あり得ない判断
怪物が抜けたと思わしき部屋を抜けると、またまた通路が。しかしこれまでと違うのは埃一つ見当たらないどころか壁にも床にも破損が無く、綺麗な状態である事。明らかに誰かが落としたような紙がそこら中に散らばっている所だ。
何か情報になればと集めていると、書類には順番があるらしい。ページが振られている。廊下には表紙があり、タイトルは『赤子と神の脳みその相関、母体からの継承に関する報告』。内容は見てないがハッキリと分かった。碌な研究じゃない。
十年前と言うと現代よりも技術は発展していないが、この村にレコード持ちが居るなら関係のない話だろう。薬子と同じ要領でやればいい。設備だけなら十年前でもどうとでもなる筈だ。研究内容自体はレコード持ちが担当すれば修正力も働かないだろう。
―――或いは正当か?
その時知るべきでない情報が修正されるなら、裏を返せばその時までに誰かが知っても問題ない情報であれば修正は起きない。アカシックレコードの機嫌など誰も知らないが、何にせよこの研究は進んでしまった。完成したのかもしれない。ここが『追憶』なら。
今まで通ってきた場所とは明らかに違う綺麗さだ。とてもとても十年前に滅んだ場所とは思えない。過去ならば前提が崩壊するが、もし本当に過去であれば小人化した時の荒廃はどう説明するのだろう。確かに森の中にあった家も綺麗だったが、あれは生存中の鳳介が拠点にしていたとか、どうとでも説明出来る。
道なりに進みつつ入れる扉には入っていくつもりだ。書類を集めている内に近づいていた扉へ手を掛ける。あまりにも綺麗すぎるのでここからは誰かと遭遇する事も視野に入れなければならない。
この部屋は会議室だった。
というのは並べられた机に書類が散乱しており、奥の壁にはホワイトボード。直前まで誰か座っていたかのようにパイプ椅子は手前に開き、誰が淹れたか隅っこにはお茶が残っている。これを会議と言わずして何というだろう。推理でも何でもなく、事実を照らし合わせただけだ。
ホワイトボードには村人の名前から無数に枝分かれして×と〇に繋がっている。法則性は分からない。書類に書かれているのだろうか。
「…………うへえ」
結論から言って、書かれていた。文字通りの全てが。いや、それは過去に飛ばされた時に気付いていた。こうして書類上でも確信が得られたなら収穫だ。やはり村長はアカシックレコードを手に入れようとしていた。その為にあらゆる方法を試したようだ。心理誘導で閉鎖的な世界の王になったはいいが、それだけでは飽き足らなくなったのだろうか。
それとも自分の権威を保つ為にも実際に繁栄をもたらす必要があったか。心理誘導はそれ以上でもそれ以下でもない。思わせる事は出来ても現実は変えられない。俺は将来仕事で成功して結婚して―――などとホームレスが言っても信じる人間は居ないだろう。発言のみならばいざしらず、その為に支援しろとまで言うならやはり信用は必要だ。狭い世界の王者で居る内に気付いてしまったという可能性を推したい。
話を戻そう。この施設はあらゆる方法の内の一つだ。二人以上生まれた赤ちゃんの片割れを回収してどんな環境でも生きられるかの……早い話が耐久テストだ。何故それをやろうと思ったかは書かれていないが、こんな事でレコードの有無は判別できないだろう。
どうやら『七凪雫』に神の脳みそが宿るまで、ここにアカシックレコードは存在しなかったらしい。未来の知識があってこんな狂行をしたならまだ理屈は分かるが、十年前の素面で行ったなら純粋に頭がおかしい。おかしかったというべきか。
有望が絶えてしまった子供。その後の書類を見る限り人格や一部機能に欠陥が生じたとも書かれている。
処分は死んでしまった、ある意味一番マシな末路を迎えた子供。肝心のテスト内容は惨すぎて目を通したくない。何故耐えられた子供が要るのか不思議だ。
そして問題ありは、赤子として致命的に何かが欠如している子供。
具体的には耐久テストが意味をなさない、人間の生態としてそもそもおかしい、人じゃない。神の脳みその実験とは全く無関係に怪物が生まれたと考えれば分かりやすいか。落ち着く為にも今一度振り返ろうと思うが、あの部屋でひっくり返っていたカゴは何だった?
笑えない。文書の通りならとんでもない怪物が生まれているし、このゴミ捨て場にはそういう奴が徘徊している事になる。俺はどうでもいいが綾子が心配だ。携帯が役立たずなのがもどかしい。
通路に戻ると、覚えのある刺激臭が俺の鼻を衝いた。
人間なら殆どの人間がその記憶を持つだろう。尿だ。アンモニア臭。人によっては臭いが濃かったり少なかったりするが、今回は前者だ。激臭と呼ぶのも生温い。どんなに手入れされてないトイレでもここまではない。
「わええええええええ……!」
あり得ない臭いだ。アンモニアは毒物だったか、いや尿になる頃には無毒化されている筈。であればこの臭いは? 危険だ! 扉を閉めて会議室の中に立て籠もる。新鮮とは言い難い地下の空気だが、あの臭いよりはマシだ。何処かにガスマスクはないものか。
廊下の書類は無臭なので最初からあった訳ではないだろう。でなければ可及的速やかに俺は書類を燃やして……
もう一度廊下に散らばった書類と会議室に散乱した書類とを見比べてみる。同じ事を書いているようで全然違う。これらは違う書類だと何故気付けなかったのだろう。それは同じ題材に対しての書類だからだが、もっと早く気付くべきだった。会議室の方は紛れもなくこの施設に関わる書類だが、廊下に落ちていたのは……明らかに後期のものだ。
だが幾ら『追憶』と言っても関係ない書類は出現しないだろう。
そう、他に人が居る。
これは確信だ。
まさかそいつが尿を漏らしたとは考えたくもない羞恥だが、とにかく先へ行った方が良さそうだ―――
「え、ちょっと―――何!? やだ、来ないで! やめ来ないで!」
不幸中の幸いだ。アンモニアに耐えかねて駆け抜けている時に綾子の騒ぐ声が聞こえてきた。出遅れるという事はあり得ない。俺が遅れるなんてあってはならない。もう二度と親友を失うのは御免だ。もう二度と。
「綾子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
見捨てない。
金属製の扉を開けて飛び込むと、無数の赤ちゃんがこちらに手を伸ばしていた。否、それは違う。大きな女性だった。身長が五メートル程もある大きな人型の女性。胸には巨大な赤ん坊を抱えているが、そこには手も、頭も、足もない。胴体だけがあって、臍の緒が女性と繋がっている。
扉の音に気付いた女性が振り返る。顔が無かった。シールみたいに貼り付けられた赤ん坊の表情を顔と呼んでいいなら、至って普通の女性かもしれない。奥では綾子が尻餅をついている。目を見開いたまま動かないので間違いなく魅了されている。
俺が囮になれたらよかったが、女性は興味を無くして綾子に覆いかぶさろうとしたので、後先考えずに横っ腹を鍬で殴り飛ばした。
ぎゃうううう
「綾子、大丈夫か、おい!」
反応が無い。瞳孔に反射するのは俺ではなくそこで横たわる巨人。反応が全くない。考える暇もなく彼女を抱きかかえ、反対側の通路へ全力疾走。梯子を見つけたが、綾子を丁寧に抱えたまま登れる訳がない。
イヤアアアアアアアアアアアアア ンギャアアアアアアアアアアアア!
考えた事もなかった。この地下室の反響なんて。不愉快極まる高音に俺は足を止められその場に蹲るしかなかった。恐らく雪奈さんのコートで回避出来るだろうと綾子の身体を改めて触った所で、ようやく彼女があれを着ていない事に気付いた。
―――なんで着てないんだ!?
鳴き声が近づいてくる。理由は分からないがあの女性は綾子を狙っている。どうにか彼女だけでも上にあげたいが、誰の手も借りられない。いっそ無謀でも何でもあの女性を殺してみようかなどと考えた瞬間、上から赤いコートと共に女性が降りてきた。
「…………えッ」
「説明は後! 早く上って!」
「いや、何で―――」
「早く!」
綾子を肩に提げながら、俺達は何とか梯子を上り切った。赤ん坊の泣き声は聞こえない。
「聞こえてないって顔してるわね! でも脱いじゃ駄目、一旦やり過ごさないと! 良い隠れ場所知ってるッ?」
「―――あ、ああ。知ってるぞ。でも何で―――」
「せつめいは あと!」
……どういう風の吹き回しだ?




