いじらしい嫉妬
「ふーん。そんな事があったんだ~」
「…………済みません。何か色々と話が拗れちゃって」
話が拗れすぎて理解してもらえるとは思っていない。どんな目に遭わされても納得してしまうだけの覚悟があったが、雫は土下座をする俺に対して淡白に言い放った。
「いやいや、別に謝られる事じゃないよ。見てたから」
それは冷淡と言い換えても良いが、どうも俺には怒っているというより端から興味なんて無かった様に感じた。上手く言葉で言い表せないのだが、多分雫は『そんな事で土下座されても困る』と言いたいのかもしれない。
「見てた?」
「薬子が来てしまった以上私は退散せざるを得ない。直接戦ったら殺されるのは目に見えてるからね。でも君が心配だったから、近くに居た蟻を使ってずっと後を追ってた。と言っても声が聞こえてた訳じゃないから報告は嬉しいかな。薬子の家には入れないしね」
「入れないっていうのは……? 蟻じゃなくても、ゴキブリとか」
「知り合いに呪いに精通しているかはたまた私みたいな存在が居るのか知らないが、あそこに入ろうとすると力の接続が切れてしまう。何故だろうと思っていたが…………君のお蔭で判明したよ。だからいずれにしても咎める気は無いよ。土下座なんてやめてくれ。君はご主人様なんだから」
「え…………あの話まだ続いてたんですか?」
「名前で人を支配する私が君にだけは支配されてしまう。何とも背徳的で、甘美で、そそられないか?」
そうは言ってくれるが、俺はご主人様らしい事をなにもしていない。エッチな命令とかすべきなのだろうか。しかし俺のモラルがそれを許さない。相手は死刑囚だぞという反論も脳内で起こっているが……本人や世間がどう言おうと、俺には彼女が犯罪者だとはどうしても思えないのだ。
信じるとか信じないの話ではない。村の住人を皆殺しにした極悪犯が彼女なんて笑い話も良い所だ。実際に追われてなければ、誰もそうとは思わないだろう。
「そ、それに、ね? ………………私はどちらかと言えば……その…………ああ、恥ずかしい…………誰かに尽くしたい性分なんだ。だから…………ああ、もう忘れてくれ。心臓が破裂してしまいそうだ」
照れ隠しから言い淀む雫。露骨に詮索する真似は避けたいのだが、男としての本能が「ここはツッコむべき」と教えてくれた。頭を上げて土下座をやめると、布団から飛び出した彼女の下半身にしがみついた。
「……そこまで言っておいて言わないと逆に気になるんですけどッ」
予想外の食いつきに雫が仰け反った。普段意識する事もないが、俺のベッドは壁に沿って設置されている。部屋の入口の方へ足を向ける彼女にとって背中は壁であり、仰け反れば当然後頭部を打つ。「あいたッ」と分かりやすく頭を抑える彼女は、正直可愛かった。
先に心配するべきだとも考えたが、こういう面があるのも俺が死刑囚らしくないと感じる部分だ。抜けている。
「いや、普通に言うだけならいいんだけど、さ。ちょっと恥ずかしいというか……今更言えたものじゃないというか、ここは成熟した大人として余裕ある振舞いと共に言うべきなのではとだね」
「アンタ十八だろ。成熟した大人って言う程ですか? 俺と一歳しか違わないじゃないですか」
「え? ああ、そうだったね。でもさ、ほら。精神的な面で―――」
余程恥ずかしい発言をするつもりだったのか、雫はそわそわして落ち着かない。それが、まるで埋めたものを隠したがるペットの様に思えて、俺は猶更追求したくなってきた。ベッドの上に這いあがり、マウントの体勢を取る。
「つべこべ言わずに教えてくださいよー」
「う、ウザ絡みはやめてくれたまえ。どうしても発言を忘れる気は無いの?」
「ありませんッ、教えるまでは!」
「標語じゃないんだから。……うーむ。し、仕方ない。教えてあげるから、顔をだね。もう少し近づけて貰えると……」
顔を真っ赤にする雫なんて貴重だ。布団で口元を隠して蹲るなんて一体何を言うつもりだったのだろう。言われるがままに顔を近づけて答えを聞き出さんと彼女に密着していくと……果たしてその行動は誘われていただけだった事に気が付いた。
「ざーんねん♪」
布団に隠された口元には愉悦の笑みが広がっていた。瞬間、俺の身体はひっくり返されものの数秒で形成逆転。最終的に天井を仰ぐ事に……否、それも叶わない。雫の顔で覆われて、それ以外何も見えないのだから。
俺の胸に豊満な乳房を乗せながら、雫は嬉しそうに囁いた。
「ンフフフ。引っかかってくれたねえ。いやあ、私の事を良く知る君だ、警戒するかと思ったけど……間抜けなゴシュジンサマも居たもんだね」
「誰が間抜けですかッ。いいから教えて下さいよッ、気になるじゃないですか」
「教えてもいいけど……ちょっと待ってね。あ、動いたら駄目だよ。動いたらもっと激しくするから」
半ば脅し気味に警告してきたが、その心配は無用だ。何故なら胸に乳房を乗せられた俺に動くという選択肢はなく、全身が色々な意味で強張って、動かそうと思っても動かせない。そして恐らく、雫はそのことを理解している。そうでなければ……胸をガン見する俺の視線に突っ込まない訳が無い。
普通の服を手に入れて以降、七凪雫の普段着は寝間着の様にゆったりと幅を取った服になっている。お蔭でこの体勢になると丸見えなのだ。深く谷を刻まれた柔らかい胸が。
それについて言及する代わりに視線は遮られた。というのも雫は背中にまで手を回して、触れていない個所など存在しないのではというくらい密着してきたのだ。例えるなら今までがレベル2で今がレベル3.動こうと思えば動けたかもしれない状態が、どうやっても動かせなくなってしまった。
背中の方にまで雫は手を伸ばしており、何故か擽ってくる。フワフワでモチモチの感触が手の届かない箇所を滑り、とても擽ったい。
「…………あ、あのう、一応まだ風呂入ってないんですけど」
「だから?」
「高校生って……臭いですよ。汗とか、それなりに気は使ってますけど無臭って多分無理ですし」
「私は君のニオイ好きだよ?」
顔を擦り付ける様に何度も胸の上で首を返す。次第に彼女の息づかいは荒くなり、上気した頬も今の俺には色っぽく見えた。
「でなきゃ部屋に入り浸らないでしょ? ここには君のニオイが充満してる。所で、私のニオイはどうかな? 君は好き?」
「大好きです!」
良く分からないが彼女からはとてもいい匂いがする。吸い込むだけで快楽中枢が刺激されて、頭がクラクラして、それでいて心が安らぐ謎のニオイ……体臭と呼ぶにはあまりに異質な匂いだが、仮にあれをそう定義するなら大好きだ。
自信満々に言い切った俺に対し、雫はにやにやと笑いながら、顔を指さした。
「へーんたいッ」
「自分を棚に上げておいて!? そ、そんな言い方ないでしょ! 自分だって変態じゃないですか!」
「そう、私だって変態だ。やはり私達は気が合うねえ、本当。ンフフフ…………♪」
「……あの、急にどうしたんですか?」
何か、不安に思ってる?
理屈は分からないがそう感じた。俺も変態私も変態。それを証明する必要が何処にあるだろう。わざわざこのタイミングという事に俺は違和感を覚えたのだ。
それは正しいものだったらしく、揶揄うようだった雫の表情がスッと暗くなった。
「…………アイツが君とデートする理由は守る為なんかじゃない。真意は分からないが、それだけは確かだ」
「……はい」
「私はね、正直嫉妬してる」
―――嫉妬?
「薬子も美人だからね。そして君は美人に弱い。怖いんだ」
「び、美人に弱いなんて…………」
あんまり否定出来ない。深春先輩は同学年でアイドル的存在だし、マリアはモテこそあまりないが、教会に居る時みたいな恰好なら大多数の男子が妄想の餌にするだろう。
あの時俺達を助けてくれた少女も…………
美人に弱いというより、美人が強いのでは?
俺は訝しんだ。
「あの。雫。薬子って天玖村出身なんですか?」
ここでしか聞けない事だと考え、思い切って本人に尋ねてみた。こそこそ情報収集するつもりだったしこれからもするだろうが、今回に関して秘密にするのは不誠実な気がしたのだ。雫は俺をこんなに愛してくれる。そんな人間に秘密を作るなんて、そんな真似は人間ではない。イチャイチャを放棄してまで聞くべきなのかは本気で迷ったが、俺は雫の全てを知りたい。だからこれは……必要な犠牲だ。
因みに土下座の際は敢えて触れないようにしたので、彼女からすれば隠していた―――隠そうとした事実は変わらない。
「……ああ、そうだね。何処でその情報を知ったのかは大体想像がつくけど、自力で辿り着いたご褒美に少しだけ村の事を教えてあげよう。あの村に居た人間でもない限り、どうせ情報なんて手に入らないからね」
「それ、どういう意味ですか?」
「どうもこうも無いよ。あの村は閉鎖的でね。あの村の真の姿なんてそれこそ誰にも語り継がれてないだろう。当然だよ、外からの人間に対応する係が居たんだから」
「まさか、薬子がそうだって言いたいんですか?」
「話がそこで終わったらご褒美にならないだろ。あの村の本当の姿はね、独自の統治を敷いたカルト宗教の集まりだ。神律と呼ばれたルールの下に人々は生きてる。軽いものでいえば、女性は母親の下で、男性は父親の下で暮らす、とかね。そして―――」
昔を語る彼女の目に光は無く、その先には何処までも続く辺獄が広がっていた。
「凛原薬子は―――私の姉だ」




