おかえり
これにて、終幕。
洗脳を解かれた家族が家に帰ってきた。
厳密には綾子が真逆の指示を出しただけだが、このまま干渉しなければ次第に効果は薄れるとの見立て。所詮は心理誘導テクニック。対象を放置すれば自然とその力は弱まる。元々両親との仲は良くなかったが日が経つにつれて悪化したのはやはり綾子のせいであり、本音として俺と仲直りしたかった心に付け込んだとの話。
瑠羽も殆ど同じだ。妹が特別俺が大好きなのを知っており、俺が廃人になってから自称記憶崩壊症を確信する程病んでいた(実際人格は以前と違っていた)ので、そこに付け入った形らしい。フット・イン・ザ・ドアの凄い所は反抗すればムチを与え、従えばアメを与えるその本質にある。妹におけるムチとは俺との不和だ。
確かに、俺は雫に夢中なあまり妹の事を気にも留めていなかった。簡単に付け入られても文句は言えない。
仲直りしてから彼女の余罪は留まるところを知らないが、その罪を知るのは俺と鳳介の二人だけだ。レコードに関与せず独自に復讐していたのが修正を受けない原因だろう。初めて六薙罪人の名前を知る事になったあの時の他人については何とも言えないが、雫が関与してしまったので修正されたと思われる。
どうも現実を歪ませていた原因は綾子との確執っぽく、仲直りした瞬間、全員の記憶から七凪霖子と七凪響の記憶が消えた。霖子の携帯もなくなっている。過去は何も変わらない。強いて言えば十年前の新聞に天玖村の住人を皆殺しにした殺人鬼として『七凪雫』の名前が載っていたのと、彼女が自殺したらしい事、天玖村の異様な生活実態が明らかになり、心霊スポットとして一部のマニアに愛されてしまった事が書かれていた。
七凪家は村の呪いから解き放たれた。俺はそう信じている。
二人が何処に居るかは分からない。しかし上手くやっていけるだろう。元々親友と呼ばれていた二人なのだ。俺がどうかしなくても、上手くやっていける筈だ。
「リューマ! このお店、今大っ人気のクレープ店で、カップル限定で二割引きだって! 一緒に行きましょ?」
「鳳介と行け」
「甘い物はあまり好きじゃなくてな。悪いが生贄になってくれ」
「じゃあ二人を連れて二人共彼氏だって―――」
「修羅場かお前」
俺がレコードを受け継いで一月が経過した。最初こそぎこちなかったが、お互いに許した今となっては遠慮も要らない。俺から歩み寄っている内に綾子も生来の明るさを取り戻した。あんな目に遭って恨みがないのかと尋ねられたら、その通りだ。
俺は死刑囚を愛してしまうような異常者だ。
どんな罪を抱えていても、俺の愛は変わらない。
それは親友に対しても同じ。
「いきましょうよ~! 人生半分くらい後悔するかもよッ?」
「えー。俺のがなんか薄っぺらい人生みたいで嫌だなあ」
「クレープだけにか」
「うまくない!」
「クレープ美味くないのか?」
「茶々を入れるな~!」
その後の話は平行線で、綾子があんまりにもごねるので結局三人で外出する事になった。ただし入るのは鳳介と綾子で、俺は雪奈さんを呼んで入る事になった。彼はああ言ったが、実は遠回しに両想いである事を自白していたので、結局俺が応援する事になったんだこれが。
あんな事があった手前中々距離は縮まらないかもしれないが、ゆっくりでいいと思う。俺は何処までも付き合うつもりだ。
「何で、誘ったの」
「あれ、嫌いだったか?」
「別に」
深春先輩は都合が悪かった。三年生は早いと十月には忙しくなるらしい。暫く遊べなさそうで、本人が一番悲しんでいた。緋花さんは本家に里帰りしたらしいので呼べないとなると、後は彼女しか残っていなかった。
『ナナイロ少女』は消え去ったが、雪奈さんは今も赤いレインコートを着ている。友情の証らしい。ただし今はフードを被らない。もう何処にも雨は降らないから。
人気のクレープ店とやらは十月のうすら寒い時期にも拘らず大行列を作っていた。季節としては秋だが、その冷え込みは冬に勝るとも劣らない。そんな季節でも冷たい食べ物が売れると思うと、世の中は不思議だ。多分炬燵でアイスを食べる感覚に近いのだとは思うが。
「ありゃりゃ。大行列ね」
「ふむ。リュウ、俺達が先でいいか?」
「どうぞどうぞ。俺はほぼ付き添いみたいな所あるからな」
「えー! 彼氏が二人いますで通るでしょ?」
「だから修羅場かってんだ」
行列に秩序はあるが、このクレープ屋の立地の問題で行列とは関係のない人通りが横に存在している。行列に並ぼうとすると、どうしてもこの流れに逆行しなければいけないので危険だ。二人を見送った後、俺は雪奈さんと共に安全な道がないかを探した。
―――ない。
諦めて、逆行する。
二人の女性と、すれ違った。
「……………………雫ッ!」
思わず声を掛けてしまった。その記憶を持つのはとっくに俺だけだというのに、どうしてもその名前を呼んでしまった。『七凪雫』は母親の名前。そんな事は分かっている。しかし俺と過ごした時の名前もまた『七凪雫』なのだ。
本名を知っても尚その名前を使う事に意味がある。
雪奈さんが首を傾げる中で、一人の女性が振り返った。
忘れようもないその美しい顔立ち。
拘束衣の代わりに白を基調とした服で上下を揃えている。
十年過ぎても、その美貌に欠片の変化もない。隣の女性は言うまでもなく霖子だ。元々十歳サバを読んでいたので変化はない。俺は何も間違っていない。
「…………は、はい? あの、どうして私の名前を」
「貴方の知り合い?」
「お姉ちゃん、私男の人の知り合いなんて―――」
目が合った。次の瞬間。
雫が、泣いた。
「え、あれ?」
瞳を袖で拭うも、その程度で涙は止まらない。むしろ悪化していた。滂沱の涙は一筋の川となって頬を伝い、顎から下に滴り落ちる。霖子からハンカチを受け取るも効果はない。身体中の水分が抜けていきそうな程、彼女の瞳は泣いていた。
「あ、あはは。なんでかな? 風が冷たかった? あれ、ドライアイ? ご、ごめんなさい。ちょっと待ってね。直ぐ落ち着く―――え」
「ん?」
「その………………チョーカー」
雫が見ていたのは、俺の首に付けられた黒いチョーカー。あの日の夜、サプライズの為に黙って家を抜け出して、他ならぬ彼女がプレゼントしてくれたのだ。
「…………君は……………………柳……なの?」
アカシックレコードを使えない俺に、その現象を説明する事は出来ない。しかしもう、どうでもいい。目の前の事実を理解出来るなら何も要らない。
「雫…………思い出したの―――」
「柳!」
衆人環視も憚らず、雫は俺と唇を重ねた。
一部始終を見ていた人達はどよめき、隣に居た雪奈さんと霖子は困惑していた。誰も知らない約束。俺と死刑囚だけの、二人きりの秘密。恋人同士の秘密の合言葉。
「…………見つけて、くれたんだね。ワタシを」
「―――約束は、守りました。俺達は、逃げ切ったんです……!」
「……嬉しい。じゃあもう、何も…………」
「何も恐れなくていい。邪魔はもう、ありません」
何十分も抱き合いながら、俺達はかねてからの約束を口にした。
「雫。俺と――――――結婚してください」
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