9 商船セマン・セターレ号
ランダの手を借り、馬車から降りたエリュアは、声もなく目の前の光景を見つめた。
海風が彼女の前髪をなびかせ、潮の香りが身体を包む。
都市国家マルディガルの玄関、イディルカ港だ。
その桟橋には、大きな商船『セマン・セターレ号』が停泊していた。
紺と白に塗り分けられた船体は美しく、三本のマストが天をつき、青空を背景に旗をなびかせている。かけ声とともに荷下ろしをする船員たち、鳴き交わす海鳥たちで、あたりはにぎやかだ。
「想像以上に立派だわ。海のお城みたい。この船が、マルディガルを支える力なのね」
エリュアは感心する。
船を造って維持すること自体、どこの国でもできるというものではない。トルリアにも船はあるが、海岸の地形、材料の質、そして資金などの問題で、大きな商船・軍船は持てないでいた。
「同じ大きさの船がもう一隻、南国に行っている。これより小型の船は、船員ごと他国に貸し出しているものもある。さて……ああ、来たな」
ランダが手をあげると、船のタラップを降りてきた男が手を振り返した。身軽に駆け寄ってくる。
「エリュア王妃陛下! お目にかかれて光栄です。船長のフォーシードと申します」
船長帽を取って大仰に頭を下げた彼は、黒髪を一本に結い、日に焼けた肌に明るい空色の瞳を輝かせていた。ランダより少し年上だろうか。
「フォーシードさん、初めまして。あなたが、ランダとともにマルディガルを導くお方なのね」
「いやいや、自分など金勘定しか能がなくて!」
「エリュア、騙されないでくれ。こいつは元首になる資質を持っているくせに、俺に全部押しつけて船で逃げたんだ」
「ちょ、人を逃亡犯みたいに! 半年ぶりに帰ってきたんだぞ!」
遠慮なく言い合う二人は、とても仲がよさそうだ。
聞くところによると、ランダとフォーシードは高等教育機関で学んだ学友同士だったらしい。
当時、フォーシードは自分こそが都市国家をまとめるのだと息巻いていた。しかし、どうやらランダの方が向いていそうだと察し、親友として彼を強力に後押し。そして、自分は経済面で役に立とうと交易の指揮を執っているのだ。
「トルリアとの話は聞いています。生贄を要求したと聞いてたまげましたが、この温厚なランダがぶちギレるんだから相当だなと」
フォーシードは苦笑する。
「エリュア様の生存を公表した後も、あっちは騒いでるんでしょ?」
「ええ……」
さすがに恥ずかしく、エリュアは片手を頬にあてた。
最新の情報によると、エリュアの生存を聞いた二キウスは、
「王妃は獣に侍らされている! 恥辱を味わわされているのだ!」
と騒いだとか。
あまりに予想通りで、彼女は内心、頭を抱える思いだ。
しかし、ランダは笑う。
「ここで、以前言った『次の手』だ。効果的な舞台をご用意する」
フォーシードもカラカラと笑った。
「このフォーシードが帰国したんですからね。お味方しますよ」
彼は手で、船を示す。
各国の商人が次々と、船を下りてくるところだった。
港にはデカデカと、『国際物産商談会』と書かれた幕が張られている。
いくつもの屋台に、商人たち自慢の作物や加工品が並び、港を色とりどりに染め上げていた。様々な衣装、即興で始まる音楽、香辛料の匂い。物産だけではなく、荷を運ぶための馬や馬車、護衛なども含め、様々な商談があちこちで繰り広げられる。
船室の窓から、エリュア、ランダ、そしてフォーシードは会場を眺めていた。
「本当に、交易が活発なのね」
「物流をマルディガルが引き受けさえすれば、付近の諸外国は交易したいし、できるのだ。話をまとめるため、こういった商談会を年に一は開くようにしている」
「貴重な場だわ。それに、マルディガルにとっても大きな利益になるんですものね。……あ、今、入ってきた人」
エリュアがつぶやく。
「トルリアの人だわ」
商談会の会場は柵で囲われており、出入り口を一カ所にまとめてある。
トルリア人が来ているか確認しておいた方がいいだろう、というランダの提案だった。これなら、エリュアがその目で確かめられる。
「今の、青緑の上着の?」
ランダが確認し、エリュアがうなずく。
「ええ。公爵の従者ね。二キウスに命じられ、商人のふりをして、私の様子を見に来たんでしょう」
「あなたの知り合いが来させられたんですねぇ」
当該人物を見張るよう、部下に指示を出しながら、フォーシードが言う。しかし、エリュアは首を横に振った。
「知り合いというわけでは……一度見かけたことがあるだけで。トルリアでも、開けた場所でパーティをすることがあるの。馬車で貴族たちが到着するのを見ていれば、たいてい従者がそばにいるから、それで」
「一度見ただけで? これが噂の記憶力ですか。うらやましい」
エリュアの特技にフォーシードは目を丸くし、そして立ち上がる。
「要注意人物は監視下に入りましたし、それでは会場に降りましょう」
タラップの上にエリュアたちが姿を現すと、気づいた商人たちが船へと向き直った。一斉に、うやうやしくお辞儀をする。
商人たちは、
「トルリアの度重なる暴挙・無礼にランダが反発・抗議したこと」
「エリュア王妃がマルディガルに来ていること」
は知っているが、さすがに
「王妃が一角獣に乗ってきたこと」
までは知らない。おかげで、エリュアにとっての公開処刑再び、とはならなかった。
しかし、二キウス王が騒ぎ立てていることは知っている。二キウス本人が噂を広めているからである。
商人たちの視線は、
「生贄、などという噂を聞いたが、どういうことだろう」
「執政殿はエリュア王妃を人質にしているのか?」
と、探るかのようだ。
ランダが声を張った。
「マルディガルにようこそ。知っての通り、今、トルリアのエリュア王妃をお迎えしている。両国の友好のため、マルディガル各地を視察していただいているところだ。皆、この機会に自慢の品をどんどんご覧に入れてくれ」
エリュアが挨拶の仕草をし、笑顔を見せると、わっ! と歓声が上がった。
「さあ、エリュア」
「はい」
エリュアはランダのエスコートで、タラップを降りた。彼女の後ろには、ザクロがぴったりとついて護衛しているし、トルリア人には見張りがついているので安心だ。
「王妃様、この染め物の鮮やかさ、ご覧ください!」
「この香は、あなた様の高貴さを引き立てますよ!」
「美味しそうでしょう? ほらお付きの方、毒味して差し上げて!」
次々と勧められる商品に、
「美しいわ、朝焼けの雲のよう!」
「いい香りですね、うっとりするわ」
「美味しい! 香辛料は何を使っているの?」
とエリュアは一つ一つ楽しそうに反応する。隣のランダに見せ、二人で何か話して笑いあう。
これが、ひどい目に遭わせ、遭わされている二人のはずがない。
商人たちは少なくとも、そう感じた。
いったい、二キウス王は何を騒いでいるのだろう?
「王妃様、お一人でいらしたんですか?」
などと、試すようなことを聞く猛者もいたが、エリュアは軽やかに答える。
「ええ。私が来たくて、来たんです。もう少し滞在させていただくわ」
二キウスを通さなくては意志を表せなかった頃とは違う。彼女は自分の言葉で、人々と交流する。
見張りのついていたトルリア人は、キョロキョロと周囲を見回した後、まるで逃げるように会場から出て行った。
夜にはセマン・セターレ号上で、パーティが開かれた。
甲板に小さな丸いステージがしつらえられ、芸人が芸を披露したり、歌手が歌ったりする周りで参加者は盛り上がる。
エリュアやランダ(もちろんフォーシードも)はそれぞれ、踊りに参加したり、様々な国の商人たちと親しく話をした。
そうして、再びセマン・セターレ号で自国に戻った商人たちは、伝える。
マルディガルでエリュア王妃は丁重にもてなされており、二キウス王は何か勘違いなさっているようだ、と。




