最期の旧世界
どうやって心中するつもりだったのかと話を聞いている内に、俺は笑ってしまいそうになった。そんな雰囲気ではないのは承知だが、いやいや。これが笑わずにいられるものか。本当に今度ばかりは正しい行動をしたと思う。
放火心中と呼べば聞こえは良いが、最先端技術の持ち主に科学を用いた攻撃は通用しないだろう。現代でさえ火そのものには防火服、酸素不足には酸素ボンベなど、対処方法が普通に存在する。材料がなければ作れないとはいえ、材料の不足の判断が俺達に出来ない以上、可能であるとの仮定は必然に近い。
どうせ狙うなら遠くからスナイプするとか地雷を家の周りに仕掛けるとかの方が可能性はありそうだが、ここは法治国家だ。一般人の手に入る代物ではなく、手の届く範囲でどうにか人を殺そうと思ったら放火心中はある意味最高峰に位置するかもしれない。
ただし薬子は全身薬漬けのドーピング人間なので心中と言っても足止め出来る可能性は皆無に近く、俺の挙げた案も全て回避される未来が視えている。放火心中も当然躱されるだろう。マリア一人の盛大な自殺になりかねない。
先程は助けに入った事を咎められたが、やはり死ななくていいと分かれば安堵感があるらしく、今はずっと俺に密着している。悪い気はしないが、自らの死を覚悟している時の精神状態は控えめに言ってまずい。一度踏み切った境界線を再度跨ぐ事は中々に時間がかかる。今度また何かあったら死ぬと言い出しかねないのだ。
だから悪い気がしない以上に心配。
「…………教会でな、お前の両親の死体を発見したんだ」
「―――知ってる。私が見捨てたから」
「見捨てた?」
「…………リューマはどうしてナナギシズクの事を覚えてるの?」
「え? ……いやあ、よく分からないんだ。変な女の子から貰った仮面で過去に飛ばされて戻ってきたらこうなってた。テレビじゃ死刑執行されましたーってなってるけど、薬子はまだ計画を完成させてないしなんか変なのは分かるぞ。でも多分……これがズレの修正って奴なのかな」
アカシックレコード所有者が発生させたズレが修正不可能。言い換えれば、発生させた所有者が居なくなればズレは修正可能なのではないだろうか。少々飛躍しているかもしれないが、そもそも修正不可能な理屈とはズレを修正する上で参照する情報源―――アカシックレコードにズレを起こす存在も干渉しているからで、ズレを修正しようとすればレコードそのものにも修正をかけてしまう。それが出来ないから恐らくは修正不可能で…………張本人が居なくなれば残るのは現実の歪みだけ。それくらいなら幾らでも修正出来るだろう。
今回の一件は薬子の発言と当てはめてみればこの理屈で筋が通る。彼女の発言には確実に嘘があるので見抜きにくいが、例えば彼女は雫が一度死んでいるのに脱走しているから他人を乗っ取る力があると言っていた。
一度死んでいるというのは気になるが、脱走してから一連の流れは雫が居ないと成立しない。ところが雫が死んでしまえば肉体が存在しない以上、幾らでも記憶は書き換えられる。レコード所有者以外、一秒前の自分が今の自分と全く同じとは証明出来ない。現に人々は誰も七凪雫の事など気にしていない。ニュースだって特集と言うよりは数あるニュースの一つ程度だった。
「……でもなんで俺がズレの修正を逃れてるかは分からないな。逃れてると言ったら当たり前の様に覚えてるあの人達もおかしいけど」
「……教えてアげる。私も多分同じ方法で避けたから」
「……どうするんだ?」
「雪奈ちゃんのコートを借りたノ。アカシックレコードの力は現実に及ぶから―――」
そこまで説明されたら後は十分だ。なんという盲点。そうだ、俺は幾度となく屈折した異世界に迷い込んでいるではないか。あそこは物理法則が及ばない、怪異の怪異による怪異の為の世界。足を踏み入れた俺達はいつもアウェーで、その中で奇跡の生還を果たしてきた。
「でもあのコート、頑張って入ろうとしても二人分だ。残りの人達はどうしたんだ?」
「檜木って人がどこかに連れて行った。多分、同じやり方だとは思う」
思い返してみれば『 』限の時にもあの人は自分だって色々おかしな目に遭っていると言っていた。俺に授けてくれた対処法も怪異をただ恐れるものと考えていたら出ない案だ。俺みたいに何度も何度も危険な心霊スポットに行く馬鹿は貴重だと思っていたが、彼もそういうクチなのだろうか。
―――あ。そこも込みで、雫を売ったのか。
こういう回避を取るなら修正されるタイミングが重要だが、目で見えるものではないだろう。修正の邪魔になっているのは雫なのだから、雫が死亡するタイミングにジャストでなければ失敗する恐れがある。それは何となくで出来る判断ではない。明確にする必要がある。九龍所長が俺達を裏切ったのは説明した通りでもあるし、恐らくそれも含まれている。
とはいえその俺達が帰ってきたら結局歪みは生まれたままなので再修正を加えられないか心配だが、アカシックレコードのルールは所有者の真孤にしか分からない。現に俺達が記憶を保有出来ているなら、それ以上は考察する意味もないか。
「―――これカらどうするの?」
「教会ではもう通報してある筈。雫の事実が改竄された今、警察とアイツに協力関係は無い筈だ。だって雫が居なかったらアイツは警察と結託して捜査なんてしなかったからな。今は逮捕権もない只の一般人だ」
「警察に逮捕させるの?」
「無理だろうな。未来の技術を使える奴を逮捕出来るとは思えん。警察の捜査能力は優秀かもしれないが、まあ分が悪すぎるってレベルじゃない。立ち入り禁止にしてくれるだけでいいんだ。教会にある仮面を取る為にアイツは絶対に警察と敵対しなきゃいけない。仮に取れても大丈夫だ、あの仮面に効果は無いからな」
「……もしバレたら、殺されるよ」
「俺が死んで済むならそれでもいいさ。元々俺は、一回死んでるんだから」
夕音に背後から殴られた時、俺は時間を巻き戻された。あれは病院で見せた時と同様に雫の力だろう。彼女がいなければあの時点で俺は死んでいた。それはあの瞬間をやり過ごした後の殺意からも明らかだ。
「さて、じゃあせっかくだしお前も来るか? また何かの間違いで狙われたら助けられないしさ」
「何処に?」
首を傾げるマリアをよそに電話をかける。
「あ、すみません。緋花さんですよね。無事でした。はい。先輩達は……無事ですか。そうですか……はい。はい」
電話を切る。マリアは電話の内容について気になっている様子だ。
「―――マリア。九月十日、予定空けといてくれ」
「だから、何処ニ行くの?」
「全ての因縁が眠る場所。そんでもってお前のご先祖様が暮らしてた―――天玖村だ」
すぐ行かない理由は、行動があまり早すぎても薬子に警戒されてしまうからとの事。教会にあった仮面は偽物で、それを導いたのは俺。薬子としては時間稼ぎに思っても無理はない。そこで敢えてタイミングを外す事で俺達はまだ真相にたどり着けていないと誤認させ、完全な不意をつく。
全て九龍所長の立案だった。
詰めの甘くなりそうな場所は作戦を聞いた会長が埋めてくれるそうだ。俺達は決行日まで普通に過ごしてほしいとの事。薬子が襲撃してくる可能性だが、新世界構想成就に焦っている現状として無暗に孤立しない限りは無いと会長は見立てていた。ただし本物を所有する俺だけは例外なので気を付けてほしいとも。
気を付けるも糞も無い。慎重になろうが大胆になろうが進むべき道は決まっている。帰宅した時、家族から『今日は家に居てほしい』と言われた記憶を思い出したが、まあさして影響はないだろう。今までも反発してきたし。
ただいまも言わずに玄関を抜けるも、人の気配がしない。まだ帰ってきていないようだ。家族全員でと食事に行ったのだろう。もし家に居たら俺も連れて行くつもりだったと考えると心が微妙に痛いが、雫の為だ。俺が居ても両親は気分が悪いだけだろうし、どうか楽しんで食事をしてほしい。
残り、十日。
学校は休校中なので実質的な休日だ。バイトにも入っていない。誰と過ごそうか。




