死んで、詰んで、助けられ
妄想談義は夜まで続いた。下衆な意味は無く普通に捗った。二人の未来という抽象化されていたものが具現化していく感じは何ともふわふわした高揚感を俺達に与えてくれた。浮足立つとは全く意味が違うのだが、地面に足の届かない非現実的な、それでいて身も心も震わせるこの妄想は天国へと旅立たせるには十分だった。
考えれば考える程浮かんでくる結婚の儀式。男と女としてまじりあう俺達。幸せな家庭があってもなくても、そこには確かに雫の存在がある。
幸せだった。充実していた。
―――死刑囚なのに、おかしい?
まあ、なんとでも言ってくれ。俺が異常者なら雫とお似合いだ。心置きなく結婚出来る。感情ではとっくの昔に彼女を信じ切っている。何か隠したがっているのは間違いないだけだ。
外はすっかり暗くなってしまったが、俺は父親と危うく喧嘩に発展しかけた事も忘れて、部屋にあったボードゲームで雫と遊んでいた。
「よし、上りっ」
「ああ、また負けた。君はサイコロ運が強くてやりにくいな」
「散々ツケは払ったんでこれくらいは良い思いをしても許されると思います」
「むむむ、負けてしまったものは仕方ない、か。じゃあ大人しく服を脱ごう」
「いや、やめてください。下着着けてないじゃないですか」
あんな近距離で戯れていたら嫌でも分かる……感触だ。何処から服を調達してくるのか知らないが、流石に彼女の胸に合ったサイズまでは確保出来ないようで、基本的に下着は無いと随分前から気付いていた。
だからと言って下着を買いに行く度胸は無い。あらゆる意味で誤解されてしまうだろう。口に出すのも恐ろしいので敢えて抽象化するが、それはもう物凄いあらゆる意味が俺という存在を誤解して、俺というイメージは瓦解して、俺の精神は崩壊する。
気にしないようにしていたのだ。気にしたら一緒に眠れないかもしれないし。
「冗談さ。大体私が本当に脱ぐと思ったの?」
「脱ぐでしょ」
「まあね」
「この問答意味あります?」
今日の雫は青いチェックのミニスカートを履いているので、視線には気を配らないと危ない。上が無いなら下もない可能性が高く、となると俺は死刑囚というより単なる痴女と一緒に眠っている事になる。それは耐えられない。
いや、どちらかと言えば大歓迎なのだが、それとこれとは話が違うのだ。この社会にはそういう事例が多すぎる。
「私が伝えるのもおかしいけれど、そろそろ晩御飯の時間じゃない? 行かなくていいの?」
「ん? ああ、それはそうですね。じゃあ行ってきます」
父親に対する気まずさを今更思い出したが、気にしても仕方がない。晩御飯は食べなければならないものだ。飯一回抜いたくらいで人は死なないが、それだけで瑠羽に何か心配をかけてしまうと追おうとやはり出た方がいい。
それに夜は改めて深春先輩と話し合う予定だ。得られる情報は少なかったがあちらがどうかは分からない。扉を開けて極めて平静を装いながらリビングに向かうと、瑠羽の姿が無かった。晩飯の時間に遅れた事は記憶の限りなかった。珍しい。
「お母さん、瑠羽は?」
「それが、要らないって言うのよ。ダイエットかしら」
「実際に太っているかどうかはともかく、単に食事抜くだけのダイエットが悪手なのは流石に知ってると思うけど。俺ちょっと様子見てくるよ」
父親はこっちを見向きもしない。どっちが正しかろうとあんな事を経験した後じゃ気まずくなるのも無理はない。ぶっちゃけ俺は緊張しているだけで気まずさは微塵も抱いていないのは内緒だ。身を翻して妹の部屋を訪ねる。
「瑠羽。どうかしたのか?」
「…………お兄」
声の距離からしてドアの傍にいるみたいだ。木の板一枚挟んで話せるなら声を荒らげて何やら大騒ぎする必要もない。
「晩御飯だぞ。出て来いよ」
「……お父さんと喧嘩したの、私のせいなの」
は?
今まで訳の分からない体験をたくさんしてきたが、妹の発言はその中でも群を抜いて分からなかった。あの流れの何処に瑠羽の責任が存在するのだろう。怪奇現象より不可思議な発言に首をかしげない奴は本人以外に居ない。もしかしたら本人も意味が分かっていない可能性もある。
「何がお前のせいなのかさっぱり分からないんだけど具体的に説明を求めてもいいか?」
「………………私、居るだけでお兄に迷惑掛けちゃうかも」
「待て待て待て待て。何を言ってるのかさっぱり分からん。ちょっと、本気で分からない。本当に何を言ってるんだ?」
黙り込んでしまった。
あの父親が瑠羽に何かおかしな事を吹き込むとは思えない。遠回しに俺を傷つけるつもりだとしても居るだけで迷惑が掛かるかもしれないなんて…………
「あのな? 瑠羽。居るだけで迷惑が掛かるなんて当たり前だぞ。全人類そうだ」
「そういう次元じゃないの! お兄が…………死んじゃうかも」
「ん?」
…………死んじゃう?
「あのな瑠羽、信じないかもしれないが、俺は何度もそう思った事がある」
「……え?」
「俺は変な目に遭い続けた。怪我ばかりなんて冗談じゃない。重傷が消えたりしただけだ。本気で死にかけた回数は数えきれない。溺れたり切られたり潰されかけたり。でも死んでない。お前の兄ちゃんは強いんだよ、特に生き延びる事に関してはな」
殆ど鳳介のお蔭というのは言わない。特に最後の冒険はアイツが守ってくれなければ俺が確実に死んでいた。
「大体な、死ぬ可能性とか言い出したら俺は最初からあるんだよ。だからお前のせいって事はない。安心しろよ」
自分から開けるのは無粋だ。出てくるのを待とう。連れ出される側だった俺に誰かを連れ出す事は出来ない。
『行こうぜリュウ、冒険が俺達を待ってる』
そんな風に手を引っ張ってくれる存在にはなれない。幻聴ではなく思い出として天埼鳳介の姿が脳裏に映った。気づけば悪夢も幻覚も見なくなった。あれは何だったのだろうか。
「お前が何をしても俺は死なないよ。分かったら出てきてくれよ。心配でそっちの方が死にそうだ」
晩御飯には出てきてくれたが、親父はまだ根に持っているらしい。時と場所を選ばずまた話題を蒸し返すものだから気分が悪い。おかずは瑠羽に譲ってご飯を一杯。それだけで夜食は終了した。腹八分目というか腹一分目くらいなので、初めて夜にコンビニを使うかもしれない。
「むしあっつ…………」
季節は夏に差し掛かる頃だ。雫の水着が見たい。じゃなくて、夏の夜は暑い。毎度毎度思うが、夏になれば冬が好きになり、冬になれば夏が好きになるのは俺だけだろうか。こういう蒸し暑い夜はアイスでも食べるか、それじゃ夜食にならないか。
「…………」
家の前で足を止める。ここは綾子の家だ。窓から明かりが透けているので今頃晩飯なのだろう。昔は一緒にアイスを食べたいが為に窓から入ってきた事もあったっけ。絶交した今では考えられない交流だが。
―――ま、仕方ねえよな。
鳳介の死を隠して、先に逃げたなどと希望を持たせて。そんな男は嫌いになっても無理ない話だ。それは彼女の恋心に砂を掛けるに等しい行為。許しを求めた所で、仮に俺が死刑になったとしても手打ちにはならない。
家を通り過ぎてまっすぐコンビニへ向かう。ガラス越しに店内を窺っていると、側面の壁に見慣れた人間の姿があった。
「雪奈さん?」
悪天候でもないのに赤いレインコートを着用するモノ好きは一人しか居ない。声を掛けられてようやく気付いたか、彼女の首がこちらに向いた。目を擦っているのでどうも眠っていた様だ。こんな場所で?
「……何」
「何、はこっちのセリフですよ。店内にいるならともかく何処で突っ立ってるんですか」
「私は用事なんてない。緋花の付き添い」
「付き添いって……あの人、何歳ですか? それともストーカー被害に遭った事があって、怖いとか」
「そういう訳じゃないけど。単純に買い出し」
雪奈さんが店内の様子を窺うべく表に回ると、丁度二人がコンビニから出てきた。それは緋花さんと―――
「ん? お前は誰だ?」
黒いタンクトップを着用した筋骨隆々の男性だった。




