8 エリュアの特技
エリュア、生存。
ランダはそれをトルリアに知らせると同時に、マルディガルの民にも「両国の関係を改善するためにエリュア王妃が来ている」と公開した。
つまり、彼女はどこにでも出歩けるようになったのだ。
「こうなったらランダ、私、積極的に出かけようと思うの」
エリュアの言葉に、ランダは尋ねる。
「と、いうと」
「マルディガルには、商売や観光で様々な国の人がやってくるでしょう? 私はランダにひどい目になんか遭わされていない、本当に無事だってこと、見せないと」
そもそも、マルディガルが都市国家として成り立っているのは経済力があるからで、交易がさかんなのだ。
諸外国の商人たちに、元気なエリュアの姿を見せれば、噂は自然と広まるだろう。
という話の流れで、エリュアは微笑む。
「お時間のある時で結構ですから、私を色々なところに連れて行って?」
もちろん、勝手に一人で動くわけにはいかないからそう言ったのだが。
(「連れて行って」……「連れて行って」⁉)
ランダの脳内では、その言葉がリフレインしてしまった。
憧れの女性にデートをねだられて(違うが)、うっかり舞い上がりそうになるのを抑える。
「そうだな! ずっと公邸内で過ごしていては気も滅入るだろうし。まずは近場で、警備もしやすい場所に出かけよう」
「はい!」
ニコニコしている二人を、気配を消して見守るザクロであった。
執政公邸は、国が自然公園に指定した森の中にある。
そして森では、絶滅が危ぶまれる動物や、密漁で親を亡くした仔などが保護されており、生き物の気配に満ちあふれていた。
木々の匂い、土の匂いに包まれながら、木漏れ日に照らされた林道を歩く。
「こんなに生き物が……それに、お隣の国なのに植生がかなり違うのね。見ていて飽きないわ」
エリュアは目をきらきらと輝かせた。きょろきょろと見回しているうちに、つまづく。
「あっ、と」
サッ、とランダは彼女を支えた。
「起伏が大きいので、気をつけて」
そのまま、自分の腕にエリュアを捕まらせて歩き出す。
エリュアはつぶやいた。
「こういうのが、夫婦ですよね」
「えっ⁉」
パッ! とランダがエリュアの顔を見た。
「? ……あっ! ごめんなさい」
エリュアがあわてて説明する。
「つまずいたらお互いに支える、という話です。実際に転びそうな時だけじゃなくて、精神的につまずいた時にも。そういう夫婦って、素敵だろうなって」
つまり、エリュアとニキウスは違った、ということなのだろう。
(俺だったら、離れた場所にいてもすっとんで行くのに)
ランダが思っていると、エリュアは彼を見上げた。
「ランダもきっと、そろそろ結婚をという話が来ているのでは?」
「あ、ああ……」
ランダは二十代半ば。マルディガルではとっくに適齢期だし、執政という高い地位についてもいる。結婚話など山のように来るだろう、とエリュアが思うのも当然だ。
「やっぱり、そうよね。決まった方がいらっしゃるなら、必ずそちらを優先して下さいね」
『必ず』を強調して言ってから、エリュアはいたずらっぽく付け加える。
「私、恨まれたくないわ」
ランダは苦笑した。
「大丈夫。うん、確かに俺も、決まった人がいたらその人に配慮しただろうが、いないので」
「そうなの」
「うん。やはり獣人という所が気になるのか、身分と年齢の釣り合う女性たちは『他にいい人がいればそっち』という判断をするようだ」
「難しいものね……」
「俺は特に気にしていない。こうして、その、あなたと過ごせる」
「でも私は人の妻だから、あまりしょっちゅう一緒にいると、眉を潜める人もいるでしょう。私も気をつけます」
夫に傷つけられて距離を置いているからといって、エリュアは浮つかないよう自分を戒めている。
あなたもわきまえた方がいい、と言われたように感じて、ランダはつい言い返してしまった。
「あなたはマルディガルに『生贄』としてやってきたのだから、もう俺のものだ」
「え」
エリュアは目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべる。
「執政殿が、私を国民として受け入れて下さるというのね? 嬉しいわ、何かあったとしてもこれで生きていける」
ランダが元首であるばかりに、こんなふうに受け取られてしまう。
(それならそれで)
思い切って、ランダはもう一歩踏み込んだ。
「ああ。俺が、あなたを、幸せにする」
嘘ではない、本当の気持ちだ。
エリュアの頬が、ほんのり、染まった。
「ランダ……」
「しかし、あなたはトルリアで生まれ育った。家族も友人も、トルリアにいる。故国を捨てろ、とは、俺には言えない」
婚姻関係がどうなるのかを含め、ランダの想いだけで押し切るわけにはいかない。
エリュアもうなずく。
「私の一番の望みは、両国が友好の絆を結ぶこと。それは変わらないの。断絶したり戦争したりして、もう家族や友人と会えない、それは最悪の場合ね。……覚悟は、しておかないといけないのだろうけれど」
「その時は、俺にあなたの全てを委ねてほしい」
今のランダに言える精一杯を、言葉に込める。
彼を見つめ返したエリュアは、ささやいた。
「はい」
話しながら歩くうち、小屋がいくつか連なっているのが見えてきた。
「あそこは何?」
「飼育小屋だ。動物の仔を保護している。親が死んでしまい、まだ自分で餌がとれないような仔たちを」
裏手の方から、飼育員らしき女性が出てきた。二人に気づくと、微笑んで会釈する。
すぐにエリュアが「あ」と声を上げた。
「最初にお世話してくれた人ね、あの時はありがとう」
ここに到着した日、エリュアが客室に案内された際、メイドとして手伝った人物だった。普段は飼育員として働いているが、急にやってきたエリュアのために臨時メイドをつとめたのだ。
「えっ? あっ、はい! いえ、私は何も!」
三十歳くらいに見える彼女は、あわてて手を振った。
「まさか私を覚えておいでなんて……あの日だけだったし、服装も今とは全然……」
「ああ、エリュアは顔を覚えるのが得意だと、ザクロが言っていたな」
感心するランダに、何でもないことのようにエリュアはうなずく。
「そうね、まあ得意な方じゃないかしら。……あっ、出てきた」
一番手前の小屋から、ふわふわした毛の動物が何匹も飛び出してきた。マルモータだ。げっし類で、長いふさふさの尾を持っている。
マルモータたちは、飼育員にまとわりついては小屋に駆け込んでいき、また出てきてまとわりつく……を繰り返す。忙しないが、弾けるような生命力にあふれていた。
飼育員が、手に提げた桶から木箱に餌を移すと、彼らは一心に食べ始めた。
エリュアは目を細める。
「可愛い。……あら、食べに来ない子がいる」
「え?」
飼育員が驚いて、エリュアを見た。
「そうなんです、臆病な子が一匹いて、餌を小屋の中に運んで食べているんです」
「それならいいの。ちょっと心配だったから」
「よく、お気づきですね」
さっきまで小屋を出たり入ったりしていたので、何匹いるのかすらわからないのが普通だ。それにエリュアは初めてここに来た状態で、いきなり一匹一匹を見分けていることになる。
「動物の顔も、見分けられるのか?」
驚くランダだったが、エリュアも驚いた顔をしている。
「……ええと……私から見ると、みんな特徴的な顔に見えるんだけれど。もしかしてこれ、私の特技なのかしら?」
「もしかしなくても、そうだな」
ランダは大きくうなずいた。
「人と会う仕事をする者なら、誰もがうらやましがる特技だ。それにあなたの立場なら、例えば見慣れない者がいたら警戒することもできる」
「なら、防具にもなるってことね。意識して使うことにするわ」
エリュアは右の拳を握ってみせた。




