万象天理の彩るままに
衝撃的な体験を約束する。
ハードルを上げてしまったなあと、俺は薬子に若干同情している。前もってハードルを上げておくのは得策ではない。そう考えるのはネガティブ思考が染みつきつつある俺に限った話ではない筈だ。
『信じて見ろよ。きっと上手く行くぜ』
そう口癖のように言っていた鳳介は多分当てはまらないが、『今から笑わせる』と宣言して実際に出来る人間はどれだけいるのだろうか。酒で酔っていてハードルが下がっているなら可能かもしれないが、事前通告された人間は基本的に身構える。その人の基準における『面白い』が脳内で壁として出現する。ハードルとはこれの事を指している。
相手に対して期待をしていないならそれ程高くならないが、こういう場合は大抵仲が良好で、評価を高めに見積もる傾向がある。俺と薬子がどうかというと、まあ仲が悪いとは言わないだろう。こうしてデートもしている訳だし。じゃあ仲が良いのかと言われたらそれも首を傾げたいが、傍から見れば肯定されるべき状態だ。
期待していない訳じゃない。雫を知る彼女がわざわざそう言ったからには並大抵の衝撃では収まらない。
「お兄、予想ごっこしようよ」
「予想だろ。ごっこだったら予想もどきだぞ。何の予想だよ」
「薬子さんが私達に見せてくれるものの予想だよ。私は完全なあてずっぽうになるけど、お兄なら正解出来るかもしれないじゃん」
「あー?」
正解……出来るだろうか。薬子の事など一割も知らない俺が。本気で当てようと思うならもっと適任が居る。七凪雫とか。姉妹で幼馴染だった彼女なら寸分の違いもなく的中出来るだろう。根拠はないが。
「衝撃的って言っても、ジャンルが違うからな。宇宙人に会わせるとか、幽霊を見つけるとか、妖怪を捕まえたとか。そういう未発見系もあれば、完成した永久機関を見せてくれるとか、未解決事件の犯人を連れてきたとか、そういうのも……何か喩え出してて分からなくなってきたけど、選択肢が多いんだよな。でもま、強いて挙げるなら…………」
思い浮かばない。本人が選択肢を絞ってくれるなら答えようがある物の……俺の思考はいわば、分からない事が分からない状態に陥っていた。答えを濁したい所だが、どうもテンションの上がった瑠羽は俺の予想を聞きたくて仕方がないらしい。
「…………絶滅危惧種に会わせてくれる、とか」
「おー。確かにそれなら衝撃的だよねって……お兄。それじゃ薬子さん捕まっちゃうよ。絶滅危惧種を悪戯に捕まえるのって確か犯罪じゃなかったっけ」
「罰則ですね」
「罰則も逮捕もそんなに変わらないって……お前が答えるのかよッ!」
さり気なく会話に割り込んできたお蔭で気付くのが遅れた。薬子はこちらに背を向けたまま、いたって何の躊躇いもなく話し続ける。
「お二人があんまり楽しそうな話をしているものですから、つい混ざりたくなってしまいました。ご迷惑でしたか?」
「ご迷惑じゃないけど、参加するならヒントくれると嬉しいな」
「見てのお楽しみです。ッフフ」
腹立つ。
ちょっかいを出すだけ出してヒントも無しとは、中々どうして度胸のある女性だ。そんなつもりが一切ないのを承知で、何だか今の微笑みは俺を馬鹿にしている気がしたので、こうなれば本気で当ててみせようではないか。
「よし薬子。今から俺の質問にイエスかノーで答えてくれ。それくらいはいいだろ?」
「本格的に当てようという腹積もりですか? そう、ですね。到着まではまだ時間が掛かると思いますので付き合いましょう」
「お兄、頑張って」
「おう。じゃあそれは死刑囚に関係あるものですか?」
「ノー」
「殺傷能力はありますか」
「ノー」
「生きていますか」
「ノー」
ここまでノー続き。絞り込めるのは有難いが外側ばかり埋めても意味がない。そろそろ内側を当てておきたい所だが…………如何せんこればかりは俺の発想力に委ねられている。あてずっぽうに質問をしても当てられそうにないので、質問自体の範囲を広く取ってみようか。
「オカルトなものですか」
「…………未知という意味ではイエス」
未知という意味?
宇宙人は生きていけるだろうし幽霊は大体殺傷能力があるし、オーパーツとかそういう……
「革新的な物ですか」
「イエス」
抽象的にし過ぎてさっぱり分からなくなってしまった。連続してイエスを引きだした俺に瑠羽の期待が高まる。全く分からないとは言い出せない雰囲気になってしまった。薬子から助け船を期待しても無駄だ。彼女は背中を向けたまま喋っている。足音も立てず、顔を向ける事もせず。気配を感じ取るスキルは無いので、視覚で捉えていなければ薬子の存在には気付けないだろう。
……妙なんだよな、コイツ自身も。
雫逮捕に貢献できる様な高校生が普通な筈がないとは思うのだが、それを差し置いてもおかしい。特殊な訓練を受けていると言われても信じてしまうだろうし、もしもこれが『普通』ならこの世界はバグっている。
テレビ出演も果たした彼女が無名である道理はないのに、通りすがる人々は誰も彼女に目線をやらない。まるで最初から存在していないみたいに。
「お兄ッ」
「え。あ、すまん。考え事してた。えーと」
「無理はしなくても構いませんよ。そろそろ到着しますから」
「は? 嘘だろ?」
周囲を見渡してみたものの、真新しい風景は何もない。知らない建物はあるが、厳密には単なる民家なので知らなくて当然だ。じゃあそれが真新しいかと言われるとそんな事はない。この国にどれだけの人間が住んでると思っているのだ。
土地勘のない場所は怖いのか、瑠羽が俺に身体を寄せてくる。薬子の歩く方向から、俺達の目的地は恐らく前方のビルだと分かった。ガラス製の自動ドアの横には階段が上下に分かれており、地下へ向かう階段には矢印だけが書き込まれている。
「中々察しが良いですね。確かにそこの階段です」
察しが良すぎるのはお前の方だとツッコみたくなったが、そう言えば彼女には他人の視覚を操作出来る特殊能力が…………え?
『視界内の人間の視覚を操作出来る』
その理屈はおかしい。彼女が操作出来るのは視界内の他人に限定されている。あの状況で雫が嘘を吐くとも考えられないので、多分それは真実だ。勿論、本当に察しが良いだけという可能性は考慮している。しかしながら漫画じゃあるまいし、平和ボケした人間に気配を感じ取れる機能が備わっているかと言われると答えは否だ。何処かの番組でも検証していた記憶がある。
それに薬子のは気配を感じ取るとかそういう次元ではない。気配察知とは飽くまでも存在の知覚であり、一挙手一投足を見抜く技能はまた別の話だ。一般の視点から考えつく限り、一挙手一投足を認識する方法は見るしかない。
……もしかして。
「では行きましょう。あなた方の感じる恐怖が忽ち驚愕と喜びに満ち溢れる事を約束します」
地下室は外国では民家に当たり前の様にあるとも言われているが、この国ではあまり馴染みのないものだ。と言っても大きな建物には大抵地下階があるし、馴染みが無いと言っても自分のお金が届く範囲という意味だが。
「この地下室はとある犯罪者が拠点として使用していた場所ですが、私が買い取らせてもらいました」
「は、犯罪者の? 薬子さん、呪われたりしないんですかッ?」
「呪いなんて、あると思いますか?」
瑠羽は意外とそういう非科学的な話を信じている。間違いなく俺のせいだし、ひいては俺をそんな道に引っ張り込んだ鳳介のせいでもある。
「まあしかし、言いたい事は分かります。事故物件みたいなものだと言いたいんですよね」
「そうですそうですッ。薬子さんはかっこいいですけど、でもお化けとかは逮捕出来ませんよね」
「……ッフフ。確かにお化けは逮捕出来ませんね。しかしご安心を。犯罪者と言っても殺人犯ではありませんよ。強姦魔です」
「何も安心出来る要素がねえよッ。何考えてたら強姦魔が安心だって話に繋がるんだ!」
「レイプはしても殺人はしていないのでお化けが出る可能性は皆無という意味です。納得いただけましたか?」
「行く訳ねえだろ!」
確かに発言に筋は通っている。だが生理的に無理という言葉がある様に、気持ち悪い人物が過去その場にいたというだけで拒絶反応が出る人間は少なくない。俺だって自分の部屋に死刑囚が住んでいたと言われたら普通は入りたくない。人骨とか腐乱死体が出てきそうで……
気持ち悪いの基準は人それぞれ(何せその感情自体が主観に基づいている)だが、女子にとってレイプ犯は間違いなく汚物だろう。それは確信出来る。男から見てもゴミクズだから。
階段の続く先にある歪んだ扉を開けると、陽気な声が俺達を出迎えた。
「いらっしゃい! 君達が向坂兄妹だね~」
この真っ暗闇にサングラスをかけてよれよれのワイシャツを着た男性が怪しいと言わず何と言えるだろう。瑠羽の前に立つと、それ以上近づくなと言わんばかりに掌を突き出し制止を求める。男は掌にぴったりと胸を合わせ、そこで足を止めた。
「そう警戒しなくても、僕は薬子ちゃんの味方♪ ゲンジって言うんだ」
「薬子の味方…………? それにしては服装が随分だらしないですね」
見た所年上なので無意識に敬語が出てきたが、果たしてこの男性は敬うに値するのだろうか。すっかり形骸化してしまった敬語も、たまには意味を求めたくなる。特にこんな……うさん臭さの塊みたいな男を目の前にすると。
男性は仕方なしにと首を傾げると、暗闇の奥へ歩を進めんとする彼女を呼び止めて叫んだ。
「薬子ちゃ~ん、どうかねえ。説明が面倒だし、もういっそ僕を恋人という事で紹介しちゃうのは!」
「お断りします。顔も性格も言動も趣味も何もかも好みではございませんので」
「ああ、きっつい言い方だねえ。まあ見ての通り嫌われてるけど、味方なのは分かっただろ? 今日は君達にあれを見せろと頼まれてね~いやはや、最初言われた時はびっくりしたもんだけど―――」
「貴方に会わせる為にお二人を連れて来たのではありません。そこで無駄話をしているのも構いませんが、出来れば頼んだ通りに動いてくれると非常に助かるのですが」
「ああはいはい。分かりましたよ。近頃の女子高生は怖いんだからなああ~おい。悪いなお二人さん。ちょっと待っててくれよ」
そう言ってゲンジと呼ばれた男もまた暗闇の中へと消えていった。何故明かりもつけずに歩き回れるのかが不思議だが、俺はそんな超人共とは違うので、普通に携帯のライトを使って後を追う。奥には何処かの町のジオラマが佇んでおり、ゲンジは横にある装置を何やら弄っていた。
「お兄、これ木辰市じゃない?」
「は? お前よく分かるな」
「授業で見た事がある……気がする。ほら、ここって木ケ丘公園じゃない?」
「ああ……本当だ」
遊具まで忠実に再現されている。また随分と細かいジオラマだ。公園の位置から考えると……ちゃんと俺の家まで再現されている。学校は当然として…………薬子の家が含まれていない理由は分からないが、それを除けば完璧だ。
「お待たせしました」
ジオラマに気を取られていると、側面から雫が二つの機器を持って現れた。分かってはいたが、このジオラマが『衝撃的な体験』だったら流石に怒っていた。
「これを頭に取り付けてください」
「なんだよこれ。ヘッドギアか?」
「結構重い……」
「ん。じゃあちょっと貸してみろよ。俺がつけてやるから」
重さは体感で五キロくらいか。頭に取り付けたら相当重く感じるのではないだろうか。構造から装着方法を割り出し、不慣れな様子で瑠羽に装着。次いで自分にも着けると、薬子が軽くポンポンと頭を叩いてきた。
「装着具合はどうですか?」
「重い」
「重いです」
「……プロトタイプですから。これから改良を重ねる予定です。ではこちらにソファがありますから、こちらで横になってくれますか?」
「なあ、俺達これから何されるんだ? 完全に実験体だけど」
「それを教えたら意味がありませんので秘密です。さ、早く横に」
案内されたソファだが、一人分しか用意されておらず、俺が瑠羽を抱いて横になればどうにかというくらいの広さだった。二人分の調達が間に合わなかったとの話だが、これでは用意が良いのか悪いのか。
ヘッドギアを装着した瑠羽は普段の二割増しで重く感じた。
「なあ。最後に一つ聞きたいんだけど、お洒落してきた意味なくないか?」
「いえ、ありますよ。直に貴方も分かるでしょう。それでは―――」
『お休み』




