月夜に瞬く乙女の涙
身長は優に一九〇を上回る。ただそれだけでも威圧感はあるが、そこにガタイの良さはまで加わるとまるで自分が小動物になったみたいだ。特別身長が低い訳ではないが、一七〇と少しの身長とではどう比較しても二〇センチ以上の差がある。
不気味という意味の怖いではなく、単純に恐い。難癖付けられたら怯んでしまいそうだ。
「彼が向坂柳馬。私達の依頼人」
「……あ、もしかしてセンパイって呼ばれてる人ですか?」
所長は参謀を気取っているので、荒事が起きたら『センパイ』と呼ばれる人物が取り掛かる事になっている。この体格なら確かに荒事専門という感じで、正に適任ではないか。真夜中に遭遇したら勝てる気がしない。
「センパイ…………?」
「え、違うんですか?」
当てが外れた。男性はポケットに手を入れながら「あー」と空を仰いだ。
「向坂様。こちらは警視庁の護堂一真様です」
「警視庁!? え、警視庁って、え。何でここに? 普通県警とかじゃ?」
「センパイが代理として置いてった」
いやいやいやいや。
そんなあっさり手を借りられる職種ではないだろう。警察とは公的機関であり秩序の番人。死刑囚を匿う犯罪者もとい俺にとって最も出会ってはいけない人種だ。薬子だけだと思いたいが妙な『気配』を探られても困るしここは早々に帰った方が。
まるで後ろめたい事があるとばかりに動揺する俺を見かねて、護堂が口を開いた。
「安心してくれ。俺は警視庁の人間だが、特別枠だ。こいつらとつるんでるのもそういう訳だよ」
「と、特別枠?」
「有名な所で言えば凛原薬子か。アイツには七凪雫逮捕に協力してもらってるだろ。特別な立場に居る。高校生に重い責任を背負わせる様だが。アイツが居ないと捕まえられないのも事実だ。まあその話は置いといて、世の中にはもう一人居るんだよ。凛原薬子とは別方向で凄い女性が」
「え? あの噂って本当だったんですか?」
警察の手に負えない事件を女子高生が解決している。果たしてその噂は噂特有の尾ひれで実際は薬子の事を指していると思っていた。まさか別々に存在するなんて思いもよらなかった。
「俺はその女性の相棒みたいな存在だと思ってくれればいい」
「……で、ここに居るのは?」
「相棒が休暇を勝手に取ったからこっちを手伝いに来た。元々九龍とは面識があってな」
「護堂様は代理です」
「センパイは事情があって来れない。だから代わりにコレが来た」
「コレとか言うな。所でお前は何でここに?」」
あの複雑な事情をどう説明したものか、そもそも他人に言えるものでもない。俺は一旦目を逸らして考えたが、警察を上手くごまかせる言い訳を思いつかなかったので、適当に突っぱねるしかない。「別にコンビニくらい誰だって使うでしょ?」
「いや、それはないな。もし利用するなら何でお前は財布を持って来てないんだ?」
護堂さんの視線は俺のポケットに向いており、そこには財布の入る余地などないくらい綺麗なポケットがあった。残念ながら後ろのポケットに財布はなく、盲点だったが為に動揺したのでハッタリも言えない。
俺は気まずさのあまり家を飛び出した訳だが、それは衝動的なものだった。財布は俺の部屋にあるので、本当に買い物する気だったら一度立ち寄るべきだったのだ。
「…………ふむ。雪奈。話を聞いてやったらどうだ」
「え、何で私」
「俺は緋花さんを送っていかなきゃいけない。夜道は危険だからな」
「危険なのは、オマエ」
雪奈さんの捨て台詞もどこ吹く風と護堂さんは歩き出した。こちらにお辞儀をした後、慌てて緋花さんも彼の後を追っていく。後には俺と雪奈さんだけが取り残され、口では嫌がっていたが、動く気はなさそうだ。
「話しにくいからサキサカ、って呼ぶ」
「ご勝手にどうぞ。……あの、面倒なら帰ってもいいんですからね?」
「そうもいかない。事情はともかくサキサカはコンビニに来た。何も買わないのは骨折り」
損のくたびれもうけまで言わないと本当に骨が折れたみたいだ。確かにその通りで、雪奈さんが帰ろうが帰るまいが俺は商品を購入出来ないので嫌が応でも踵を返さなければならない。この時点で実質的に骨折り損であり、それ以上は単なる追撃だ。
「買ってあげる。付いてきて」
と言いつつ引っ張ってくる。抵抗する理由がないので大人しくつれられると、入店の音楽に合わせて店員が挨拶をした。
「え……いや、悪いですよ」
「どうでもいい。買いたい物は?」
「…………ハンバーグ弁当」
店内でも赤いレインコートを着ているなんて珍客も珍客。フードまで被っているのだから一歩間違えれば強盗だ。常連なのか知らないが店員は全く驚いていない。そのまま流れで購入が終わりレジ袋を手渡された日には俺も普通に受け取ってしまった。
「あ、すみません。じゃあ俺は帰るので」
「家に帰れるの?」
雪奈さんも監視カメラを疑うくらい的確に行動の矛盾を指摘してくる。俺は家に居たくなくて飛び出した訳で、帰れる筈がないのを知っているのではないか。ストーキングでもしてない限りそんな筈はないのだが。
「……何で、知ってるんですか?」
「所長に拾われる前、私もそうだったから」
ポケットに手を入れながら雪奈さんがおもむろに歩き出した。
「いい場所に案内する。ついてきて」
あんまり遠いようなら断ったが、到着した先は良く知りもしない小学校。とっくの昔に廃校だが、何らかの噂があれば鳳介を介して知っていると思うので、多分本当に何の変哲もない学校。黙って着いてきているのを良い事に雪奈さんは非常階段を上って更に手すりを踏み台に屋上へ登っていった。お前も出来るだろと言わんばかりだ。もし俺が出来なかったらどうするつもりだったのだろう。
これくらいは冒険をしていると何度もやるのでまあ出来るのだが。
金網の穴を抜けて中へ入ると、雪奈さんが一足先にベンチに座り込んでいた。
「何ですか、ここ?」
「ここから町を見下ろすと、綺麗だったりする」
「町ぃ?」
自分の住む町が好きかと言われると、何とも言えない。ただ無感動ではある。都会から来た人間にとっては落ち着くかもしれないが、俺からすればタダのボロい町だ。どんな場所から見てもその思いは変わらないと思っていた……のだが。
「おお…………成程なあ」
ちょっといい。
煌びやかという訳でも、さりとて寂れ切っているでもない中間。己の情緒を細かく分析するとやはり大した事のない景色だが、この感動は何なのだろう。これが俗に語られる初見補正か。暗すぎて自分の家の判別もつかない。
家には帰れないし、せっかく連れてきてもらったのでここで食べるとしようか。彼女もきっとその為に連れて来たのだろうし。
「……喧嘩でもした?」
「喧嘩……というか。何でしょう。終わった話をいつまでも蒸し返してくるのに嫌気が差したんです。空気を読まないんですよあっちが」
「そういう人、居る。自分の気が済まないと話を蒸し返す人」
「もしかして九龍所長ですか?」
「所長は逆。勝手に話を転がす人。どうしようもない」
確かにあのうさん臭さはどうしようもない感じがある。初対面でそういう感想は失礼極まりないので控えたが、あの性格だと気にも留めなさそうなので言っても構わなかったか。まあ言わないが。
「あ、そうだ雪奈さん。あの警察の人に……俺の『作り話』伝えたんですか?」
「伝える訳ない。七凪雫の調査とだけ伝えてる。アイツは怪異専門だから、伝えても問題ないと言えばないけど」
「怪異専門の警察ってそんな奴居ます? その手の存在がまず眉唾モノというか、信じるも信じないもって感じなのに」
「居なきゃ語り継がれない。語り継がれるから居る。どっちでもいい。居るからそういう仕事があるだけ」
「まあ、そうですよね」
外で食うコンビニ弁当はなかなかどうして美味しい。花見には程遠いが気分はちょっとしたピクニックだ。
「……一つ、聞いていい」
「何ですか?」
「サキサカはオカルトとか好き?」
「大嫌いですよ。そのせいで親友を二人も失ってるので。こっくりさんやってたのは先輩を助ける為で、個人的にやる事はこれからも一生無い。でも雪奈さんのセンパイには感謝してますよ。ちょっとした勘違いがあったのであそこで終わらせられなかったら手遅れになってました。わざわざ俺にそんな質問するって事は、事務所の人間は全員好きなんですか?」」
「所長は大好き。私はキライ、緋花は好きとか嫌いとかの問題じゃない。アイツは仕事増えるの嫌だ、センパイは意味が分からない」
「ちょっと待ってください? 好感度が単なる感想になってませんか? 仕事増えるってのはまあいいとして、意味が分からないってこっちが意味分からないですよ」
彼女のセンパイが変わり者だという事は良く分かった。好きかどうかで意味が分からないって、どっちつかずの答えよりも答えていない。複雑な感情をどうにか言葉に表そうとしたらそうなった可能性はあるが、もう少し言い方はあっただろう。
弁当、美味。
「ああいうの好きな奴の、趣味が理解出来ない。所長も多分碌な死に方をしない」
「嫌いなのに事務所居るんですね」
「嫌いなくらいが丁度いい。付け込まれても困る」
そのシビアな価値観に俺は疑問符を浮かべた。果たしてこの子と俺は本当に同じ世界で生きているのだろうかと。紛争地帯に住む人の発想かはさておき、間違いなく平和ボケしたそれではない。神経がとがりに尖っている。
「―――お弁当ご馳走様でした。後でお金返します」
「どうでもいい。容器はこっちで捨てておくから、じゃあね」
お言葉に甘えてと俺は足早にこの場から離れようとしたが、聞こえる足音が一つしかない。振り返ると雪奈さんがベンチから一歩も動いていなかった。何も言わず、微動だにせず、憂う気な瞳に夜景を覗かせている。
「……行かないんですか?」
「どうでもいい」
本人が言うなら遠慮なく。そういう発想が浮かんだらどんなに楽だっただろう。拒絶されたならまだしも去る者追わずでその場に座り込む少女を放置するなんて出来ない。シビアな価値観、たびたび口にする『どうでもいい』から窺える諦観、何より表情の乏しさ。事情があるのは間違いない。俺の悩みがそれこそどうでもよくなるくらいの深刻な事情が。
再度転進。雪奈さんの隣に座って、同じ景色を眺める。
「気が変わりました。家に帰ってしなきゃいけない事もないので、貴方が帰るまで一緒に居ますよ」
「………………」
雫は一階の会話を聞いている筈なので心配はかけていない。心置きなくこの時間を満喫させてもらうとしよう。




