苦悩と孤独の狭間
土季深春がそれと遭遇したのは、全く偶然の事だった。可愛い後輩である向坂柳馬と共に暗行路紅魔を対象に調査を開始。深春は暗行路紅魔が最初に仮面を渡した人物を探るべく、ネットと足で聞き込みを開始。目的の情報は得られなかったが、彼が手ずから仮面を渡す人間にはどうやら法則性があるらしいと分かった。
―――まあ、これだけ信用があるなら誰でも力になっちゃうわよね。
暗行路紅魔はグループの中の外れもの……仮面を信じない人間にこそ仮面を与えるそうな。聞き込みだけで数十件。暗行路紅魔について記事を書くつもりなのだと告げたらぺらぺら喋ってくれた。
『暗行路さんが不幸な子を探してるって言ったの』
『だから教えてあげたの私達っ。良い事したよね!』
『『ねー』』
仮面ビジネスにおける仲間外れとは仮面の効力を信じない懸命な人間。暗行路紅魔は今の自分の如く聞き込みでそういう人物を探し出して、仮面を渡しに行っていたのだ。同調圧力とはまた違うが、多くの人間から信頼を受ける存在からの施しを拒むと、それだけ敵意や恨みを買う事になる。面倒事を避けたいなら受け入れるしかないし、むしろ快く受け入れて後で捨ててしまえばそっちの方が楽だと思う.渡された殆どの人がきっとそうした。
その結果、居なくなった。跡形も無く。
報告する程の成果かどうかは分からないが収穫はあった。後輩の家を帰路に選んだ判断に他意はなく、本当に何となく選んだ道だった……。
「…………深春、先輩」
電話に出た後輩の声は、今にも泣きそうだった。
「え!? 後輩君、大丈夫? ど、どうしたの? 私で良ければ相談に乗るけど」
「……ああ、いえ。何でもありません。一人になった結果、感傷に浸ってしまっただけで……何ですか?」
「あ、そうだった。実は暗行路紅魔の事で連絡したんだけど、張本人を見つけたのよ。君の家の前なんだけど」
「……家の前。何してますか?」
「今、多分君のお父さんと話してると思う。声からそんな感じだって思ってるだけ」
「…………ああ。じゃあ心配しなくても大丈夫ですよ。あの父親が怪しい人物を妹に通す筈がないので」
「そう……?」
言い知れぬ不安。後輩の発言を信じないみたいで気持ち悪いけど、どうしても心配だから様子を窺う。まがりなりにも美少女という自覚もあり、さらには高校生という身分を用いれば万が一自分が不審者とみなされて声を掛けられても切り抜けられる。深春にはその自信があった。だから制服は結構好きだったりする。
暗行路紅魔の姿が玄関前から動かない。距離の問題で会話までは分からないが、相当長く話し込んでいるみたい。
「あの、もう電話切っていいですか? 何か収穫があるなら明日聞くので」
「ちょっと待って。何か様子が変なの」
彼の言い分をそのまま事実として忠実に反映するなら暗行路紅魔は門前払いを喰らって然るべきだ。怪しいし。だのにいつまで経っても門扉から離れないどころか―――
暗行路紅魔が家の中に入っていった……?
「…………後輩君。今、家?」
「いや、外です。まあ色々とあって。急にどうしたんですか?」
「暗行路紅魔が家に入ってったのよ」
「……はあ!?」
電話越しに暗行路に聞こえかねない程の耳を劈く怒声。あまりの鋭さに思わず耳が離れた。通話も切ろうとさえ思った。しかし直前までの疲弊ぶりを忘れてきた後輩がまくし立ててくるもので、ついぞ通話を切るタイミングは見つからなかった。
「マジですか!? え、え、ええ? そんな……」
「一応言うけど、嘘つく意味ないわよ。普通に入ってったの。後輩君の話に沿うなら、暗行路紅魔は貴方の家族にとって怪しい人物ではなかったという事になるのかしら」
「………………………そう、ですか」
「どうする? 戻って来れるなら待つけ―――あれ? ねえ、後輩君? え、切っちゃったのっ?」
これからどうするかという正にその瞬間。通話は一方的に終了した。
思考円環。
鈍化。
高速化。
堂々巡り花開き、されど実は結ばれず。俺こと向坂柳馬にはもう何が何だか訳が分からなかった。あれが怪しくなかったら世界中の不審者は怪しくない。それを顔パスの如く通過? 狂ってる。誰が許可した?
―――戻らなきゃ。
もう喧嘩がどうのこうのと言っている場合ではない。アイツは瑠羽を狙っていた。何が目的か分からないがとにかく危ない。親が壁として役立たないなら俺が守るしかない。窓に足を掛けて屋上へ這い上ると、それを待ち伏せていたかの様に雪奈さんがフェンスによりかかっていた。
「何処行くの」
「すみません。ちょっと家に戻ります。あ、雪奈さんは来なくても大丈夫ですよ。これは事務所に出した仕事とは一切関係ないので」
「関係ない証拠は、あるの」
「え?」
「一ミリも関係ないっていう証拠」
何かが手遅れになると言える切羽詰まった状況ではないにしても、早く家に行きたい。けれどこの問いは無視出来ない。雫や薬子に関係あるなら着いてきてもらった方が良いし、それは俺も望んでいた事だ。
証拠はないが関係あるとは思えない。暗行路紅魔が天玖村出身者なら話は変わってくるが、薬子を覗いて天玖村の住民は全員殺された。次の例外が出てくるとは考えづらい。
「…………ない、ですけど」
「じゃあ私も行く」
でも、本当に関係なかったらどうするんですか?」
「関係あったらどうするの」
……勝てない。
仮定だけで強引に主導権は持っていけないか。かもしれないで否定出来るならかもしれないで肯定出来る。この水掛け論を見越した上で最初に証拠を求めたのだとしたら俺が悪かった。暗行路紅魔の調査の進展はほんの僅かだ。おまけに俺達は警察の手も借りていない素人集団。絶対に関与はあり得ないとする証拠は早々見つけられない。
「……まあ、関係なくても行くけど」
「―――え?」
雪奈さんが校舎の縁に立って、首だけをこちらに向けた。
「サキサカ。一緒に夜の街見たの覚えてる」
「……つい最近の話ですから覚えてますよ」
「私はどうでも良かったのに、サキサカは私が帰るまで一緒に居た。感謝はしない。けどお返しはする。だから関係あってもなくても今回は協力する」
感謝はしないと明言しつつ、迷惑がる事もない。彼女の真意を図れる日はいつ来るのだろう。少なくとも今はまだ時期が早く、雪奈さんは屋上から飛んで一足先に家へ向かってしまった。一度家に来たくらいなので道はしっかり覚えているという事か。
「―――――あっ! ちょっと待ってッ。俺が来る前に突入したら雪奈さんも不審者になりますよーーーーーーー!」
……聞こえたかな。
あそこまでふざけた降り方を真似すると普通に足を折るのでちゃんと正規の手順で校舎を下りる。廃校侵入に正規も糞も無いが、どうせ誰も見ていないので俺がルールだ。体力に自信は無かったが今は不思議と足が軽い。高校の体育祭でリレー選手に選ばれるくらいはあるだろう。陸上部にだって勝てる自信がある(あるだけ)。
時間も俺の味方をしてくれており、この時間帯は車の通りも少なければ人通りもない。全力で走っても誰かにぶつかる可能性は限りなく低かった。あるとすれば勢いを止められず壁かガードレールに激突くらいだが、そんなギャグ漫画みたいな展開が出来るならこの身体は殆どコントロール出来ていないと言える。自分の年を思い返してみて、まだそんな年でないのは自明の理である。
「後輩君っ」
「深春先輩! ―――あれ、雪奈さんは?」
「え、知りませんよ?」
「先に来たんですけどね……」
言いつつ家の方に視線を送ると、二階の窓が開いている事に気が付いた。どう考えても不法侵入だが今はどうでもいい。瑠羽だ。アイツさえ無事なら本当に何もかもどうでもいい。
「深春先輩は着いてきてください。念のため通報の準備をお願いします」
「え? ええ、分かったわ」
当然開いている物としてノブを掴み身体を引き寄せる。扉が開かなかったので、俺は勢い余ってそのまま激突した。
「あばっ!?」
「ありゃ。大丈夫?」
回しが浅かったかと思い今度はきちんと回したが、やはり単純に鍵がかかっていた。もしかして雪奈さんはこれを確認したから二階から侵入をしたのか。ならば納得だ。それ以外に方法がないなら不法とは言わない。屁理屈極まりないが、どっちみち自分の家に帰るのだから不法も何もないだろう。合法侵入させてもらう。
「深春先輩は庭に転がってる梯子使ってください。二階から入りましょう」
「え、本気で言ってる?」
「それしか方法が無いので仕方ないのです。行きましょう!」
両親は何を考えてあのうさん臭い占い師を家に招き入れたのか。問答次第では喧嘩もやむを得ない。
―――妹だけは大切にしていると信じてたんだけどな。




