悪意の迷宮
絶交が撤回された影響で俺達の距離は急速に縮まったが、失われた時間が直ぐに戻る事はない。ハグの後は気まずい時間が続いていた。果たしてそれを察してくれたかは分からないが、綾子の方から話を振ってくれた。暫しの休息である。死にかけたので許してほしい。
「それにしても、逞しくなったわね、随分」
「そ、そうか? いやでも、あの後は怪異とかには触れないで生きてきたしな。気のせいだと思うぞ」
「そうじゃなくて、体格の事。昔は私よりちょっと大きいくらいだったのに、今じゃちょっと見上げる必要がある。男の成長期って凄いわね」
「それを言うならお前も…………いや、やめとこう。セクハラになりそうだ」
「胸の事ならそこまで成長してないわよ。B……って言いたい所だけどA。これ秘密よ。他の女子にはBって言い張ってるから」
「言い張ってるってお前……それとすんなりいうのは女の子としてどうなんだ?」
「今更でしょ。そういうの。お互いの臓器を見た仲じゃない」
「―――嘘は言ってないんだが何だろうな。この納得いかない感じ」
この話はエグすぎるので詳しくは話さないが、『生首村』で起きた事件であり、後は察してほしい。ありのままの姿(臓器露出)は怪異への嫌悪感を抜きに思い出したくないというか、一時期そのせいで綾子を嫌いになりそうだった。一見して無関係に思われるが、猫が嫌いなので、猫好きな人ももれなく嫌いみたいな感じだ。これは例えなので勘違いしてもらっては困るが、自分のトラウマが相手に関わっていると心的ストレスを避ける為に一括りに嫌ってしまう……と言えば分かるか。
因みに何も俺だけではなく綾子も同じ状態に陥っていたので、これを脱すべく俺と綾子は一緒にお風呂に入って身体を洗い合った。ぶったぎられた場所を重点的に洗っていた記憶がある。
「……あれ、やっぱり逃げられなかったら死んでたよな」
「それはいつもでしょ。私が両脚折られて終始役立たずだった事もあったし、今回もそう。ま、重傷とか以前に水中は窒息すると思うけど」
綾子と俺は顔を見合わせ、いよいよ考えなければならない状況に目を向けた。
「「ここは何処」なんだ?」
森の中に居た筈が、気づけば廃墟の中だ。全体の広さは十二畳くらい。角の床が崩れておりすぐ下には水面が見える。俺達はあそこから出てきたのだ。怪異の潜む世界に物理法則がどうたらこうたらと『非常識』な話をするつもりはないが、それにしたって場所が分からないと行動しようがない。森と家との繋がりを延々と考えていると、当初の目的を思い出した。
「先輩達を探さないと!」
「先輩?」
「あ、言ってなかったか。俺一人でここに来た訳じゃないんだよ。集団でここに来たんだけど知らない内に一人すり替わってて、それで一人っきりにしたらやばそうな人がいるからその人を―――」
「もういいもういいもういい。アンタの説明長い。探せばいいんでしょ? じゃあ行きましょ」
先陣を切ってドアノブを回す綾子。しかし建付けが悪いのか全く開かない。引いて駄目なら押してみろ、押して駄目なら引いてみろと繰り返す内に彼女の顔には苛立ちが募っていった。
「開かねええええええ! 出鼻くじかれるのが一番腹立つんだよおおおお!」
「綾子、ステイ。こういうのは強引にやれば逆効果だ。貸せ」
「……いいわ。任せる。なんかごめんね」
「気にすんなよ」
俺の知る綾子にしてはダウナー気味だと思っていたがそれは気のせいだったようだ。力加減を絶妙に調整し、扉を押してみる。
開かない。
「開かないんですけど」
「……すまん」
ヤケクソ気味に体当たり(扉は余程損壊していない限り体当たりでは壊せない)をしかけると、扉の奥から平たい物体が倒れるような音がした。どうやら建てつけが悪かったというよりも障害物で封じ込められていたらしい。
「お! 開いた」
「ナイス」
今度はちゃんと開いた。俺達を閉じ込めていたのは大きな一枚の木の板だった。階段下に古い釘が落ちているので元々取れかかっていた板を内側から外したらしい。外の空気は冷たく、人の気配など忘れたかのようなゴーストタウンだ。俺達を歓迎していないのは明らか、この先に進むのは危険だと本能が告げていた。
不意に、綾子が肩を通り過ぎて先行した。
「え、あ。おい!」
慌てて追いかけていくと、金網を背中にしたボロボロの掲示板の前で彼女を見つける。視線の先にあったそれは子供が書いたと思わしき地図であり、詳しい道のりは書かれていないが、ここは『まち』で左の方に『もり』。上が『ゴミ捨て場』で右が『かぎ』、下は『さいご』といよいよよく分からない。
分からないものは後回しにするとして、『もり』は先程俺が居た場所だろう。平仮名なので森が銛や塚だったりしたらどうしようもないが、そこまでトンチキな地図だったら流石にこの場で破り捨てる。
「運が良いわね。何処にでも行けるっぽいけど、何処に行く?」
「……完全に経験則だけど、多分森にはもう一人くらい飛ばされてると思うんだよな。俺があの時どういう位置に居たかは分からないが、もう一度森に行こう。もし先輩ならラッキーだ」
地図を丸めてポケットに詰め込む(荷物は水中に引きずり込まれた拍子に失くした)と、綾子へ手を差し伸べる。彼女は驚いたようにぴくんと肩を震わせたが、ふっと微笑んでから何も言わず手を取ってくれた。
「頼りにしてるぜ、親友」
「鳳介みたいな事言うのね。でもまあ悪い気はしないかな」
地図は地図でも大雑把な区画が書かれただけの地図は行動方針にはなっても道案内という本来の役割には全く役に立たない。森に行くだけなのに早速道に迷ってしまった。それ以前に道らしき道が一本しかなく、それは地図を信用するならゴミ捨て場に行ってしまうので無理やり建物を通るしかなかった。都市計画が致命的に失敗している構造だ。どうしてこうなったかは誰に聞けばいいのだろう。一発ぶん殴ってマンホールの中に突き落として反省させてやりたい。
「全然森に行けないし、探索でもしない? アンタ荷物落としたんでしょ」
お前が地図を書けと言わんばかりの不親切な地図には辟易したので、綾子の一言は何気ないながらも見事な判断だった。自分も助けられないような人間は他人だって助けられない。本来は精神的な意味だが、今は物理的な意味で捉えてもらいたい。手持無沙汰な人間に一体誰を助けられるというのか。最低でも懐中電灯は再入手しておきたい。
因みに綾子もチェーンカッター以外は置いて来たらしく、あの場所には仲良く二人の荷物が置いてある訳だ。
「長期的なのを覚悟するなら食料も欲しいんだけど……」
「分かるぞ綾子。お前も感じたか」
「ええ」
でかいのだ。
掲示板を見た時は気付けなかったが、この町は非常に大きい。寸法が間違っているのかというくらい大きい。最初に違和感を抱いたのはレストランらしき建物を通った時だ。テーブルはどれも俺達よりかなり大きくて、皿やコップが俺達くらい。綾子に助け出してもらった時はまだ普通だった記憶があるので何処かで俺達が小さくなった。或は町が大きくなった。
年齢の方は問題ない。
「まあ食べ物が大きいのは別にいいけど。この分じゃ私達と同じくらいの大きさの懐中電灯とか転がってそうで……」
「つってもさっきの地図みたいに小さいのが……ん?」
原因これじゃね?
顰めた眉の原因を少なからず綾子も察したようだが、この手の条件は今更変更出来ない事が多い。まさかあの時取得ではなく破り捨てる選択が最善だったとは誰が思いつくか。
「お前は一階を探索してくれ。俺は二階を調べる」
「この階段大丈夫?」
「ちょっと協力してくれればいける。そこで掌をお椀にする感じで組んで構えてくれ」
指定した場所で綾子が体勢を整える。ふと彼女が真上を見て、露骨に焦り始めた。
「え、ちょっとマジでやんの? それはゲームのやりすぎじゃない? 非力な私が出来る訳ないっしょ」
「やってくれないと行けないんだよ」
俺だって気が進まないし、脚立があるならそれが最善だ。しかしこの状況で脚立が見つかってもやはり寸法が間違っているというか、巨人の私物を小人が使える筈もない当たり前の道理というか。仮に使えても結局脚立に上る為に……という堂々巡りが発生する。こうするしか道はない。
「……分かった。やってやろうじゃないの」
決意が固めればあとは早い。駆け足でタイミングを合わせて片足を彼女の掌へ。それをジャンプ台に高く飛び上がって手すりの部分を何とか掴む。
「そっちは頼んだからなッ」
「ん。任せといて」
気分は絶壁ロッククライマー。廃墟にしては老朽化の少ない手すりは摩擦が小さくて今にも滑り落ちそうだが何とか上半身をねじ込んで、後は流れ作業。一旦登れば後は坂道を上るだけだ。段差は登れない事もないが一々身体を使って上る必要がある手間が今後の危険性も考慮すると出来るだけ控えたい。これが一番楽だ。
二階に上り切ったのを確認すると巨人御用達のマットめがけて受け身を取りながら着地。衝撃こそ吸収出来たが中々大きな物音が響いた。別に誰も来ない。
―――さて。
見渡す限り三部屋だが、一つは閉じているのでドアノブに干渉出来る手段がないと入れないものとする。後の二つは少しだけ開いているので小人の今なら身体をねじ込めるだろう。
手前の部屋に入った瞬間、俺の視界が臙脂色に染まった。




