下手人
「雪奈!?」
全身から血の気が引いた。この霧の中でも真っ赤なレインコートは非常に目立つ。このコートがなければ雪奈さんではないと言っても過言ではない。ましてこれは一点ものだ。怪異が宿っているという点で、他に代用がきくものではない。
「…………」
「リューマ。どうしたの?」
「いない」
「え?」
レインコートを押すと、何の抵抗もなく凹んだ。
「服だけだ」
あの雪奈さんが自分からレインコートを脱ぐとは考えにくい。意味があるなら脱いでくれるが、よりにもよってこんな危険地帯で自分から安全地帯を放棄するとは考えにくい。怪異は余程親和性が高くない限り同時遭遇はあり得ない。『ナナイロ少女』と共生する彼女は、メンバーの中で一番安全だった。その筈だった。
―――一体何があったんだ?
鍬は武器として使えそうなので持っておく。服の裏側まで貫いているのでもしかするとここに居ないだけで彼女も怪我を負っているかもしれない。そう思うと楽観視は出来ない。ここにコートがあるという事は森に居る可能性があるので、やはりこのまま探索を続けよう。
「それ、持ってくの?」
「武器にする。雪奈さんを襲った奴見つけたらこれで削り殺す」
「そう。私も武器があったら拾いたいな」
「チェーンカッターあるだろ」
「切れっての?」
「殴れよ金属だろ」
「持ちにくいから嫌」
出会った時に返す為、コートはちゃんと持っていく。『アザリアデバラ恐怖症』再発時に『ナナイロ少女』とは会話したが今は沈黙を保ったままだ。怪異ならコートの損傷くらい直せないものだろうか。服だけを貫いていたのに血痕だけが残っていた事実がどうにも気になってしまう。
怪異と人が共生する話がそもそもイレギュラーなので数多もの知識を以てしても想定しようがない。推理にも限界がある。
「……そうだ綾子。もしはぐれた時の為に合言葉とか考えないか?」
「は? 偽物判別って事? 自慢じゃないけど私、全く同じ姿してても本物と偽物見分けられる自信があるわよ。親友舐めんな?」
「そりゃ俺もだ。でも万が一があるから、好きな食べ物で」
壁に耳あり空気に怪あり。何処で何が聞いているか分からないので答えは言わないし、綾子も確認は取らない。求めるのは統一された答えではなく実際の答えだ。人によって違うからこそ単なる変装に留まる怪異には厄介極まりない。
当てもなく、そして何となく奥へ進んでいると、やけにはっきりと沈んだ足跡を発見した。現時点で判断する材料はないが、即座に罠だと理解した。経験則から来る勘でしかないが、足跡や生活感やら、生存者と思わしき痕跡は全て罠だろう。各自が切り離された時からそういう風に仕組まれた可能性が高い。人は群れる生き物だ。俺達だって昔切り離された時は取り敢えず鳳介と合流する事を念頭に置いた。
視界不良、単独行動の強制、正体不明の怪異。
この状況下で冷静に動こうとする人間は少数であり、大抵は誰かと合流するべきだと考える筈だ。先輩やマリアだったら俺……もしくは事務所の人間と。それが裏目になる。ここの怪異共は一縷の希望を逆手にとって罠に嵌めてくる。よくよく考えれば不自然でも、極限状況で判断力が低下している人に対して間抜けとは言えない。俺だって足を取られて危うく水底に沈められそうになった。
綾子のお蔭で助かったが。檜木さんや緋花さんと合流していないなら先輩達にそういった外的要因の希望は無い。
「リューマ。また足跡」
「いい加減しつこいな。やっぱ生存者の足跡かもーって思わんだろうに」
理由は二つ。
怪我をしていない限り足跡は等間隔になる。走っていても歩いていても変わらない。一々現れる即席は全て歩いている時の歩幅だ。乱れてもいないし、不規則に足跡がついている訳でもない(混乱している場合を考慮している)。非常に落ち着いている。極限状況で歩きそうな人なんて……一名心当たりはあるが、彼女は下駄だ。足跡の形が違う時点で除外して良い。
次に連続性が半端な事。発見される足跡は全て俺達の少し前から発生している。人間が途中で足を消して歩けるかと言われたら答えは言うまでもなくノー。
御覧の通りの有様で、普通に考えたらおかしい痕跡ばかりなのだが判断力が低下した人間には分からないだろう。
見向きもせずに歩いていると、川のせせらぎが聞こえてきた。初期地点に近いかもしれないと音が近づく方向に歩いていくと、大きな一軒家に辿り着いた。近くに川はないが音は近いので恐らく向こう側に川はあると思われる。
「入る?」
「入るだろ」
誰かいるなら合流する、敵なら殺す、誰も居ないなら拠点にする。いずれにせよ入らないという選択肢はない。また小人化したら困るが、区画毎にルールがあるならここで小人化は起きないと考えられる。
扉には鍵がかかっているが、家に窓は付き物だ。タダでは入れない事を悟ると、俺は躊躇なく赤い鍬を横に振りかぶった。
引っかかった。
私も迂闊で、愚かだった。ミハルが偽物だったなんて。
「…………はぁ、はぁ……」
センパイもサキサカも何処にもいない。自分の身がそんなに大事? 今はミハルの本物を探すべきだと思う。偽物がいるなら捕まってるか……死んでるか。はっきりさせないといけない。
「大丈夫ですか!?」
私を心配するその声に振り返る。ここに来た人の中で唯一制服を着てるから一番見分けがつきやすい。霧の中でも分かる。
「カイチョウ」
「はは。それ柳馬君か深春からでしょ。神宮千尋です。雪奈さんって事でいいんですよね」
「……?」
「いや、偽物がいるみたいで、一応ね。ところでコートはどうしたんですか?」
「ミハルの偽物に襲われた。怪我は……今はしてない。そっちの偽物は誰」
「……俺も深春です。いやあ危ない所でしたよ。急に走ったのを追いかけて、追いついたと思ったら襲われて」
…………。
「俺だと頼りないと思いますが、こんな場所に一人でいるのは危ないでしょう。一緒に行動しましょう」
「……ここが何処なのか分かるの」
お互いに周囲を見回す。カイチョウがポケットから紙切れを取り出して私に見せた。左が『もり』、上が『ゴミ捨て場』、右が『かぎ』、下が『さいご』。地図として意味不明な文字の数々に私は首を傾げた。
「最初に切り離された時、俺はゴミ捨て場に居ました。わざわざ四方にのみ場所が記されて真ん中が空白なのはここが『むら』だからだと思います。地図を拾った場所がここなので、じゃあ場所を記す必要はないよねって事かなあって。『もり』は確認出来たので俺達がいる場所は『さいご』か『かぎ』になると考えられます」
十字路のあらゆる道を跨ぐ鳥居。その先には何も見えない。霧に責任を押し付けるにはあまりに何もみえなさすぎる。シルエットも分からない。
「ここは何処」




