無色の恋人
「……私を頼ってくださった事は嬉しく思うのですが、生憎と今の私は記録に残る行為を禁止されております」
「え? それはどうしてですか?」
「私の家柄……ではありませんね。私は苗字を使わず、緋花として此度の活動に取り組んでおります。しかしそれが許されているのは偏に当主様の慈悲に他ならず、私がどう名乗ろうともこの身体には特別な血が流れています。ですので、姿が見える形での記録は許されておりません」
割と簡単に俺の悩み以上に複雑な家庭事情を打ち明けられたが、要するに拒否られたとだけ分かればいい。最初は当てが無くなって落胆したが、彼女は直ぐに補足した。
「ご安心ください。一つ策がございます。雪奈様に頼れば良いのです」
「だからその雪奈はもう面識があって、しかも呪術師っていう最悪な面識だから恋人って事にしたらそれはそれでややこしい事に―――」
「いえいえ。向坂様。そのままの雪奈様をお出しすればそうなるかもしれませんが、人間は印象の生き物です。雪奈様を象徴する者はこの赤のレインコート。服装を思いきって変えれば存外同一人物とは気付かれないものです」
「うーん…………そうですかね」
「他人の空似と思わせればそれで充分だと思われます。仮にですが、殺人犯に顔が似ているからとそれを公に口にすれば非は発言者にございます。大変で失礼な発言ですから当然なのですが。しかしどうしても信用出来ないという事ならば、実際に試してみせましょう」
「ヒノカ。私に拒否権は」
「これは仕事ですよ雪奈様ッ。九龍所長に言わせれば諦めろ、ですよ―――」
―――という流れから、こうなった。こちらから姿は確認出来ないが、カーテン一枚を隔てて裸体の雪奈さんが居ると思うとちょっと興奮……って何を考えているんだ俺は。渋々ながら協力してくれた彼女に邪な感情は抱くべきではない。そう、抱いてはいけない。イエスユキナノータッチ。
「ていうかレインコート脱げたんですね。知りませんでした」
「雪奈様が頑ななだけで普通に脱げますよ? 捨てられないだけです」
「ヒノカ。代わって。私が許可するから」
「家の掟には従わなくてはなりません。申し訳ございません」
殺意マシマシの拒絶を緋花さんはすげなく流し、服を渡していく。こういう流れになった時点で雪奈さんにノーを貫く権利はないのか、途中からは文句が出なくなった。遠くからそれを眺めているだけなので、店員はますます俺を単なる付き添いと思っているに違いない。
「雪奈様。着替えは済みましたか?」
「殺す」
「成程。では失礼ながら試着室に立ち入らせていただきます」
「何で」
「髪型も変えなければ印象は変わらないかもしれませんよ?」
緋花さんも試着室に入ってしまい俺はついに一人ぼっちになった。途中から俺を目撃した人は試着室を眺める変態とでも思うのだろうか。あり得ない可能性だ。私服ならいざ知らず今の俺は制服姿。たったそれだけでも変態と無条件に認定される可能性は低くなる。身分が保証される学生はこれだから生きやすい。
―――服装変えたって雪奈は雪奈だと思うんだよなあ。
想像力が欠如しているとは思わない。脳内で彼女の服装を切り貼りしても別人には見えなかった。実際に見ない事には何とも言えないが、期待値は正直低い。俺の印象が変わらないなら瑠羽の印象も恐らく変わらないので、駄目だと分かった途端に却下する勢いだ。
「お待たせいたしました」
試着室から緋花さんが出てきた。心なしか弾む足取りで俺の背中に回り込むと、強引に試着室の前まで押してくる。抵抗は出来たが雪奈さんがどう変身したのか楽しみじゃないと言えば嘘になる。期待値とは全く別の話なのだ。押されるがままに移動して試着室の目前に立つと、横に並んだ緋花さんから声がかかった。
「それでは雪奈様。カーテンを」
……等と言ってもあれだけ嫌がっていた本人が開ける筈がない。そこまで読んでいたかは分からないが、促して五秒と経たず緋花さんがカーテンを引いてしまった。
試着室には、イリュージョンよろしく只の美人が立ち尽くしていた。
レインコートを着用し続けていたからだろう、誰の眼にも晒される事の無かった雪膚をオフショルダーの白いブラウスが惜しげも無く見せつけている。反対に首元はきっちりと閉じているが、黒い紐リボンがあしらわれていて何処か上品な印象を受ける。上半身だけでも大分印象は違うのだが、雪奈を雪奈と認識させていない理由の大部分は下半身にある。
一体誰が想像したのだろう。レインコートを着用する限り不審者か変人扱いは免れない残念な美人がミニスカートを履くなど。
厳密にはキュロットスカートなのかもしれないが、ぶっちゃけどうでもいい。雨天の中に隠れたスタイルの良さを前面に押し出すと完全に別人だ。
カーテンを開けられてどうしようもなくなった雪奈さんは眉一つ動かさず―――代わりにその両目をカッと見開いたまま小刻みに震えていた。そう、いつもは見えなかった左目が今回は見えるようになっている。流されるがままだった金髪も今回はカチューシャの様に編まれており、とても愛らしい。女の子が何かやんごとなき事情で思い切ってお洒落をした感じ……というと褒めた風にはならないか。どうもこういうのは慣れない。
明らかな異常というのはもう分かった。虹彩が完全な鏡面になっている。瞳孔だけがぽつんと正常に存在しているので、確かにこれは異常と呼ぶに差し支えない。一つ訂正すべき所があるとすればその程度で雪奈さんの可愛さが揺らぐ事はなく、俺は終始テンションが上がっていた。
「可愛い。可愛いですよ、雪奈さんッ!」
「……け、敬語。やめて」
「あ―――可愛いぞ雪奈ッ!」
「…………ごめん違う。何も言わないで」
「雰囲気は反転いたしました。これを呪術師などと呼べる失礼な御方はいないでしょう。雪奈様、いかがですか? これならば向坂様の恋人として不自然は無い様に思われますが」
「お前。後で……殺す」
「俺は似合うと思うんだけどなあ」
「………………ッ!」
褒め殺しというのも考え物だ。雪奈は足元に脱いであったレインコートを羽織りその場で蹲ってしまった。震えは段々大きくなっており、このまま放っておいたらちょっとした地震が起きるのではないだろうか。流石に弄り過ぎた(本音だが)と反省しかけた所で緋花さんが背中からそっと耳打ちしてきた。
「雪奈様は褒められる事に慣れておりません。困惑しているのでしょう。向坂様、私は一度口を噤みますのでもう一度褒めてあげて下さい」
「褒めるたって。最悪こっちも『殺す』とか言われかねないと思うんですけど」
「私達が雪奈様について知っているのは九龍所長から教えていただいたからです。彼女が自発的に教えたのは貴方で二人目。一人は勿論所長ですが、九龍所長はあの通りの俗物ですから根本的には苦手意識を持っていると考えられます。話の流れがどうであれ信用されていなければ雪奈様はご自分の秘密を明かさないのですよ?」
「そういうものですか」
「私の見立てに間違いはございません。着替える事さえ嫌で仕方ないなら感想を待つまでもなく着替えるでしょうし、そもそもここまで付いて来ません。仕事とはいえ、ちゃんと付いてきてくれただけ雪奈様も貴方の助けになりたいと思っているのです」
人形の様に表情の変わらない、分かりにくい雪奈だが、そんな風に思ってくれているならとても嬉しい。連絡係だから親密にならなければいけないという事務的な理由が控えていたとしても、それでも俺は喜ぶ。友人が増えるのは、単純にとても嬉しい事だから。
レインコートに蹲ってミノムシみたいになっている少女へ近づくと、自らの両手首を握る手にそっと掌を重ねた。
「……えーと。雪奈。意地悪してごめんな。でも本当に可愛いと思うよ、俺は。それは初めて会った時から思ってたし、今もそう思ってる。緋花さんはああ言ってるけど、お前が恥ずかしさのあまり死にそうなら諦める。無理強いするのは良くないからな。でももし頑張れるなら協力してほしい。お前みたいな美人が恋人って事なら瑠羽も文句言わないと思うんだ」
褒めた……のだろうか。
自分でも良く分からない。恋人という事になっている雫はむしろ押してくるからこちらは受け入れるだけで良かった。一方で自分が押さなきゃいけないとなると話が変わってくる。どう褒めたら良いか考えている内に言葉が出ていた。今更引っ込めても格好つかないから言い切った。多分褒めた。後悔はしない。したとして、過去に戻れたとしても成功する保証がないのだ。目の前に立った瞬間真っ白になる。合理性もへったくれもない障害の前には時間遡行も無力だ。
「…………………………サキサカは、私で良いの。眼とか身長とか髪色とか年齢とか胸とか。七凪雫には取って代われない」
「んーまあそりゃそうだけど。妹は雫本人を知ってても俺の家に入り浸ってるとは思ってないし、俺が語った特徴も大体雪奈は全部当てはまってるし。取って代わるも何も写真撮ってくれればそれでいいし。何処かで怪しむなら何とかしますよ。口はあんまり上手くない方だけど、何とかしない事にはどうにもならないし」
美人……別ベクトルだが完璧。
優しい……のは内面情報なので省略。でも面倒見は良い。
温かい……のも以下略。手は温かい。
胸が大きい……雫と比べたら大体の女性は年齢的にも小さくなるだろう。今時は死語だが雫がダイナマイトボディで雪奈がトランジスタグラマーと言えば分かるだろうか。レインコートと制服で上手く隠れていただけで、結構出ている。
くびれ……完璧。というかエグい。高校生でもここまで綺麗なのは健康管理をしっかりしていて運動部に所属している女子くらいなものだろう。レインコートは色々な物を隠していた。
浮世離れした魅力……レインコートを脱いだ事で薄まったが、この初々しさはある意味俗世に穢れていないとも言えるのでそういう意味で浮世離れしているのではないだろうか。苦しい解釈と言われたら返す言葉もない。
振り返っても大体完璧なので、何の問題も無い。
「………………………約束」
「はい?」
「後でヒノカにも仕返す。協力して」
「お安い御用です。俺としてもちょっと見てみたいし」
「それと、正直な感想をお願い。本当に似合ってる?」
「めっちゃ似合ってると思う。俺は好き」
女性も男性も変わらない感性があるとすれば、基本的には好きな人からの評価以外は不愉快だという基準だ。この『好き』はライクでもラブでも構わないが、自分の立ち位置を見誤ると普通に嫌われるので個人の感想を挟むのは躊躇されたが。どうしても言いたかった。俺は滅茶苦茶可愛いと思っていると。
「…………………………写真、撮るだけだから。直ぐに着替えるから」
雪奈はゆっくりと立ち上がって、レインコートを脱いだ。




