希望に至る道
躊躇なく窓を割って、中へ押し入る。本来物音を立てるのは好都合ではないが、入りたかったものは仕方がない。武器も手に入れたので一回は問題ないと思っている。何より怪異が俺達に注意を向けてくれればそれだけ他の人の負担が減る筈だ。あっちだって無制限に分裂する訳ではない。
扉を開けて綾子を招き入れた。
「ありがとう。随分大きな家ね。森の中にあるとは思えない」
ソファ、テレビ、冷蔵庫、机、台所、二階と地下。森の中で孤独に建つ建物にしては随分生活感がある。小人化した際に入った建物は全て埃を被っていたが、ここはかなり手入れが行き届いており、家主が居ないのは単に外出しているだけな気もする。派手な音を立てて侵入したのに誰も来ないのはそういう事だろう。
「ここでちょっと休憩してく?」
「まずは探索からだ。俺は一階を探す。お前は二階を頼んだ」
「おっけー」
と言っても探したいのは引き出しや箪笥などの収納場所のみだ。何か目的がある訳ではないが、鍵などを見つけられたらそれは確実に何処かで使うので手に入れておきたい。例えばこの机の上にある日記とか。
錆びた装丁の日記帳には何も書かれていなかったが、それとは別で同じくらいの大きさの紙が挟まっていた。
『ここは追憶だ。リュウ、全体で意味を考えろ』
その呼び方を、俺は只一人にしか許していない。筆跡、こちらを見透かしたような情報提供。どれをとっても、これを書いた人間は一人しか思い浮かばない。
「鳳介……!」
思わず声が出てしまう。やはりアイツは生きていたのだ。この書き置きは俺がここに来る事を見越して置いていたのか? 発想の飛躍と断じたい所だが、アイツはレコードに飛ばされた過去で何故か未来の事を知っていた。もし未来と記憶を共有しているならその可能性は高い。
綾子に伝えるべきか悩んだが、ここで伝えるのは時期尚早だ。それでは死体を見ずに死んだと言ったようなもの。言葉は逆でもやろうとしてる事は一緒だ。実体を確認せずに報告して、もし違ったら今度は許されない。まだ留めておこう。
他にも鳳介の痕跡があるかもしれない。内側の窓から庭へ出ようとしたその時、二階から綾子の叫び声が聞こえた。
「―――綾子!」
それは短い悲鳴だったが、階段でぶつかるくらいには慌てていた。
「あいった……何すんのよ!」
「いや、お前がぶつかって……まあいいや、何見たんだよ」
一瞬で仲直りした俺達は綾子に押されながら二階に上る。これまた生活感のある整った寝室だ。ベランダを除けば理想的な部屋だった。
そこにあったのは全身に穴が開いた死体。
たったそれだけでも集合体恐怖症に罹患させるには十分な数。顔の上から半分は立体的にくりぬかれ、お椀の様な受け皿と化している。胴体と併せて杯に見立てているのかもしれない。率直に趣味が悪い。ドブ色の液体に満たされた杯に、一体誰が手を付けよう。
「…………流石にきもいな。気分悪い」
「さっきからそうなんだけど、何なのこの空間って。統一性が分からないんだけど」
法則が分かればそこから糸口が掴める事もある。綾子には言えないが、きっとこの疑問にぶち当たる事を想定して彼はヒントをくれたのだ。何故答えを教えないのかは分からない。彼は危機的状況ならむしろ率先して情報を開示するタイプだし。
ここは追憶。その意味はまだ分からないが、リュウとわざわざ書いている所に違和感を覚える。文章としては別になくてもいいのだ。そこを消しても意味は変わらない。そこで敢えて名指ししたからには、必ず意味がある。
例えば、俺にしか分からないヒントとか。
「……いや、仮説はなくもないが混乱するだけだな。というか焦り過ぎてる。こんな場所は放っておいて地下を探そう」
「後であの死体片づけてくれたりしないかしら」
「俺に言ってんのか? やだよあんなの触りたくもない。幾ら親友だからって気軽に引き受ける度を超えたぞ」
二階みたいに驚くのは御免なのか、地下探索においても綾子は率先して俺を前に押し出した。恐らく有効であろう武器を持っているのは俺なので気には留めない。小人化した時は広大に感じたがあの時の地下室もこれぐらいの広さだったのだろう。案の定、物置と化しており、唯一違うのは奥にシャッターではなくちゃんとした部屋がある事。今思うとあれは地下室というより外からもアクセスできる時点で地下倉庫だったのかもしれない。もしくは車庫(その割には雑多な物が多かったが)。
「;:;;;※※※!」
「うおおおお!」
地下室の明かりをつけた瞬間、部屋の中から男の様な声をした人型の怪物が飛び出してきた。敢えて人型と言ったのは、只の人間にしてはあまりにも醜悪だったからだ。言い方を俗っぽくすれば不細工だった。
それは手術で失敗したとか遺伝子がどうとかそういう要因を遥かに超えている。目と鼻と口がそれぞれらせん状に捩れ、首は明後日の方向と正常な方向に曲がっているので支柱としての力がなくボッキボキ。身体全体は赤錆が表面を覆っており、これを単なる不潔で醜悪な人間扱いは無理がある。ほぼゾンビではないか。
反射的に振るった鍬の柄部分が直撃。横に倒れた所で容赦なく追い打ちをかける。今度は刃の方で。
「うおおおおおおおらあああああああああああ!」
特別何処かは狙っていない。強いていうならまんべんなく耕している。呼吸のペースなど忘れて、いっそ狂ってしまいたいくらいの連打を超えて、怪物は死亡した。刃を見ると全く血痕は付着しなかったが汚いので包んでいた赤いコートをはぎ取ってその場で叩く。
―――有効なのか。
もしやと思っていた。だが間違いない。このコートにはまだ『ナナイロ少女』が宿っているし、このコートそのものが彼女のルールに抵触する為か直接ぶつけると通用してしまう。物理攻撃が怪異に効く事もあるのは知っていたが、それでも精々撃退か一時停止程度。二回目からは反撃をしてくる事もあった。
だがこの怪物は最初の一撃を叩き込んだ瞬間、水風船のように顔が割れて、後は耕した胴体も同様に弾けてしまった。臓器などはない。残ったのは降り積もったカビだけだ。心底有用な武器を思いついた事に自画自賛すると同時に、最強の守りを失った雪奈が余計心配になった。
それに武器と言っても通用するのはこういうあからさまに実体があるタイプだけだろう。見てはいけない触ってはいけないようなタイプならそもそも接近出来ないので通用しない。過信は禁物だ。飽くまで護身用ととらえた方がいい。
―――護堂さんはどうやって毎度生き延びてるんだ?
「リューマ、考えてる時に悪いけど、誤解は早く解いた方がいいわよ」
「は? あ―――」
乱暴に開かれた扉の先、つまりは怪物が飛び出した場所にはもう一人の人影があった。
彼女の名前は土季深春。俺の先輩だ。
「こ、後輩君―――」
四肢を固定された状態で胸元にナイフが乗っている。そんな状況でも首を持ち上げこちらを見るくらいは可能だ。目撃されてしまった。正当防衛とはいえ、何かを殺す姿を。
「あ、あの。違うんですよ先輩。これは―――」
「来ないで!」
「いや、だから」
「今は貴方が怖いッ! それ以上……来ないで」
錯乱されてしまってはどうしようもない。せっかく助けたのに罵倒されなかっただけまだ理性がある方だ。何だか気まずくなって、俺はその場を綾子に一任しつつ階段を上がった。
「悪いけど綾子。拘束解いてやってくれ。後、好きな食べ物の質問もしといてくれ」
「助けたのに恐れられて悲しい?」
「―――いや、先輩を助けられたならそれでいいよ。それ以上は求めない」
彼女が落ち着くまで鳳介がくれたヒントについて考えてみよう。
―――追憶か。
昔、昔、昔。
全ての始まりはそこに収束しているとでも言うのか。




