向門徒も普通に生活できれば加賀の一向一揆や長島一向一揆などのように過激に成らないわけだ。それに北條領では信仰の自由が保障されているし、浄土真宗も顕如殿が氏康殿の義理の息子と来れば誰も騒がない。それに現在の北條領は超好景気で仕事が多くて人手が足りないので、みんな仕事にありつけて、職さえ選ばなければ失業者なんぞ殆どいない状態。
しかも隣の国府津には浄土真宗の真楽寺が有って賑わっているから。ここは、親鸞上人が七年間も逗留したと言う話がある寺で、境内の帰命堂には、帰命石とよばれる2㍍ほどの石があって、名号は聖人が記されたと伝わっているから、そりゃみんな喜ぶこと喜ぶこと、さらに舜ちゃんの存在も大々戦力だ!
顕如殿の妹だから皆が皆、崇めること崇めること、一度アイドルみたいだと握手会を開いてみたら並んだ信者の数が五千人を超えて引いた。舜ちゃんには大変な思いをさせたのでもうやらないことにしたが、某三国志ゲームの役満三姉妹を彷彿とさせたヤバさだった。
んー、明日は試作できたライフリング式回転式拳銃の試験だし、財務関係もあるし、小平太たちの勉強用の教材もいるし、夜は奥さん達とのバトルだ。
あと、東北に送った連中からの中間報告とかも読んで幻庵爺さんと的確な指示出さなきゃだし、最低限でも遠野の阿曽沼家とは誼を得なきゃだし、出来れば親戚の小高の相馬家とも誼を得なきゃ、元々藤橋家の一族が我が三田本家と相馬家との両家に仕えて遣り取りしているから、満五郎は問題ありだが、兄上と満五郎の親父さんにお願いして繋ぎをつけて貰っているので、色よい返事が来るはずだ。
あと、最上に送った飯母呂小四郎が片倉喜多をスカウト出来れば良いんだが、あいつ重度のロリでペドなんだよな。この前なんか、数多ちゃんを今すぐ嫁にくださいとか言ってたし・・・・・・人選間違えたかな。まあ、人選は幻庵爺さんと小太郎も責任があるわけだから、一緒に幸せになろうよだ。そうさ仕方が無いさ。
今のところ、我が屋敷は子供や幼児が一杯だ。我が沙代を筆頭に、小平太、家臣団の子供たちなどなど、さらに弥九郎(小西行長)も引き抜いた、て言うか引き取ったから育てているし、まあ育てているのは刑部家なんだけど、数え三歳で既に才能の片鱗を見せているので末頼もしいよ。その他に島左近の弟とか、良い感じの子が多くいるから早く育って俺を楽にしてくれ。
しかし、戦から帰ってきて一段落のはずが、全然休めないのは自業自得ともいえるのだろうな・・・・・・。
五巻は今だ校正中です。
時間が・・・・・・
さらにウエーブおまけが出来ていないと言う事態に。
頑張ります。




