最後の連休
一目見たら脳に焼き付くこと間違いなしの珍妙な格好を、俺は知っている。サイトに乗っかっている宣材写真とここまで完璧に一致する姿は早々見られない。あの男だ、忘れもしない。名前を知らなくとも一目で警戒に値する存在だと感じた。単なる不審者だと察した。
コサック帽の様な縦長の帽子に、裏地が赤の紫色の外套。確定だ。六十億人を超える人間がこの世界に存在する中、これ程珍妙で奇抜で意味の分からないナンセンスでハイグレード且つ流行に対して圧倒的なイニシアチブをとる超最先端なファッションは世界に十人といない。ましてこの近所にはただ一人しかいない。
暗行路紅魔。
あの男が悪名高き占い師と知るや敵意が三倍増しだ。瑠羽を不幸と決めつけるいけすかない男、しかも昨夜先輩と話した結果に沿えば、アイツは瑠羽に不幸の仮面を渡すつもりだった。兄として家族として許せない。万死に値する。
会議中に起きた妹が自分の部屋に戻って、入れ替わりに雫が帰ってきてその日は終了した。微妙に不機嫌だったが、お腹を擽ったら直ぐに機嫌を直してくれた。部屋からつまみ出されてその程度しか怒ってないのもある意味彼女の寛容さが窺えてしまうが、とにかく二連休目が潰れた。
最後の連休だが、デート出来る状況ではなくなってしまった。単なる害悪どころか暗行路紅魔は人の恋路を邪魔する糞野郎であり、万死以前に転生すら許されないのは間違いないと閻魔様が仰っておられる。
「……ん?」
その日は朝から雫の姿を見なかった。最近は幻覚や幻聴が無いと思ったらこれだ。朝から生きた心地がしない。何よりも迂闊な行動を嫌う雫が俺の許可なしに外出するかは微妙だ。デートの時も外には出たが、あれは事前にそういう予定が組まれていたから驚きこそすれ生きた心地は失われない。
コンコン。
窓?
万が一にも窓から雫を発見されない為に、基本的には緑色のカーテンが掛かっている。開けなければ姿は確認出来ないが、窓からの来訪者は久しぶりなので身構えざるを得ない。その二人はもう俺を訪ねない。一人は死んで一人は絶交した。それ以外の来訪者はほぼ確実に歓迎されない。
護身用の木刀をベッドの下から取って恐る恐るカーテンを開ける。
久遠雪奈がフードで目元を隠しながら立っていた。
「……雪奈さん?」
天気に拘らず着用している赤色のレインコートはぶっちゃけ不審者には違いないのだが、雪奈さんは知り合いだ。それもとびきりの美人。本人にわざわざ告げる意味がないので誰も知らないが、雫の代わりに恋人という扱いで接するつもりだった人でもある。
事務所の人間を知った後だと緋花さんの方が適任ではないかと常識に嬲られたが、後悔はいつも遅く、間に合わないから後悔と呼ぶ。窓を開けると、身軽な動きで入室してきた。この家は土足厳禁なのだがいつのまにか靴を脱いでいる辺り最低限の良識はある。
「何の用ですか?」
「私がサキサカとの連絡役になった。早速だけど連絡する」
「え、もう何か判明したんですか……?」
雫が居るならここで報告されるのはまずかったが、今はどういう訳か全く姿が見えない。或は一足早く雪奈さんの来訪を察知して隠れたのかもしれない……
「……ちょっと待って下さい。ここは色々と都合が悪いので、改めて場所を変えて連絡をください」
ベッドの上でペタン座りする雪奈さんは中々どうして破壊力を持っている。喋り方は無機質なのに仕草から垣間見える女の子ぶりが俺の理性を狂わせる。
「……じゃあ何処で連絡するべき?」
「んーそうですね。事務所に行ったら連絡する意味がありませんし…………昼に昨日の場所へ行きますから。その時にお願いします」
「―――分かった」
用件が済めば長居する理由がないのは当然で、雪奈さんが窓の外に飛び出した。後には開け放たれた窓と外からの風に揺らめくカーテンが残される。俺の家には最初から誰も居なかったのかもしれない。
―――雫。何処行ったんですか?
彼女は何処へ行ってしまったのだろう。直ぐに帰ってくるならそれで良いのだが、行方不明ともなると余計な仕事が増えて……いや、もしかして俺に迷惑が掛からないように勝手に出ていったとか?
それは考えにくい。俺も雫に対する好意は明らかにしてきた。断りも無くその場から居なくなられたらこの感情はどう処理すれば良いのだ。例えるなら恋の不完全燃焼。振られた訳でもない、何なら両想い。それなのにある日突然疎遠になる。
持て余した感情はどこぞに不法投棄とはいかない。持て余し続ける限り感情は波を打ち己を悶々とさせる。雫が心配で仕方がない。
一抹の不安は渦を巻き、今となっては竜巻の様にこの感情を荒らす。願わくは再びこの場所に戻ってくることを願いながら俺は部屋を出た。
一日経てば父親も蒸し返すのをやめたか、それは考えが甘かった。向坂和規は俺を言い負かさなければ気が済まない、息子ならば父の考えに同調するべきとでも考えているのかもしれない。雪奈さんと話している間に喧嘩の経緯は母親にまで及んだらしい。
朝食のために下りてきた俺を襲ったのは、母親からの説得だった。
「それは、貴方が悪いんじゃない?」
「え?」
「だって本当の事だし。貴方が嘘つきじゃなかったらお父さんも何も言わないと思うけど」
何を言いたいのかさっぱり分からないが、要するに謝れ、という事なのは視線の動きからしても明らかだ。父親が口を挟まないのは謝罪を待っているのだろうか。
―――嘘つきって損だなあ。
対応を間違えたからってこの仕打ち。俺は殺人でもやらかしたのか。犯罪に区分される行動は対応を間違えたでは済まされないが、虐めに対する対処法を間違えただけでそれは果たして犯罪なのか。犯罪なのはイジメの方だろう。
「……妹に俺を信じてもらうのがそんなに駄目なのかよ」
「だって……ねえ?」
俺から言い出した訳じゃない。瑠羽からの発言を否定しているのだと二人は分かっているのだろうか。分かっているなら言いたい事は何もない。妹は喧嘩に巻き込まれるのが嫌なのか黙っているものの、何か言いたげに母親の方を見ている。
「…………そうか。いやまあ、そうだな。そうだよ。俺が悪い。全くその通りだ。俺が…………判断を間違えたんだよな」
俺は悪くない。そんな言い訳は通用しない。俺のせいで鳳介は死んだが、鳳介に生きるように命じられたら責められた。それと一緒。今日の朝食はトーストだったが、噛んでいて全く味を感じない。教育の賜物として半端に食べ物は残したくないが、これ以上食べていると吐き出すという予感がある。味のない食べ物は栄養を持っているだけの異物だ。それを喉が許容するとは考えられない。
席を立つと、黙って玄関の方へ移動する。
「ちょっと、もういいの?」
「ああ…………ご馳走様」
雫も居ない。
両親は何かにつけて俺を責めてくる。
この家にいる意味があるかと言われると、ない。
「多分、今日家に帰らないから。ごはん作らなくていいよ」
それが勢いだけの発言と知っていて尚、気持ちが抑えられなかった。昼食と夜食の問題を新たに増やしつつも、最優先事項は変わらない。
雫を探そう。




