霊妙な愛は鼓を鳴らして
自己紹介が下手すぎる(余計な情報を詰め込み過ぎだ)ものの、親密でもないのにツッコめる程俺も馬鹿ではない。もしかしたら本人だって気にしているかもしれないのに。
「明日、空いてる」
「え?」
「事務所に行って、誰も居なかったんでしょ。明日は居ると思うから。対応する」
予定などないのだが、また雫に割く時間が減ってしまうのは避けたい。とても個人的な事情で申し訳ないのだが、雫ともっと仲良くなりたい思いがあるのは事実だし、度々思い出したかのように設定を引っ張り出される主従関係もそうだが、本当の恋人みたいな甘々な日々を過ごせるかもしれない。というかする。彼女もノリノリで付き合ってくれそうだし。
深春先輩が傍に居ないのは残念だがお礼も言えたし、ぶっちゃけ事務所に行く理由は無くなってしまったので、行く時があるとすればまた先輩を誘えた時だけだ。俺はともかく彼女は三年の間でアイドル的人気を誇っている。俺と出会った時は『限』のせいで錯乱していてアイドル性の欠片も無かったが、本当なら友達になるのも烏滸がましいのである。
「…………あーいや」
深春先輩を助けたのは打算抜きに俺の味方をしてくれる存在が欲しかったからだ。雫は味方でも少なからず隠し事をしている。薬子は味方かもしれないが暫定的に敵であり、隠し事をしている。俺が生き抜く為に必要なのはこの二人のいずれにも属さない第三者の味方であり、九龍相談事務所は強い味方になる可能性がある、
雫が連絡先を持っているという点では怪しいが、彼女に警察以外のツテは存在しないものと思われる。薬子の超人ぶりと知名度から忘れがちだが、飽くまで雫に対する特殊な逮捕権を持っているだけの一般人に過ぎない。引ったくりの奴は現行犯なのでまた別の話だ。
「……えーと」
「敬語じゃなくていい。ややこしいから」
「あ、そう、か? 一つ聞きたいんだけど、九龍相談事務所って何でも相談して良いのか?」
「何でも。本当は霊能相談所にしたいけど変なルールに引っかかると思うからって。だから浮気調査でも人探しでも、思い出せないゲームでも漫画でも、カウンセリングでも、テスト勉強のコツでも」
「なんかスケールちゃっちいな」
「勿論、怪異の解決とか、解呪の協力なんかも大丈夫。料金は……面白かったらタダ、つまらなかったら相応の費用を負担してもらう」
「雑な会社だなおい」
上手くいけば悩みも解決してお金も払わなくて済むハイリスクハイリターン仕様の事務所など聞いた事がない。そしてリスクとは言うが、仕事を依頼したのだから報酬はあって然るべき概念。上手くいかなくても普通に『仕事を依頼した』だけなので、厳密にはローリスクハイリターンだったりする。
「……分かった。じゃあ明日は事務所に行かせてもらう」
「―――そう。じゃあ、私はこれで」
陰鬱な無表情を常とする女性はフードを被ると、足早にコンビニを離れていく。妹の後を追う様に俺も店内へ入ると、丁度妹が会計を済ませて出てくる所だった。
「お兄遅いよ。私に余計なお金を使わせるなんてッ」
「遅れたのは謝るけど……余計な金って何だよ。買いたいものは買えたんだろ」
文句を言わんばかりに訝ると、瑠羽は頬を膨らませながらレジ袋を突き付けた。
「お兄の分も買ったの、プリンッ。一緒に食べないと怒るからね!」
それが瑠羽なりの甘え方と気付くのにそう時間は掛からなかった。気軽に手を繫いでくるのと何が違うのか俺にはさっぱり分からないが、そんな事を言い出したら胸は揉む癖にキスを恥ずかしがる俺の神経も傍から見れば訳が分からない。個人なりの線引きがあるのだ、きっと。
「……ま、仕方ない。一緒に食べてやるよ」
「何で上から目線なの」
「兄貴だからだな」
そんな当たり前の事実を持ち出しながら、今度こそ俺達は帰路に着いた。もう寄り道はなしだ。
「お兄。帰ったら久しぶりにゲームしようよッ」
「ん」
「ただいまー……ん?」
家に帰って真っ先に顔を見せるのは雫しか居ない。自室に戻ると、雫がベッドの上で横になりながら一冊の本を読んでいた。
「ああ、お帰り。これ、面白いね」
「え? ……ああ、その本ですか」
彼女が読んでいる本のタイトルは『現代百鬼物語』。あまり読書を好まない俺が保有する数少ない本……というよりは、お礼として無料でもらい受けた本だ。因みに一度も開いていないので、読まれる事自体は別に怒る話でもない。
読まれた方が作者も喜ぶだろう。
「臨場感というか、読んでいてハラハラさせられるよ。殺人二十面相の話、もの退、アザリアデバラ恐怖症、ファイブ症候群、ヤマイ鳥、布男、木辰小学七不思議、隣のD子ちゃん。私はあまり詳しくないから分からないが、こういうのは元ネタありきで作ってるんだよね。凄く上手な調理の仕方だ」
何とも言葉を返しかねていると、こちらの意思を組んでくれた雫が本を閉じて布団の中に消えていった。
「……ああ、そうそう。そう言えば君に言いたい事があったのを思い出したよ」
「それで何で布団に潜るんですか」
「デリケートな話なんだ、顔を見られたくない。さて、この後に夜食を控えてるのは知ってるよ。手短に話すからこっちに来てくれ」
わざわざ接近を求めるという事は、耳打ちで会話するつもりなのだろうか。誰もこんな部屋に盗聴器など仕掛けないから気軽に話してくれて良いのに、そこは死刑囚なりの警戒心か。ベッドの縁に腰掛けようと近づいた瞬間―――
「ばああああああああああ!」
布団を隆起させて飛び出した怪物が迂闊に近づいた獲物を瞬く間に捕食。俺は布団の中に連れ込まれ顔も見えない中、至近距離で雫と対面する。
「何ですか急に! やっぱり遊び足りなかったんですかッ?」
「それはあるけど、そんな事じゃない―――ねえ、君さ」
彼女の吐息が顔で感じられる程の距離。密着していると言っても過言ではない。そもそもこのベッドは一人用だし。寝る前はいつもこの距離だが、雫の息が荒いせいで不思議とこちらもドキドキしてしまう。
「君、君、君さあ。すっごく恥ずかしい事言ってくれるじゃん」
「な、な、何が? 何がです?」
「私はぜーんぶ聞いてるんだよ~? 私の罪で愛は揺らがない……なんて…………凄く……破廉恥で…………ンフ。ンフフフ♪」
「……あ! 何でそれを……! だって俺は仮想……じゃなくて新現実に…………!」
「聞いてるこっちの身にもなってくれたまえよ……ンフ、ンフ♪ 顔から火が出そうだった…………な、何だって薬子の前であんな発言を……ンフフ」
「あれは映画の雰囲気に流されたというか……いや、ちゃっかり盗聴しないでくださいよ! 何処に盗聴器入れたんですか!」
雫の息がどんどん荒くなってくる。精々身体を密着させているだけなのに、視界が悪いせいだろう。暗所でエロい行為に及んでいるみたいで、具体的には煩悩が大変な事になっている。誰か除夜の鐘を鳴らせ。
「嬉しい……わ、私凄く嬉しいよ…………ンフフ。ンフフ。ンフフ。ンフフフフフフフフフフフ♡」
「ちょ、バグらないでくださいよ。俺はこれから夜飯―――」
既に共有されている事実を今更持ち出した所で雫は止まらない。額に肌とは違う柔らかい感触を受けて、俺の全身が強張った。
「……はッ」
「お礼にね、君の唇以外の全てに…………今からキスする」
「―――は!?」
「唇はほら、強引に奪うものじゃないし……ンフフフ♪ だからそれ以外にする。名案でしょ?」
「い、いやいやいや! 前後! 前後関係が! お礼とか別にされるほどのものじゃ……!」
「恥ずかしがらなくてもいいよ~あんな恥ずかしい事言っておいて……アハ、逃がさないよ?」
抵抗空しく、俺は宣言通り唇以外の全てにキスをされた。
どう考えても唇より恥ずかしい箇所にもキスをされて、俺の方が羞恥心でどうにかなりそうだった。




