トキシック・フレンズ
俺達三人の中で綾子は精神的な体力が一番小さい。何らかの理由でどちらかが集中的に狙われている時を除けば真っ先に発狂するのは彼女だ。最初に音を上げるのも割合としては俺よりも多く、とにかく守られる事が非常に多い。
そんな綾子だが謎解き力が非常に強い。学力的には普通だが、未知の状況に対して解答力が尋常ではない。ただしその力を遺憾なく発揮する状況を作るには冷静で居てもらわないといけないので、短期決戦にはならないのだが。
幸い、あの『オニ』はまだ追って来ない。恐怖に弱いと一口に言っても厳密に区分するとタイプに違いがある。鳳介は全体的に強いがあまりに異様な雰囲気に囲まれると呑まれる事もある。俺は雰囲気には強いが何かに直接追われると弱い。綾子はどちらにも弱いが俺が隣に居るなら雰囲気に、鳳介が居るなら追跡者に対して強くなる。
強くなるだけで無敵になる訳ではないのに留意したい。強い方でも負けてしまう時はある。娯楽としての恐怖ではなく、これらの延長線には死があるのだから当然だ。心が壊れていない限り、誰だって死ぬのは怖い。
「解読出来ないわ」
「は?」
隠し部屋から戻ってきたら開口一番に聞いた言葉がそれだった。
「いや、日本語だろ? 候文的なの」
「候文っていうか地続きに書いてるみたいな感じだけどね。そこまでは分かったけど偽装文字が入ってる。読める場所はあるけど全文解読は無理」
「偽装文字?」
「文章の上に全く関係ない文章が続いてる。読む時に邪魔ったらないわ。ご丁寧にもほぼ塗りつぶし状態で読めない場所と何とか読める場所で分かれてて、読んでる場所を合わせても良く分からない。多分、文字表が必要ね」
「五十音表の事を言ってるのか?」
「違う。解読の為に必要な表よ。さっきの村の事情を考えたら村長しか読めない様になってるとかそういうのじゃない?」
「じゃあこの家にありそうだな」
九龍所長と檜木さんのやり取りも互いにしか通じない言語で行われていた。実際にそういうのを見せられると根拠の薄い仮説とはいえ信憑性は高めだ。それを見つけなければ本を持っていても仕方ないので一先ず置いといて、再度の探索を開始する。隠し部屋があった事は伝えたが、そこで気付いた出来事については敢えて伏せた。綾子を信用していないとかではなく、『未来』の話を持ち込むと説明が面倒になると思ったのだ。未来を知らない彼女からしたら拘束衣がどうしたという話から始める必要がある。それは今、必要か?
過去に飛んだのは俺の意思かもしれないが戻り方が分からない今、迂闊な行動は避けるべきだ。俺が死ねば決定的に未来が変わる。雫が生きているならそんな自暴自棄は駄目だ。
「床下とかも探した方がいいかな」
「鼠しか居なさそうだからやめとけよ」
その鼠に捜索命令は出してみたが、謎を解く為の物を探せと言った所で動物に理解出来る筈もなく統率が乱れて雨漏りしてしまったので、外からの侵入者に警戒させている。『オニ』が近づけば多分教えてくれる。どう教えてくれるかは分からない。
「うーん、これ以上は出がらしかしら」
「かと言って他の場所と言っても神社くらいかめぼしいのは。民家総当たりはあの怪物に遭遇するリスクがあるしな」
「銃なんて卑怯よね」
「それを言い出したら怪異の存在自体卑怯だ。監視カメラとかにもひっかからないしな。現代文明全否定だ」
過去から戻る方法、当てはあるが確実なものとは言えない。一つは自害で、もう一つは出口まで戻る事。前者は失敗時のリスクが高すぎるので論外として後者はあり得ると考えている。だが銃を所有する怪物に先回りの知能がないとは言い切れない事と、帰る言い訳を考えないと綾子を納得させられない事など、問題が山積みでとてもとても行動には移せない。
彼女の言う通り情報も出涸らしかと思い始めた刹那、
床下が崩れた。
「うあああ!?」
「きゃあああッ?」
この家の床下は思った以上に深かった。足場が崩れれば俺達など忽ち闇の中。身体中に群がるこの暖かくも柔らかい感触は鼠の肌か。想像以上に群がっているらしく、口を開けば中に入ってきてしまいそうで口を開けられない。耳も鼠の鳴き声が湧いて出てきておかしくなりそうだ。目を踏まれたら嫌なので目も開けられず、匂いは鼻が曲がりそうな程臭い。床下に沈んだ瞬間、俺達は五感を封じられてしまった。
何者にも勝るこの不快感を果たしてどう表現すればいいか。幽霊が通り過ぎると体に寒気が走るというのはよく聞く話だが、これは五感を鼠に封じられた状態で寒気を感じ続けている。ゲジゲジか毛虫風呂に入っている気分だ。不愉快を通り越して気持ち悪い。気持ち悪いを通り越して有害。有害を通り越してストレス死しそうだ。
変に抵抗して服の中に入られると精神的にキツイので成すすべもない。ネズミ以外が見えず、触れず、聴けず、触れず、味わえない。下手な拷問よりも苦しい密室状態が解放されたのは五分と少し経ってから。悍ましい感触がサっと離れて、俺達は慣れ親しんだ地面の上に尻餅をついた。
「…………あ、あ?」
―――外?
いつの間に運ばれたのか。いうまでもなくあの状態の最中だ。遠くに見えるのは先程まで俺達が居た村長の家だが、正に今、取り壊しの最中だった。こんな時に家を解体する存在は一人しか居ない。あの『オニ』だ。こちらの方向に一致する壁が崩れた時、遠くの『オニ』と目があった気がした。
血液が凍り付く錯覚は、錯覚と思えない程に冷たかった。
「……綾子ッ?」
隣で横たわったままなのには気付いていたが、一向に意識を取り戻さない。あり得ないと思うが今の一瞬でこちらに気付かれたら彼女を置き去りにするのは生贄も同然だ。友達を見捨てて先には行けない。
「綾子、おい起きろ、起きろ、起きろ、起きろ馬鹿!」
軽く頬を叩いて呼びかけるも反応はない。死んでいるというより普通に気絶しているのだろう。根気よく叫べば意識を取り戻しそうだがそんな時間は無い。彼女の腕を取って身体全体を持ち上げると、足早に神社の階段を上っていった。鼠が人を運ぶなどと非現実も甚だしいが、その非現実を俺はとっくに知っている。『七凪雫』という存在そのものが不安定な死刑囚を。
「…………後で文句言うなよ」
ご丁寧に鼠は屋根のある場所に俺達を置き去りにした。もっと言えばこの神社は建物の中に存在している。単なる気絶なら雨でその内目覚めただろうが、今更野晒しにするのも酷だ。
妥協点として手水舎の柄杓で顔に水をかける事になった。
「ぶへぁ! なに!?」
「神社」
「は!? …………あれ、なんで私気絶したの。確か床が落ちて」
「それ以上は思い出さない方がいいぞ。気絶するくらいだ、また思い出して倒れられたら流石に今度は殴るかもしれない」
「……? オッケ。よくわかんないけど考えないでおくわ。でもリューマ、アンタどうせ殴れないんだから脅しかけるならもっとリアリティのある事言わないと」
「いや、殴るぞ」
「私を殴るくらいだったら自分の腕落とすでしょ」
……ノーコメントで。
「ここは何処なの?」
「神社」
「んなの鳥居見れば分かるわ。何で屋根がついてるのよ。神社って大体外でしょ」
「それは俺も知らん。今から調べるんだけど……」
あの『オニ』。俺達が移動した事には気づいてないのだろうか。気づいてないといいのだが、何事も想定は最悪であるべきだ。
「三十分くらいで調べるぞ。多分さっきの化け物が―――」
パァンッ!
銃声は、まるで追い込み漁のように俺達を追い詰めてくる。
「やっぱ十五分だ。音が近い」
深夜もかく




