第百十三話 深萩の戦い開戦前
大変お待たせしました。
やっと開戦です。
感想返しは今暫くお待ちください。
永禄元(1558)年八月十五日
■常陸国那珂郡深萩 岩城親隆
先ほどから俺の前では親父殿、弟や中野など実家の宿老たちが爺様や岩城の宿老たちと喧々諤々と佐竹、北條勢へ仕切りの対応を協議している。
爺様が計画し、親父殿が乗ってきた、常陸進撃は当初奇襲が成功した為、小里城まで敵の応戦もなく進んだのだが、直ぐに落ちると思った小里城に良いように遊ばれた挙げ句、時だけが過ぎてしまった。焦った親父殿は奇襲効果が薄れると拙いと、田村勢に小里城への対応を任せ先を急ぐことにした。
佐竹勢は当主右京大夫が病に倒れ、初動が進まなかったらしく、この地までは何の抵抗もなく進撃出来たが、何と佐竹家は北條家と手を組み、深萩に陣を張っていた。戦力的には当方の方が有利であり、その上、指揮を取るのが右京大夫ではなく、齢十二の嫡男ではまともな指揮は出来ぬであろうと考えた。
所が、敵は主将に北條権中将を充てるという奇策をとってきた。その為、当初の考えと違い佐竹と北條が連合している事を加味し此方も陣を張り、彼方の出方を見るために臨戦態勢のまま軍議を開いていたが、そこへ彼方から使者が来たのだが、その使者が問題だった。
『伊達左京大夫(晴宗)殿、岩城左京大夫(重隆)殿、お初にお目にかかります。拙者は鎌倉御所様(関東公方足利藤氏)が臣、一色宮内大輔(直朝)と申します』
最初の男は先だって内乱が終わり当主が決まった公方様の重臣であった。
『伊達左京大夫(晴宗)殿、岩城左京大夫(重隆)殿、お初にお目にかかります。拙僧は征東大将軍様(恭仁親王)が臣、大谷泰珍と申します』
驚いたのは、帝が遣わした征東大将軍様の使者までが来ている事だった。
『一色殿、大谷殿、この度は何用でございますかな?』
さしもの親父殿も公方様と大将軍様の使者の訪問には驚きを隠せなかった。
『なに伊達殿は奥州探題でございますな?』
『左様』
一色殿の質問に親父殿が幾分胸を張って答えたのだが、それに対して言葉尻を突かれるはめになるとは思ってもみなかった。
『なるほど、では何故、奥州探題たる伊達殿が公方様の職責であられる関東へ兵を向かわせたのですか、それは奥州探題の職責を逸脱してはおりませんか?』
『それは・・・・・・』
親父殿も此にはかなり困ったようであったが、弟(輝宗)がしゃしゃり出てしまった。
『使者様に申し上げます。当家は舅たる左京大夫殿の臣船尾兵衛尉(昭直)を佐竹殿が籠絡し度々陸奥へと侵攻してきていることを諫めるために兵を挙げたのでございます。此は充分に奥州探題の職責の範囲でございますし、遙か遠くから援兵として来た我らの行為は義挙と言うべき仕儀、それをお諫めとは些か公平とは思えませぬ』
『ふむ、職責と申すか、ならば問うが、それ以前には岩城殿は、佐竹家が山入の乱で混乱の最中、度々佐竹領である常陸へ出兵し一時は佐竹家を組下に納めることもしていたはず、その際には伊達殿は諫めもせずに、自らの勢力圏拡大に邁進し、陸奥だけではなく出羽の最上殿まで支配下に置いておりましたが、此は奥州探題の職責でありましょうか?』
『それは・・・・・・』
今度は弟までぐうの音の出ない状態に、親父殿も弟も言っていることは屁理屈でしかないのだから、前方には既に当初の想定とは違い佐竹だけではなく北條も兵を率いて陣を張っているのだから、奇襲が成功しない以上はここで兵を引くも一つの手だが。
『まあ、まあ、宮内大輔殿、その辺はお互い様と言えるかもしれませんぞ』
『そうは申しても、法印殿(大谷泰珍)』
今までジッと聞き役に徹していた大谷殿が話しはじめた。
『鎌倉御所殿の職責は関八州だけではなく伊豆、甲斐、陸奥、出羽の十二カ国ならば、奥州探題も羽州探題も配下の筈、ここで兵を引く事を約束させ、和議を結ばせるが、為政者たる者の務めでございましょう』
『そうは申しましても、この戦乱の世の中とは言え、他家から迎えた嫁御に毒飼いをされた佐竹殿としてみれば、怨み骨髄に徹するでしょう。それを只単に和睦で済ますのは些か虫が良すぎると思いますが』
なんと、叔母上が毒を、義父殿の仕業と言う訳か、拙い拙い、此では完全に当家が悪役ではないか。
『御使者殿、いいかげんな事を話すのはお止めくだされ、幾ら鎌倉御所様と征東大将軍様の御使者とは言え、言って良いことと悪いことがございますぞ!』
弟が激高するが、爺様の顔色が悪い、毒飼いは事実か拙いな。この状態で有れば、どうにかしてでも公方様の顔を立てる形で兵を引くのが最善とは言えないが次善の策であるが、果たして親父殿が納得できるかどうか?
『御使者殿、息子が粗相をし、真に申し訳ございません』
親父殿がへりくだるとは、何か考えているのであろうな。
『いえいえ、此方も言い過ぎたようですから』
『御使者殿、当方と致しましては、他家や宿老との兼ね合いもあり、話を諮らなければなりません。それ故に暫し時を頂きたく』
『判り申した。明日までお待ちいたしましょう』
『忝い』
こうして、御使者殿一行は敵陣へ帰っていったが、それからが大変だった。中野を含めた宿老の招集と岩城の宿老連中の招集で事の仕儀を伝えた所、喧々諤々と意見が割れに割れた。
数刻の後、荒れに荒れた軍議の結果は、佐竹右京大夫(義昭)が病に倒れ、佐竹勢の中核がいない事、更に敵は一万に対して味方は一万六千、にもかかわらず背を向けて帰れば”伊達は臆したかと奥羽の諸将に舐められる“と言う親父殿をはじめ宿老連中の意見が通り戦を続けるという事になった。
確かに、皆の言う事理由も判るが、実際には小里からここまででろくに略奪が出来ていないので、このまま撤退した場合、兵の勢いだけは上っている為に、憂さ晴らしに味方の領域で略奪しかねないと言うのが頭を悩ませる要因の一つだからこそ、戦わざるを得ない訳だ。
鎌倉御所様(足利藤氏)、将軍様(恭仁親王)の和睦斡旋を蹴ることになるのが一抹の不安であるが、それも小里を包囲してた田村勢からもたらされた書状で懸念が消えることになった。
なんでも都の公方様(足利義輝)は鎌倉御所様を廃し、里見家の元に御座所を移されたお方を後継に決めたそうだ。我らもその事は調べていたが、里見より梨の礫で与太話かと思っていたがな。ここまで行けば一戦して和睦する事も仕方なしと考えるしかあるまい。
永禄元(1558)年八月十五日
■常陸国那珂郡深萩 東尾根
戦場となる深萩の住民たちは佐竹、北條が陣を張ると同時に東側尾根にある村々が自力救済の為に常日頃用意している避難場所たる山中へと食料、身の回りの物、家畜などを避難させていた。これは、普通残っていても敵味方は問わずに略奪暴行の被害に遭うことが確実だったからである。
彼らも只単に奪われる存在ではなかった。持ち運べない家財は穴を掘って埋めるなどして自己防衛をしていたのである。
そんな彼らが避難した山の上から多くの民が木々の隙間から今か今かと始まる戦を息を殺して見つめていた。
「和尚様、大丈夫ですか?」
「心配する事はないぞ」
「そうは言っても、田畑は荒らされてしまうだよ」
田畑は、彼らにとって命の次に大事な物、それが戦により踏み倒されてしまう。戦が終わった後で再開墾する苦労を考えると彼らの顔は曇る。
「安心するがよい、佐竹の御殿様、東の御殿様(佐竹義堅、佐竹東家当主、小里、深萩を含む一帯の領主権限を持つ)公方様、将軍様のお墨付きを頂いたのだから」
「それは、役に立つのですか?」
「うむ、良い機会じゃ、皆に読んで遣わそう」
和尚の一言に多くの村人が集まった。
「先ずは、佐竹様、東様と言えば、判るであろう。この地を治められているお方じゃ。公方様は古河にいらっしゃる高貴なお方、そして将軍さまは天子様の弟君じゃ」
和尚の話に、ある程度学がある者は唸り、学がないものはキョトンとする。
「和尚様、それで?」
勿体ぶった和尚の話に早く続きを話せと急かす。
「約束はこうじゃ、一、この度の戦で出た損害は全て金穀で補填する。二、田畑、家屋の再建に人手を遣わす。三、今年の年貢は免除する」
和尚の話に盛り上がる民たち。
「和尚様、ほんとか?」
「騙されるんじゃないか?」
「皆の懸念は確かにあるが、天子様の弟様が御約束したのじゃ、それに叡山の高僧の裏書きも有る以上、この約束を反故にした途端に仏罰が下る故に安心するが良いぞ」
「なるほど、仏罰は怖いからの」
「だの、神仏を蔑ろにしたら大変だからの」
村人たちは不安が取り除かれて安心して戦見物が出来ると再度戦場を見始める。
「それにしても、村の端にあんなに穴さこさえて何にするんだろうな?」
「判らんな、あっちの堀と土手は判るが」
「城でも作るのかの?」
「あんなに堀をこさえてどうするんだの?」
彼らにしてみれば、北條家工兵隊が作事する堀と土塁を何段にも渡って巧みに組み合わせる野戦築城を生まれて初めて見たのであるから判らないのは当たり前だった。
「始まるだ」
「だな」
彼らの眼下ではその土塁に向かって喊声を上げながら攻撃を開始した伊達、岩城勢の姿と第一段目の堀と土塁ではなく、三段目の土塁の裏に待ちかまえる佐竹、北條勢の姿が見えた。
永禄元(1558)年八月十五日
■常陸国那珂郡深萩 佐竹義重
うむー。義父殿(北條氏康)の予想通りに敵は攻めて来たか。
当初、鎌倉御所様、征東大将軍様の御使者を送り和睦すると言われた時は、父上(佐竹義昭)を毒飼いした岩城を逃がすのかと激高しそうになったが、まさか、将軍家のしでかした事(鎌倉公方交換)を逆に利用して偽の書状まで送り敵を混乱させて一日の猶予を作るとは、そのお蔭で救われた小里から敵勢の後背を突くための軍勢が南下しているのだから。
流石は河越の戦いで十倍の敵を屠った義父殿、その深謀恐ろしい。熟々父上が盟約を結ばれ、俺の奥さんに林ちゃんを迎え入れることが出来て縁戚になれた幸運を喜ばねば。
義父殿であれば岩城のように毒飼いなどしないであろうからな。僅かな時しか一緒に過ごしてはいないが、そう断言できるのが不思議な気がするが。
それにしても、民に損失補填をするとは驚きだ。銭のある北條家ならではの戦よ。しかし、典厩殿の話では常陸の海沿いには多くの銅山や燃える石が埋まっていると神仏のお告げがあったと。それを聞いた時は眉唾と思ったが、聞けば北條家がここ数年で開発しはじめた伊豆の金山や秩父の銅山などは典厩殿が神仏からのお告げがあったという事から発見されたという話だ。
此は、信じるよりない、そうなると佐竹も金の成る木が出来る訳だ。うむー、此からの北との戦いに鉄炮隊などの編成が必要なれば、有り難く掘られて貰うだけだな。
典厩殿の話は俺と父上だけに伝えられたこと、何故かと言えば、典厩殿の非凡さが判れば必ず害しようとする者が出てくるからだそうだ。それは俺もよく判る。しかし此ほどの秘密を教えられるとは義父殿の我らに対する信頼は相当なもの、必ずや期待にこたえられるようにするぞ。
いよいよ敵が攻めてきたか。俺の初陣だ。此から皆に助けられながら丹田に力を込めて父上から預かった軍配を振るだけだ。
「者ども! 放て!」
俺の号令と供に北條殿の鉄炮隊、当家の弓隊が迫り来る敵に攻撃を開始した。
此が、戦いか・・・・・・
和睦交渉で混乱させ、偽の書状で戦を決めさせる、悪辣です。




